イネ科タケ亜科の常緑木質植物のうち大形のものの総称。小形のものはササ(篠、笹)と呼ぶ。世界で116属1400種ほどが知られ、日本ではモウソウチク(孟宗竹)、ハチク(淡竹)、マダケ(真竹)、クロチク、ホテイチク(コサンダケ)など。高さ1mから数十メートルに達し、地下茎を広げて疎林をなすものと、稈(かん)が密生して株立ちになるものがある。開花には数十年を要し、開花後一連の地下茎に連なる稈はすべて枯死する。モウソウチクなどの幼い芽は筍(たけのこ)として食される。竿のほか、建築材、農具、漁具、玩具、楽器、茶道具、華道具、工芸品や装飾品の用材など広く利用される。
日本の竹はマダケが古く、ハチクは8世紀中頃に確認され、モウソウチクは18世紀半ばに薩摩島津氏が琉球経由で移入したことにより本格的に広まったという。『古事記』には、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が櫛を投げつけると笋(たけのこ)が生えたなどの所伝がある。『万葉集』には竹を輪切りにして緒を通した竹玉(たかたま)を手に巻くという神事がみえるが、成長が速く、寒中にも緑を保つなど、その強い生命力から霊力をもつものとされていた。新年の門松や七夕の飾りなどの竹も同様の信仰であろう。
『竹取物語』に「よろづのことにつかひけり<いろいろな事に使っていた>」とあるように早くから用材として重宝し、竹材を使った笙、笛、尺八などは、弦楽器を糸というのに対して竹といわれた。大伴家持の「わが宿のいささ群竹(むらたけ)吹く風の音のかそけきこの夕へかも<我が家の少しばかり群がり生えている竹に吹く風の音がかすかに聞こえる、この夕暮れよ>(万葉集巻十九)」をはじめ多くの歌に詠まれ、「さすたけの」「なゆたけの」などの形で枕詞として、平安期の歌では節(よ、ふし)の掛詞として用いられた。俳諧では「竹の春」「竹の秋」などの季語がある。装飾や鑑賞の対象でもあり、松竹梅、梅菊蘭竹などと並称され、花鳥画の題材などとして賞玩された。荻江節の「竹」は「松」「梅」とともに祝賀曲として知られる。家紋では、上杉家・伊達家の「竹に雀」、「勧修寺笹」、「三つ竹輪違い」などがある。河川の護岸や土止めのため傾斜地に植えられ、また目隠しや日除け、庭木や石の根締(ねじ)め、盆栽など、美観や実用にいろいろな種類が栽植されている。
関連するひと・もの・こと
中国の神話に起源を持つ星祭で、女性が技芸上達を願う。五色の短冊に歌や字を書き、笹竹に結び付ける慣習がある
日本の代表的な花。皇室の紋章に使用され、日本の国花ともされている。竹・蘭・梅とともに文様「四君子」の一つ。
桜とともに古くから日本人に親しまれたバラ科の花。竹・蘭・菊とともに文様「四君子」の一つ。
抹茶をたてて楽しむ喫茶文化の一つ。建築、造園、書道、工芸、思想、料理などさまざまな文化を取り入れ、総合芸術に発展した。茶杓、茶筅、蓋置などの道具の材料に竹を使用する
金銀などの細かい粒子を使い、漆器の表面に装飾をほどこす日本を代表する漆芸技法。竹の家紋をはじめ、竹の意匠を用いた漆工品が多く見られる
江戸時代は男女児と元服前の女性が着用し、現在は若い女性の晴着となっている。吉祥文様である竹は、古くから振袖の柄に多用されてきた
「着物」と呼ばれる日本の民族衣装の基になった衣服。鎌倉時代以降は武士から庶民に至るまで浸透した。竹の意匠が多く見られる
「珍獣」として知られるクマの仲間で世界的に人気がある一方、絶滅が危惧されている。笹の葉やタケノコを好んで食べる
本で知る
『庶物類纂』は、加賀藩主前田綱紀が京都の本草学者稲生若水(1655 - 1715)を招き編纂した博物書。延享4年(1747)完成。中国古典籍類などから動植鉱物の記事を集成・分類、実物によって検証したもので、日本の博物学史上画期的な業績。若水は編纂中に没したが、没後は幕府の官撰事業として若水門下の官医丹羽正伯らが引き継ぎ、全1054巻をもって完成された。全体を26属(草、花、鱗、介、羽、毛、水、火、土、石、金、玉、竹、穀、菽 、蔬 、海菜、水菜、菌、蓏 、造醸、虫、木、蛇、果、味)に分類されている。丹羽正伯が幕府に献上した浄書本465冊が江戸城紅葉山文庫に保存され、後に内閣文庫に伝来した。重要文化財。掲出はその内閣文庫本から「竹属」の冒頭部分。
[中村[テキ]斎] [編],山形屋
江戸時代の図解事典。20巻。中村惕斎(なかむらてきさい)著。寛文6年(1666)成立。天文・地理・動植物などについての精確な図に和名・漢名・注記を付した啓蒙書。
深江輔仁 奉勅新撰,多紀元簡 [校],和泉屋庄次郎
第13巻に淡竹、苦竹などを記す。『本草和名』は『新修本草』所収品の漢名-和名辞書で、深江輔仁(すけひと、生没年未詳)が勅を奉じて延喜18年(918)頃に作成した。すでに散逸した古書からの引用が多いことでも知られる。長く存否不明の書だったが、寛政6年(1794)幕医多紀元簡(もとやす、のち幕府医学館主)が幕府の紅葉山文庫で古写本を発見、それを校訂して刊行。本資料は、考証学者小島尚質(なおかた)・尚真(なおざね)父子の旧蔵書で、諸書を用いて父子がさらに校注を進めたものである。一方、刊行に関連する多紀家の記録も写しており、それによって元簡が幕府の出版許可を得るために提出した文書が判明し、「享和二年(1802)壬戌秋八月廿七日初刷装釘」とあって、出版年が通説の寛政8年(1796)ではないことも明らかになる(『江戸出版書目』によると、出版・販売の許可を得たのは寛政12年12月)。
貝原篤信,永田調兵衛
宝永6 年(1709)出版。貝原益軒(篤信)は、江戸前期の儒学(朱子学)者・本草学者。本書は、日本の博物学的本草学を確立した、江戸時代前期の代表的本草書。本編16巻、付録2巻、図譜(諸品図)3巻。中国の『本草綱目』掲載品種を基礎に、和漢洋の動・植・鉱物1362種を独自の分類法で分類し、名称・起源・形状・紅葉などを解説。
写
『植物写生図帖』は、江戸中期の大名で高松藩主の松平頼恭(よりたか:1711−1771)による図譜。掲載資料は、その転写本で、175品を収める。高松藩はこの原本を長崎に送り、幕臣の漢学者平沢元愷(げんがい)を介して植物名を清人に問いあわせ、その問いと返答も写されている。画譜の赤札が元愷(げんがい)の質問、その脇に記された漢文が清人の返答。掲出頁では、右が「鳳尾竹」、左を「竜公竹か」という答えが書かれている。
岩崎常正,写
『本草図譜』は江戸時代の代表的な植物図譜で、筆者岩崎灌園(1786 - 1842)の実見した本草約2000種を写生・彩色して、山草・湿草・毒草などに分類したもの。全96巻のうち、文政13年(1830)に巻5から巻10までの6冊が出版されたが、印刷・刊行されたのはこの6冊のみで、以後は灌園の原本を画家に模写させて予約者に配布するかたちで続けられた。掲載の図は、国立国会図書館が所蔵する田安家旧蔵本のうちの1冊から。田安家旧蔵本は、『本草図譜』としては稀な完本で、優れた画家に模写させたと思われる良質な図が多いことで知られている。
木村蒹葭堂,五十嵐天籟写
江戸中期の大坂の文人・本草学者、木村蒹葭堂(けんかどう、1736 - 1802)が著した竹の解説書。五十嵐天籟写。木村蒹葭堂は、大坂堀江で酒造業を営むかたわら、本草学・絵画・詩文を学び、書画や骨董を収集。当時の知識人のサロンの主宰者のような立場だった。
岡村尚謙,写
岩崎灌園(かんえん)に学んだ江戸時代後期の医師、本草家の岡村尚謙の著作。 尚謙は下総高岡藩(千葉県)藩医。漢方医術の発展と薬草採集にもつとめた。天保8年(1837)没。本書は、竹類40品余について和漢名を考証し諸説を論評した竹類図鑑。
伊藤圭介 編,写
本草学者・蘭学者・博物学者の伊藤圭介(1803 - 1901)編。写。「錦窠」は圭介の号。伊藤圭介は、医師西山玄道の次男として生まれる。本草学や蘭学を学び、文政10年(1827)長崎でシーボルトから植物学を学んだ。シーボルトから贈られたツンベルク『日本植物誌』をもとに『泰西本草名疏』を著し、日本で初めてリンネの体系を紹介した。文久1年(1861)幕府の蕃書調所に登用される。明治14年(1881)から東京大学教授。同21年には日本最初の理学博士となった。
