チョウ目アゲハチョウ上科などに属する昆虫の総称。蝶類、胡蝶、蝶々など、古くは「かわびらこ」ともいう。世界各地に1万7600種ほどの蝶が生息するといわれ、日本では国蝶のオオムラサキのほか、モンシロチョウ、キチョウ、ナミアゲハ、カラスアゲハなど9科約250種が知られる。体は一般に細長く、胸部の二対の葉状の羽は鱗粉と鱗毛で彩られる。頭部には一対の棍棒状の触角、一対の複眼と単眼をそなえ、蜜や樹液を吸うに適したぜんまい状の口器がある。多くは昼間に活動し、ものに止まるときは羽を背上に立てる。幼虫は芋虫、青虫、毛虫と呼ばれて草木を食い、のち蛹に変態し、さらに成虫となる。
蝶は8世紀の『懐風藻』など漢詩で扱われるが、『万葉集』をはじめ『古今和歌集』『新古今和歌集』などで詠まれることはなく、中世の絵巻物にも蝶がほとんど現れないという。その背景に、蝶が人の魂と考えられ、むしろ不吉とする信仰があって、忌み言葉ですらあったらしい。美しい女のたとえとしてもみえるが、その美しさにものの恐ろしさを感じる時代もあった。『荘子』の伝える「胡蝶の夢」の故事も霊魂が蝶に姿を変えるものであるが、日本では死霊の化身とする信仰が各地でみられ、お盆の頃の黒い蝶に仏が乗っていると信じられてきた。夜更けの道で無数に舞う白い蝶に遭うと病気を患って死ぬという伝承もある。
一方では『今昔物語集』の「色々の瑠璃の蝶の簪」など古くから装飾の題材や意匠となっており、花札の「牡丹に蝶」や、婚礼などの祝宴で飾る蝶花形、家紋の「対い蝶」「揚羽の蝶」「源氏蝶」「結び蝶」など暮らしの中で親しまれてきた。昆虫採集とその蒐集としても身近で好まれてきたが、トリバネチョウなどその採集により絶滅の危機に瀕した種もある。
関連するひと・もの・こと
蛍狩り、蛍合戦など夏の風物詩として親しまれ、日本の暮らしや文化の中に生きる甲虫。蝶の舞う姿、蛍の放つ光に人の魂、霊魂をみる伝承がある。
金銀などの細かい粒子を使い、漆器の表面に装飾をほどこす日本を代表する漆芸技法。古くから蝶の意匠を用いた作品が多く見られる
「着物」と呼ばれる日本の民族衣装の基になった衣服。鎌倉時代以降は武士から庶民に至るまで浸透した。蝶の文様が多く見られる
京友禅、加賀友禅で知られる。江戸中期以降に発達、普及した文様染で、手描き、糊(のり)防染による彩色が特徴。江戸時代の友禅の雛形本に蝶の文様が見える
本で知る
図譜、図説、図鑑類の蝶
[中村[テキ]斎] [編],山形屋
江戸時代の図解事典。20巻。中村惕斎(てきさい)著。寛文6年(1666)成立。天文・地理・動植物などについての精確な図に和名・漢名・注記を付した啓蒙書。
寺島良安 編,秋田屋太右衛門 [ほか]
江戸時代中期の図入り百科事典。編者は大坂の医師・寺島良安(1654年 - 没年未詳)。巻五二の「卵性虫類」に「蝶」の項目が掲載されている。
毘留舎耶谷 纂輯
著者は西美濃養老の真泉寺住職玄香(?-1749)らしい。自序は享保16年(1731)であるが、本文中の年記は享保8年(1723)から寛延1年(1748)に及び、植物377品・動物90品を写生している。大半は特徴がよく描かれ、暖かみのある良い図が多い。散策あるいは近辺の寺院への往還での写生で、当時の植物相を知る好材料であろう。動物では蝶類の図が優れ、とくに「錦蝶」(冊1画部の第4面左頁)は日本最古で、かつ江戸時代随一の正確なギフチョウ図である。小野蘭山が朱筆(自筆)で品名を考定あるいは訂正しているが、蘭山にいつ頃、誰が依頼したかなど、詳しい経緯は明らかでない。なお、図のうち433点が、飯沼慾斎画『本草図譜』に転写されている。(磯野直秀)
『庶物類纂』は、加賀藩主前田綱紀が京都の本草学者稲生若水(1655 - 1715)を招いて編纂した博物書。延享4年(1747)完成。中国古典籍類などから動物植物鉱物の記事を集成、分類し、実物によって検証したもので、日本の博物学史上画期的な業績。若水は編纂中に没したが、その後は幕府の官撰事業として若水門下の官医丹羽正伯らが引き継ぎ、全1054巻をもって完成とした。全体を26属(草、花、鱗、介、羽、毛、水、火、土、石、金、玉、竹、穀、菽 、蔬 、海菜、水菜、菌、蓏 、造醸、虫、木、蛇、果、味)に分類。正伯が幕府に献上した浄書本465冊が江戸城紅葉山文庫に保存され、のち内閣文庫に伝来した。重要文化財。
栗本丹洲 著,服部雪齋 [写]
本資料は幕医栗本丹洲(4代瑞見、1756 - 1834)が描いた虫類の彩色図説である。『栗氏虫譜』『丹洲虫譜』の題をもつ資料も少なくない。自序は文化8年(1811)だが、没する直前まで描き続けられた。「虫」というが、昆虫だけでなく、当時の分類概念にしたがって、クモ・ムカデはもちろん、クラゲ・ヒトデ・ナマコからヘビ・トカゲ・カエル・イモリ・サンショウウオ・タツノオトシゴ・コウモリ・カッパまで含み、一般には「介類」に入れるカニ・エビ・ウニまで描かれている。しかし、配列に分類的配慮は無く、雑然と並べられている。これが日本最初の虫類図譜だったので、転写本が次々に作られ、現存写本も数多いが、所収品数や配列は資料ごとに異なり、転写図の巧拙はさらに違いが著しい。当館も5点を所蔵するが図の出来はさまざまで、本資料が、他館資料を含めて最良の転写本と思われる。これは、幕医久志本左京(号、緑漪軒[りょくいけん])の依頼で博物画の名手服部雪斎が写したもので、底本はおそらく丹洲の原本。所収数は645で、原本のほぼ全てであろう。:『参考書誌研究』44号、『栗氏千虫譜』解題参照(磯野直秀)
写
江戸時代後期の大名、近江国宮川藩主堀田正民(ほったまさたみ)が著した蜻蛉(トンボ)・蝶・蛾の彩色図譜。正民は子どもの頃から絵画を得意とし、写生画を多く描いた。本資料は、鮮やかな色彩と精密な描写で蝶や蛾の姿を描いている。
小塩五郎 寫生,小塩五郎
小塩五郎は尾張藩士の家に生まれ、幕末から明治時代にかけて活躍した本草学者。『昆蟲圖譜』は、小塩の昆虫の写生図を植物学者の伊藤篤太郎が編集したもの。
プライル 原著,小塩五郎
明治24年(1891)刊。英国人プライル氏原著。小塩五郎写。小塩五郎は尾張藩士の家に生まれ、幕末から明治時代にかけて活躍した本草学者。
宮島幹之助 著,成美堂[ほか]
明治37年(1904)に刊行された日本産蝶類に関する解説書。「第一 形態及生態」「第二 採集、保存及飼養法」「第三 蝶類の分類」の三章から成る。著者の宮島幹之助は、明治~昭和期の動物学者で、マラリア・ツツガムシ病などの媒介体の研究で知られる。
