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梁楷款筆「雪景山水図軸 」(南宋時代・13世紀) / 東京国立博物館 所蔵

唐物

中国をはじめ外国から渡来した文物。絵画、磁器、漆器などの美術品が中心

中国や諸外国から渡来した品物の総称。「とうぶつ」ともいう。中国からの舶来品は『源氏物語』(若菜上)に「納殿(おさめどの)のからもの」と記されるように早くからみられ、鎌倉時代には栄西(えいさい)ら禅宗などの日中間の交流に伴って大陸の文物などが大量にもたらされ、いわば唐物趣味の流行が起こった。室町時代には絵画、磁器、漆器などの美術品が唐物と称され、その鑑識を担当する唐物奉行として能阿弥・芸阿弥ら同朋衆(どうぼうしゅう)が活躍した。足利将軍家歴代の所蔵品「東山御物(ごもつ)」は唐物がほとんどであった。侘茶(わびちゃ)が盛行するにいたって、唐物は狭義には唐物茶入をさすようになった。「とうぶつ」とする例は、中国以外の外国からの輸入品を含む場合があり、江戸時代以後の表現とされる。

関連するひと・もの・こと

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足利義政の同朋衆の一人、能阿弥の著と伝えられる『君台観左右帳記』。座敷飾りの秘伝書で、東山御物の基本となる中国絵画、墨跡、漆器、香炉、花瓶、茶壺、茶入などを集大成している。当時珍重された唐物の舶載状況、価値評価、飾り方などの実態を知るうえで貴重。「君台」は将軍の御座所、「左右帳記」は、その飾り方についての左右の侍者の帳記(記録)の意。原本はなく、流布する写本の系統に能阿弥本系と相阿弥(能阿弥の孫)本系がある。掲載の国会図書館本は、文明8年(1476)3月12日付の能阿弥奥書がある群書類従本で、能阿弥系を代表するもの。

寛政3 年(1791)。松平不昧(松江藩主松平治郷)が陶斎尚古老人の名で、茶湯の名物道具を集大成した『古今名物類聚』から、「大名物茶入之部 唐物」のうちの「油屋肩衝」の図。「油屋」の名称は、千利休の弟子で堺の町人、油屋常祐の名からという。

元禄3 年(1690)。元禄時代の風俗事典『人倫訓蒙図彙』から、唐物屋(からものや/とうぶつや)の店先の図。この場合の唐物は、「器(うつは)物、香具、革、紙、薬、墨、筆等万(よろづ)長崎着岸の物」で、それを商う店を唐物屋としている。

寛政10 年(1798)。唐物屋の店先。江戸時代の唐物を売買する店で、「異国新渡奇品珍物類 蝙蝠屋」という看板が掲げられている。店内ではエレキテル治療が行われ、コップやフラスコといったガラス製品、花瓶などの中国製陶磁器なども商っていた。この図の中では「唐物屋」ではなく、「唐高麗物屋(からこまものや)」と記されている。

大正4年(1922)刊、大阪。天目茶碗、唐物天目茶碗などを紹介する。

大正12年(1923)、大阪。

『大正名器鑑』に載る「油屋肩衝」の写真。同書は、三井家の重役をつとめて、益田孝や原三渓らと交友のあった実業家・茶人の高橋義雄(茶人号は箒庵)が大正15年(1926年)に刊行した茶器辞典。高橋は実業界を引退して茶人となる以前は、三井家の重役として近代化を進めた人物としても知られる。

大正15年(1926年)刊。『大正名器鑑』第2編の目次。そのうちに「漢作唐物文琳」「漢作唐物丸壺」「漢作唐物大海」「漢作唐物鶴首及鶴子」などや「唐物 雑」として唐物耳付や唐物驢蹄などの記載が見える。

昭和6年(1931)刊。「唐物直送永續一件留」「唐物屋」「サカイ表唐物一件書」「唐物徳用銀郷中配分割方勘定帳」など(目次より)。

昭和9年(1934)、国府村 (岡山県)。「唐物茶通箱の事」について記述する(目次より)。

昭和17年(1942)刊、京都。「唐物茶入が何故尊ばれたか」「東山御物」「茶碗の伝来―曜変天目」など(目次より)。

安永7年(1778)大坂町奉行の扱った出所不正之唐物(再犯)などが記録されている。『仕置例類集』は、各奉行から老中に仕置の伺をたてたもののなかから、老中が評定所に諮問した事件について、評定所が行なった評議例を整理分類したもの。先例を集め、裁判の準則としたものであり、先例を重んじた江戸時代の司法運営の実態を知ることが出来る貴重なものである。164冊(現在273冊に分冊)。  

『類集撰要』は江戸幕府が分類・編纂した法令集。宝永(1704-1710)の頃から天保(1830-1842)のはじめにいたる町触や令達などを編纂したもの。50冊。本図の表紙には「産物」の次に「唐物」が見える。

