ホタル科の甲虫の総称で、世界に2000種ほどが棲息する。一般に体は長楕円形で、全体に黒く、胸の辺りが赤い。日本ではゲンジボタル(体長約15mm)、ヘイケボタル(約8mm)、ヒメボタル(約7mm)、クメジマボタルなど約40種が知られ、うち10種ほどは腹部に発光器官をもち、青白い光を放ち、明滅する。とりわけゲンジボタル、ヘイケボタルは有名で、蛍狩りの対象とされ、飼養もされる。この2種の幼虫は清流にすみ、5~6月頃から羽化するが、ヒメボタル、マドボタルなど陸生の蛍も多い。ほとんど発光しない種、昼に発光する種、真冬に発光する種もある。異称に「ほたろ」「ほうたろ」「なつむし」などがある。
『日本書紀』では神の威光を蛍火にたとえ、『万葉集』では「ほのか」の枕詞として用いられている。平安時代には歌に詠まれる例が多くなり、夜空の星や漁火を「河辺の蛍」かと見立てたり、『古今和歌集』などの恋歌では胸に偲(しの)ぶ思いとして蛍の火が詠み込まれたりしている。また『源氏物語』の巻名に蛍があることもよく知られる。蛍を霊魂とみる伝説も多く、宇治川では源三位頼政の亡霊が無数の螢となって飛び交うと伝えられ、初夏の夕、川のほとりで蛍合戦が行われたという。蛍合戦は、交尾の相手を求めて空中を乱れ飛ぶことを合戦に見立てて称したもの。
蛍は夏の風物詩であり、『摂津名所図会』に蛍狩りが描かれ、歌川国芳には「四季遊観 納涼(すずみ)のほたる」の浮世絵がある。江戸時代に虫売りが盛行した頃、蛍はその第一位であったという(『守貞謾稿』)。「蛍雪の功」、消え残った炭火をいう蛍火、旬の時期が短いことをいう「蛍二十日に蟬三日」など蛍にちなむ言葉も多い。江戸時代に京都祇園の辺りで通行人の袖を引いた遊女は蛍と呼ばれた。山口市の一の坂川、椹野川などはゲンジホタル生息地として知られ、名古屋城の外堀の草地には都市部では珍しい大規模なヒメボタルの生息地がある。
関連するひと・もの・こと
世界中に多くの種が生息。その美しさから数々の信仰や伝承を生み、装飾や美術の題材ともなっている。蝶の舞う姿、蛍の放つ光に人の魂、霊魂をみる伝承がある。
江戸時代に盛行した浮世絵の中でも、多色刷りの木版画の総称。夏の風物詩として蛍を画題にしたものが多く残る
諸国の名所を屏風や障子に連作で描く絵画様式。平安時代から江戸時代に継承。蛍の名所が描かれた名所絵も残っている
平安時代の女性作家、紫式部が著した王朝物語。貴公子光源氏を主役とした華やかな物語は、絵画芸術にも影響を与えた。第25帖「蛍」では、蛍が登場する
本で知る
[中村[テキ]斎] [編],山形屋
江戸時代の図解事典。20巻。中村惕斎(てきさい)著。寛文6年(1666)成立。天文・地理・動植物などについての精確な図に和名・漢名・注記を付した啓蒙書。
中村孫兵衛
中村孫兵衛、貞享5年(1688)
寺島良安 編,秋田屋太右衛門 [ほか]
江戸時代中期の図入り百科事典。正徳2年(1712)成立。編者は大坂の医師寺島良安(1654 - 没年未詳)。巻53の「化生虫類」に「螢」の項目が掲載されている。
深江輔仁 奉勅新撰,多紀元簡 [校],和泉屋庄次郎
第16巻にみえ、和名を「保多留」とする。『本草和名』は『新修本草』所収品の漢名-和名辞書で、深江輔仁(すけひと、生没年未詳)が勅を奉じて延喜18年(918)頃に作成した。すでに散逸した古書からの引用が多いことでも知られる。長く存否不明の書だったが、寛政6年(1794)幕医多紀元簡(もとやす、のち幕府医学館主)が幕府の紅葉山文庫で古写本を発見、それを校訂して刊行。本資料は、考証学者小島尚質(なおかた)・尚真(なおざね)父子の旧蔵書で、諸書を用いて父子がさらに校注を進めたものである。