浦上玉堂
江戸中期から後期の文人画家。武士であったが仕官中に書画、詩、琴などに傾倒し、50歳で脱藩、各地を遊歴した。
1745-1820(延享2-文政3)
江戸中期から後期の文人画家。存命中は画家としてより詩人、音楽家(七弦琴士)として知られた。姓は紀、諱は孝弼(こうひつ/たかすけ)。字は君輔。通称は兵右衛門。穆斎(ぼくさい)と号していたが、のち玉堂と号するようになった。備前池田藩の支藩である鴨方(かもがた)藩士の家に生まれる。1歳年上の藩主、政香の御側詰となり重用されたが、政香は玉堂24歳のとき病没。敬愛する主君の夭折の衝撃は大きく、藩務から離れ芸術に傾倒する契機となった。玉堂は学問面でも優れたが、他方10代の頃から七弦琴をたしなみ、江戸では多紀藍渓(たきらんけい)に琴を学んでいる。安永8年(1779)、35歳のときに「玉堂清韻(ぎょくどうせいいん)」という銘のある、明の顧元昭(こげんしょう)作の古琴を手に入れ生涯愛用した。玉堂の号はこれに由来する。中国画の模写をするなど絵を学び出したのもこの頃からで、南画家の谷文晁(たにぶんちょう)らと交友関係があった。文人墨客との交流が増え、藩務より琴、書画などが生活の中心になり、49歳で官職を退いた。翌年(寛政6)、50歳のとき息子二人(春琴、秋琴)と出奔。旅先にて脱藩し、その後は各地を放浪。晩年は春琴一家と京都で過ごす。
現存する絵画作品はほぼ文化8年(1811)以降のもの。この頃に濃淡入り交じった独自の水墨山水画様式をつくり上げた。玉堂の作品は現代人にも通じる内面の叙情が表現されており、近年高い評価を得ている。代表作は、繊細な筆致で冬山を描いた「凍雲篩雪図(とううんしせつず)」(国宝)。なお、本作は川端康成の愛蔵品だった。他に「煙霞帖(えんかじょう)」「山紅於染図」「鼓琴余事帖」など。詩集に「玉堂琴士集」。息子の春琴も画家として活躍した。
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所在地は群馬県高崎市。浦上玉堂筆「山中訪隠図」を収蔵している。常設展示は年数回の入れ替えを行う。
所在地は静岡県静岡市。浦上玉堂筆「抱琴訪隠図」を収蔵している。
所在地は岡山県岡山市。浦上玉堂筆「蘆隠老禅図」「秋景山水図」を収蔵している。
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浦上玉堂筆「雙峯挿雲図」を所蔵。データベースから見ることができる。
浦上玉堂筆「煙雨模糊」を所蔵。データベースから見ることができる。
浦上玉堂筆「夕陽映松帆図」を所蔵。データベースから見ることができる。
浦上家史編纂委員会が運営するWEBページ。浦上玉堂の生涯、作品、二人の息子などについて詳細に解説されている。
参考文献
- 浦上玉堂 [画],日本アート・センター 編,新潮社
- 浦上家史編纂委員会 編,浦上家史編纂委員会,学藝書院