1797-1861(寛政9-文久1)
江戸時代末期の歌川派の浮世絵師。江戸日本橋(東京都中央区)の生まれで、父は京紺屋(きょうこんや)の柳屋吉右衛門 (やなぎやきちえもん)。俗称は井草孫三郎。別号として一勇斎(いちゆうさい)、朝桜楼(ちょうおうろう)などがあり、春画(しゅんが)を作製する際の陰号は一妙開程芳(いちみょうかいほどよし)。12歳のときに鐘馗(しょうき)の図を描いて歌川豊国(初世)に認められ、その門人となったと伝える。文政10年(1827)頃から出版されはじめた『通俗水滸伝豪傑百八人之一個(つうぞくすいこでんごうけつひゃくはちにんのひとり)』のシリーズによって一躍人気を博し、「武者絵の国芳」と呼ばれた。
作域は役者絵、美人画、戯画(ぎが)、動物画、子供絵、風刺画、物語絵、版本の挿絵(さしえ)などにも及んだ。洋風表現を採り入れた風景画においては斬新な画面を構成し、名所絵『東都名所』などのシリーズも知られる。巨大な骸骨(がいこつ)が描かれた「相馬の古内裏(そうまのふるだいり)」、読本『椿説弓張月』の一場面を描いて、巨大な鰐鮫(わにざめ)や烏天狗(からすてんぐ)が登場する「讃岐院眷属(さぬきいんけんぞく)をして為朝(ためとも)をすくふ図」(ともに武者絵)、猫を結合させて文字を描いた「猫の当字(あてじ)」、複数の裸の人物で顔を描いた「みかけハこハゐがとんだいゝ人だ」(ともに戯画)など奇想天外な構図も多い。国芳は猫好きとしても知られ、作品の中にたびたび猫が登場している。
文久元年(1861)3月5日に玄冶店(げんやだな、東京都中央区日本橋)の自宅において65歳で死去。江戸浅草(東京都台東区)の大仙寺(だいせんじ)に葬られたが、墓石は2度の移転を経て、現在は東京都小平市の日蓮宗大仙寺にある。門人としては歌川芳虎、歌川芳房、落合芳幾(おちあいよしいく)、月岡芳年らが知られる。
関連するひと・もの・こと
写楽を超える人気を誇った役者絵の巨匠。歌川国芳の師にあたる。
ゴッホにも影響を与えた江戸後期の浮世絵師。国芳とは同じ年の生まれ。
奇行でも知られる、江戸後期の浮世絵版画シリーズの巨匠。国芳と同じ時代を生きた。
黄表紙・洒落本・読本など、あらゆるジャンルを開拓した江戸後期を代表する戯作者。国芳との共作もある。
『東海道中膝栗毛』で一躍流行作家となった江戸時代の戯作者。国芳との共作もある。
江戸後期を代表する戯作者で、『南総里見八犬伝』の著者。国芳との共作もある。
江戸時代に大坂で活躍した戯画作者。耳鳥斎の戯画のルーツは鳥羽絵(とばえ)と考えられており、国芳の「金魚づくし」も鳥羽絵として知られる。
幕末から明治時代中期の日本画家。狩野派と浮世絵の素地をもち、写実性の高さと特異な画風で知られる。国芳の門人。
食肉目ネコ科ネコ属の動物で、猫という場合は家畜化されたイエネコを指し、日本にも広く分布している。国芳は猫好きとして知られ、作品の中にもたびたび猫が登場する。
フナから飼育観賞用に品種改良された魚。絵画や文学作品にも登場する。国芳はシリーズ「金魚づくし」を描いている。
江戸時代に盛行した浮世絵の中でも、多色刷りの木版画の総称。
大首絵を中心に役者絵の名品で見る江戸の名優たち。その1。国芳も役者絵を描いている。
大首絵を中心に役者絵の名品で見る江戸の名優たち。その2。国芳も役者絵を描いている。
歌舞伎は伝統演劇の代表で、現在も人気が高い。ここでは、立命館大学アート・リサーチセンターの歌舞伎関係資料を様々な角度から紹介している。なお、役者絵は歌舞伎役者を描いた絵画の総称。
異界や境界に生まれた日本の伝説、「源頼光」「坂田公時」「天狗」などを紹介。上掲の画像は国芳筆の「大江山酒吞童子」。
女性美を主題に描いた絵画で、江戸から明治にかけては「美人絵」「女絵」などと呼ばれていた。菱川師宣の『見返り美人図』などが有名で、国芳も描いている。
諸国の名所を屏風や障子に連作で描く絵画様式。平安時代から江戸時代に継承。国芳もシリーズ『東都名所』などや風景画を描いている。
江戸時代中期に赤穂浪士が旧主の敵討ちをした事件を浄瑠璃や歌舞伎で作品化したもの。国芳の作品でも外せないテーマとなっている。
幕末から明治時代にかけての浮世絵。ここでは、国芳およびその門人の月岡芳年・河鍋暁斎の作品が紹介されている。
本で知る
歌川国芳 画,写
歌川国芳が、文政9年(1826)に江戸日本橋の北新堀町が出した附祭(つけまつり)を描いた資料。掲出は、唐の白楽天が日本の知恵を探りに来ると、漁師に化けた住吉明神が和歌によって対抗し、船もろとも追い返すという能の白楽天を題材にした踊り舞台。舞台には二人の踊り子が白楽天と漁師に扮して踊りを見せ、途中で引き抜きで白楽天は若い娘に、漁師は若衆奴に変身するという趣向。囃し方は、 「底抜け屋台 」といわれる人足のかつぐ枠だけの屋台に乗って舟屋台の後ろに従っている。曳き手は102名。「附祭」は、山王神社・神田明神などの祭礼の時、各町内が山車のほかに、余興として行なった芸能。唄 ・三 味線 ・離子方を繰り出して、扮装をした踊り子たちが歩きながら、または台の上で芸をみせたもの。数年ごとの年番で各町が担当し、本資料は文政9年に北新堀町が行った附祭を絵と文章で残した記録。山王祭の附祭の詳細がわかる資料としてきわめて重要。
た地口絵の手本集。歌川国芳画。文政12年(1829)刊。2冊。初編は、大石真虎画。2編を国芳が引き継いで描き、3篇と5編は渓斎英泉 、4編は歌川国直がそれぞれ担当した。
安政7年(1860)の絵暦。一勇斎国芳筆。絵暦は、一枚摺りの略暦の一種で、大小暦ともいう。太陰太陽暦では1か月は30日(大)か29日(小)であったが、この各月の大小をめでたい図柄や当時評判の芝居などから題材をとって、絵あるいは狂歌、詩などで表したもの。その趣向は多様であって、アイデアが機智に富むものや、彫り・摺りに凝ったものなど、興味が尽きない。年末に作り、年頭の大小会で仲間と交換したり、年始の挨拶に贈答品として配ったりした。貞享頃から始まり、明和から寛政頃が最盛期。本書は、寛政4(1792)年頃から明治3(1870)年頃までの大小暦など104枚を張り込んだもので、主な絵師は、勝川春潮、葛飾北斎、菱川宗理、歌川国芳、河鍋暁斎など。元京都帝国大学総長新城新蔵(1873−1938)の旧蔵書。
武井周作,呑海楼
『魚鑑』の口絵。一勇斎国芳筆。『魚鑑』は、魚についての生活実用書。武井周作著。天保2年(1831)刊。魚の和名、地方名、俗称、漢名、産地のほか、生態・料理法なども記述する。
[野村]文紹 著,[書写者不明]
歌川国芳の肖像(右)。隣に描かれているのは、若くして亡くなった門人の歌川芳房。
山口豊山 編,[ ]
書名の「夢跡」は「死」の意で、『夢跡集』は、各分野の著名人の墓についての情報をまとめた資料。写本。全28冊。山口豊山(ぶざん)著。幕末から明治頃の成立か。墓碑の図(寸法も 表示)、人物の像(肖像)、人物情報、参考文献なども添えられている。著者の豊山は、生没年等未詳。掃苔家として名を知られ、他に『見ぬ世の友』の著書がある。
山口豊山 編,[ ]
同じく掃苔資料「夢跡集」に描かれた歌川国芳の肖像。
梅本鐘太郎 (塵山) 編,東陽堂
明治31年(1898)の出版。「歌川国芳」の内容を見るには、画像をクリックして「収録元データベースで開く」へ進み、コマ番号「59」を選択する。
関根黙庵 著,修学堂
明治32年(1899)の出版。右ページから歌川国芳の解説が始まる。
藤懸静也 著,雄山閣
大正13年(1924)の出版。左ページに「三七 武者絵と国芳」とある。
田中甚助 編,山上智海 解説,日本画粋社
田中甚助編、山上智海の解説が付く。大正15年(1926)の出版。内容を見るには、画像をクリックして「収録元データベースで開く」へ進む。
口絵に後ろ姿の国芳の自画像。本書は春本(しゅんぽん)であるため「画工 いちミやうかいほどよし(一妙開程芳)」と名乗っている。
磯ケ谷紫江 著,後苑荘
明治6年(1873)に建てられた「歌川国芳碑」の碑文。
歌川国芳の描いた挿絵
竹塚東子 作,歌川国芳 画,岩戸屋喜三郎
文化11年(1814)年刊。国芳の浮世絵師としてのデビュー作とされる合巻。作者の竹塚東子(たけのつかとうし)は、山東京伝の弟子。当時国芳は数え年で18歳。