一方、刊行に関連する多紀家の記録も写しており、それによって元簡が幕府の出版許可を得るために提出した文書が判明し、「享和二年(1802)壬戌秋八月廿七日初刷装釘」とあって、出版年が通説の寛政8年(1796)ではないことも明らかになる(『江戸出版書目』によると、出版・販売の許可を得たのは寛政12年12月)。なお、『日本古典全集』に所収されている森立之・約之父子旧蔵『本草和名』刊本への書き込みは、上記多紀家記録を含め、本資料の小島父子書き入れの転写が少なくない。
『庶物類纂』は、加賀藩主前田綱紀が京都の本草学者稲生若水(1655 - 1715)を招いて編纂した博物書。延享4年(1747)完成。中国古典籍類などから動物植物鉱物の記事を集成、分類し、実物によって検証したもので、日本の博物学史上画期的な業績。若水は編纂中に没したが、その後は幕府の官撰事業として若水門下の官医丹羽正伯らが引き継ぎ、全1054巻をもって完成とした。全体を26属(草、花、鱗、介、羽、毛、水、火、土、石、金、玉、竹、穀、菽 、蔬 、海菜、水菜、菌、蓏 、造醸、虫、木、蛇、果、味)に分類。正伯が幕府に献上した浄書本465冊が江戸城紅葉山文庫に保存され、のち内閣文庫に伝来した。重要文化財。
勝春朗 画,[松村屋弥兵衛]
黄表紙。勝春朗(勝川春朗、葛飾北斎の中国風の署名)画、松村屋弥兵衛、天明5年(1785)。
喜多川歌麿 筆 , 宿屋飯盛 撰,耕書堂蔦屋重三郎
天明8年(1788)刊。『画本虫ゑらみ』は、 歌麿の狂歌絵本のなかでもとくに評価が高く、代表作とされる。全15図。1図に虫2種類を描き、それを詠んだ狂歌2首を掲げる。初刷りは2冊本。後刷りも含め異版が多い。掲出本は元来は跋である歌麿の師鳥山石燕(1711 - 88)の文をはじめに置く。
秋里籬嶌 著述,竹原春朝齋 圖畫,森本太助 [ほか4名]
白井河原(現在の大阪府茨木市)が蛍見の名所として紹介されている。『摂津名所図会』は地誌(名所図会)。秋里籬島著・竹原春朝斎ほか画、寛政8年(1796)・同10年刊。9巻12冊。秋里籬島(あきさと・りとう)の手になる「名所図会」シリーズの5作目。現在の大阪府北西部・兵庫県南東部に跨がる摂津国の名所・旧跡を、文献と実地調査に基づいて網羅し、大本(25×18cm程度)の画面に絵入り(名所の全景に風俗画・歴史画を加える)でまとめたもの。
栗本丹洲 著,服部雪齋 [写]
本資料は幕医栗本丹洲(4代瑞見、1756 - 1834)が描いた虫類の彩色図説である。『栗氏虫譜』『丹洲虫譜』の題をもつ資料も少なくない。自序は文化8年(1811)だが、没する直前まで描き続けられた。虫というが、昆虫だけでなく、当時の分類概念にしたがって、クモ・ムカデはもちろん、クラゲ・ヒトデ・ナマコからヘビ・トカゲ・カエル・イモリ・サンショウウオ・タツノオトシゴ・コウモリ・カッパまで含み、一般には「介類」に入れるカニ・エビ・ウニまで描かれている。しかし、配列に分類的配慮はなく、雑然と並べられている。これが日本最初の虫類図譜だったので、転写本が次々に作られ、現存写本も数多いが、所収品数や配列は資料ごとに異なり、転写図の巧拙はさらに違いが著しい。国立国会図書館も5点を所蔵するが図の出来はさまざまで、本資料が、他館の資料を含めたなかでも最良の転写本と思われる。これは、幕医久志本左京(号、緑漪軒[りょくいけん])の依頼で博物画の名手服部雪斎が写したもので、底本はおそらく丹洲の原本。所収数は645で、原本のほぼ全てであろう。:『参考書誌研究』44号、『栗氏千虫譜』解題参照(磯野直秀)
喜田川季壮尾張部守貞 誌,写
