天草四郎
江戸初期に起きた島原の乱で首領とされ、一揆の象徴的存在となった少年
1623?-1638(元和9?-寛永15)
江戸時代初期、島原の乱の首領とされる少年。天草四郎は、天草四郎太夫時貞、天の四郎秀綱などと同じく通称であり、一揆当時の史料には「四郎」「益田四郎」とある。一説にはキリシタン大名小西行長の遺臣益田好次を父とするという。時貞は、9歳で手習い、12歳で学問を始め、長崎にも遊学したと伝える。その洗礼名はジェロニモといわれる。好次が帰農した肥後国(ひごのくに)は行長の影響で家臣にも領民にもキリシタンが増えていたが、領主が変わってキリスト教禁制となっても、表向きは棄教し、潜伏キリシタンとして信仰を保った。厳しい年貢負担と信仰への迫害に苦しむ島原・天草の人びとは、四郎をめぐる奇跡を喧伝するようになり、島原の乱に至る蜂起では一揆の象徴的存在となったという。原城に立て籠もった四郎は、城内で説教を行い、ミサを主宰したといわれる。一揆勢は幕府・諸大名の軍勢に抗戦するが、総攻撃により四郎を含めて全員が討死となった。四郎の首は長崎に送られて晒し首にされ、その母や姉妹ものちに処刑された。平成30年(2018)原城跡や大浦天主堂、平戸・天草・五島などの集落が「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された。
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1964年に復元された島原城を中心とした資料館。天守閣には、島原の乱や潜伏キリシタンの関係史料などが紹介されている。
キリスト教伝来やキリシタン弾圧、有馬氏の拠点日野江城と原城などをテーマとし、キリシタン遺物も展示する。
上天草市にある。旧天草四郎メモリアルホール。天草・島原一揆の歴史的背景、南蛮文化の影響などをテーマとする。
天草コレジヨの開校や天草本の出版など、16世紀以降に天草河浦に伝えられた南蛮文化の資料を多数展示。日本初の活版印刷による天草本や、グーテンベルク印刷機(複製)を展示。南蛮船の模型、西洋古楽器の複製や、天正少年使節団の足取りをたどるビデオも見ることができる。
天草市立天草キリシタン館で、収蔵・展示されている天草四郎の陣中旗。劣化を防ぐために、公開は年間30日間に限定され、通常はレプリカが展示されている。