写
写
武蔵石寿//〔筆〕,写
武蔵石寿〔筆〕、写
片山直人 著,中島仰山 画,石川治兵衛
片山直人著、中島仰山画、石川治兵衛、明治19年(1886)、東京
農商務省山林局
明治45年(1912)に農商務省山林局が出版した竹類図鑑。日本各地に自生、または植栽されている主要な竹39種類を掲載。
農商務省山林局
明治45年(1912)に農商務省山林局が出版した竹類図鑑の別冊。図鑑に掲載されている竹の絵を掲載。
史書・古典に見える竹
京都印書館
『古事記』上巻の伊耶那岐命(いざなぎのみこと)と伊耶那美命(いざなみのみこと)の物語。伊耶那岐(いざなぎ)は、黄泉国に死んだ妻の伊耶那美(いざなみ)をを訪ねるが、姿を見るなという禁を破ったために、妻の怒りを買って黄泉国の醜女に追われ、右の御みずらに指した爪櫛の歯を折り取って投げ捨てると、竹の子が生えて、それを醜女が抜いて食べている間に、伊耶那岐命は逃げのびる。掲出は、『古事記』の現存する最古の写本で、南北朝時代の真福寺(名古屋市)の僧賢瑜による真福寺本『古事記』(国宝)の複製。
写
室町時代末期の写。『日本書紀』巻第2神代下に、三柱の御子のへその緒を「竹刀」で切り、棄てられた竹の刀はのちに竹林になったとみえる。この国立国会図書館所蔵本は、『日本書紀』の巻一、二のみの写本。巻一、二は神代巻で、中世には神道書として尊ばれた。本文に墨の訓点、読み仮名、朱の読点などがあり、欄外、行間にも書入れが多い。これらは講釈の体裁を存するが、二筆から成るようである。第1冊第1丁表に「持主秀存」、第1冊巻一尾題下、第2冊第1丁、巻二巻首・末丁表に「秀存」の墨書がある。比叡山の再興に努めた秀存という僧(1598年没)がいるが、同一人物かどうか明らかでない。
神宅臣金大理 勘造,出雲臣廣嶌 [編],金築氏三和藤原姓正恒 [写]
『出雲国風土記』意宇郡条に、粟島に「宇竹」が生えるとみえる。これは真竹か淡竹(はちく)の異名とする説があるが、未詳。この国立国会図書館所蔵本は享保13 年(1728)刊。
『万葉集』巻16の「竹取翁偶逢九箇神女、贖近狎之罪作歌一首并短歌」。詞書に「昔有老翁、号曰竹取翁也、此翁季春之月、登丘遠望、忽値煑羹之九箇女子也(昔老翁がいて、通称を竹取の翁といった。この翁が春の三月、丘に登って遠くを望むと、たまたま羹(あつもの)を煮ている九人の乙女と出会った)」とあり、竹取物語を思わせる「竹取翁」が登場する。掲出本は、『万葉集』最古の刊本で、伏見版(円光寺版)の木活字を使用し、不足の文字を新雕し印行したものとされる。万葉仮名の本文のみで、無訓本と通称されるもの。実業家・古書収集家高木利太(1871-1933)旧蔵。
[紀貫之][他] [編]
『古今和歌集』巻第18雑歌下に、心配事にうち沈む凡河内躬恒が幼い子をみて詠んだ「いまさらになにおひいつらん竹のこのうきふししけき世とはしらすや」の歌がみえる。この慶應義塾大学メディアセンター所蔵本は、室町時代末江戸時代初の写。綴葉装、1帖。
[出版者不明]
竹取翁(たけとりのおきな)によって竹の中から見いだされ、育てられたかぐや姫の物語。仮名文による物語の祖といわれる。掲出本は、木製の活字で組まれた古活字版。無刊記だが、『竹取物語』の最古の刊本で、慶長年間(1596 - 1615)刊行と推定されている。国文学者横山重(1896 - 1980)の旧蔵書。同版本は伝本が少なく、他には天理図書館所蔵本が知られる。
藤原道綱母,天王寺屋源右衛門
『蜻蛉日記』中に、もらった「呉竹」を植えたものの、激しい雨や東風のために一、二本倒れかかっていた、その容子を見て、なびくかな思はぬかたに呉竹のうき世のすゑはかくこそありけれ、という歌がみえる。この呉竹は淡竹(はちく)の一種という。 日記文学『蜻蛉日記』は、作者道綱の母と夫藤原の兼家との結婚生活を中心に、作者の半生を描いたもの。一夫多妻の平安貴族社会の中に生きる女性の愛の苦悩を、伝統的和歌の情緒表現によりながら深く濃やかに描いている。主要な伝本は写本だが、この国立国会図書館所蔵本は元禄10年(1697)大坂の天王寺屋源右衛門の刊行。契沖の手になる水戸中納言御本との校合が写されている。榊原芳野旧蔵。福田敬同「福田文庫」、小中村清矩「陽春廬記」などの印記がある。
清少納言 [著]
『枕草子』(136)の「なほめでたきこと」の段に見える竹。「竹の籬(ませ)のもとに歩み出でて御琴打ちたるほど」とみえる。これは清涼殿の前の呉竹(淡竹)の台のこととされる。掲出本は、寛永年間(1624 - 44)刊と推定される平仮名交じり13行の古活字本。川瀬一馬著『増補古活字版之研究』にいう第3種本の(ィ)種に属するもの。慶長期(1596 - 1615)刊とされる10行本、慶長・元和(1596 - 1624)頃刊の12行本に続いて刊行され、慶安2年(1649)刊整版本のもととなった。本文は、近世において流布本の位置にあった伝能因所持本系統。幕末・明治初期の国学者榊原芳野(1832 - 81)の旧蔵書。
〔紫式部//著〕
『源氏物語』須磨巻に「竹編める垣しわたして」とみえ、異国の風情ある住まいとしている。この国立国会図書館所蔵本は『源氏物語』の最初の刊本とされる、慶長年間(1596 - 1615)の古活字版。平仮名活字を使用した本としても最も初期のものといわれる。他に知られる伝本は、阪本龍門文庫および実践女子大学図書館の所蔵本のみ。両者とも欠本があるのに対し、本書は全冊揃いで、保存の良い美本である。ただし、「夕顔」全冊と「蛍」「野分」「柏木」に補写がある。料紙や筆跡はもとの刊本とよく似ていて、刊年に近い時期の補写と考えられる。
鴨長明,村上平楽寺
『方丈記』に、日野山の奥に隠棲し、方丈の南に竹の簀子を敷き、西南の隅に竹の吊棚を構えたとみえる。この国立国会図書館所蔵本は正保4年(1647)刊、京都。
建礼門院右京大夫,[製作者不明]
『建礼門院右京大夫集』(55「すさびし琴」)に、折々のその笛竹の音絶えてすさびし琴の行方知られず、とみえる。この九州大学附属図書館所蔵本は、奥書に「以承明門院小宰相本 正元二年(1260)二月二日書写畢」と記す。細川家旧蔵本。
『太平記』巻1(主上御告文関東へ下さるる事)に、7月7日の夜は宮人の風俗として、竹竿に願いの糸をかけ、乞巧奠(きっこうでん)を行うはずが、世情騒然としている、とみえる。同書は南北朝の戦乱を主題にした軍記。この国立国会図書館所蔵本は慶長12 年(1607)の古活字版。
〔井原西鶴//著〕,菱河吉兵衛師宣<菱川師宣>//〔画〕,川崎七郎兵衛
『好色一代男』巻1(別れは当座ばらひ)に、蛸、漬梅、紅生姜などに塗竹箸を取り添えて、とみえる。同じ井原西鶴の『好色五人女』巻4には竹の小笠に面を隠し、『好色一代女』巻1には竹馬に乗りて、『世間胸算用』巻2には竹縁に腰かけて、『日本永代蔵』巻3に桑の木の指物、竹細工の名人、同巻4に無用の竹杖、置頭巾、長柄の傘(からかさ)とみえる。 この国立国会図書館所蔵本は「好色一代男」の江戸版。江戸版は天和2年(1682)秋に大坂版が作成されてまもなく、貞享1年(1684)に刊行された。大坂版は西鶴(1642 - 93)自らが挿絵を書いたといわれるが、江戸版は菱河師宣(? - 1649)が描いている。有名な作品ながら伝本は少なく、大坂版の完本は10点ほど。江戸版はさらに希少で、この資料以外は端本も含め4、5本程度である。この資料は巻8末に川崎版の刊期があることからこれまで現存する唯一の完全そろいの川崎版といわれてきた。しかし、巻8のみに多くの虫損跡がみられ、それ以外の巻にはほとんどみられないこと、巻8の印刷はかなり鮮明だが、他巻は刷りの状態がやや劣ることなどから、巻8と他巻とは後からとりあわせた可能性が高いなど、さらに調査が必要である。
画譜(画法を図解した本)の類
元李〓撰,梁瀬傳兵衞村上伊助刊