江戸時代に虫売りが盛行し、蛍はその第一位であったという記述がある。『守貞漫稿』は江戸時代後期の風俗誌。前集30巻、後集4巻。季荘こと喜田川守貞(1810 - 没年未詳)は大坂生れの風俗史家。近世風俗の百科事典的意味をもつ。明治期に『類聚近世風俗志』と題して出版された。
小塩五郎 寫生,小塩五郎
小塩五郎(おしおごろう、1830 - 94)は江戸時代・明治時代の本草学者。旧尾張藩士。『昆蟲圖譜』は、小塩の昆虫の写生図を植物学者の伊藤篤太郎(1866 - 1941)が編集したもの。
堀内新泉 (文麿) 著,開発社
堀内新泉 (文麿) 、開発社、明治34年(1901)、東京。「螢狩」を紹介する。
渡瀬庄三郎 著,開成館
明治35年(1902)刊行。著者は明治~昭和時代の動物学者・渡瀬庄三郎。江戸に生まれ、札幌農学校卒業後、渡米。ジョンズ・ホプキンズ大学で学び、シカゴ大学教授となる。帰国後は東京帝国大学教授に就任。研究分野は、細胞学、生物発光(ホタル・ホタルイカ)、屋久島・種子島と奄美大島間の土物分布の違い(渡瀬線)など多方面にわたる。
宮武外骨 編,雅俗文庫
宮武外骨編、雅俗文庫。明治44年(1911)、大阪。「螢がり」を紹介する。
神田左京 著,越山堂
大正12年(1923)刊行。著者は、ゲンジボタルをはじめとした日本の発光生物研究の第一人者・神田左京(1874 - 1939)。
東洋図書
大正14年(1925)に刊行された子どもの自主学習向けの参考資料。第4巻「児童の昆虫学」には、第5章「螢及び甲虫の類」を収録。蛍の生態について分かりやすく解説。
松村松年 著,東京堂
昭和3年(1928)刊行。セミ、ホタル、コオロギ、モンシロチョウ、クモなどの生態を詳細に解説。著者の松村松年は、日本の近代昆虫学の基礎を築き、「日本昆虫学の祖」と称される。
横山桐郎 著,西ケ原刊行会
昭和5年(1930)刊行。著者は、大正・昭和期の昆虫学者・横山桐郎。ヘイケボタル、ゲンジボタルなど日本の蛍をカラーのイラストで紹介。
松村松年 著,春陽堂教育図書出版部
昭和6年(1931)に刊行された日本産昆虫の図説。著者の松村松年は、日本の近代昆虫学の基礎を築き、「日本昆虫学の祖」と称される。
松村松年 著,刀江書院
昭和10年(1935)に刊行された日本産昆虫の図鑑。著者の松村松年は、日本の近代昆虫学の基礎を築き、「日本昆虫学の祖」と称される。
史書・古典に見える蛍
〔舎人親王//ほか撰〕
『日本書紀』の「神代巻下」の冒頭。高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を寵愛して葦原中国(あしはらのなかつくに)の主(きみ)にしようと思ったが、その国には蛍火のように妖しく光る神や、五月頃の蠅のようにうるさく騒ぐ邪神がいた(「然彼地多有蛍火光神及蠅声邪神」)とある。掲出本は、慶長4年(1599)に後陽成天皇(1571-1617)の勅命により刊行された木活字本。2巻1冊。刊行された『日本書紀』としては最初のもので、伝本は現在20数本知られるが、この国会図書館本は、サイズが最も大きく、良質の楮打紙に摺られており、摺刷面が格段に美麗である。題簽は後陽成天皇宸筆と伝えられている。
『万葉集』巻13「挽歌」に収録された長歌の一節。「ほのか」の枕詞として「蛍成(ほたるなす)」が用いられている。「もみち葉の 過ぎていにきと 玉梓(たまづさ)の 使の言へば 蛍成(ほたるなす) ほのかに聞きて 大地(おほつち)の 炎(ほのほ)と踏みて 立ちて居て 行くへも知らず(黄葉之 過行跡 玉梓之 使之云者 蛍成 髣髴聞而 大土乎 火穂跡而 立居而 去方毛不知)」。 夫の帰りを待つ妻の歌で、左注によれば、この長歌は続く反歌とともに防人の妻によるものという。掲出本は『万葉集』最古の刊本で、慶長年間(1596 - 1615)の刊行。伏見版(円光寺版)の木活字を使用し、不足の文字を新雕し印行したものとされる。万葉仮名の本文のみで、無訓本と通称されるもの。実業家・古書収集家高木利太(1871-1933)旧蔵。