今村猛雄 著,金子忠三郎
今村猛雄、金子忠三郎、明治37年(1904)、東京
松村松年 著,警醒社
明治38年(1905)に刊行された日本産昆虫の目録。著者の松村松年は、日本の近代昆虫学の基礎を築き、「日本昆虫学の祖」と称される。
名和昆虫研究所編輯部 編,名和昆虫研究所
名和昆虫研究所編輯部編、名和昆虫研究所、明治42年(1909)、岐阜
名和昆虫研究所工芸所
名和昆虫研究所工芸所、明治42年(1909)、岐阜
松村松年 著,春陽堂教育図書出版部
昭和6年(1931)に刊行された日本産昆虫の図説。第一巻は蝶を紹介する。著者の松村松年は、日本の近代昆虫学の基礎を築き、「日本昆虫学の祖」と称される。
松村松年 著,刀江書院
昭和10年(1935)に刊行された日本産昆虫の図鑑。著者の松村松年は、日本の近代昆虫学の基礎を築き、「日本昆虫学の祖」と称される。
平山修次郎 著,三省堂
昭和14年(1939)に刊行。カラー写真を掲載した蝶類の図鑑。著者の平山修次郎は大正~昭和期の昆虫学者で、東京都三鷹市井の頭に、私設博物館「平山昆虫博物館」を開館。カラー写真を多く掲載した『原色千種昆虫図譜』はベストセラーとなり、漫画家・手塚治虫にも影響を与えた。
史書・古典にみえる蝶
『万葉集』巻5雑歌に「庭舞新蝶空帰古鴈」とみえる。天平13年(730)正月大宰帥旅人卿の邸宅に集まって宴会を開くと、折しも梅が白く咲き、蘭が香り、また庭には蝶が舞うという。この国立国会図書館所蔵本は、『万葉集』最古の、慶長年間(1596 - 1615)の刊本で、伏見版(円光寺版)の木活字を使用し、不足の文字を新雕し印行したものとされる。万葉仮名の本文のみで、無訓本と通称されるもの。第8冊巻第17は一部飛び丁付(丁付:1-40,51-60)、巻第18の第31、32丁は欠。実業家・古書収集家高木利太(1871-1933)旧蔵。
[出版者不明]
遣唐使の清原俊蔭は難船して波斯国に漂着、琴の名器を得て帰国する。その間、天人・仙人から秘琴の技を伝えられるが、花の上に下りきたった天人が俊蔭に「蝶、鳥」さえも飛んでこない神聖な場所になぜ住むのかと訊ねている。『うつほ(宇津保)物語』(20巻)は10世紀末頃の成立で、日本の長編小説のはじめとされる。古写本は最初の巻の「俊蔭」以外になく、掲出本はその俊蔭巻のみを古活字版として刊行したもので、元和・寛永年間(1615 - 1624)の刊行とみられる。第2種本で、ところどころに附訓活字を交える。英国人言語学者で日本古典籍の収集家であったフランク・ホーレー(1906-61)旧蔵。同種伝本は稀で、九州大学、大東急記念文庫に所蔵。
写
『堤中納言物語』に、人びとが花よ蝶よともてはやすのは浅はかで馬鹿らしいという姫君は、恐ろしげな虫を集めてその変化するさまをみようと籠に入れ、見守っているという。幕末・明治時代の国学者榊原芳野(1832 - 81)の旧蔵書である10冊本。『堤中納言物語』の伝本は分冊数によって十冊本・二冊本・一冊本に分かれるが、当該本はそのうち善本が比較的多く備わる十冊本に属し、かつ現存本のうちで最も書写年代の古い松平本(近世初期写)に近い本文をもつとされる。ただし、「むしめづるひめ君」「おもはぬ方にとまりする少将」の2冊については料紙・筆者を異にする補写本であり、その本文は一冊本に属する清水浜臣(1776 - 1824)奥書本に類する。
清少納言 [著]
『枕草子』の「虫は」の段に、虫は鈴虫、蜩、蝶、松虫、きりぎりす、われから、などがしみじみした感じがするとみえる。この国立国会図書館所蔵本は、寛永年間(1624 - 44)刊と推定される平仮名交じり13行の古活字本。書名は通称による。各巻末書名は「清小納言」。川瀬一馬著『増補古活字版之研究』にいう第3種本の(イ)種に属するもの。慶長期(1596 - 1615)刊とされる10行本、慶長・元和(1596 - 1624)頃刊の12行本に続いて刊行され、慶安2年(1649)刊の整版本のもととなった。本文は、近世において流布本の位置にあった伝能因所持本系統。巻1‐3の見返しに「敬茂」と墨書されている。幕末・明治初期の国学者榊原芳野(1832 - 81)の旧蔵書で、ほかに2種の印記がある。
〔紫式部//著〕
『源氏物語』胡蝶の巻に、供養のために鳥の装束と蝶の装束に分けた容姿のすぐれた女童八人を揃えたことがみえる。慶長年間(1596 - 1615)刊の古活字版。『源氏物語』の最初の刊本とされ、平仮名活字を使用した本としてももっとも初期のものといわれる。他に知られる伝本は、阪本龍門文庫および実践女子大学図書館の所蔵本のみ。両者とも欠本があるのに対し、本書は全冊揃いで、保存の良い美本である。ただし、「夕顔」全冊と「蛍」「野分」「柏木」に補写がある。料紙や筆跡はもとの刊本とよく似ていて、刊年に近い時期の補写と考えられる。
高野辰之 編,春秋社
平安時代の今様歌謡集『梁塵秘抄』の四句神歌(雑)に、よくよくめでたく舞ふものは、として、花の園には蝶、小鳥とみえる。
内藤丈草 [著],野田別天楼 編,雁来紅社
内藤丈草の句に、大原や蝶の出て舞ふおぼろ月、がある。朧月夜に舞う白い蝶の姿は目の前の光景でありながら、幻想的な世界へと誘うような力があるという。内藤丈草(じょうそう、1662 - 1704)は江戸時代前期・中期の俳人、蕉門十哲の一人。
井原西鶴 作,北条団水 編,池田屋三良右衛門
江戸時代前期の浮世草子作者・俳人の井原西鶴の『万の文反古』(桜よし野山難儀の冬)に、儚い仮の世とは兼ねてより覚悟しているところ、百年三万六千日生きたとしても、胡蝶のむなしく春を生きるに似ている、とみえる。この国立国会図書館所蔵本は正徳2年(1712)大坂の出版のもの。
蝶をあつかった図案集
浅井了意
寛文7年(1667)に刊行された初期の衣裳雛形本。7種の蝶の文様を掲載。浅井了意編。中本(16.8×12cm)。上巻50丁、下巻50丁に、丁の表と裏に各一図、計200の衣裳の図案を描き、それぞれに模様の名称と染色の簡単な注記を付したもので、その内、上巻18図、下巻23図、全体の五分の一は薄青・薄朱・薄黄緑の色刷りが施される。(2色以上の板を重ねた多色刷りではなく、本来墨摺りであるところを単色の色刷りにしただけのものである。)本書の初版は寛文6年(1666)山田市郎兵衛版で、この初版は色刷りではない。序に「その往昔の模様を加えず」とあり、寛文期の衣裳模様を描いたもので、その水準の高さを示す資料である。名古屋の貸本屋大野屋惣八の印を捺す。
菱川師宣 画,鱗形屋