中国、元の文人画家・李衎(1245 - 1320)著の画竹譜を和刻した本。宝暦6年(1756)刊。村上秀範勤識。原本は、挿絵を持つ最初の画竹譜で、竹を描く方法を論述するが、竹の形態を植物学的に論じてもいる。
中沢景山 編,魁真楼
中沢景山編、魁真楼、明治12年(1879)刊、名古屋。
水原梅屋 編,森本太助等
水原梅屋編、森本太助等、明治13年(1880)刊、大阪。
渡辺華山 画,貫輪吉五郎
渡辺華山画、貫輪吉五郎、明治13年(1880)刊、東京。
王安節 等摸古,李漁 (笠翁) 論定,前川文栄堂
王安節等摸古、李漁 (笠翁) 論定、前川文栄堂、明治14年(1881)刊、大阪。
井沢保治 編,村田友二郎
井沢保治編、村田友二郎、明治15年(1882)刊、大阪。
竹の栽培、竹の用材
水谷有雅 [著],錦章亭逸雅 写
水谷有雅著、錦章亭逸雅写、安政5年(1858)。水谷有雅は、江戸時代後期の華道家。号は寿松園。「青山御流活花手引種後編」の著がある。「青山御流」の竹器に関する秘伝を記したもの。
山崎嘉夫 著,博文館
明治43年(1910)刊行。竹を材料として作られる紙、行李、鞄、簾、家具、茶器、和傘、提灯などさまざまなものの種類、製法、輸出状況、出産地を調査・収録。そのほか、竹野伐採時期や伐採量、竹の造林法など、竹材について幅広く言及している。
清水橘村 著,大学館
清水橘村、大学館、大正2年 (1913)刊、東京。
広田鉄五郎 著,大日本農業奨励会
広田鉄五郎、大日本農業奨励会、大正2年(1913)刊、東京。
望月常 著,農商務省山林局
望月常、農商務省山林局、大正4年(1915) 刊。
静岡県内務部 編,静岡県内務部
静岡県内務部編、静岡県内務部、大正6年(1917)刊、静岡。
福岡県内務部 編,福岡県内務部
福岡県内務部編、福岡県内務部、大正8年(1919)刊、福岡。
農林省山林局 編,農林省山林局
農林省山林局編、大正14年(1925)刊。
農業世界編輯局 著,博文館
農業世界編輯局、博文館、昭和12年(1937) 刊。
茂庭忠次郎 著,土木技術社
昭和18年(1943) 刊行。日本大學工學部長・茂庭忠次郎(1880-1950)の著書。建築材料としての竹の性能および、防蝕・補強などについてまとめている。
もっと知りたい
絵画に描かれた竹
奈良国立博物館,Nara National Museum
【重要文化財】 平安時代(12世紀)。竹や花などが配される自然景観の中に大日金輪、その上方に釈迦金輪が蓮台上に結跏趺坐(けっかふざ)する姿を描く。
狩野元信筆,東京国立博物館,Tokyo National Museum
室町時代(16世紀)。もとは大仙院の衣鉢の間の障壁画「禅宗祖師図」の一部。狩野元信(1476 - 1559)は室町時代の絵師。狩野派の祖狩野正信を継いで画風を大成し、狩野派繁栄の基礎を築く。
曽我直庵筆,By Soga Chokuan (dates unknown),東京国立博物館,Tokyo National Museum
安土桃山~江戸時代(17世紀)。龍虎相うつ。龍の巻き起こす風が波を逆立たせ、竹の葉を激しくなびかせる。右から左への大気の流れが圧倒的だ。左隻画面を支配する巨大な虎は強風に耐え、竹林から歩み出る。迫力満点のこの大作の筆者直庵(生没年不詳)は、当時貿易港として栄えた泉州堺を拠点に活躍した。慶長年間(1596 - 1615)に没したと伝える。
俵屋宗達筆,By Tawaraya Sōtatsu (dates unknown),東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(17世紀)。俵屋宗達は桃山から江戸初期の画家。琳派の祖。京都の上層町衆に属し、下絵や扇画面を描く「俵屋」を屋号とする工房を主宰していたと考えられている。烏丸光広・本阿弥光悦らと交際があり、独自の斬新な構図と意匠で大和絵を復興した。
狩野常信筆,By Kano Tsunenobu (1636-1713),山越保子氏寄贈,Gift of Ms. Yamakoshi Yasuko,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(18世紀)。松の下に坐る寿老、その左右に雪中でも美しさを変えない竹と寒中に花開く梅を配する。狩野常信(1636 - 1713)は江戸時代前期の狩野派の御用絵師。
尾形光琳,Ogata Korin,京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
江戸時代。尾形光琳(1658 - 1716)の墨画は軽妙で親しみやすい作品が多い。竹林を背景にちんまりと腰をおろした虎はやんちゃな眼をして横を睨む。
尾形光琳筆,By Ogata Kōrin (1658–1716),東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(18世紀)。吉祥のモチーフである「松竹梅」のうち、竹と梅のみを描いた屏風。尾形光琳(1658 - 1716)は梅を好んで描いた。五弁の花を円く描くものを光琳梅とも称す。この屏風は金地に墨のみで大胆かつ簡潔に竹林を描き、そこに屈曲する古木の梅を可憐に咲かせている。
鳥居清倍筆,By Torii Kiyomasu (dates unknown),東京国立博物館,Tokyo National Museum
元禄10年(1697)5月、中村座で上演された「兵(つわもの)根元曾我」の市川団十郎を描いている。筋肉を誇張した「瓢箪足」、抑揚の強い描線「蚯蚓(みみず)描」など初期鳥居派の技法で江戸の荒事歌舞伎の豪快さが表現され、粗雑な彩色が力強さを一層強調している。鳥居清倍(きよます、生没年不詳)は元禄(1688 ‐ 1704)末年から享保(1716 ‐ 36)初年にかけて役者絵や美人画、花鳥画の版画に傑作を生んだ。
与謝蕪村 YOSA Buson,Young Bamboos,sumi and color on paper,木村定三コレクション / Kimura Teizo Collection
「若竹やはしもとの遊女ありやなしや」。橋本は、淀川の左岸、京都山崎の対岸にあり、竹の名所であると同時に、淀川を往来する舟の寄港地であった。またこの地は、遊女町が開けていた。数竿の若竹の中にひっそりと芦屋のみを描いて、名句を象徴的に表している。与謝蕪村(1716 - 84)の俳画のなかでも著名な作品。
伊藤若冲,Ito Jakuchu,京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
伊藤若冲は江戸時代中期の正徳6年(1716)、京都高倉錦小路の青物問屋「枡屋」の長男として生まれた。絵画にのめり込み、40歳の時に弟に家督を譲って、画業に専念する。狩野派の大岡春卜(しゅんぼく)に師事したのち、琳派の尾形光琳の画風を研究する一方で、本草学の写実に影響を受け、中国の宋・元・明代の絵画を模して学んだという。しかし、これでは狩野派の作品でしかなく、また、中国の名人を超えることはできないと考え、身近な動植物を描くようになった。特に鶏に強い関心を抱き、庭に数十羽を飼い、写生に勤しんだと伝わる。そうしたなかで類まれな写生力を習得した若冲は、魚、鶏、蝶など多くの動植物を作品に登場させている。鶏を得意とし、『動植綵絵』の『南天雄鶏図』や『雪中錦鶏図』など、極彩色にして緻密、写実的な装飾性の高い作品を数多く遺している。
鈴木春信筆,By Suzuki Harunobu (possibly 1725–70),東京国立博物館,Tokyo National Museum
鈴木春信(1725? - 70)は江戸時代中期の浮世絵師で、独自の優美で可憐な美人画様式を確立した。
鈴木春信筆,By Suzuki Harunobu (possibly 1725–70),東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(18世紀)。竹林に集い文雅の交わりをした、古代中国の七人の隠士「竹林七賢(ちくりんしちけん)」は、多くの絵師が取り組んできた画題である。春信(1725? - 70)はその伝統的な画題を、七人の女性が美しさを競う(妍(けん)を競う)「竹林七妍」の姿にやつして描いている。「賢人もしゃれの浮世や君が春。」