十返舎一九,山口屋藤兵衛
黄表紙。十返舎一九(じっぺんしゃいっく、初世、1765-1831)作、前編歌川国丸画、後編歌川国芳画。文政12年(1829)の出版。画像は後編の国芳画。
山東京伝 作,歌川国貞,歌川国直,歌川国芳 画,河内屋源七
合巻。山東京伝(1761-1816)作、歌川国貞(歌川豊国3世、1786-1864)・歌川国直(1793-1854)・歌川国芳画。文化13 年(1816)の出版。右ページに「右五張 歌川国芳画」と記されている。
五柳亭徳升 作,歌川国芳 画,山口屋藤兵衛
合巻。五柳亭徳升(ごりゅうていとくしょう、1793-1853)作、歌川国芳画。文政13年(1830)の出版。
烏有散人 作,歌川国芳,歌川国安 画,蔦屋吉蔵
合巻。烏有山人(うゆうさんじん、江戸時代後期)作、歌川国芳・歌川国安(1794-1832)画。天保3年(1832)の出版。
烏有山人 作,歌川国芳 画,鶴屋喜右衛門
合巻。烏有山人(うゆうさんじん、江戸時代後期)作、歌川国芳画。天保3年(1832)の出版。
山東京山 作,歌川国芳,歌川国安一世 画,鶴屋喜右衛門
合巻。山東京山(1769-1858)作、歌川国芳・歌川国安(1794-1832)画。天保3年(1932)から同4年の出版。
寛江舎蔦丸,十字亭三九 作,歌川国芳,英笑 画,十返舎一九二世 作,歌川国直 画
人情本。寛江舎蔦丸・十字亭三九(じゅうじていさんく、十返舎一九[2世])作、歌川国芳・春川英笑(はるかわえいしょう、江戸時代後期)・歌川国直(1793-1854)画。天保4年(1833)から同10年の出版。
美圖垣笑顔 著,歌川国芳 画
合巻。美図垣笑顔(みずがきえがお、1789-1846)作、歌川国芳画。天保11年(1840)の出版。
曲亭馬琴 作,歌川国芳 画,和泉屋市兵衛
合巻。曲亭馬琴(きょくていばきん、1767-1848)作、歌川国芳画。天保12年(1841)から同14年の出版。
宝田千町 作,歌川国芳 画,山本平吉
合巻。宝田千町(たからだちまち)作、歌川国芳画。天保9年(1838)の出版。
山東京山 作,歌川国芳 画,山本平吉
合巻。山東京山(1769-1858)作、歌川国芳画。天保13年(1842)から弘化3年(1846)の出版。
山東京山 作,歌川国芳 画,山本平吉
左と同じ。
万亭応賀 作,歌川国芳,歌川国麿 画,上州屋重蔵
合巻。万亭応賀(まんていおうが、1818-1890)作、歌川国芳・歌川国麿(初世、江戸時代末期)画。嘉永2年(1849)から同5年の出版。
笠亭仙果 作,歌川国芳,歌川国久 画,蔦屋吉蔵
合巻。笠亭仙果(りゅうていせんか、1806-1868)作、歌川国芳・歌川国久(2世、1832-1891)画。嘉永6年(1853)から安政3年(1856)の出版。仙果は柳亭種彦(りゅうていたねひこ、2世)を称している。
笠亭仙果 作,歌川国芳,歌川国久 画,蔦屋吉蔵
左の画像の次ページ。
柳水亭種清 作,歌川国芳,芳房 画,泉市
合巻。柳水亭種清(1823-1907)作、歌川国芳・歌川芳房(1837-1860)画。安政6年(1859)の出版。
歌川国芳 画,写
歌川国芳画。
もっと知りたい
歌川国芳,Utagawa Kuniyoshi
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。弘化2年(1845)から同3年頃の作品。山東京伝の読本『善知安方忠義伝』に取材したもの。「相馬(そうま)の古内裏(ふるだいり)」は、相馬小次郎こと平将門(たいらのまさかど)が下総国に建てた内裏(屋敷)で、将門の乱の際に荒れ果ててしまっていた廃屋。妖術を授かった将門の遺児、滝夜叉姫(たきやしゃひめ)と良門(よしかど)は、父の遺志を継いでこの廃屋に仲間を募り、やがて妖怪が出没するようになる。それを知った源頼信(みなもとのよりのぶ)の家臣、大宅太郎光国(おおやたろうみつくに)は妖怪を退治してその陰謀を阻止する。原作では複数の骸骨(がいこつ)が現れるが、国芳はこれを巨大な一体の骸骨に置き換えることによって、迫力ある画面構成を生み出すことに成功している。
国芳,吉 両国 加ゝや 加賀屋 吉右衛門
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。シリーズ『東都名所』のうちの1枚。霞が関は東京都千代田区の南部、桜田門外(さくらだもんがい)一帯の呼称で、古くは霞ヶ関と記された。遠近法を取り入れた国芳の風景画。
一勇斎国芳
西洋画の表現を取り入れた一勇斎国芳(歌川国芳)の錦絵。『古今著聞集』巻十に収録された、近江の「金(かね)」という怪力の遊女の話に取材する。洋風に表現された風景に金(お兼)を取り合わせ、特に、急停止させられて後ろ足で宙を激しく蹴り上げる馬の躍動感が立体的に描かれている。
国芳, 山口屋藤兵衛
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。赤穂義士の討入りの場面を、一種の風景画のように描いている。遠近法の効いた幾何学的な描写や、モノトーンを基調とした画面から、洋風画の影響が指摘されている。
歌川国芳
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。『南総里見八犬伝』第三輯巻五で、八犬士の一人である犬塚信乃と犬飼見八(現八)が互いに相手を犬士と知らず、下総の滸我公方(こがくぼう)の居城の物見櫓「芳流閣」の屋根の上で死闘を繰り広げる。『八犬伝』中でも屈指の名場面といわれ、多くの浮世絵の題材となっており、芝居の見せ場の一つでもある。
一勇斎國芳 画,[伊場屋仙三郎]
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。天保14年(1843)刊。大判3枚続き。病床の源頼光と四天王、その背後で土蜘蛛が巣を広げ、様々な妖怪が徒党を組んで争うさまを描く錦絵。四天王の一人の装束の沢瀉紋が、折から天保改革を推進していた老中水野忠邦の家紋に似ているところから、天保の改革を風刺したものとされ、評判となった。頼光を将軍徳川家慶に見立てたものと解釈され、改革の苛酷な政治に大衆が妖怪となってたちむかった図とみなされて、版木は没収され、国芳は罪科に処せられた。
一勇斎国芳,伊場屋仙三郎
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。弘化4年(1847)刊。3枚続きの中央部分。天保の改革で役者絵が禁じられたため、壁の落書きのようにして人物を描いているが、それぞれの役者を暗示する文字や記号が加えられている。
一勇斎国芳,越平
歌川国芳画。嘉永6年(1853)刊。浮世又平(岩佐又兵衛)が絵筆を持って座っている前におかれた大津絵から、そこに描かれた人物が絵から抜け出す有様を描く。これらの人物が時の将軍徳川家定や老中牧野備前守忠雅など幕府の要人を見立てたものとしてみなされ、罪科を受けた。
歌川国芳筆,By Utagawa Kuniyoshi (1797–1861),東京国立博物館,Tokyo National Museum
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。江戸時代・19世紀の作品。舟を迎える芸者猫の着物には好物のあわびやうなぎ、船頭猫にはこれも好物の蛸が染められ、腰に「又たび」の文字の手拭い、客の猫では、猫に小判。さらにタイトル「猫のすゞみ」は鰹節で囲まれている。猫好きの国芳が両国橋を背景に描いたユーモアあふれる団扇絵。国芳は大の猫好きで、擬人化した猫を描いた作品が多い。
芳幾,広幸板
落合芳幾(よしいく)は国芳の門人。死絵は、歌舞伎役者などの死に際して似顔絵に没年月日や法名、菩提寺、辞世および追善の歌句などを記して売り出された絵草紙。この絵には、命日が文久元年3月5日、俗姓井草孫三郎、戒名は「深い修院法山国芳」、菩提寺は浅草八軒寺町大仙寺と記されている。
芳富,久 品川屋
一芸斎芳富(生没年不詳、国芳の門人)筆。左画像と同じく国芳の死絵。右が一勇斎国芳(歌川国芳)、左は国芳の死の前年に亡くなった一宝斎芳房(歌川芳房、国芳の門人、1837-1860)で、ともに旅姿で描かれている。