菱川師宣画による衣裳雛形本(天和4年(1684)鱗形屋刊)が紹介する蝶の模様。頭書に染め方の解説があり、ここでは地は憲法色(赤みを帯びた濃い茶色)または青茶色、蝶の模様は、浅鹿子と紅鹿子を白く括り染にして、三色を取り合わせる、という指示が書かれている。全体に片面1図の衣裳模様を、上巻28図、下巻26図載せるが、寛文7年(1667)刊の浅井了意著の『新撰御ひいながた』より記述は詳しい。
稀書複製会 編,米山堂
貞享 5 年(1688)に刊行された衣裳雛形本。元禄期(1688 - 1704)に人気を博した友禅染の技法や意匠を掲載。蝶の意匠が見られる。
華本安次朗 編,華本文昌堂
明治17年(1884)刊、大阪。
藤谷伊兵衛 編,風祥堂
明治22年(1889)刊、京都。
田中幽峰 著,五洞館
田中幽峰、五洞館、明治29年(1896)、京都
六角紫水 (注多郎) 編,山田芸艸堂
明治31~35年(1902)刊、京都
神阪雪佳 著,山田芸艸堂
明治37年(1904)刊行。明治~昭和時代に活躍した、日本画家・図案家の神阪雪佳による蝶の図案集。
もっと知りたい
絵画に描かれた蝶(日本)
円山応挙
江戸時代中期の画家で、円山派の始祖・円山応挙(1733 – 95)の写生画。応挙は狩野派に学んだのち、西洋画の遠近法などをとりいれた写実的な画風を創出。精密な写生を基本とし、数多くの昆虫類の写生を残している。
円山応挙
江戸時代中期の画家で、円山派の始祖・円山応挙(1733 – 95)の写生画。応挙は狩野派に学んだのち、西洋画の遠近法などをとりいれた写実的な画風を創出。精密な写生を基本とし、数多くの昆虫類の写生を残している。
木村蒹葭堂
木村蒹葭堂(けんかどう、1736 - 1802)は江戸時代中期の大坂の文人、画家、本草学者。大坂堀江で酒造業を営むかたわら、本草学・絵画・詩文を学び、書画や骨董を収集。当時の知識人のサロンの主宰者のような立場だった。
増山雪斎
伊勢長島藩主で画家の増山雪斎(1754 - 1819)が描いた博物図譜。春・夏・秋・冬の四帖の部立てから成り、春の帖は蝶のみを収録。各図には写生の日付や書き入れがある。雪斎は清朝の画家・沈南蘋の写生体を学び、精緻な花鳥画を多く描いた。
長澤蘆雪 NAGASAWA Rosetsu,Roses, Butterfly and Puppies,color on silk,木村定三コレクション / Kimura Teizo Collection
長沢蘆雪(ろせつ、1754 - 99)は、江戸時代中期、京都画壇で活躍した画家。円山応挙に師事して頭角をあらわしたと伝えられる。奇抜な発想と大胆な画面構成で独自の画境を開き、花鳥・動物・人物画などを描いた。無量寺・草堂寺・大乗寺などに、障壁画の優作を残す。
窪俊満,五夢窓 枕 波近、優々亭 嬉野 事簗
窪俊満(しゅんまん、1757 - 1820)は江戸時代の浮世絵師、戯作者、歌人。北尾重政の門人。
葛飾北斎
江戸時代後期の浮世絵師で、「富嶽三十六景」などの傑作を残した葛飾北斎(1760 - 1849)の作。「北斎花鳥画集」(全10図)の一枚。牡丹の花と蝶が繊細に描かれている。「富嶽三十六景」と同じ頃に出版されたと考えられる。
筆者不詳,Artist unknown,東京国立博物館,Tokyo National Museum
大きな樹木を描かずに、渓流に続く水辺に草花と小禽や虫を配したいわゆる「四季花鳥図屏風」。岩の表現などから狩野派の絵師による作品と考えられ、安土桃山時代絵画の特色につながる豪壮華麗な画風の萌芽がうかがえる。
酒井抱一
酒井抱一(1761 - 1828)は江戸時代後期の画家・俳人。姫路城主酒井忠以(ただざね)の弟で、江戸生まれ。絵を狩野派、円山派をはじめとした諸派に学んだのち、尾形光琳に私淑。琳派の装飾性の中に繊細な感覚をもりこんだ独自の画風を形成した。
狩野〈伊川院〉栄信筆,By Kanō Naganobu (1775–1828),東京国立博物館,Tokyo National Museum
狩野栄信(ながのぶ、1775 - 1828)は江戸時代後期の絵師。左は夏、右は秋の花々。諸所に描きこまれた昆虫を探してみていただきたい。いったい何種類だろう?中国宋代以来の常州草蟲(じょうしゅうそうちゅう)画に触発された制作と目される。草花はまるで生け花のように根元を束ねて整形され、色彩も鮮やかで明るく、和風に変容している。
林十江筆,By Hayashi Jikkō (1778–1813),東京国立博物館,Tokyo National Museum
林十江(じっこう、1778 –1813)は江戸時代中期・後期の日本の南画家、篆刻家。蝦蟇が片足立ちで蝶に飛びかかろうとする。水戸の奇才、十江の奔放な造形を楽しみたい。蝦蟇は濃淡の墨と淡彩で質感を表わし、蝶は極細線で優美に描く。実は、周到な描写なのだ。画中の文字「草巷販夫(そうこうはんぷ)」は十江の別号、「南柯(の夢)」は栄華のむなしさのたとえ。
広重〈1〉,有永堂 有田屋清右衛門
「東海道五十三次」など風景画シリーズで人気を博した歌川広重(1797 - 1858)の作。はじめ役者絵、ついで美人画に手をそめ、文政11年(1828)頃から風景画を主とし、天保1年(1830)頃から花鳥図を描くようになったとされる。
広重〈1〉, -
「東海道五十三次」など風景画シリーズで人気を博した歌川広重(1797 - 1858)の作。天保1年(1830)頃から花鳥図を描くようになったとされる。
国芳, 丸屋清次郎
歌川国芳(くによし、1798 - 1861)は江戸時代末期の浮世絵師。武者絵の国芳とよばれるが、その作域は広範にわたり、風景画、美人画、役者絵、花鳥画、戯画、版本の挿絵、肉筆画に及び、また風刺画などにも活躍した。
酒井鴬浦
酒井鶯蒲(おうほ、1808 - 41)は江戸時代後期の僧、江戸琳派の絵師。鴬浦は琳派の酒井抱一の養子となり、画法を学んだ。抱一の没後、二世となり、雨華庵をついだ。
貞信
大判錦絵。長谷川貞信(1809 - 79)は江戸時代後期から明治時代にかけて大坂で活躍した浮世絵師。
上村松園,Uemura Shoen
上村松園(うえむらしょうえん、1875 - 1949)は明治後期から昭和初期にかけて美人画を発表。膝の上に本をおき読みふける一時の何気ない女性のしぐさをとらえている。口許にあてた袖が、女性のほのかな恥じらいを感じさせ、清らかな気品を漂わせる。結髪や髪飾り、服飾の表現にも余念がなく、江戸後期に広く親しまれた「島田くずし」の結髪に、櫛、笄、簪を見事に飾る。着物の配色もよく、蝶の金文様の入った赤い帯が若葉色の着物をより際立たせている。