徳川綱吉 TOKUGAWA Tsunayoshi,Bamboo and Sparrows,sumi on paper,木村定三コレクション / Kimura Teizo Collection
湖竜斎,-
江戸時代中期の浮世絵師で美人画に優れた、礒田湖竜斎(こりゅうさい、1735 - 90?)の作。
呉春(松村月渓)・玉潾,Goshun (Matsumura Gekkei). Gyokurin,京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
江戸時代後期の日本画家で、四条派の祖である呉春(ごしゅん、1752 - 1811)の作。
歌麿〈2〉, -
喜多川歌麿(1753? - 1806)は江戸時代中後期の浮世絵師。役者絵や絵本の制作、のち大首絵を創案し、さまざまな姿態と表情を描く美人画の第一人者とされる。
長沢芦雪筆,植松嘉代子氏寄贈,東京国立博物館
江戸時代(18世紀)。長沢蘆雪(ろせつ、1754 - 99)は江戸時代中期、京都画壇で活躍した画家。円山応挙に師事して頭角をあらわしたと伝えられる。奇抜な発想と大胆な画面構成で独自の画境を開き、花鳥・動物・人物画などを描いた。無量寺・草堂寺・大乗寺などに、障壁画の優作を残す。
江馬細香筆,By Ema Saiko (1787-1861),東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代、天保13年(1842)。大きくしなる竹の背景に薄く墨を掃くことによって薄暗さを表し、まだ風の残る雨上がりの空気感と奥行きを描き出す。竹は細香(1787 - 1861)が自らの姿を重ねて愛した画題。「壬寅春日細香」の落款から、存命中の壬寅=天保13年(1842)春、56歳の作品とわかる。
広重〈1〉,下谷 魚栄 魚屋 栄吉
歌川広重(1797 - 1858)は江戸時代の浮世絵師。はじめ役者絵、ついで美人画に手をそめ、文政11年(1828)頃から風景画を主とした。天保1年(1830)頃から花鳥図を描くようになったとされる。
広重,魚栄
安政4年(1857)出版。「名所江戸百景」は、江戸後期に活躍した初代歌川広重の最晩年の名所絵版画シリーズ。江戸時代、京橋の東岸には竹問屋が多く、「竹河岸」と呼ばれていた。図は銀座方面からの眺め。
広重
名所絵シリーズ「東海道五拾三次」で人気を博した江戸後期の浮世絵師・初代歌川広重の作。広重は竹をモチーフにした錦絵を多数残しており、本図はその中の一つ。
広重〈1〉,-, -
「東海道五十三次」など風景画シリーズで人気を博した歌川広重(1797 - 1858)の作。
広重〈1〉,-,川正 川口屋正蔵
「東海道五十三次」など風景画シリーズで人気を博した歌川広重(1797 - 1858)の作。
芳玉,- -
天保14年(1843)。歌川芳玉(よしたま、1836 - 70)は江戸時代末期の浮世絵師。
橋本雅邦筆,By Hashimoto Gahō (1835–1908),東京国立博物館,Tokyo National Museum
橋本雅邦、明治29年(1896)
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸~明治時代(19世紀)。三代歌川広重(1842 - 94)の作。子どもたちが竹馬で遊んでいる図であるが、戊辰戦争を子どもの遊びになぞらえた風刺画。着物の柄などで政府側、幕府側が分かる。
小林古径 (1883 - 1957),KOBAYASHI, Kokei (1883 - 1957)
材料として用いられた竹
東京国立博物館,Tokyo National Museum
【国宝】 奈良時代(8世紀)。竹製の厨子。表面は斑模様の細い竹ですきまなく覆われ、同じく竹の横材でこれを押さえた上に花のような形をした鉄の鋲を打ち付けている。葦のように細い竹は中国南部に自生する篠竹(すずたけ)の一種とされる。唐の高僧慈恩大師の記した法華経の注釈書など20巻の書物が納められていた。
世尊寺定成筆,By Sesonji Sadanari (before 1278–after 1312),東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 世尊寺定成。 鎌倉時代、弘安7年(1284)。周防守平行政が亡祖父政平の13回忌の法要を行った際の願文。紙は竹の繊維を使った竹紙で、中国の人物や南方の樹木などが彩色で描かれており、中国からの輸入ものとされる。
武野紹鷗作,By Takeno Jō'ō (1502–55),松平直亮氏寄贈,Gift of Mr. Matsudaira Naoaki,東京国立博物館,Tokyo National Museum
室町時代末の天文年間(1532~55)に茶の湯を指導した武野紹鷗(たけのじょうおう)の名茶杓(ちゃしゃく)。すらりと伸びた美しい茶杓で、その手本は象牙の茶杓に求められるだろう。櫂先(かいさき)の露の捻り返しも実に絶妙である。千宗旦による筒が添い、松平不昧(ふまい)による添状の箱を伴う。(横山氏執筆)
古田織部作,By Furuta Oribe (1543–1614),広田松繁氏寄贈,Gift of Mr. Hirota Matsushige,東京国立博物館,Tokyo National Museum
古田織部(1543~1615)は名を重然といい、利休七哲の一人で、利休没後天下一の茶匠として慶長期(1596~1615)における茶の湯に大きな影響を与えた人物。氷割れのある竹を使い、節が強く屈曲する蟻腰の形で、櫂先はくっきりと曲がる折撓めとなっている。
灰屋紹益作,By Haiya Jōeki (1610-91),広田松繁氏寄贈,Gift of Mr. Hirota Matsushige,東京国立博物館,Tokyo National Museum
朱漆で記された判から灰屋紹益(本名佐野重孝、1610~91)の作とされる。紹益は京都の豪商で、和歌を烏丸光広に学び、茶の湯を千道安、本阿弥光悦に学んだ文化人として知られる。吉野太夫を身請けしたエピソードは有名である。
伝千利休作,Attributed to Sen no Rikyū (1522–91),広田松繁氏寄贈,Gift of Mr. Hirota Matsushige,東京国立博物館,Tokyo National Museum
安土桃山時代(16世紀)。落ち着いた趣があり、背面に「一曲」と千利休の判とされるいわゆるケラ判がある。千利休が天正18年(1590)に伊豆韮山(にらやま)で「園城寺(おんじょうじ)」などの竹花入を切り出した逸話が象徴するように、茶人により切り出された竹花入は重要な役割を果たすものとなっていった。
江戸₋明治時代(19世紀)。提重は花見遊山などに便利なように携帯用重箱として工夫されたもの。提鐶(さげわ)のついた全体に竹が貼られた枠型の中に重箱、竹製の酒瓶、杯、銘々皿などを組み入れている。竹の生地に、源氏物語の車争いの場面が蒔絵の高度な技術を施して描かれている。
富岡鉄斎 TOMIOKA Tessai,Bamboo Tea Cabinet with Poem and Drawing, 'Mei-un(Black Cloud)',Bamboo,木村定三コレクション / Kimura Teizo Collection
富岡鉄斎
鞘金蒔銘「寛哉 龍斎(方印)」,Inscribed Kan'ya with the seal Ryūsai,クインシー・A.ショー氏寄贈,Gift of Mr. Quincy A. Shaw,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(19世紀)。鞘金蒔銘に「寛哉 龍斎」と記す。