国芳,板元 久
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。野晒悟助は山東京伝作『本朝酔菩提』に登場する侠客(きょうかく)。着物の模様は複数の猫で構成された髑髏(どくろ)で、下駄の鼻緒の穴も髑髏を表している。
国芳,久 錦政堂
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。唐犬権兵衛は、江戸時代初期に幡随院長兵衛(ばんずいんちょうべえ)と共に名を馳せた町奴(まちやっこ)と伝えられている。背中の着物の模様は、地獄変相図をモチーフとしている。
歌川国芳,Utagawa Kuniyoshi
一勇斎国芳(歌川国芳)筆の相撲絵。弘化期の出版。江戸時代の相撲界では、地方から巨人や怪童を集めてきて、一人土俵入りをさせる興行があった。鬼若力之助(おにわかりきのすけ)もその一人で、上総国武射郡(むさぐん、千葉県山武市)の出身。鬼若が怪童力士として初土俵を踏んだのは嘉永3年(1850)11月。添え書きには当時8歳、身の丈4尺(121cm)、体重18貫目(68kg)あったと書かれている。こうした子供力士の多くは、のち正規の力士とならずに引退したが、鬼若は明治5年(1872)3月に入幕し、同7年には「勝ノ浦与一右エ門」と改名し、同16年5月まで場所をつとめた。最高位は東前頭筆頭。
国芳,や
一勇斎国芳(歌川国芳)筆の相撲絵。
国芳,や
一勇斎国芳(歌川国芳)筆の相撲絵。
-
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。本図は、伊勢神宮の遷宮(せんぐう)を題材とした浮世絵。
歌川国芳
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。江戸時代・19世紀の作品。
国芳, 伊場屋仙三郎
一勇斎国芳(歌川国芳)筆の風俗画。安政2年(1855)の出版。隅田川に架かる両国橋の渡り初め。
歌川国芳 画,写
歌川国芳筆。江戸山王祭を描いたもので、1軸(27cm)の一部。
国芳
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。
国芳,エヒ子
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。天保年間(1830-1844)の出版。シリーズ『百人一首之内』の1枚で、歌人は柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)。
国芳,ヱヒ子 ヱヒ子
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。天保年間(1830-1844)の出版。シリーズ『百人一首之内』の1枚で、歌人は山部赤人(やまべのあかひと)。
歌川国芳 画,大木屋平右衛門 [ほか]
歌川国芳筆。天保3年(1832)の出版。琉球国からの使者の行列の図。
歌川国芳筆,東京国立博物館
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。安政5年(1858)の出版。3枚続きの中央部分。お大尽によって撒かれた小判を奪い合う大衆の姿を描いている。
国芳
一勇斎国芳(歌川国芳)筆の張交絵(はりまぜえ)。張交絵とは、江戸時代から明治時代にかけて描かれた浮世絵の様式の一つ。 いわゆる張交屏風のように、一枚の版画にいろいろな形や種類の絵をいくつも配置した浮世絵を指す。
武者絵
歌川国芳筆,By Utagawa Kuniyoshi (1797-1861),東京国立博物館,Tokyo National Museum
曲亭馬琴作、葛飾北斎画『椿説弓張月』の第31・32回に取材した一勇斎国芳(歌川国芳)筆の代表的な武者絵。3枚続き。平清盛を討とうと都に向かう為朝の船が嵐に遭う場面で、為朝を救おうとする讃岐院(崇徳院)の眷属(けんぞく)である烏天狗と巨大な鰐鮫(わにざめ)の首が描かれている。妻白縫(しらぬい)は嵐を鎮めようと海中に身を投じ、嫡男舜天丸(すてまる)の船は沈むが、家来に抱えられて鰐鮫(わにざめ)に助けられる。為朝は自害しようとするが、烏天狗に救出される。
国芳
『絵本太閤記』の世界から、本能寺の変を描いた作。豊臣秀吉や織田信長らが活躍した時代を題材とした錦絵は幕府によって禁止されていたが、ここでは本能寺の変が源平合戦に仮託され、掲出中央の人物には「伊予守源義経」の名が記されているは、実際は織田信長を描いている。
国芳,下谷 魚栄 魚屋 栄吉
朝桜楼国芳(歌川国芳)筆。文覚(もんがく)は平安時代末期から鎌倉時代初期の真言宗の僧で、俗名を遠藤盛遠(もりとう)という。後白河法皇に京都神護寺への荘園寄進を強要したことから伊豆国に配流(はいる)され、そこで出会った源頼朝に平氏追討のための挙兵を勧めたといわれる。
国芳,ト 遠彦 遠州屋 彦兵衛
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。源義経の軍船の背景に、平家の亡霊が描かれている。なお、大物浦(だいもつうら)は現在の兵庫県尼崎市で、平家を滅ぼしたのちに源頼朝に疑われ都落ちを決意した義経が、西国を目指して船出した地とされている。
国芳,ト 遠彦
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。左画像の3枚続きの右部分。波の後方に平家の亡霊が見える。
国芳, 上州屋金蔵
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。安政2年(1855)の出版。3枚続きの左部分が上杉謙信、中央部分が武田信玄。
歌川国芳,Utagawa Kuniyoshi
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。天保14年(1843)の作品。海中で鰐を捕まえているのは、この絵の主人公で武勇に優れた鎌倉時代初期の武将、朝比奈三郎義秀。数々の伝説に彩られた人物として物語や歌舞伎にも登場する。のちに北条氏に反旗を翻した和田義盛の三男で、安房国朝夷郡(あさいぐん、房総半島南部)に生まれたのでその名がある。ここに描かれているのは、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』に登場する一場面。正治2年(1200)9月2日、源頼家(みなもとのよりいえ)は小壺(神奈川県逗子市小坪)の海辺を遊覧した際に、いつものように御家人たちに武芸の披露を行わせた。その後、海上に船を浮かべて酒を振舞っていた時に、泳ぎの名人との評判が高かった義秀にその技を披露するように命じた。そこで義秀は見事な泳ぎを見せた挙句、海中に潜ると生きた鮫(さめ)を3匹捕まえて浮上してきた。驚いた船上の人々は義秀を喝采で迎えた。鮫はここでは鰐(わに)として表現されている。この鰐は、江戸時代後期の蘭学者、森島中良(ちゅうりょう)が著した『紅毛雑話』(天明7年[1787]刊)に掲載されている「カイマン」の図をもとに描かれており、その後も同じく国芳の「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」にも鰐鮫として登場する。
歌川国芳筆,By Utagawa Kuniyoshi (1797-1861),東京国立博物館,Tokyo National Museum
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。江戸時代・19世紀の作品。『通俗水滸伝豪傑百八人之壹人』シリーズは、国芳の出世作としてよく知られるもので、以後の水滸伝(すいこでん)ブームの先駆けとなった。登場する豪傑たちの力動感あふれる描写と藍の刺青(いれずみ)は、国芳の真骨頂。中でも本図はその代表作としてよく知られている。
国芳, 美濃屋忠助
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。弘化年間(1844-1828)の出版。鬼若丸は、武蔵坊弁慶の剃髪(ていはつ)前の名前とされる。