[紀友則, 紀貫之, 凡河内躬恒, 壬生忠岑] [撰]
『古今和歌集』巻12に紀友則の詠む、夕されば蛍よりけに燃ゆれども光見ねばや人のつれなき、の歌がみえる。恋の情熱を蛍火にたとえた歌は少なくないという。 この国立国会図書館所蔵本は、古今和歌集の注釈書。巻頭および題簽には「古今和歌集」とある。『古今和歌集』の古注釈は数多く伝存するが、本書と内容が一致するものは見当たらないようである。誰人かの講義を聞書きした体裁。装訂は綴葉装(列帖装)で両面書写。第1丁は巻第二春歌下の一部で、綴じ違いと思われる。また、第6丁裏、第7丁表は白紙だがその前後の内容は続いている。現在の巻次は巻1~9、16~19、11~15、仮名序の注、巻10、巻20、墨滅歌の順。仮名序の注の後に「此十巻 十九巻已後講尺也/此十巻講尺アリテ序をよめる也/序の已後廿巻アル也」と講釈に関する記述がある。本文には異筆の細字書入がある。また、「天文十六丁未年〔1547〕十二月吉日」の奥書がある。第2丁表と巻末に「門外不出松本道別蔵書」の蔵書印がある。霊学研究家松本道別(1872-1942)のものか。
『伊勢物語』45「行く蛍」に、夜がふけてやや涼しい風が吹き、蛍が高く飛びあがる、男はそれを見て、ゆくほたる雲の上までいぬべくは秋風吹くと雁に告げこせ、と詠むとある。この国立国会図書館所蔵本は、『伊勢物語』の最初期の古活字版。嵯峨本。嵯峨本は、本阿弥光悦、角倉素庵が刊行に関与したといわれ、流麗な活字の書体、豪華な装訂により、美しい古典籍の代表格とされる。本書の嵯峨本は、慶長13年(1608)から同15年にかけて数種刊行されており、川瀬一馬氏の分類(『増補古活字版之研究』)によれば、そのうち最初に刊行されたもの(第一種イ本)。具引きの色替り料紙を使用し、整版の挿絵(上25図、下24図)がある。巻末に中院通勝(1556 - 1610)の刊語(整版)があり、花押を自署している。
藤原道綱母,天王寺屋源右衛門
『蜻蛉日記』中17「閑寂な山寺、叔母や妹のおとずれ」の段に、山陰の暗がりたるところを見れば、蛍は驚くほど光を放って照らしているとみえる。『蜻蛉日記』は日記文学。道綱の母著。作者道綱の母と夫藤原の兼家との結婚生活を中心に、作者の半生を描いたもの。一夫多妻の平安貴族社会の中に生きる女性の愛の苦悩を、伝統的和歌の情緒表現によりながら深く濃やかに描いている。主要な伝本は写本だが、国立国会図書館所蔵本は元禄10年(1697)大坂の天王寺屋源右衛門の刊行。契沖の手になる水戸中納言御本との校合が写されている。榊原芳野旧蔵。福田敬同「福田文庫」、小中村清矩「陽春廬記」などの印記がある。
清少納言 [著]
『枕草子』の「春はあけぼの」の段に、夏は夜、月の頃はさらによい、闇も蛍の多く飛び交うのも、あるいは一つ二つ仄かに光っているのも心地よいとみえる。この国立国会図書館所蔵本は寛永年間(1624 - 44)刊と推定される平仮名交じり13行の古活字本。書名は通称による。各巻末書名は「清小納言」。川瀬一馬著『増補古活字版之研究』にいう第3種本の(イ)種に属するもの。慶長期(1596 - 1615)刊とされる10行本、慶長・元和(1596 - 1624)頃刊の12行本に続いて刊行され、慶安2年(1649)刊の整版本のもととなった。本文は、近世において流布本の位置にあった伝能因所持本系統。巻1‐3の見返しに「敬茂」と墨書されている。幕末・明治初期の国学者榊原芳野(1832 - 81)の旧蔵書で、ほかに2種の印記がある。