全長40cm17本の細い竹の管を、頭という腕型に円周状に配したもの。鳳凰が翼を休めている形を模したものと伝え、鳳笙とも称される。奏法は相竹とよばれる和音による演奏で、合奏の音律の要となる。
びんざさら2点は田楽法師が用いる楽器で、檜や杉、竹の細片1を綴じたもの。上に向けて鳴らす馬蹄型のものと、下に向けて鳴らす簾型のものがある。左は神奈川県南足柄市足柄のささら踊に使用されるもの。右下のすりささらは鋸歯状の棒と先を細かく割った丸竹をすりあわせることで音を出す。田囃子、田遊びなどの多くの民俗芸能にみられ、中世には説経師が用いた。千葉県南房総市千倉町白間津(しらまづ)のサヽラ踊に使用のもの。
地域 日本国 京都府<使用>、幅:74 (cm)×奥行:47 (cm)×高さ:28 (cm)/2.2 (kg)
地域 日本国 愛知県<使用>、幅:43 (cm)×奥行:36 (cm)×高さ:29 (cm)/1.61 (kg)
地域 日本国 愛知県<使用>、幅:47 (cm)×奥行:49 (cm)×高さ:22 (cm)/1.17 (kg)
制作者 新潟大学人文学部 カラー 35mm
1960年代(撮影2005年) 長岡市旧山古志村山古志 民具:台所などで茶碗を伏せるため(数量1寸法395×85×395) 『旧山古志村民俗資料目録』:分類番号1衣・食・住 (2)食 (C)炊事用具 資料番号1631
地域 日本国 京都府<使用>
-,-
地域 日本国 長野県<使用>、幅:8.5 (cm)×奥行:8.4 (cm)×高さ:33 (cm)/399 (g)
幅:3.0 (cm)×奥行:25 (cm)×高さ:2.8 (cm)/36 (g)
幅:17 (cm)×奥行:69 (cm)×高さ:2.4 (cm)/198 (g)
制作者 新潟大学人文学部 カラー 35mm
1960年代(撮影2005年) 長岡市旧山古志村- 民具:子どもの遊び道具(数量1寸法271×1681) 『旧山古志村民俗資料目録』:分類番号8-2競技・娯楽・遊戯 (C)娯楽・遊戯具・玩具 資料番号896
地域 日本国 東京都<使用>、幅:10 (cm)×奥行:8.7 (cm)×高さ:1.5 (cm)/5 (g)
制作者 新潟大学人文学部 カラー 35mm
1960年代(撮影2005年) 長岡市旧山古志村種苧原 民具:雪中の遊び道具(数量1寸法890×70) 『旧山古志村民俗資料目録』:分類番号8-2競技・娯楽・遊戯 (C)娯楽・遊戯具・玩具 資料番号1
地域 日本国 京都府<使用>、幅:10 (cm)×奥行:27 (cm)×高さ:13 (cm)/206 (g)
幅:4.1 (cm)×厚み:1.3 (cm)×長さ:17 (cm)/216 (g)
幅:3.1 (cm)×奥行:2.7 (cm)×高さ:9.1 (cm)/13 (g)
地域 日本国 島根県<使用>、幅:2.7 (cm)×厚み:1.5 (cm)×長さ:160 (cm)/88 (g)
地域 日本国 滋賀県<使用>、幅:9.8 (cm)×厚み:9.7 (cm)×長さ:105 (cm)/995 (g)
竹で編まれた漏斗。大きな口から小さい口のほうへ物を流していく道具で、布袋や叺、俵などに穀物を入れるのに使われた。
域 日本国 沖縄県 八重山列島 竹富島<使用>、幅:15 (cm)×奥行:15 (cm)×高さ:15 (cm)/727 (g)
蜷川子賢作,By Ninagawa Shiken,蜷川式胤氏寄贈,Gift of Mr. Ninagawa Noritane,東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>角筆とは象牙(ぞうげ)または竹の一端を筆の先の形に削り、それで紙面をへこませて文字を書いたりするもの。奈良時代にはすでに使われており、菅原家が象牙を、清原家が竹を代々用いた。本模造は、清原家調進の角筆をもとに作った竹製では唯一の遺品。<br /></p>
地面を均しながら草の根などのゴミをかき集める道具。横木に歯が付いたものや竹製の熊手状のものがある。種播き後の覆土に用いられることもある。
撮影者不詳,,,
撮影者不詳,,,
新潟県古志郡竹沢村
北斎, -
葛飾北斎。寛政7年(1795)
中俣正義 モノクロ 35mmネガフィルム
昭和32年(1957)。長岡市寺泊野積の竹矢来。
京都三十三間堂の通し矢設営を描いた絵図。矢場の周囲が竹矢来で囲まれる。
東京国立博物館
政信
奥村政信。元禄10年(1697)
山口直,,,
衣装に描かれた竹
東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 室町時代(16世紀)。周防の大内氏に仕えた石見国の益田宗兼が足利将軍義稙(よしたね)より拝領したと伝える。将軍に相応しい桐竹模様を織り出した上品な綾織物の小袖。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 安土桃山~江戸時代(16~17世紀)。権力者から狂言師が拝領するために特別に大きく仕立てられた可能性がある。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(18世紀)。狩衣は公家の普段着であったが、能では、高貴な人物や神を演じる際の上衣である。謡曲(ようきょく)「西行桜」の主人公は、歌人・西行が愛でた老木の桜の精霊。四君子の1つになぞらえられる竹の模様の入った、薄物の単(ひとえ)狩衣を着用することによって、優しく気品のある性格を表す。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(18世紀)。花唐草模様を織り出した綸子地に、友禅染、刺繍、型鹿の子などを用いて模様を表した、江戸時代後期の振袖の打掛。裾の岩の金糸刺繍は肉厚で立体感のある豪華な仕上がり。町方の婚礼衣装あるいは成人前の女性の晴れ着。打掛の下には間着を着用する。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(18世紀)。背面に「梅」「常」「雪」「飛」「琴」、前面に「上」「柳」「和」「煙」「酒」の文字をデザイン。『和漢朗詠集』の章孝標(しょうこうひょう)の漢詩「梅花常雪飛琴上 柳色和煙入酒中」を意匠化したために、文字の周囲に雪の結晶を象ったようなさまざまな形の梅花模様が表される。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(18世紀)。竹の立木を弧を描くように鹿の子絞りで表し、梅花を白く染め残し刺繍(ししゅう)で色を添えた麻の単(ひとえ)仕立の帷子。吉祥模様の振袖は若い女性の晴れ着であろう。袖丈は約60cmと江戸時代中期の形状をとどめる。江戸時代後期には袖丈1mあまりの大振袖が流行した。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(18世紀)。金銀箔で模様を付けた小袖形の装束。上衣の下に着用され、衿(えり)がわずかに見える程度で、あまり表に出ない。金箔と型紙を用いて上杉家の家紋にも用いられる竹に雀の模様を表わす。下着として付けられ足元までは見えないため、裾の模様は省略され、丈も短く仕立てられる。