国芳,喜久平
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。
歌川国芳,Utagawa Kuniyoshi
山東京伝の読本『善知安方忠義伝』に取材した本図は、国芳の代表作の1点。相馬の古内裏は、相馬小次郎こと平将門が下総国に建てた屋敷で、将門の乱の際に荒れ果ててしまっていた廃屋。妖術を授かった将門の遺児滝夜叉姫と良門は、父の遺志を継いでこの廃屋に仲間を募り、やがて妖怪が出没するようになる。それを知った源頼信の家臣、大宅太郎光国は妖怪を退治してその陰謀を阻止する。原作では複数の骸骨が現れるが、国芳はこれを巨大な一体の骸骨に置き換えることによって、迫力ある画面構成を生み出すことに成功している。
歌川国芳,Utagawa Kuniyoshi
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。弘化年間(1844-48)の作品。川中島の合戦は、甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信が、信濃の川中島(長野県長野市)を挟み数度に渡って繰り広げられた戦い。合戦の様子は江戸時代初期に成立した甲州流軍学書『甲陽軍鑑(こうようぐんかん)』に描かれている。山本勘助(かんすけ)は武田二十四将の一人で、軍略と築城に長けた武将とされる。川中島の合戦では、兵を分けて上杉軍を奇襲する作戦を進言するが、敵に見破られ、武田軍は窮地に陥る。この危機に際して、死を決した勘助は敵軍に突撃して獅子奮迅の働きをし、最後は打ち取られたといわれる。
歌川国芳,Utagawa Kuniyoshi
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。源平合戦における宇治川の先陣争いの場面。天保2年(1831)から同3年頃の出版。本来は3枚続きであるが、中央部分の先陣争いの当事者である梶原源太景季(かげすえ)の部分を欠く。左部分はもう一人の当事者、佐々木四郎高綱(たかつな)。
国芳
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。画題中の「☆」は「擅」か。中国の『三国志演義』をモチーフとした作品。
国芳,泉市 和泉屋 市兵衛
歌川国芳筆。文政末期の出版。酒呑童子の首が頼光の兜に噛みつく場面。
国芳,-
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。右上に見えるのは閻魔(えんま)像。
国芳,竹
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。仁田忠常(にったただつね)は、源頼朝に伊豆挙兵以来仕えた。曾我兄弟の仇討ちで知られる曾我十郎祐成(すけなり)を討ち、猪にとび乗った逸話は有名。
国芳,-
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。上部中央にいるのが、『三国演義』に登場する諸葛亮(しょかつりょう、諸葛孔明[しょかつこうめい])。
国芳,三鉄 三河屋 鉄五郎
歌川国芳筆。江戸時代・19世紀の作品。「きよ姫」は伝説の男女、安珍・清姫のうちの清姫である。
国芳,三 伊場仙板
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。タイトルはないが、三井寺(滋賀県大津市)の釣鐘を曳く武蔵坊弁慶を描いたもの。
国芳国芳,吉 両国 加ゝや 加賀屋
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。
国芳,-,本 泉市
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。甲斐(かい)国の戦国大名として著名な武田信玄。
国芳,下谷 魚栄
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。「怪童丸」は、すなわち金太郎(坂田金時)。
歌川国芳,Utagawa Kuniyoshi
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。弘化4年(1847)の出版。大星由良之助は、『仮名手本忠臣蔵』などの忠臣蔵物の浄瑠璃や歌舞伎に登場する人物で、赤穂義士のうちの大石内蔵助良雄(おおいしくらのすけよしお)にあたる。
国芳, 杉清
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。
歌川国芳,Utagawa Kuniyoshi
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。安政元年(1854)の出版。梶原景時(かげとき)は源頼朝の重臣として知られるが、源義経と対立していたため『義経記(ぎけいき)』では敵役として描かれた。そのため江戸時代には義経のことを頼朝に讒言(ざんげん)して義経没落の原因を作った人物として、悪人として語られることが多かった。『平家物語』には、生田口(兵庫県神戸市中央区)を守る平知盛との戦いで、息子の景季(かげすえ)が敵陣に取り残されたのを知った景時が、敵のまっただ中へ引き返し、名乗りを上げて敵陣を駆け破り、見事景季を助け出すという、「梶原の二度駆け」と呼ばれる奮闘が描かれている。
国芳,平
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。鬼若丸は、武蔵坊弁慶の剃髪(ていはつ)前の名前とされる。修行のため比叡山延暦寺に登り、そのうちの西塔(さいとう。延暦寺の三塔の一つで、根本中堂のある西北方にあたる地域)に住したという。
国芳,湊小
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。
国芳,- 蔦屋 吉蔵
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。
国芳,イセ芳
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。安政2年(1855)の出版。
国芳,-
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。
戯画
国芳,上坂本町川口板 川口屋宇兵衛
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。天保13年(1842)の出版。朝比奈義秀は、史実では鎌倉時代前期の武将、和田義盛の三男とされる。江戸時代に曲亭馬琴の『朝夷巡嶋記』で有名になったという。
歌川国芳,Utagawa Kuniyoshi
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。弘化3年(1846)の出版。天保の改革によって役者絵や遊女に関わる絵が禁止され、浮世絵界は大打撃を受けた。しかし、国芳は役者や遊女を動物に見立てて描き、その規制をかいくぐり、ユーモア溢れる世界を創出した。本図は吉原の格子先の賑わいが題材となっている。弘化2年暮れ、吉原が火災に遭い、仮宅(吉原以外の仮の営業所)での営業を余儀なくされた模様を取り上げているが、先の理由で登場人物すべてを雀の姿に見立てて描いている。
国芳,三 伊場屋 仙三郎
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。数匹の猫が重なって「かつを」の文字を描いている。すなわち猫の当字(あてじ)である。
国芳,三
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。戯画のうち「寄せ絵」と呼ばれるもので、人間のさまざまな姿態で顔を描いている。すなわち画題は「何人もの人が重なって人の顔になっている」の意。
国芳,岩 上総屋 上総屋 岩吉