暁山, 大倉孫兵衛
工芸品に描かれた蝶(日本・染織)
東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 室町時代、15世紀。白く蝶の模様が染め上がった胴着。袍(ほう)と下襲(したがさね)の間に着用するもので、袖無・垂領(たりくび)で裾襞(すそひだ)がつく。
鶴田泰雄氏寄贈,Gift of Mr. Tsuruta Yasuo,東京国立博物館,Tokyo National Museum
安土桃山時代、16世紀。織田家の家紋である揚羽蝶(あげはちょう)の模様を、羽毛を埋め込んで表した陣羽織。鳥の羽で全身を埋めて模様を表した陣羽織は他に3例ほど確認され、戦国~安土桃山時代に流行したと考えられる。中でも、羽の形状を効果的に用いて繊細に模様を表した名品である。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代、18世紀。唐織はおもに女性役を演じる際の表着。縫取織による華やかな模様が特色で、秋草と蝶を組み合わせた模様は能装束に好まれた。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代、18世紀。若い女性の役を演じる際に着用する紅入の唐織。経糸を締め切りにして紅と淡茶の段に染め分け、紅地の部分には金糸で石畳模様が全面に織り出されている。このように絢爛豪華な金唐織が織られるようになったのは、元禄期(1688~1704)以降である。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代、18世紀。唐織は女性を演じる際に着用する表着(うわぎ)で、若い女性役には紅入(いろいり)が用いられる。紅と白を段にした地色は中世のキモノのデザイン様式を復古的に表わした能装束独特の様式である。撫子や蝶をあしらった優美な模様は貴族女性よりも里女の着流しにふさわしい。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代、18世紀。現状は擦れて剥げ落ちているが、地の部分には全面に金箔が押されている。このように胴体を金箔で覆うことから江戸時代には「胴箔」と称された。菖蒲(あやめ)・撫子(なでしこ)・萩・菊・女郎花(おみなえし)など四季折々の花を乗せた車に蝶が飛び交う模様は鬘物(かつらもの)にふさわしく優美である。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代、18世紀。長絹は、本来、公家や武家の元服前に着用する上衣であったが、能においては、天女や白拍子といった舞を舞う女性役や公達役などが着用する。薄物の広い袖を翻して舞う姿が美しい。この長絹は朝鮮から舶載されたと考えられる珍しい裂(きれ)で仕立てられている。 長絹(ちょうけん)と呼ばれる能装束のひとつです。もともとは公家の少年が着るものでしたが、能では、主に舞を舞う女性役が用います。たっぷりとした袖は舞の動きとともにひるがえり、舞台の上で効果的に映えるでしょう。 薄く軽やかな紗(しゃ)という紺色の地に桃の実と牡丹の唐草が織り出され、周りには蝶と鳥が飛んでいます。金やさまざまな色の糸が使われており、華やかな印象です。日本の織物には見られないデザインで、おそらくは朝鮮から渡ってきたものでしょう。舶来の絹織物で仕立てられるのは、女性役の装束としては珍しいことです。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代、18世紀。打掛とは、間着(あいぎ)と称する小袖の上に着用する表着(うわぎ)のことである。江戸時代後期になると、裾の袘(ふき)に分厚く綿を入れ、裾を長く引きずるようになった。武家女性が着用したと考えられるこの打掛は、繻子地に模様を織り出した繻珍と称される錦製である。
高木キヨウ氏寄贈,Gift of Ms. Takagi Kiyō,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代、19世紀。小忌衣(おみごろも)の丈が短いものが半小忌衣である。小忌衣は武将や貴人役の部屋着として用いられる歌舞伎独特の衣装。徳川第11代将軍家斉の娘、末姫(1817~72)の前で演じられた舞台「本朝二四孝」で暗闘・小山田太郎役に用いられたと伝えられる。
高木キヨウ氏寄贈,Gift of Ms. Takagi Kiyō,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代、19世紀。「京鹿子娘道成寺」に用いられた襦袢のうちの一つ。椿・桜・菖蒲・紅葉など花の丸紋を刺繍であらわし、坂東三津江の家紋である茗荷を象った蝶模様を刺繍で描く。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代、19世紀。打掛とは、春・秋・冬にかけて間着(あいぎ)と呼ばれる小袖の上に羽織る、綿入りの小袖のこと。江戸時代後期になると、裾の袘に厚く綿を入れ、裾を長く引いて着用するようになった。1メートル近くある長い振袖も江戸時代後期の特色である。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代、19世紀。露がおりた牡丹花に蝶が飛び交い、小さな瀧を幾重も重ねて落ちて行く流水の模様を藍で染めた腰模様の帷子。玉子色と葡萄色を牡丹花や葉に部分的に挿す。五所紋には藍で三つ葉葵紋が染められる。振袖であるから成人前の女性が着用した夏の料である。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代、19世紀。源氏香とは、源氏物語にちなみ、最初の「桐壺」と最後の「夢浮橋(ゆめのうきはし)」をのぞいた52組の組香を判別し、52の巻に当てた図で回答するというゲームである。江戸時代中期から後期には、源氏香の図がデザインされた小袖がしばしば見られるようになった。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代、19世紀。下帯とは、武家女性の打掛の下に着用するきもの(間着)を締める帯のこと。模様は打掛の模様に準じ、刺繍の総模様であらわされる。絹地には光沢の美しい繻子(サテン)が用いられた。雪をかぶった竹の直線的な模様が凛然として武家女性にふさわしい。