古屋圭司氏・谷口八季氏・古屋英司氏寄贈,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸~明治時代(19世紀)。綸子地に松竹梅、鶴亀、宝尽しといった吉祥模様を、金糸や絹糸による刺繍で表わし、さらに、海老茶色に染めた摺匹田を加えた振袖の打掛。摺匹田模様とは、鹿の子絞りの模様を型紙で表わした模様である。模様や技法は、武家女性の婚礼衣裳の典型的な様式。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(19世紀)。州浜形の島から一本の竹を肩までまっすぐ立ち木に表し、流水に亀、飛鶴や松梅模様を金糸や絹糸を用いて細かく刺繍(ししゅう)した総繍(そうぬい)の打掛。白綸子地に松竹梅鶴亀模様のデザインは武家女性の婚礼衣装の様式であるが、裕福な商家の娘は着用を許されることもあった。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(19世紀)。吉祥模様の一つ竹を全面に配し、王朝風の源氏雲をあしらってすべて鹿子絞りで模様を表わした手の込んだ振袖。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(19世紀)。松竹梅を白く染め残した雪景色に御所車と弓矢、あるいは、御所車に烏帽子(えぼし)・鶯・鶴を刺繍(ししゅう)であらわした腰模様の振袖である。このような風景模様は江戸時代後期の武家女性が着用した小袖や振袖の様式化されたデザインの特徴である。俗に「御所解」と称する。20100308_h081
野口眞造氏寄贈,Gift of Mr. Noguchi Shinzo,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(19世紀)。帷子とは夏季に着用する単(ひとえ)仕立の麻製の衣装である。松竹の立木模様に鶴亀をあしらった吉祥模様の帷子は晴(はれ)着(ぎ)用にあつらえられたのであろう。友禅染に刺(し)繍(しゅう)が加えられたシンプルなデザインが涼しげである。若い女性用の振袖を短くし、成人向けの留袖(とめそで)としている。
沖縄本島,Okinawa Main Island,鎌倉芳太郎氏寄贈,Gift of Mr. Kamakura Yoshitarō,東京国立博物館,Tokyo National Museum
第二尚氏時代(19世紀)。紅型とは「紅=色彩」の入った型染のこと。琉球王国時代には「カタティキー(型付)」と称していた。模様は、紙に柿渋を塗り、模様を彫った型紙を用いる。雪の降らない沖縄本島でも、日本の文様の影響を受けて、雪の積もった竹がデザインされている。 (2006/05/30_h15)
工芸品に描かれた竹(陶磁)
唐津,Karatsu ware,広田松繁氏寄贈,Gift of Mr. Hirota Matsushige,東京国立博物館,Tokyo National Museum
安土桃山~江戸時代(16~17世紀)。唐津焼には珍しい茶入。胴に銹絵で竹文を描き、歪んだ造形をとるのは桃山様式ならではのもの。
伊万里,Imari ware,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(17世紀)。白磁の素地に京焼風の色づかいと意匠の絵付けが施されている。
伊万里(柿右衛門様式),Imari ware, Kakiemon type,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(17世紀)。伊万里焼の欧州向け色絵磁器は、1690年代になると完成された様式を示すようになる。量産された型打ちの平皿に、白地をたっぷりと取り、形式化した竹・梅に虎の図を組み合わせている。微笑ましい虎の表情、曲りくねる梅のデフォルメに完成された様式美を見ることができる。
伊万里(柿右衛門様式),Imari ware, Kakiemon style,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(17世紀)。乳白色のいわゆる濁手(にごしで)の素地(きじ)の典型的な柿右衛門(かきえもん)様式の色絵磁器で、素地の白さ、色絵の艶やかさから最盛期の作品。中国渡来の窓絵の構図法をここでは珍しく丸皿に取り込んで、見込中央に双鳳を配し、周囲の四方の窓には松・竹・梅と牡丹を描いている。
京焼・御菩薩池,Kyoto (Mizorogaike) ware,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(17~18世紀)。精緻な轆轤(ろくろ)の技によりすらりと伸びた頸部が印象的な徳利。色絵で赤彩を使わずに緑彩と青彩に金彩という三色で彩るのは古清水(こきよみず)の典型的な作風である。底部に捺された「御菩薩池(みぞろがいけ)」の印から、古清水の作風の中でも早い時期のものと考えられている。
京焼,Kyoto ware,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(18世紀)。祝儀のときなどに酒を贈るのに用いる木製の角樽(つのだる)を象った酒器。冬の厳しい寒さの中でも青さを失わないことから吉祥文様とされる松と竹の図が描かれ、側面から伸びた枝は上面に続いている。青と緑を主体とした上品で落ち着いた色調は京焼の特徴。
京焼,Kyoto ware,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(18世紀)。三段重ねの重箱。外側に青と緑、金色で松と竹の枝がつながっているように描かれ、各段の底に松梅竹が描かれる。
沖縄本島 壺屋焼,Okinawa Main Island; Tsuboya ware,東京国立博物館,Tokyo National Museum
第二尚氏時代(18世紀末~19世紀)。沖縄では皿のことを「セージャラ」「ケーウチ」「スールー」などというが、その呼び分けについては明瞭ではない。
伊万里,Imari ware,平野耕輔氏寄贈,Gift of Dr. Hirano Kōsuke,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(19世紀)。水辺に立つ虎が力強い筆線で描かれ、竹は大胆に画面中央を貫通する。
伊万里,平野耕輔氏寄贈,Gift of Dr. Hirano Kosuke,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸~明治時代(19世紀)。中央に定型化された松竹梅、外周に大小の蕨手状の文様を組み合わせた唐草文が描かれている。葉の部分が蛸の足の吸盤のようにみえることから俗に蛸唐草とよばれ、伊万里焼染付の代表的な文様の一つである。高台内の隅に有田の窯元である「山徳」の印銘がある。
竹内吟秋,Takeuchi Ginshu,京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
明治時代。吟秋が活躍した明治時代には、九谷焼では赤と金を基調とする細密な上絵付の「赤絵細描」が大流行していたが、彼は17世紀の古九谷復興を志し、古九谷風の作品も数多く手がけた。この作品は、典型的な古九谷風の作例。
竹内忠兵衛作 ,By Takeuchi Chūbei (1852–1922),シカゴ・コロンブス世界博覧会事務局寄贈,Gift of Japan Delegate Office for World's Columbian Exposition, Chicago,東京国立博物館,Tokyo National Museum
明治25年(1892)。竹内忠兵衛(たけうちちゅうべえ)は尾張(愛知)七宝を代表する名工で、はじめ磁器に七宝を施す「磁胎七宝」(じたいしっぽう)を得意とし、のちに銅胎七宝に取り組みんだ。この作品は銅を素地とするもので、明治26年(1893)シカゴ・コロンブス博覧会に際しつくられ、本来は「柳燕図」(京都国立博物館蔵)と一対をなす。
初代伊東陶山作,By Itō Tōzan I (1846–1920),三代伊東陶山氏寄贈,Gift of Mr. Itō Tōzan III,東京国立博物館,Tokyo National Museum
明治~大正時代(20世紀)。初代伊東陶山(いとうとうざん)は粟田焼(あわたやき)の改良など京都で陶磁器製作の発展に寄与し、大正6年(1917)に帝室技芸員となった。本作は立鼓型(りゅうこがた)を細長くした花瓶の全体に、黄金色の釉と金箔を思わせる表現を所々に施し、胴には竹が青で大きく絵付けされてデザイン性が追求されている。