〔紫式部//著〕
『源氏物語』第25帖「蛍」では、暗闇の中、光源氏が兵部卿宮に玉鬘を見せようとして、薄い帷子(かたびら)に隠し持っていたたくさんの蛍を室内で放ち、明るく照らす場面が描かれている。『源氏物語』の最初の刊本とされる、慶長年間(1596 - 1615)の古活字版。平仮名活字を使用した本としても最も初期のものとされる。他に知られる伝本は、阪本龍門文庫および実践女子大学図書館の所蔵本のみ。両者とも欠本があるのに対し、本書は全冊揃いで、保存の良い美本である。ただし、「夕顔」全冊と「蛍」「野分」「柏木」に補写がある。料紙や筆跡はもとの刊本とよく似ていて、刊年に近い時期の補写と考えられる。
鴨長明,村上平楽寺
鴨長明の『方丈記』に、もし夜が静かであれば窓の月に故人を偲び、猿の声に袖を濡らすこともある、そんな折、草むらの蛍の光が遠い槇嶋のかがり火に見まがうこともあるとみえる。この国立国会図書館所蔵本は正保4年(1647)刊、京都。
鈴木弘恭 校,青山堂
鎌倉時代中期の教訓説話集『十訓抄』(じっきんしょう、じっくんしょう)第1に、6月20日余りの頃、ある殿上人が物陰から屋敷を覗くと、坪庭の遣水に蛍の多く集まるのを見て、一人目の女房がわざわざ集めたようにみえるといい、四人目の女房は「隠しおおせぬ蛍の想い」と美しく詠いあげたとある。
〔井原西鶴//著〕,菱河吉兵衛師宣<菱川師宣>//〔画〕,川崎七郎兵衛
井原西鶴『好色一代男』巻5に、世之介の床に亭主が蚊帳を吊りかけ、秋まで残る蛍を紙にたくさん包んで蚊帳の中に放ち、水桶の花草まで差し入れて涼しさを演出したとみえる。この国立国会図書館所蔵本は、「好色一代男」の江戸版。江戸版は天和2年(1682)秋に大坂版が作成されてまもなく、貞享1(1684)に刊行された。大坂版は西鶴(1642 - 93)自らが挿絵を書いたといわれるが、江戸版は菱河師宣(? - 1649)が描いている。「好色一代男」は有名ながらその伝本は少なく、大坂版の完本は10点ほど。江戸版はさらに希少で、この資料以外は端本も含め4、5本程度である。この資料は巻8末に川崎版の刊期があることからこれまで現存する唯一の完全そろいの川崎版といわれてきた。しかし、巻8のみに多くの虫損跡がみられ、それ以外の巻にはほとんどみられないこと、巻8の印刷はかなり鮮明だが、他巻は刷りの状態がやや劣ることなどから、巻8と他巻とは後からとりあわせた可能性が高いなど、さらに調査が必要である。
もっと知りたい
絵画・工芸品に描かれた蛍
土佐光吉,Tosa Mitsuyoshi,京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
光源氏が蛍の光のもとで玉鬘の姿を兵部卿宮に見せる場面を描く。土佐光吉(1539−1613)画。「源氏物語絵色紙帖」は、桃山期源氏画帖のうちで最も代表的な作品で、総数五十四枚からなり、後陽成天皇、近衛信尹を始めとする当時の貴紳たちが書いた詞書とセットになっている(「蛍」の詞書は烏丸光広筆)。「桐壺」から「柏木」までの色紙の裏に「久翌」の墨印があり、土佐光吉の作と知られる。 「横笛」以降は「長次郎」なる土佐派の絵師の作。
月岡雪鼎
江戸時代中期に上方浮世絵界の中心的人物として活躍した月岡雪鼎(せってい、1726 - 87)の代表作。雪鼎は最初狩野派を学んだが、西川祐信の影響で風俗画に転じた。優艷な肉筆美人画を多数制作した。
酒井抱一