享和3年(1803)。

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国宝。筆者の梁楷(りょうかい)は南宋の嘉泰年間(1201~04)頃の画院画家。本図は梁楷の代表作で、足利将軍家の東山御物(ひがしやまごもつ)として出山釈迦図を中幅とする三幅対として鑑賞されていた。

国宝。左図と同じ梁楷筆で、本図を中幅とする三幅対として鑑賞されており、足利将軍家の東山御物(ひがしやまごもつ)であった。

国宝。左の二つの図とともに、足利義満の収蔵品として東山御物(ひがしやまごもつ)となっている。ただし、この作品のみが伝梁楷筆である。

『筆耕園』は、室町時代以降に渡来した中国絵画を集成して手鑑としたものとされる重要文化財で、東京国立博物館所蔵。「木鳥図」は中国の南宋~明時代(13~17世紀)のもので、林良筆と伝える。

「木鳥図」と同じ『筆耕園』所載の作品。「牡丹蝶図」は中国の南宋~明時代(13~17世紀)のもので、沈孟堅筆と伝える。

南宋、13世紀。天目茶碗をのせるための杯台。大勢で卓を囲み、飲食を楽しむようになった唐・宋時代から、貴族の間で流行した器種である。

南宋~元、13世紀。この形の茶入は、「肩が衝(つ)く」つまり肩が張っているところから「肩衝(かたつき)茶入」という。原物は文政12年(1829)の江戸大火の際に大破したが、詳細な図に基いて復元がなされた。利休以前に選定された大名物のひとつ。

南宋~元、13~14世紀。

元~明、14~15世紀。象の頭部をかたどった耳が特徴的な青磁花入。金属器に倣った洗練された形と青い釉が美しい。こうした中国製青磁や古銅の花入は、江戸時代以降、唐物第一とする将軍家、大名家においてとりわけ珍重された。本作品は茶人としても知られた古美術商広田不孤斎旧蔵品。

元~明、14-15世紀。見込から口縁にかけて湾曲した鍔をもつ木胎丸形盆。口縁は黄色の金属覆輪をつける。桐箱の蓋裏に「唐物存生盆」の墨書がある。表の見込から鍔表、鍔裏にかけて黒・朱・白・緑の複雑な木目状の塗り、裏の碁笥底内は朱塗り。碁笥底以外の鍔の表裏、見込全体に黄褐色の透明な塗膜に覆われている。現在見られる一般的な木目塗とは異なった複雑な文様表現が本作にはおこなわれており、他に類例のないものである。

中国から輸入した宋から元代の褐釉(かつゆう)茶入。狭義には、安土桃山時代以降に舶来したものを唐物茶入という。

明、15~16世紀。堆朱(ついしゅ)は、朱漆を塗り重ねた層を彫って図柄を表わす技法で、中国の伝統的な漆芸技法の一つ。日本ではとくに室町時代以降の唐物を尊重する風潮の中で、堆朱の器物がもてはやされた。名物記や桃山時代の茶会記には、大名物の居布袋(すわりほてい)図堆朱香合(徳川美術館蔵)をはじめ、堆朱と考えられる香合が多く見い出される。

明、17世紀。炭取(すみとり、炭斗)は、炉中に炭をつぐ炭点前(すみてまえ)のさいに、炭や羽箒、火箸、鐶、釜敷、香合などを組んで運ぶための容器をいう。一般に、竹や藤で編んだ籠状で身の深いものが用いられ、この作品のように中国製の、いわゆる唐物と伝わるものがとくに珍重される。

炭斗(すみとり、炭取)は、炭点前(てまえ)のさいに、炭、火箸、釜敷、香合などを組んで運ぶための容器。

明、16~17世紀。香合(こうごう)は茶道具の一つで、香を収納する蓋付きの小さな容器。

安土桃山~江戸時代、16~17世紀。この作品は唐津焼の和物茶入。唐物茶入を最高位としていた当時にあって、この作品は桃山様式ならではのもの。

明末の天啓年間(1620-1627)の頃に作られた青花に上絵付けを施したものを「天啓赤絵」という。平鉢の口と底の周囲に鋲(びょう)のような装飾が施されており、日本ではこの形状から銅鑼鉢(どらばち)と呼ぶ。

歌川貞秀(さだひで、1807 - 1879年)は江戸時代後期から明治時代にかけての浮世絵師。

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  • 梁楷(りょうかい)筆の「雪景山水図」と「出山釈迦図」、伝梁楷筆「雪景山水図」(いずれも国宝)など多くの唐物を所蔵する。

  • 平安時代から江戸時代の京都文化を中心とした文化財を取り扱う地域に根ざした博物館です。

  • 2007年9月から10月にかけて行われた展示についてのサイト。展示作品リストとともに一部の作品画像を見ることができる。

  • 2007年9月から11月にかけて行われた展示についてのサイト。展示作品リストとともに一部の作品画像を見ることができる。

参考文献