伊万里,Imari ware,横河民輔氏寄贈,Gift of Dr. Yokogawa Tamisuke,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(17世紀)
鍋島,Nabeshima ware,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(18世紀)
工芸品に描かれた竹(漆工・金工)
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
【国宝】 明徳1年(1390)奉納。白銅の上に鏡面鍍錫。台形縁。篦押しは先の鋭い工具により行い、文様断面の先端はひじょうに尖っている。
畑野勇治郎氏寄贈,Gift of Mr. Hatano Yūjirō,東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 室町時代(天文19年(1550))。千葉市中央区千葉寺町千葉寺址出土。釣燈籠(銅製)の火袋は円筒形にして梅樹と竹を透かす。竹の節、小さな筍まで丁寧に表わされている。下野佐野の天命(てんみょう)で製作されたと考えられる。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
平安時代(12世紀)。鈕は素鈕で界圏をもたず、縁は断面蒲鉾形を呈す。鈕の下方に竹垣を描き、中央に薄(すすき)、その両側に鳥を描いている。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
安土桃山時代(16世紀)。脇息は座った時に肘を乗せて寄りかかるための調度である。甲板の表面には金蒔絵で桐鳳凰や竹雀紋・鶴丸紋を描き、脚には流麗な唐草文を表わしている。桃山期の蒔絵調度は稀少であり、また家紋を散らすところから、近世初頭の大名道具の実例とみられ、貴重な存在となっている。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
寛文4年(1664)鷹司教平の女従姫が、館林藩主徳川綱吉のもとに嫁いだ際に調えられた駕籠である。金の高蒔絵で竹を描いて両家の家紋を散らし、要所に金銅製の金具を打ち、内面に源氏絵を描くなど、重厚かつ華麗な装飾が施されている。
柳生,By the Yagyū school,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(17世紀)。鉄地の丸形の中央に節近かの逞しい竹の幹、周囲に枝葉をあしらう。この鐔は尾張藩に仕えた新陰流の武芸者柳生連也斎好みと伝えられ、柳生鐔と称されている。
江戸時代(17世紀)。貝桶は、貝合わせの用具を納める桶状の容器である。大名婚礼道具の中で最も尊重すべき調度とされ、内に360対の合貝を収める。貝合わせは元々平安期の公家たちの遊戯で、貝の蓋と身に一対の絵を描き、数多くの貝の中から一対の貝を探し当てるもの。内側に描かれた絵から古典文学を連想し、自らも歌を詠むという優雅な遊びである。一方、近世の武家典礼の第一義に取り上げられた貝合わせは、蛤が他の貝とは蓋身が合わないことから、「貞婦は二夫にまみえぬ」という武家の厳しい婦徳を象徴するものとされた。本資料は八角形の合口造りで、黒漆の地に金梨地と金蒔絵を施し、合口部は濃金梨地、蓋と胴には松竹梅の蒔絵を施す。構図は低い丘に笹状の竹を這わせ、丘の盛り上がったところに丈の高い松と梅の老木が天を覆うように立っている。丘と松と梅の幹は椿炭の細粉を蒔いて濃淡をつけ、松の葉と細い枝は付描と描割り、梅は蕾を金蒔絵、開いた花は銀蒔絵、黒漆地の所々に前田家の家紋である梅鉢紋を金の平文(ひょうもん)で散りばめ、貝は内側に砂子紙を貼り、人物や草花、風景などを極彩色で描いている。本資料を誰が勝興寺に持参したかについては伝承がない。しかし、桃山時代以来の高台寺蒔絵様式を残す一方、17世紀後半に盛んになった常憲院蒔絵の技巧的な作風も僅かにみられるので、17世紀半ば頃の製作と考えられる。これに加え、前田家の家紋が入っていることから推察すれば、勝興寺第14代住職・良昌に入輿した前田家第3代当主・前田利常(1593~1658)の養女「つる」の持参品であると推定される。(高田克宏)【参考文献】『高岡の名宝展』高岡市美術館,平成21年(2009)
順姫所用,Used by Mune Hime (Princess Mune)
宇和島伊達家の家紋である「竹に雀紋」と「竪三引両紋」が描かれた乗物。駕籠の中でも引き戸が付いている高級なものを乗物と呼ぶ。内装部分には、金地に風景と草花が極彩色で丁寧に描かれている。本作は仙台藩第7代藩主伊達重村の娘順姫が伊予宇和島藩第6代藩主伊達村壽に嫁いだ際に用いられた品と考えられている。大名家にふさわしい豪華な蒔絵、華やかな花鳥画が特徴的である。同種の乗物はわずかしか現存しておらず、文化的にも高い価値がある。
クインシー・A.ショー氏寄贈,Gift of Mr. Quincy A. Shaw,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(18世紀)。竹や牡丹に虎の図と桐唐草文様を組み合わせた、変わったデザインの硯箱。雌雄の虎は猫のようなしぐさと表情で、高蒔絵により立体的に表わされ、目にはガラスを嵌めている。内側には観瀑図や猿などが描かれており、精巧な作行だが、やや煩雑な印象を与える。
伝 堆朱楊成作,By Tsuishu Yōzei,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(18世紀)。堆朱楊成(ついしゅようぜい)家は、室町時代から近代に至るまで堆朱の技法を伝え続けたと称する家系。室町時代に日本で初めて堆朱を作った楊成長充を初代とし、代々堆朱楊成を名のるという。江戸時代には、8代堆朱楊成が徳川家光に召し出されて以来、代々将軍家の用命を受けた。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(19世紀)。貝合せは、裏側に和歌や絵を描いた2枚貝を左右別々にして置き、もとの一組を引き当てる遊び。元の組み合わせ以外は、左右がぴたりと合わないことから、はまぐりの殻が使われる。夫婦円満の象徴とされ、婚礼調度としてこれを収める豪華な貝桶が作られた。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代・文化13年(1816)。参面は碁盤・将棋盤・双六盤のセット。三つの遊びの歴史は古く、江戸時代にはゲームの基本とみられたものか武家や公家など富裕層の結婚に際して誂えられた婚礼調度の中に一式として見られる。中でも囲碁と将棋は、現在まで根強い人気が保たれている。
底裏金蒔銘「泉々胡民(花押)」,クインシー・A.ショー氏寄贈,Gift of Mr. Quincy A. Shaw,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(19世紀)。金・青金研出蒔絵、金薄肉高蒔絵。
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
江戸時代。紐通しの鈕を二つもち、懸垂して用いた鏡。このサイズの懸鏡は、寺社への奉納鏡や神輿の懸鏡などが多い。本品も「修儀沙門照空鋳焉」と銘を鋳出し、製作に僧侶が関与していたことが知られ、寺院所用であったと思われる。文様を左右の一方に寄せるのは、鏡だけでなく工芸全般で17世紀後半に流行した構図である。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
室町時代(16世紀)
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
江戸時代
京都国立博物館 Kyoto National Museum