高木キヨウ氏寄贈,Gift of Ms. Takagi Kiyo,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代、19世紀。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代、18世紀。
東京国立博物館
東京国立博物館
福中幸三氏寄贈,東京国立博物館
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代、19世紀。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代、19世紀。
京都国立博物館 Kyoto National Museum
江戸時代
工芸品に描かれた蝶(日本・漆工)
奈良国立博物館,Nara National Museum
【国宝】 平安時代(12世紀)。鞣(なめ)した獣皮を型に張り成形したのち漆で塗り固めて作る、漆皮(しっぴ)製の経箱。漆皮箱は正倉院宝物に四十点に及ぶ例が知られるように、奈良時代には盛行したものであるが、平安時代に至ると木胎(もくたい)が多くなり、漆皮は衰えたとみえる。本品が平安時代後半期における漆皮箱唯一の遺品であろう。本品は長方形の被蓋造(かぶせぶたづくり)。蓋にはわずかに甲盛(こうもり)を持たせ、蓋表の稜線際(りょうせんぎわ)に小さな段を設ける塵居(ちりい)を作り出し、角を丸めて仕上げている。身には対葉花文(たいようかもん)をあしらった四弁宝相華形(しべんほうそうげがた)の金銅製紐金具(こんどうせいひもかなぐ)を取り付ける。蓋と身の外面は、中央と四隅を意識してバランスよく折枝文(せっしもん)風の蓮唐草文(はすからくさもん)を配置し、その間に軽妙に蝶を舞わせて、金粉をまばらに蒔く平塵地(へいじんじ)で仕上げている。身の内面は黒漆塗とするが、蓋裏はごく淡い塵地(ちりじ)に様々なパターンの羽を持つ蝶を不規則に散らしており、外面は奈良時代以来の古様な幾何学的配置であるのに対し、内面は散らし文という平安時代の工芸品の雰囲気を示し、内外面で異なる印象を与えている。また蓮華唐草文や蝶といった文様は、黄みのある金と、金と銀の合金から作る冷たく青みがかった発色の青金(あおきん)とを、効果的に蒔(ま)き分けて表している。平安時代、法華経信仰は貴族社会に浸透し、経典のみならずその容器にも意を尽くし、美麗(びれい)をきわめた経箱を生み出すに至った。本品もその意匠と箱の大きさから、法華経八巻を納めていたと推測できる。もと福井県小浜市の神宮寺(じんぐうじ)に伝わったものである。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
安土桃山時代(16~17世紀)。カトリック諸国からの注文により制作された輸出漆器の典型作。画像は聖ステファノが石打ちに遭って殉教する『新約聖書』の一場面。スペインの植民地だったメキシコの先住民の伝統技法「羽根モザイク」で表されている。
江戸時代(18世紀)。徳川家の紋の三葉葵と、全面に蜻蛉と蝶を平蒔絵で描いた兜で、徳川家ゆかりのものと推測される。室町時代末期以降、甲冑の意匠が自由に表現されるようになり、江戸時代には張子作りの型に漆を塗った張懸兜が精巧を極めた。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(18世紀)。戦野を疾駆する武士達の必需品であった鞍も、泰平の世が続くとともに次第に身辺を飾る道具としての性格が濃くなり、華美な装いが凝らされるようになった。これもその典型的な例で、金銀の高蒔絵を用いて表面全体に菊唐草と蝶が賑やかに描かれている。
銘 賀州住政平作,Signed Gashu-ju Masahira Saku
江戸時代(18世紀)。鐙(あぶみ)は、鞍の両側に一個ずつ吊り下げて騎上者が安定するように足を踏み掛けるもの。作者は、銘により賀州(現在の石川県南部)に住した江戸時代中期頃の加賀鐙の製作者である政平とわかる。鐙の外側は、鉄錆地に銀の象嵌で一面に蝶と唐花模様が丹念にあしらわれ、鐙の踏込みには、黒漆地に金と銀の平蒔絵で蝶の文様を施した江戸時代特有の装飾性豊かな作品である。
小西康仁氏寄贈,Gift of Mr. Konishi Yasuhito,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(19世紀)。見込みには、漆絵と密陀絵、金平蒔絵を用いて、梅と笹・椿・百合などに蝶の図を表わす。江戸時代後期には桐油などに顔料を混ぜて描く密陀絵の技法がよく用いられるようになった。
沢田宗沢斎作,By Sawada Sōtakusai (1830–1915),シカゴ・コロンブス世界博覧会事務局,Gift of Japan Delegate Office for World's Columbian Exposition, Chicago,東京国立博物館,Tokyo National Museum
明治25年(1892)。沢田宗沢斎(さわだそうたくさい)は幼少より加賀蒔絵を学んだといい、その伝統をうけついだ精巧な作品を多く残している。内外の博覧会や競技会によく出品、受賞しており、近代蒔絵の三大中心地の一つ、金沢の代表的な蒔絵師といえよう。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
鎌倉時代(13世紀)
紐通し朱漆銘「塩見政誠」,クインシー・A.ショー氏寄贈,Gift of Mr. Quincy A. Shaw,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(19世紀)。金・青金研出蒔絵、金薄肉高蒔絵。
底裏線刻銘「道笑斎」,Inscribed Dōshōsai,クインシー・A.ショー氏寄贈,Gift of Mr. Quincy A. Shaw,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代、19世紀。底裏線刻銘に「道笑斎」と記す。
底裏金蒔銘「春正(朱漆花押)」,クインシー・A.ショー氏寄贈,Gift of Mr. Quincy A. Shaw,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(19世紀)