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。嘉永元年(1848)頃の出版。弁慶が三井寺から梵鐘を奪い、比叡山へ引きずり上げたという伝説をモチーフとする。左の横顔の影絵が、実は弁慶を描いている。
国芳,加賀安 加賀屋 安兵衛
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。嘉永5年(1852)の出版。3枚綴りの右部分。猫によることわざで、右上から時計回りで「猫に鰹節(かつおぶし)」「猫に才槌(さいづち)」「猫に小判」「猫を被(かぶ)る」。
国芳
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。頬杖をついて笑う巨大な朝比奈の下に、小人の大名行列が描かれている。
国芳
左と同じ。
国芳
左と同じ。
国芳,岩 上総屋 上総屋 岩吉
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。嘉永元年(1848)頃の出版。左の金魚と緋鯉の影絵が、実は「タヌキの千畳敷」に押しつぶされている猟師を描いたもの。
国芳, 湊屋 小兵衛
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。中央の絵師が国芳とされるが、顔は舞い上がった紙で隠れている。
歌川国芳,Utagawa Kuniyoshi
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。弘化4年(1847)から嘉永5年(1852)頃の出版。戯画のうち「寄せ絵」と呼ばれるもので、人間の目、鼻、口から眉毛、丁髷にいたるまで、そしておそらくは着物の中の身体つきについても、さまざまな姿態の人間を組み合わせて表現するというユニークな趣向に富んだ作品。西洋の画家、アルチンボルトが植物や果物などを使い、同じ手法で人体を表現する試みをしているが、両者の関係性については不明。また、着物の文様から鎌倉時代の武将、朝比奈義秀との関係性も取り沙汰されている。
国芳, 藤岡屋 彦太郎
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。弘化元年(1844)の出版。「大黒様」の図であるが、よく見ると七福神の残りの六神がが合体して「大黒様」になっている。
一勇斎国芳, 具足屋・具足屋嘉兵衛
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。3枚続きの右部分。武将の顔を将棋の駒に模しており、将棋の駒の戦いを擬人化している。
国芳
歌川国芳筆。要石とは、地震を抑えると称される石。鯰は地震を起こすと信じられており、鯰の頭には地震による大火が描かれている。
国芳,久 山本 平吉
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。「十四人のからだにて三十五人にみゆる」と記されている。
国芳,- 木屋 宗次郎
朝桜楼国芳(歌川国芳)筆。安政2年(1855)の出版。
歌川国芳筆,By Utagawa Kuniyoshi (1797–1861),東京国立博物館,Tokyo National Museum
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。江戸時代・19世紀の作品。夏の風俗を金魚を擬人化して描いたシリーズで、現在9図が確認されている。本図は「玉や玉や」の売り声で知られた江戸のシャボン玉売り。動物などの擬人化を得意とした国芳らしく、水中の小動物の姿がユーモアあふれる姿で愛情深く描かれている。
歌川国芳筆,By Utagawa Kuniyoshi (1797–1861),東京国立博物館,Tokyo National Museum
朝桜楼国芳(歌川国芳)筆。江戸時代・19世紀の作品。国芳が好きな猫も描かれている。
国芳, なし
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。天保13年(1842)頃の出版。団扇絵。
国芳, 湊屋 小兵衛
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。「かさねのほうこん」は「累の忘魂」と書き、累は右上の女性で、忘魂すなわち怨霊(おんりょう)となってなっている。
国芳, 伊場屋 仙三郎
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。弘化元年(1844)の出版。団扇絵。
国芳, 山本 平吉
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。天保10年(1839)から同13年の出版。
国芳,近総与 総州屋 与兵衛
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。嘉永元年(1848)の出版。
役者絵
国芳, 総州屋与兵衛
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。天保11年(1840)の出版。
国芳,近 総與
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。
歌川国芳,Utagawa Kuniyoshi
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。弘化4年(1847)の出版。
国芳,久
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。
国芳, 湊屋小兵衛
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。嘉永3年(1850)の出版。
国芳,市村座
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。弘化4年(1847)江戸市村座で上演。興行名は「尾上梅寿一代噺」。
国芳,中村座,大、池仲上金 上州屋 金蔵 ,牛若〈3〉尾上 菊五郎
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。天保9年(1838)の出版。
国芳,ニ 川長
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。
国芳,しん 伊勢小
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。天保3年(1832)の出版。
一勇斎国芳
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。
国芳,二 川長
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。
一勇斎国芳,江戸松
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。
国芳
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。
国芳,森田,江戸松 ,由良之助〈4〉市川 団蔵
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。
国芳,ニ、川長 ,<7>市川 団十郎
美人画
歌川国芳筆,By Utagawa Kuniyoshi (1797–1861),東京国立博物館,Tokyo National Museum
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。江戸時代・19世紀の作品。「~したい」という言葉を題にした女性の仕草に、諸国の名産を取り込んだ風景画を描いたコマ絵を組み合わせたシリーズ。本図は草紙を片手に「続きが見たい」女性を描いたもので、コマ絵は蔀関月(しとみかんげつ)挿画の『山海名産図会』を引用した摂津国西宮(兵庫県西宮市)の白魚漁である。
歌川国芳筆,By Utagawa Kuniyoshi (1797-1861),東京国立博物館,Tokyo National Museum
