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陸奥国津軽郡乃絵図 / 青森郷土館 所蔵

国絵図

江戸幕府が全国の大名に命じて作らせた国ごとの地図

江戸幕府の命で、諸大名らにより作成・提出された一国ごとの絵図。そのはじまりは、天正19年(1591)豊臣秀吉が全国の国絵図と検地帳の作成・提出を命じたもので、慶長9年(1604)には徳川家康が国絵図(「慶長国絵図」)・御前帳(ごぜんちょう、検地帳)の作成・提出を命じている。その後、正保元年(1644)、元禄9年(1696)、天保6年(1835)に国絵図作成の命が出され、「正保国絵図」「元禄国絵図」「天保国絵図」の提出が行われた。作成はその国に領地をもつ大名が担当し、複数の大名がいる場合は、担当大名が幕府から指定された。記載様式は「正保国絵図」作成の際に基本が定められた。彩色で、縮尺を1里(約4キロ)=6寸(約18センチ)に統一、国境・郡境を示し、主要交通路を朱線で表すなどの基準があり、俵形の村形に村名・村高が記されたうえ、各郡ごとに郡名・郡高と村数が記載されている。


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慶長国絵図、正保国絵図

元禄国絵図(内閣文庫蔵)

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様々な国絵図

出雲国を描いた国絵図。作成年代は不明。出雲国を12郡として描き、石高は「二十五万二千六百五十石七升二合」であることなどから、寛永13年(1636)出雲国十二郡図(島根県立博物館蔵)との関連性が推測される。一部の村形は黄色で着色されている。

本図は正保期の尾張国絵図を参照した簡略な国絵図である。同時期の写本と考えられる「近江国図」や「尾張国図」があるが、記載内容の違いも多い。ただし、輯製20万分の1作成時に地名確認のため参照された可能性が高い。熱田の近くに黄色の四角で「御殿」の記載がみられる点、愛知郡と知多郡には古城や寺社の後筆がみられる点に特色がある。

右余白には郡高、左余白には領主の所持高が記される。また右下の余白には、制作日として明和2年(1765)4月17日とある。遠江国は現静岡県西部。

西を上にした伊豆国(現静岡県)の絵図。多色刷りで、刊行年は嘉永2年(1849)。図中にある朱線は道筋を示し、それに沿って村名が小判型印の中に記されている。右下にある凡例には図中の地図記号や、和漢洋の学問に通じた水戸の鶴峯彦一郎(戊申)の名前を記載。

地図上にタイトルはなく、裏面および渋紙製の袋に同じ書き題がある。両国国絵図の集成図で、主要道1里山の記入、海岸の港泊、航海情報など正保国絵図系とみえるが、村形は郡別に色分けされているものの形は小型の円で、村名はその下方に表示されるなど、表現方法は定式とは異なる。渡河地点の注記もほとんどみられない。縮尺は1里6寸(1:21,600)。郡色分け、石高は河内と摂津それぞれ別位置に記載され、河内は色分けと石高のみであるが、摂津は石高、新田高、本村、枝村、小物成(米・銀)を記載する。また、摂津の一部では流路沿いに河川敷が明示され、低地に回らされた堤防も描かれる。

文政10年(1827)付の文書を流用した袋入り。書名は袋題。書名の6ヶ国以外に摂津・和泉・志摩の各国も描かれ、9ヶ国、すなわち紀伊半島全体を収録範囲とする。縮尺はおよそ1里0.5寸(1:259,200)。海路とその距離、湊の舟掛り情報(詳細)は正保国絵図の記載方法を備えるが、舟渡り、歩渡りの記入は少なく、郡界の表示は河内を除く書名の5国のみ、郡名は表示されているが、村形の彩色による郡の区別はなされず、国ごとに一色、また村形は円形で外側に村名を記入するなど変則的。紀伊国は村の記載が際立って詳細である。道路一里山の記載も紀伊国内に限られており、正保国絵図系ではあるが、紀州藩における何らかの使用目的に合わせた縮小・編集図であろう。

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  • 東京大学史料編纂所特別展示 「国絵図の世界」

  • 茨城県つくば市にある国土地理院のホームページに掲載された「古地図コレクション」のページ。国絵図が検索できる。

  • リサーチナビは図書館資料、ウェブサイト、各種データベース、関係機関情報を、特定のテーマ、資料群別に紹介。

参考文献

  1. 国絵図研究会 編,柏書房
  2. 加藤友康 [ほか]編,吉川弘文館
  3. 歴史学研究会 編,岩波書店