lacquer on wood,木村定三コレクション / Kimura Teizo Collection
近代(20世紀)
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
明治時代
六角紫水 (1867 - 1950),ROKKAKU, Shisui (1867 - 1950)
工芸品に描かれた蝶(日本・金工)
東京国立博物館,Tokyo National Museum
【国宝】 興福寺金堂鎮壇具中にある2面の鏡のうちの1面で、内区は円鈕(えんちゅう)をはさんで花と蝶をそれぞれ一対ずつ配し、外区には8つの瑞雲を均等に表している。間地は小さな点々を鋳(い)出した霰(あられ)地としている。同種の鏡は、正倉院蔵品など数例が知られている。
高橋保氏寄贈,Gift of Mr. Takahashi Tamotsu,東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 平安時代、長保3年(1001)。長野県松本市宮渕出土。重要文化財。磬(けい、梵音具)は左右対称の山形が一般的であるが、このように蝶や蓮華のような形状のものもある。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 平安時代、平治1年(1159)。重要文化財。鏡の背面に日本で伝統的に好まれた文様の萩、蝶、鳥や流水が描かれる。鏡像は厨子(ずし)に納めたり、紐を通して懸けるなどしたりして、礼拝の対象とされた。
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
平安時代。このような秋草図は、沢千鳥螺鈿蒔絵小唐櫃(金剛峯寺蔵)など同時期の工芸品に頻繁に用いられた。本鏡は界圏で明瞭な段差をもち、空間を大きく残した構成と、簡略ながら生き生きと動きのある蝶・鳥文表現から見て、12世紀前半、秋草文鏡のごく早い例であろう。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
平安時代(12世紀)。山形県鶴岡市羽黒山御手洗池出土。出羽三山神社に祈願のため奉納された鏡。薄い鏡胎に鋳出された文様は優美な作風が示している。
奈良国立博物館,Nara National Museum
平安時代(12世紀)。神護寺経は後白河法皇が鳥羽法皇勅願の意志を継いで文治1年(1185)に完成させた紺紙金字一切経で、本品は神護寺経を約10巻ずつ巻いていた経帙である。墨染めの竹ひごを段々(だんだら)文様に染めた10本あまりの色糸ですのこ編みし、紅地唐花襷文の錦で周囲を縁どりしている。芯には紙を入れ、竹のすのことの間に一面に雲母(きら)を敷きつめている。紐は平組で襷文。帙の二隅と紐に蝶形の金銅打出金具が留められている。制作の事情が明らかであり、平安後期の贅を凝らした経帙の作例として誠に貴重である。現在、神護寺には経典2317巻、経帙202枚、経櫃45合が伝存しており、重要文化財に指定されている。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
平安時代(12世紀)。群馬県大泉町坂田出土。硯に水を注ぐための器。奈良時代より江戸時代まで連綿と製作された。材質は銅など金属製が多く、多様な造形が見どころ。
金剛證寺
金剛證寺、平安時代後期。伊勢市朝熊町。白銅製。径31.2㎝、縁の高さ1.1㎝。大型で、花弁状の突起が8方向に出るため、八稜鏡という。中央に花形の鈕座を置き、そこから瑞華を伸ばし、その間に2羽の鳳凰を配し、外区には飛雲状の唐草文と蝶の文様を置く。
後藤,By the Gotō school,川田龍吉氏寄贈,Gift of Mr. Kawada Ryōkichi,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(18世紀)。
金沢銅器会社,By the Kanazawa Bronze Company,シカゴ・コロンブス世界博覧会事務局寄贈,Gift of the Japanese Delegate's Office for the World's Columbian Exposition, Chicago,東京国立博物館,Tokyo National Museum
明治25年(1892)。牡丹の花をかたどった鈕(ちゅう)をつけた蓋を有しており、飾壺(かざりつぼ)として西欧に輸出する目的で制作されたもの。器面にはさまざまな姿の蝶を金、銀、赤銅(しゃくどう)(銅と金の合金)、素銅(すあか)、四分一(しぶいち)(銅と銀の合金)等の色金(いろがね)を用いて高肉象嵌(たかにくぞうがん)や平(ひら)象嵌の技法でにぎやかに飾っている。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(18世紀)
江戸時代中期仕立(18世紀)
工芸品に描かれた蝶(日本・陶磁)
伊万里,Imari ware,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(17世紀)。日本の色絵では、厚く塗られた色鮮やかな上絵具が、大きく器面を占有するようになる。黄に塗り分けられた牡丹の葉は現実の色を離れ、大輪の牡丹の花の紫、まったく動きを感じさせない蝶の黄とともに、画面全体を色彩の歓びで埋め尽くしている。
鍋島,Nabeshima ware,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(19世紀)。鍋島焼は有田焼の一種で、佐賀藩鍋島家の藩窯の製品。
並河靖之作,By Namikawa Yasuyuki (1845–1927),シカゴ・コロンブス世界博覧会事務局寄贈,Gift of Japan Delegate Office for World's Columbian Exposition, Chicago,東京国立博物館,Tokyo National Museum
明治25年(1892)。並河靖之は、線を貼り付けて仕切り、ガラス質の釉を施す「有線七宝」を得意とした。この作品のような蝶を主題としたものは、並河作品によく見られる代表的なモチーフの一つ。明治26年(1893)シカゴ・コロンブス博覧会に出品され、好評を博した。