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。嘉永5年(1852)の出版。コマ絵は「対馬 昆布海苔」で、長崎県対馬(つしま)の昆布漁を描いている。
国芳、芳鳥,佐野喜 佐野屋 喜兵衛
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。画題の☆印は文字不明で、鰻か鯉ではないかといわれている。なお、遠江国の須之股川が、現在の静岡県西部のどの川にあたるかは未詳。
国芳,ト山口 山口屋藤兵衛
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。嘉永元年(1848)の出版。雪だるまならぬ、猫だるまが描かれており、国芳が猫好きであったことが知られる。
一勇斎国芳,松亭 金水, 上州屋重蔵
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。出雲阿国(いずものおくに)は歌舞伎の創始者とされる女性。
国芳, 上州屋金蔵
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。嘉永2年(1849)の出版。
一勇斎国芳, 海老林
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。
国芳,三
一勇斎国芳(歌川国芳)筆の団扇絵。タイトルの☆は、口偏に箴。
一勇斎国芳,朝桜楼国芳,伊場屋仙三郎
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。3枚続きの右部分。
国芳, 伊場屋仙三郎
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。弘化2年(1845)の出版。
国芳, 蔦屋 梅次郎
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。
一勇斎国芳,万重
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。3枚続きの右部分。
国芳, 伊場屋仙三郎
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。弘化元年(1844)の出版。
国芳,ト
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。
国芳
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。
国芳, 有田屋 清右衛門
朝桜楼国芳・一勇斎国芳(ともに歌川国芳)筆。
国芳,ト、堀江、遠又 遠州屋 又兵衛
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。3枚続きの中央部分。背後の達磨は、睦月にちなんだ凧の絵柄。
一勇齋國芳 画,[伊場屋久兵衛]
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。天保・弘化年間(1830-1848)頃の出版。
国芳,ト 山口、八 三喜
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。
国芳,-
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。
国芳,梅屋,長 有田屋 長右衛門
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。シリーズ「艶姿十六女仙」のうちの1枚で、右上のコマ絵は中国の仙人の「初平」。初平の意のままになる羊と、女性の足元にいる気ままな猫が対照的。
国芳,(右部裁断不明)板元 (裁断不明)海老屋 林之助
朝桜楼国芳(歌川国芳)筆。天保14年(1843)の出版。
風景画・名所絵
歌川国芳筆,By Utagawa Kuniyoshi (1797–1861),東京国立博物館,Tokyo National Museum
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。江戸時代・19世紀の作品。本図は、日蓮上人の伝記を描いた10枚揃いのシリーズ『高祖御一代略図』の1枚。佐州(佐渡国)塚原(新潟県佐渡市目黒町)という荒れ果てた厳しい土地に配流(はいる)された日蓮上人の姿を描いたもので、日本海に面した漁村の様子と、村の背後に迫る山の険しさや吹きすさぶ雪の厳しさを表している。
国芳,山口や板? 山口屋 藤兵衛
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。近年「江戸時代にスカイツリーが描かれていた」といわれる作品で、スカイツリーとみられるのは高い櫓(やぐら)と考えられている。三ッ股は三叉とも書き、墨田川下流の箱崎川との分岐地点で、右後方は隅田川に架かる永代橋(えいたいばし)。
国芳
歌川国芳筆。嘉永6年(1853)の出版。江戸市中浅草の金龍山浅草寺境内の雪景色を描いた錦絵。中央に五重の塔、右方に小高い丘の弁天山を配し、丘の上に銭瓶弁天、鐘楼が垣間見える。池の藍、建物の朱、雪の白と色の対比が見事である。本作は国芳後期の作品で、勇壮な武者絵とは対照的な落ち着いたものである。池に雪の降りこむ後版があるが、本画は池が藍一色の初版である。
国芳,村田 村田
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。天保14年(1843)の出版。名所絵「東都富士見三十六景」のうちの1枚。昌平坂(しょうへいざか)は東京都の千代田区と文京区の境にある坂。
歌川国芳筆,By Utagawa Kuniyoshi (1797–1861),東京国立博物館,Tokyo National Museum
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。江戸時代・19世紀の作品。『東都名所』は、歌川国芳の風景画揃物作品(名所絵)を代表するシリーズ。佃島(つくだじま)は東京都中央区南東部、隅田川河口の鉄砲洲(てっぽうず)の沖にある島。
国芳,久
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。画題は「守山 達磨大師」で、蕎麦の山盛りと地名の守山(滋賀県守山市)を掛けているとされる。
国芳,吉 両国 加ゝや 加賀屋
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。シリーズ『東都名所』のうちの1枚。「てつぽふづ」は隅田川河口の鉄砲洲。
国芳,-,十、堀江、小嶋板 小島屋 重兵衛
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。名所絵シリーズ『東海道五十三対』のうちの1枚で、「桑名」は東海道五十三次のうちの桑名宿(三重県桑名市)。「船のり徳蔵の伝」と記されており、海坊主が描かれている。
歌川国芳筆,By Utagawa Kuniyoshi (1797–1861),東京国立博物館,Tokyo National Museum
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。江戸時代・19世紀の作品。山口屋から出版された『東都○○之図』と題された洋風表現を採り入れた名所絵。いずれも空の表現に苦心のあとが見られる。御厩川岸は墨田川の西岸、激しい雨に煙る東岸がシルエットで表現されている。地面には跳ね返ったしぶきが描かれている。
国芳,-
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。京都府宮津市の天橋立(あまのはしだて)と雷を描いた名所絵。
国芳,-,吉、住政 住吉屋 政五郎
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。画題は「御嶽(ミタケ) 悪七兵衛景清」で、岐阜県可児(かに)郡御嵩(みたけ)町の御嶽宿である。悪七兵衛景清(あくしちびょうえかげきよ)は源平合戦時に勇猛な武者として知られた平(藤原)景清。