酒井抱一(1761 - 1828)は江戸時代後期の画家・俳人。姫路城主酒井忠以(ただざね)の弟で、江戸生まれ。絵を狩野派、円山派をはじめとした諸派に学んだのち、尾形光琳に私淑。琳派の装飾性の中に繊細な感覚をもりこんだ独自の画風を形成した。
江戸時代後期の俳人・画家、建部巣兆(そうちょう、1761 - 1814)の作。書家の山本龍斎の子。画を谷文晁に、俳諧を春秋庵白雄に学び、夏目成美・鈴木道彦とともに江戸三大家の一人と称される。
月斎峨眉丸
月斎峨眉丸(げっさいがびまる、1775 - 1824)は江戸時代後期の浮世絵師。尾張名古屋藩士。鳥文斎栄之(えいし)に師事したのち、喜多川歌麿、葛飾北斎に学ぶ。滑稽本の挿絵や肉筆美人画を多く手掛けた。
吉麿
万寿
伊万里,Imari ware,平野耕輔氏寄贈,Gift of Dr. Hirano Kosuke,東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>落ち着いた発色の染付で楼閣山水の図があらわされ、左下四分の一を区画して団扇を手に蛍を追う子どものが描かれています。子どもの背後の草木は風になびき、楽しそうに走る子どもの姿とあわせて躍動感があり、静かな山水図との対比で面白い構図をなしています。</p>
後藤一乗作,By Gotō Ichijō (1791–1876),東京国立博物館,Tokyo National Museum
一乗は文政7年(1824)に光格天皇の刀装具を製作したことから法橋位を叙され、この頃から「一乗」と名乗るようになった。これは大の鐔の表に蛍と水草、裏に蝶と藤、小の鐔には表裏に秋草や昆虫をあらわし、春から秋への季節の変化を巧みにみせている。(酒井元樹氏執筆)
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>上質の麻地に波と夕立の模様を白上げにし、さらに、撚金糸で波模様を、蘭の花を萌黄・鶸色・紅・紫・白の刺繡で、蛍を黒の刺繡で表します。貴人が好んだ蘭に、夏の風物である蛍、波に夕立の模様などをデザインした、涼し気な真夏の衣装です。<br /></p>
底裏朱漆銘「塩見政景」,クインシー・A.ショー氏寄贈,Gift of Mr. Quincy A. Shaw,東京国立博物館,Tokyo National Museum
塩見政景は、江戸時代中期の蒔絵師塩見政誠(まさなり、1646 - 1719)の後進か。
141×91
明治45年(1912)7月30日蛍狩りをする少女と男児の画。
川瀬巴水 KAWASE Hasui,Fluttering Fireflies, Minuma River, Omiya,woodcut on paper
川瀬巴水(1883 - 1957)は大正・昭和期の浮世絵師、版画家。鏑木清方に師事し日本画家となったが、同門の伊東深水の木版画に影響を受けて木版の制作を開始。全国を行脚し、叙情性の高い風景版画を多数制作。衰退した浮世絵版画の再興を目指した「新版画」運動の代表的な作家の一人。
錦絵に描かれた蛍
礒田湖龍斎筆,By Isoda Koryūsai (b. 1735),東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代中期の浮世絵師で美人画に優れた礒田湖竜斎(1735 - 1790)の作。佐保川は奈良の春日山の東側を源とし、奈良盆地を流れて大和郡山市で初瀬川と合流し大和川となる。古くから蛍の名所として知られ、「佐保川の蛍」は「南都八景」(奈良の八つの景勝)の一つに数えられる。
長喜