三代清風与平作,By Seifū Yohei III (1851–1914),シカゴ・コロンブス世界博覧会事務局,Gift of Japan Delegate Office for World's Columbian Exposition, Chicago,東京国立博物館,Tokyo National Museum
明治25年(1892)。胴が長く、丸く張った肩が底に向かってすぼまった瓶(へい)です。白い土で瓶のかたちをつくり、上から釉薬というガラスを多く含んだ液をかけ焼き上げています。全体の色は、柔らかさを感じさせる白一色で洗練された印象を与えます。胴には六輪の牡丹がぐるりと囲むように配置され、肩の部分は大きな余白に五頭の蝶が飛んでいます。これらの文様は、胴の土を盛り上げたり彫り込んだりしながら浮き出すようにあらわし、葉脈などの細かい部分は線で彫り出しています。作者の三代清風与平(せいふうよへい)は、幕末から明治時代の人で、京都の陶工の清風家に養子に入り、明治11年(1878)には三代目の名を継ぎました。与平は中国の陶磁器に大きな影響を受け、その表現にならいつつ多くの新しい技法を生み出して独自の表現をみせるようになりました。この瓶も、中国・清時代の磁器を参考にしたとみられますが、柔らかみのある白い色調と優しく浮き上がる文様は与平独自の表現で余韻を感じさせます。明治26年(1893)にアメリカで開催され、世界各国の物産が集まったシカゴ・コロンブス博覧会に出品され、特に好評を博しました。三代清風与平(せいふうよへい)は、京焼の近代を代表する名工で、陶磁で最初の帝室技芸員(ていしつぎげいいん)となりました。中国陶磁研究を基礎に独自の作風を確立し、この白磁にも与平の釉薬研究の成果が表わされています。明治26年(1893)シカゴ・コロンブス世界博覧会に際して作られた作品です。
初代宮永東山作,By Miyanaga Tōzan I (1868–1941),横河下枝氏寄贈,Gift of Mrs. Yokogawa Shizue,東京国立博物館,Tokyo National Museum
大正時代(20世紀)。初代宮永東山(みやながとうざん)は、パリ万博事務局に勤務した後、京都で七代錦光山宗兵衛(きんこうざんそうべえ)と交わり、京焼の改革に取り組む。本作は、双耳の花入でありながら、耳を鳳凰や鯱ではなく蝶で表わし、美しい白磁に仕上げている。東山の繊細な表現力と新しさへの挑戦がうかがえる。
永楽得全,Eiraku Tokuzen,京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
明治時代
絵画・工芸品に描かれた蝶(海外)
筆者不詳,Artist unknown,東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 元時代(14世紀)。①中国では常州(江蘇省毘陵)を中心に多くの草虫画が描かれ、豊かな色彩で幸せあふれる主題を表しました。これらの絵画は、日本では「常(じょうしゅう)(毘陵(びりょう))草虫画」と呼ばれ愛されてきました。本図はその中でも古い作例に属し、自然さと克明な描写を特徴としています。②(左幅) 中央に蜀葵(しょっき)(タチアオイ)と菊、手前左にオオバコ、右にナスを描いています。トンボや蝶、蜂などが飛び、カマキリが顔をのぞかせます。豊かな花を咲かせる芙蓉(ふよう)には栄華の、萱草(かんぞう)には男子誕生を願う意味がありました。華麗な画面に人々の幸せの願いが充満しています。③(右幅) 中央に大きく黄立葵(トロロアオイ)と鶏頭(けいとう)、鳳仙花(ほうせんか)を描き、手前左に地瓜、右に露草を描いています。それぞれ番いの蝶や蜂が飛び、根元に一匹のカタツムリが這い出しています。鶏頭には立身の意味が、多くの実をつける植物は、多子を願う吉祥の意味もありました。
呂敬甫筆,By Lu Jingfu (dates unknown),東京国立博物館,Tokyo National Museum
明時代(15世紀)。呂敬甫(りょけいほ)は、明時代に活躍した毘陵(びりょう)の草虫画家です。中央に芥子(けし)と菊花を、上には蝶を、手前にはシラキクナと蘭花を配し。このような左右対称の構図は、唐から北宋時代に流行した古様なもので、呂敬甫の古画学習の成果が表れています。
南啓宇筆,By Nam Gyeu (1811–88),小倉コレクション保存会寄贈,Gift of the Ogura Foundation,東京国立博物館,Tokyo National Museum
朝鮮(19世紀)。牡丹は富貴の花として知られます。猫と蝶はそれぞれ中国語の発音が「耄【もう】(70歳)」「耋【てつ】(80歳)」に共通し、長寿の象徴として親しまれています。
吉州窯,Ji-zhou Ware
南宋(12~13世紀)。黒い鉄釉の地に飴色の斑文が生じた外側面の様子が、玳瑁(たいまい)の甲羅である鼈甲(べっこう)の模様に似ていることから「玳皮釉」と呼ばれる。内面は黒釉を掛けた後、想像上の鳥である「鸞」や梅花、蝶の形に切った型紙を置き、その上から白濁する釉薬を掛け、型紙を外して焼成している。日本へは南北朝時代(14世紀)には請来され、「鼈盞(さん)」や「玳皮盞」と呼ばれ、茶碗として珍重されてきた。この碗も江戸期の木箱に納まる。
中国・磁州窯,Cizhou ware, China,横河民輔氏寄贈,Gift of Dr. Yokogawa Tamisuke,東京国立博物館,Tokyo National Museum
北宋~金時代(12世紀)。胎は茶色の陶胎で、白土で化粧を施し、そのうえから筆を使って鉄絵具でリボンで束ねた蓮の花と蝶を描いています。さらに細部は針のようなもので黒土を削ってあらわしています。本作品のように、梅瓶を途中で切ったような太く短い酒瓶のことを「太白尊」と呼びます。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
朝鮮(15世紀)。轆轤挽きした壺を叩いて扁平にした扁壺は、朝鮮時代に流行した器形の一つです。灰色の素地に厚く白土を塗り、これを削り落として文様をあらわしています。屈託のない文様表現はこの時代特有のものです。側面には線彫りで柳と蟹があらわされています。
「大明萬暦年製」銘,東京国立博物館,Tokyo National Museum
明時代(16~17世紀)。案とは、長い天板と四本脚から構成される家具。本器のように天板の両端が鳥の尾羽のように反ったものを翹頭案という。黒漆地に螺鈿で花蝶が装飾されており、富貴華麗の趣がある。内側に「大明萬暦年製」銘があり、明時代の螺鈿家具の貴重な作例である。