国芳
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。「臼井峠」は上野(こうずけ)国と信濃(しなの)国の境の碓氷(うすい)峠で、現在の群馬・長野県境にそびえる浅間山の図。
国芳
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。弘化4年(1847)の出版。相模国大山詣(おおやまもうで)より。
歌川国芳筆,By Utagawa Kuniyoshi (1797–1861),東京国立博物館,Tokyo National Museum
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。江戸時代・19世紀の作品。シリーズ『東都名所』のうちの1枚。両国橋付近の隅田川の夏の風物詩を描いている。花火の火の粉が、木太刀(こだち)を掲げる大山講の人々に降りかかる傍らで、涼み舟の客達が物売り舟から料理を求めており、それぞれの夏の夜がふけてゆく。
国芳,吉 両国 加ゝや 加賀屋
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。シリーズ『東都名所』のうちの1枚。「するがだひ」は駿河台で、東京都千代田区。
一勇斎国芳,泉市
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。万延元年(1860)の出版。3枚続きの右部分。横浜のメインストリート、本町通である。
国芳,若
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。大山道(おおやまみち)の田村渡は神奈川県高座(こうざ)郡寒川(さむかわ)町にあった。
国芳, 山口屋 藤兵衛
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。橋場(はしば)は東京都台東区橋場付近で、画像では中央に巨大な「お化け地蔵」が建つ。
国芳,吉 両国 かゝや 加賀屋 吉右衛門
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。シリーズ『東都名所』のうちの1枚。東京都台東区今戸付近で、今戸焼で知られている。
物語絵
国芳,種員
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。『唐土廿四孝(もろこしにじゅうしこう)』は、中国の元(げん)の24人の孝子の逸話をまとめた教訓書で、我が国に普及した。ここでも洋風表現が見られる。
国芳,三
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。3枚続き「源頼光公館土蜘作妖怪図」の左部分。碓井貞光は頼光四天王のうちの一人。
国芳,芝神明前 若狭屋
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。「二十四考(孝)」は中国の元(げん)代にほぼ定型化した24話から成る孝行伝。大舜(たいしゅん)は、両親や弟に憎まれても、少しも恨まなかったため奇跡が起こり、象や鳥が耕作を手助けし、ついに皇帝に勲位を譲られたという。
国芳, 辻岡屋文助
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。安政2年(1855)の出版。天竺徳兵衛(てんじくとくべえ)は江戸時代初期の商人で、死後に伝説化し、歌舞伎や浄瑠璃に脚色された。
国芳,ト、山口 山口屋 藤兵衛
朝桜楼国芳(歌川国芳)筆。嘉永6年(1853)の出版。玉取姫は讃岐(さぬき)国の志度浦(しどうら、香川県さぬき市)の海女(あま)。藤原鎌足の娘は唐の皇帝の后となり、鎌足に宝玉を送ったが、志度浦でそれを竜神に奪われてしまう。鎌足は海女に玉を取り返すよう頼み、海女は竜宮に向かって玉を取り返そうとする物語。
国芳, 丸屋清次郎
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。嘉永年間(1848-1854)の出版。赤穂義士が吉良上野介の首を取る場面。
歌川国芳筆,By Utagawa Kuniyoshi (1797–1861),東京国立博物館,Tokyo National Museum
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。江戸時代・19世紀の作品。吉良上野介を討ち果たした赤穂義士の引きあげの場面。
国芳, 万屋吉兵衛
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。嘉永年間(1848-1854)の出版。仙国寺は泉岳寺(東京都港区)で、国指定史跡の浅野長矩墓および赤穂義士墓がある。
国芳,種員,-
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。『唐土廿四孝(もろこしにじゅうしこう)』は、中国の元(げん)の24人の孝子の逸話をまとめた教訓書。
国芳, 未詳(山形に栄)
3枚続きの中央部分に一勇斎国芳、左右部分に朝桜楼国芳の落款印章がある。弘化元年(1844)の出版。
国芳, 蔦屋吉蔵
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。嘉永5年(1852)の出版。
国芳,版元 伊勢市
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。左甚五郎(ひだりじんごろう)は、江戸時代の彫物の名人と伝えられる人物。日光東照宮の眠り猫、東京上野東照宮の竜など、甚五郎作と伝えられる彫物が全国に多数ある。
国芳,林 伊勢屋 利兵衛
朝桜楼国芳(歌川国芳)筆。ここでいう「高祖」とは、日蓮上人を指す。
一勇斎国芳(歌川国芳)筆「源頼光大江山入之図」より。『大日本歴史錦繪』は大判錦絵3枚続きを右・中・左の3帖に分けて貼り込んだもので、絵師は歌川豊国(3世)、楊洲周延、歌川国芳ら多数。
動物画
国芳,大 池仲 上金
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。
歌川国芳筆,By Utagawa Kuniyoshi (1797–1861),東京国立博物館,Tokyo National Museum
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。江戸時代・19世紀の作品。首に鈴をつけた猫が、じっと上を注視しており、踏み出す瞬間を見計らっているかのよう。猫好きの国芳らしく、その仕草が見事に表されている。画中に「この絵を家に張っておくと鼠が恐れて出てこなくなる」とあるように、江戸時代は猫の絵が鼠よけに流通していた。
国芳,大 池仲 上金
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。龍虎図は東洋絵画における伝統的な画題の一つである。
一勇斎国芳
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。3枚続きの左部分。
一勇斎国芳
左画像に同じ。3枚続きの中央部分。
一勇斎国芳
左画像に同じ。3枚続きの右部分。
国芳,辻岡屋
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。
国芳,京橋銀一 山甚板
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。本来は武者絵。
国芳,大 池仲 上金
朝桜楼国芳(歌川国芳)筆。
国芳,辻岡屋
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。
子供絵
国芳, 上州屋金蔵
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。子供たちが土蔵の上棟をしている図。