江戸時代
根付線刻銘「晴民」,クインシー・A.ショー氏寄贈,Gift of Mr. Quincy A. Shaw,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(19世紀)
鍛造:平田宗幸作 竹彫:加納夏雄作 題字彫:海野勝珉作 文彫:向井勝幸作,Cast by Hirata Muneyuki; bamboo engraved by Kanō Natsuo; characters engraved by Unno Shōmin and Mukai Katsuyuki,柴田幸三郎氏寄贈,Gift of Mr. Shibata Kōzaburō,東京国立博物館,Tokyo National Museum
明治27年(1894)
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京都盆地の西に横たわる西山連峰の裾野には3万ヘクタールの竹林が広がる。2003年放送。
江戸時代から伝えられる竹細工。繊細な丸ひごによる曲線が生み出す優美さが大きな特徴。2011年放送。
成田山新勝寺の門前町に70年続く竹細工店があり、カゴや調理道具などの日用品を扱う。職人さんの家の裏山で採れる竹はしなやかさが持ち味という。2017年放送。
一戸町鳥越地区は地元のスズタケを使った伝統の竹細工で知られる。2011年放送。
長野県,ナガノケン
江戸時代の頃から、弾力性が強く実用品向きのちしま笹(根曲がり竹)、節の間隔が長く装飾用に優れた篶(篠竹)の県内の産地で籠類が製造され、「信州竹細工」として昭和58年(1983)10月13日長野県伝統的工芸品に知事指定。長野市戸隠の竹細工は曲げにも水にも丈夫な籠物細工に適した根曲がり竹を使い、中心部の網代編みが特徴。野沢温泉村周辺では、江戸時代初期から冬期間の副業として、付近の野山に産するあけびの蔓を利用し、玩具や籠類等の日用雑貨が作られ、鳩車は、素朴な民芸品として有名。「信州あけび蔓細工」として昭和59年8月23日長野県伝統的工芸品に知事指定。
和竿は、竹に漆を塗って作られる伝統的な竿。竿師は形や強さ、風合いを確かめながら、厳しく竹を選別し、美しくかつ実用的な和竿を作り上げる。2006年放送。
伊達政宗も愛用したとされる仙台竿。竹に熱を加えて断面を真円にする「火入れ」は熟練を要する。2017年放送。
橋本市は、ヘラブナ釣り専用の竿である紀州竿の産地。2012年放送。
高山茶筌は、生駒市高山町に伝えられる伝統工芸品。竹の特性をいかした芸術品ともいえる美しい茶筌が作られる。2009年。
節の間が長く、すらりと細い女竹はよくしなり、しかも丈夫。その特性を活かした伝統工芸が房州うちわ。2016年放送。
美馬和傘は、吉野川沿いで採れる良質な竹を用いて作られる。2006年放送。
提灯は岐阜が誇る伝統工芸品。原材料の良質な竹と和紙に恵まれ、古くから提灯作りが盛んであった。2008年放送。
長崎市の若宮稲荷神社で毎年10月に行われる秋の大祭「竹ン芸」。国指定選択無形民俗文化財。2007年取材。
毎年7月、300年の歴史をもつ和霊大祭(われいたいさい)が行われる。祭りのクライマックスでは、須賀川に垂直に立てた御神竹(高さ15m)によじ登り、竹の先につけた御幣を取って海の神和霊様を喜ばせる。2018年放送。
磯部の御神田奉仕会
皇太神宮の別宮伊雑宮の御料田で磯部町によって毎年6月24日に行われる。立人と早乙女が苗取の後、「竹取り」の次第となる。笹葉のついた大団扇をつけた忌竹を畦に立て、これを倒すと裸の若者達が奪い合う。田を杁差しがならし、早乙女と立人が交互に並んで田植えをする。後方では太鼓、ささら、笛などの楽器が囃され、謡がうたわれる。半分ほど植えたところで酒宴となり、ささら役が「刺鳥差舞」を舞う。この後、前半と同様に田植えを行う。終わりに伊雑宮まで唄をうたいつつ踊り込む。穂落としという稲作起源伝説伝承地で育まれてきたもので、「竹取り」の次第、「刺鳥差舞」など独特の形に展開した田植神事である。昭和48年(1973)無形民俗文化財に選択されている。
五箇山地方に伝承されている盆踊り唄。伴奏楽器に「四ツ竹」が入ることから四ツ竹節にとなったとされる。2011年放送。
富山県を代表する民謡「こきりこ」は、氏神へ奉納する神事踊唄。「こきりこ」は屋根裏で長年くすぶらせた細い竹を切ったものを両手に一本ずつ持ち、巧みに回転させながら打つ打楽器。1952年収録。
旧暦7月上旬に行われる仙台七夕まつりは、大戦後、商店街に客を呼び込むため店先に竹飾りを並べるようになったもの。2006年放送。
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| タイトル | 主催者 | 会場 | 開始 | 終了 |
|---|---|---|---|---|
| 群馬県立近代美術館 | 2000/6/24 | 2000/7/23 | ||
| 京都文化博物館 | 2002/4/2 | 2002/6/30 | ||
| たけはら美術館 | 2005/4/7 | 2005/5/26 | ||
| 東京国立博物館 | 2005/11/1 | 2005/12/25 | ||
| 静嘉堂文庫美術館 | 2006/2/11 | 2006/3/26 | ||
| 横山大観記念館 | 2007/7/12 | 2007/9/30 | ||
| 福島県立博物館 | 2007/7/21 | 2007/9/17 | ||
| 東京国立近代美術館工芸館 | 2008/12/20 | 2009/2/22 | ||
| 草雲美術館 | 2008/12/27 | 2009/2/22 | ||
| 本間美術館 | 2010/8/11 | 2010/9/14 | ||
| 大分県立芸術会館 | 2012/9/12 | 2012/10/8 | ||
| 福岡県立美術館 | 2012/6/19 | 2012/6/24 | ||
| 資生堂アートハウス | 2014/4/8 | 2014/6/29 | ||
| 大和文華館 | 2014/2/21 | 2014/3/30 | ||
| 大分市美術館 | 2016/4/12 | 2016/7/10 | ||
| 根津美術館 | 2016/1/9 | 2016/2/14 | ||
| 大分市美術館 | 2017/9/26 | 2018/1/8 |
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竹専門の植物園。約500種類のタケ類を栽植。園内の竹の資料館では、竹笹の標本、民芸品、生活用具、茶道具など竹に関するあらゆる分野の展示物を陳列する。
笹類専門の植物園。国内および海外の笹類を中心に、100種を超えるクマ笹の仲間を集める。植物園エリアは回遊式数寄屋庭園となっており、さまざまな視点から笹の群落が楽しめる。
園内に竹・笹46種の見本林があり、見学可能。
京都府立植物園内にあり、庭園用、竹材、食用など、生活に関わりの深い有用竹笹類約70種を植栽。
全国各地から収集した約110種類の竹を「生態園」に植栽。「竹の資料館」には、京銘竹、エジソン電球、竹の生理・生態を説明するパネル、 京都の伝統的竹製品などが展示されている。
生活用品からインテリア用品、名工の美術工芸品まで、別府竹細工の数々を展示。
「竹林園」は竹を中心に構成された回遊式日本庭園。約4ヘクタールの園内に国内外から集められた160種類を超える竹類が植栽されている。
林野庁のホームページ。日本に生息する主な竹の種類、竹の性質、伝統的な用途、新たな用途などについて解説。
農林水産省によるサイト。生物としての「タケ」に焦点を当て、国内で生育しているタケの種類や特徴、さらにはタケの不思議な生態に迫る。
参考文献
- 「竹」の項
- 「竹」の項
- 日立デジタル平凡社,平凡社
- 小学館
- 「竹」の項
- 責任表示
- 二次利用について
ただし、画像は個々の権利表示による
- 最終更新日
- 2025/12/17