杉山定敏氏寄贈,Gift of Mr. Sugiyama Sadatoshi,東京国立博物館,Tokyo National Museum
明時代(16世紀)。見込みに梅樹と竹、立ち上がり部分にそれぞれ5頭ずつの蝶が螺鈿の技法であらわされている。梅樹の樹皮の彫りによる表現に力強さがみられることから、16世紀前半の製作になるものと考えられ、明時代の螺鈿の展開を考えるうえで興味深い作品といえる。
景徳鎮窯,Jing-de-zhen Ware
明・嘉靖年間(1522~66)。方形の盤。本格的な五彩は宣徳年間(1426~35)に始まり、嘉靖期から万暦期に盛行。この作品は、内面の底部に青花で太湖石と土坡が描かれ、太湖石から牡丹が伸び、蝶などの虫類が群れる様が五彩で描かれている。立ち上がり部には、窓枠内に五爪の飛龍文と雲文が描かれ、周囲に四方襷文が配されている。外面には、太湖石、草花文、虫類が描かれている。底裏には、3字2行の青花銘。
中国・景徳鎮窯,Jingdezhen ware, China,東京国立博物館,Tokyo National Museum
清時代(19世紀)。蓋付きの碗(マカイ)で、光を透かすほど薄い胎である。吉祥の字を配したものは底と蓋天面に「道光年製」、鹿鶴文のものは「咸豊年製」の篆書銘が施される。中国との往来を通じて、江戸時代の日本にはほとんど伝わらなかった上手の清朝磁器が琉球にもたらされた。
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
明時代
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
明時代
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
明時代~清時代
イギリス,United Kingdom,ウィーン万国博覧会事務局引継,Gift of the Bureau for the Vienna World Exposition,東京国立博物館,Tokyo National Museum
19世紀
小倉コレクション保存会寄贈,Gift of the Ogura Foundation,東京国立博物館,Tokyo National Museum
高麗時代(13世紀)
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
ルイ14世様式,Louis XIV style
18世紀
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
清時代
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
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知床連山の一つで標高は1661m。初夏の羅臼平ではカラフトルリシジミ(天然記念物)が舞う姿などさまざまな動植物が見られる。2007年放送。
山形県鶴岡市街地の近くの高館(たかだて)山では4月初めに春を象徴する花カタクリが顔を出し、それに誘われてギフチョウも姿を見せる。2009年放送。
標高は877m。毎年初夏にはアサギマダラが姿をみせる。羽に淡い青、浅葱(あさぎ)色の模様があり、台湾などから海を越えてくる、渡りをする蝶として知られている。2008年放送。
富士山麓の北東の梨ヶ原では珍しいミヤマシジミがみられる。敵であるアリをうまく利用するサバイバル生態もうかがえる。2006年放送。
北アルプス、標高2857m。ミヤマモンキチョウ、タカネヒカゲ、コヒオドシ、クモマベニヒカゲなど、美しい高山蝶が多く生息している。2007年放送。
1980年広島県東南部の府中市で国蝶オオムラサキが発見された。市民のオオムラサキを守る会が発足、幼虫の餌となるえのきの植樹など環境保護活動が続けられた。2006年取材。
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1877(明治10)年に創立された日本で最も歴史のある博物館の一つであり、自然史・科学技術史に関する国立の唯一の総合科学博物館。生物標本から地質・理工・科学史など多岐にわたる資料を保存している。
年中昆虫を大温室で観察することができる昆虫園。展示施設の中をさまざまな種類の蝶が飛び交う。
園内には、一年中さまざまな蝶が見られる大温室をはじめ、蝶の飼育をする「チョウの飼育室」、草花を植えて野生の蝶を呼び寄せる「バタフライガーデン」がある。
館内の「チョウの園」で、沖縄など南国のチョウを約10種類、およそ1000匹飼育。
一年を通じて、日本の国蝶・オオムラサキの生態を観察できる。本館・森林科学館・生態観察施設の3つの施設から成り、施設の周囲に約6haの自然公園が広がる。 観察会や工作教室などのイベントも多数開催。
現存する日本最古の昆虫専門博物館。ギフチョウの発見で知られる昆虫学者・名和靖によって設立された名和昆虫研究所の付属施設として開館。約1万2千種、30万匹の標本を収蔵し、世界の蝶の標本やギフチョウを多角的に解説した展示を見ることができる。
放蝶スタイルの施設で、箕面周辺に生息している種から亜熱帯の種までさまざまな種類の蝶を飼育する。
広さ600㎡の関西最大級のガラス温室で、約14種1000匹の蝶を一年中観察できる。
館内には一年を通じて沖縄八重山地方の蝶が舞う放蝶温室がある。1000点を超える昆虫標本や化石標本も展示。
園内には、一年を通して熱帯植物が咲く「フラワードーム」があり、日本最大の蝶・オオゴマダラをはじめ、アサギマダラやツマムラサキマダラなど約500匹の蝶を飼育。
国立科学博物館附属の自然教育園で開園以来記録されたことのある生物の種名2865種、動植物や風景の写真約1900点を検索することができる。
日本チョウ類保全協会が運営。本州・四国・九州でよく見られる蝶36種類を紹介する。
岐阜聖徳学園大学教育学部地学・川上研究室が運営。日本に生息する昆虫の生態写真のデータベースを公開。
参考文献
- 「チョウ」の項
- 「チョウ」の項
- 日立デジタル平凡社,平凡社
- 「蝶」の項
- 責任表示
- 二次利用について
ただし、画像は個々の権利表示による
- 最終更新日
- 2024/03/01