国芳,岩 加藤屋 岩蔵
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。天保13年(1842)の出版。江戸時代の身分制度をテーマに、子供が「士農工商」に扮している。本図は、そのうちの「士」。
国芳, 和泉屋市兵衛
一勇斎国芳(歌川国芳)筆の子供絵。江戸時代、庶民の子供は寺子屋で「読み書き算盤」を習った。「席書会」は子供達が日頃の書の上達ぶりを披露する日である。部屋の入り口に仮名や楷書・行書体などで清書された作品が吊されている。「鶴」「麒麟」などの目出度い言葉や古歌、教訓的な語句などが見える。床の間には学問の神様である天満天神が祀られ、神酒や餅が供えられている。男の子は羽織袴を着け、女の子は精一杯に着飾っている。幼い子も手を引かれて嬉しそうである。筆先を見つめる子供達はそれぞれに真剣な表情である。賑やかで楽しげな会場の雰囲気が画面全体に溢れている。
佐野喜(佐野屋喜兵衛),Sanoya Kihei,一勇斎国芳(歌川国芳),Utagawa Kuniyoshi
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。1830年代(天保年間)の出版。
佐野喜(佐野屋喜兵衛),Sanoya Kihei,一勇斎国芳(歌川国芳),Utagawa Kuniyoshi
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。1830年代(天保年間)の出版。
国芳, 近江屋 平八
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。天保元年(1830)の出版。
国芳,若 若狭屋 与市
朝桜楼国芳(歌川国芳)筆。天保14年(1843)の出版。在原業平(ありわらのなりひら)の東下りを、稚児に見立てている。
国芳, 伊勢屋 利兵衛
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。天保10年(1839)の出版。「新板子供あそび之内」は、子供の季節の遊びを描いた図巻のようなシリーズ。左端には、片目のみ入った雪だるまが描かれている。
国芳,若 若狭屋 与市
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。天保13年(1842)の出版。「稚遊五節句之内」は、五節句の子供遊びを描いたシリーズ。本図は七夕を描いたもの。
国芳, 伊勢屋 利兵衛
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。天保10年(1839)の出版。
国芳,若
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。
国芳,上金 上州屋金蔵
一勇斎国芳(歌川国芳)筆。
過去の展覧会を探す
| タイトル | 主催者 | 会場 | 開始 | 終了 |
|---|---|---|---|---|
見に行く
国立国会図書館は、国会に属する唯一の国立の図書館です。国内外の資料・情報を広く収集・保存して、知識・文化の基盤となり、国会の活動を補佐するとともに、行政・司法及び国民に図書館サービスを提供しています。
日本と東洋の文化財を守り伝える中心拠点としての役割を担う我が国の総合的な博物館です。
東京富士美術館は、1983年11月3日に東京西郊の学園都市・八王子にオープンしました。「世界市民を育む美術館」をモットーに、世界31カ国・1地域の美術館や文化機関との友好関係を築きながら、各国の優れた芸術を紹介する海外文化交流特別展を企画・開催しています。収蔵品は日本・東洋・西洋の各国、各時代の絵画・版画・写真・彫刻・陶磁・漆工・武具・刀剣・メダルなど約3万点に及び、とりわけルネサンス、バロック、ロココ、ロマン主義、印象派、現代にいたる西洋絵画500年の流れを一望できる油彩画コレクションと、写真の誕生から現代までの写真史を概観できる写真コレクションは国内有数のコレクションとして知られています。
東京農工大学科学博物館の歴史は明治19年(1886年)、東京農工大学工学部の前身である農商務省蚕病試験場の「参考品陳列場」にはじまります。昭和27年(1952年)、博物館法に基づく「博物館相当施設」に指定され、昭和52年(1977年)には工学部附属繊維博物館として制度化されました。平成20年度より「東京農工大学科学博物館」へと名称を変更し、工学部附属から全学化された科学博物館へ、繊維に特化した博物館から、本学の農学・工学の研究成果を発信する基地として、またこれまで以上に研究・教育活動に重点をおいた大学博物館施設としての生まれ変わりが期待されております。
1998年に設立したアート・リサーチセンター(ARC)は、私たち人類が持つ文化を後世に伝達するために、芸術、芸能、技術、技能を中心とした有形・無形の人間文化の所産を、歴史的、社会的観点から研究・分析し、記録・整理・保存・発信することを目的としています。ARCが有する日本文化資源の膨大なデータベースの利用を国内外の共同研究者に開放するとともに、これまでに蓄積してきたデジタル・アーカイブ技術やデータベース管理技術を研究プロジェクト活動の基盤として提供し、情報アーカイブ・知識循環型共同研究を推進しています。こうした取組を通して、デジタル・ヒューマニティーズ分野の“世界水準の研究拠点形成”を目指しています。
東京都渋谷区に所在。5代太田清藏(1893-1977)が蒐集した浮世絵コレクションを、広く公開するために設立された美術館で、コレクションには歌川国芳も含まれています。
岡山県倉敷市の倉敷美観地区に所在。美観地区を一望できる旅館を再生して開館、国芳の作品のほか、国芳の門人にも光を当て、選りすぐりの約100作品を紹介しています。
ジャパンサーチの外で調べる
アダチ版画研究所が運営するサイト「北斎今昔」より。
太田記念美術館HPより。2011年の展覧会の概要を、作品の画像とともに紹介している。
太田記念美術館HPより。2019年の展覧会について、作品の画像とともに紹介している。
太田記念美術館HPより。2021年の展覧会「PART Ⅰ 憂き世を笑いに!―戯画と世相」「PART Ⅱ 江戸っ子を驚かす!―武者と風景」について、作品の画像とともに紹介している。
note株式会社が提供する「note」より。太田記念美術館の首席学芸員が、国芳の「里すずめねぐらの仮宿」について画像とともに解説している。
「キュレーターズノート」2015年08月01日号(DNP大日本印刷「artscapeアートスケープ」)より。札幌芸術の森美術館で開催された展覧会について、作品の図解入りで解説をしている。
国立国会図書館 電子展示会「錦絵で楽しむ江戸の名所」より。国芳による名所絵が見られる。
2016年に開催された展覧会HPより。国芳と歌川国貞(歌川豊国3世)の作品紹介。
Tokyo Museum Collectionは、六つの都立ミュージアム(江戸東京博物館、東京都写真美術館、東京都現代美術館、東京都庭園美術館、東京都美術館、江戸東京たてもの園)が収蔵する資料・作品を、横断的に検索できるデータベース。「歌川国芳」と入力して検索すると、200件強の浮世絵がヒットする。
キーワードに「歌川国芳」と入力して検索すると、20件以上の浮世絵がヒットする。
ネット美術館「アートまとめん」より。
参考文献
- サンプルページ「歌川国芳」の項
- 「歌川国芳」の項
- 「歌川国芳」の項
- 「歌川国芳」の項
- 鈴木重三,平凡社
- 編集制作: 座右宝刊行会,集英社
- 小林忠 監修,平凡社17世紀後半・草創期の菱川師宣から鈴木春信,江戸の四大浮世絵師を経て,近代の河鍋暁斎,小林清親に至る50余名の浮世絵師を紹介す。(日本児童図書出版協会)
- 歌川国芳 [画],岩切友里子 監修,岩切友里子, 日本経済新聞社文化事業部 編,日本経済新聞社
- 歴史学研究会 編,岩波書店
- 責任表示
- 国立国会図書館
- 二次利用について
ただし、画像は個々の権利表示による
- 最終更新日
- 2026/02/03