江戸時代中期~後期の浮世絵師で美人画を得意とした栄松斎長喜の作。「四季美人」と題された4枚組の美人画で、春は初日の出、夏は蛍狩り、秋は月見、冬は雪中美人が描かれている。本図は、団扇と虫かごを持ち、子どもとともに蛍狩りを楽しむ女性。
歌麿, 和泉屋市兵衛
美人大首絵で一世を風靡した初代喜多川歌麿(1753? - 1806)の作。団扇や虫かごを手に、蛍狩りに興じる女性と子どもの様子が生き生きと描写されている。
豊国, 丸屋文右衛門
寛政年間(1789 - 1801)刊。歌川豊国(1769 -1825)は江戸時代の浮世絵師。
国貞改二代豊国,国貞改二世一陽斎豊国,川口屋卯兵衛
歌川豊国による蛍狩を画題にした3枚続きの美人画。二代目歌川豊国は歌川豊重で一陽斎と号した。国貞を改めて豊国と号したのは、初代歌川国貞(三代目豊国)と二代目歌川国貞(四代目豊国)。
英泉,池仲上金
江戸時代後期の浮世絵師・渓斎英泉(1791-1848)の作。佐保川は奈良の春日山の東側を源とし、奈良盆地を流れて大和郡山市で初瀬川と合流し大和川となる。古くから蛍の名所として知られ、「佐保川の蛍」は「南都八景」(奈良の八つの景勝)の一つに数えられる。
国芳, 伊場屋仙三郎
江戸時代末期の浮世絵師で武者絵を得意とした歌川国芳(1798 - 1861)の3枚続きの美人画。両手で蛍を捕まえようとする右の女性の横で、虫籠を用意する中央の女性。左の女性は二人の様子を振り返って見ている。女性たちの頭上には、暗闇の中にうっすらと光線を残しながら飛び交う蛍を描く。
豊国,広重,平のや
「江戸自慢三十六興」の一枚。本シリーズは江戸の名所風景とその場所の名物や風俗を組み合わせて描いた36枚の揃物。人物を三代歌川豊国(1786 -1865)、風景を二代歌川広重(1826 - 69)が担当。江戸時代、神田川と妙正寺川が落ち合う「落合」は蛍の名所として知られていた。
豊国〈3〉、国貞〈2〉,上 坂本町 川口版 川口屋 宇兵衛
嘉永5年(1852)刊、江戸。三代歌川豊国(1786 -1865)、二代歌川国貞(1823 -80)。
豊国〈3〉,内 河長
三代歌川豊国(国貞改、1786 -1865)。江戸時代、大判錦絵
豊国, 湊小
安政3年(1856)出版。美人画の名手、三代歌川豊国(1786 - 1865)の作。江戸の市村座で嘉永1年(1848)に上演された歌舞伎「絵入稗史蕣物語(えいりひしあさがおものがたり)」の「宇治蛍狩の場」の場面を描く。右に描かれているのは、初代坂東しうか演じる弓月娘深雪、左に描かれているのは八代目市川団十郎演じる宮木阿曽次郎。
梅蝶楼国貞,蔦屋吉蔵
安政4年(1857)刊、 蔦屋吉蔵。梅蝶楼国貞こと歌川豊国(1823 - 80)は江戸時代末期から明治時代にかけての浮世絵師。
楊洲周延,福田初次郎
「千代田の大奥」は、江戸城の大奥で暮らす女性たちの姿や年中行事を描いた大判三枚続きの錦絵シリーズ。作者は、幕末~明治時代の浮世絵師で美人画を得意とした楊洲周延。明治27-29年(1894-96)刊行。
楊洲周延,秋山武右衛門
明治31年(1898)刊 。楊洲周延(ちかのぶ、1838 - 1912)は江戸時代末期から明治時代にかけての浮世絵師。秋山武右衛門は浮世絵の版元。
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蛍に関連するさまざまな資料や文献を閲覧できる。資料館の横の人工河川ではゲンジボタルが飛び交う。
ホタルの生態やホタルを取り巻く豊田町の自然について、実物・映像・模型・パネルなどで紹介。館外には、ゲンジボタルやヘイケボタルを観察できる「ホタルせせらぎ広場」がある。
5年以上前の研究会誌を閲覧可能。ホタル関連の文献を紹介。
「ほたるスポット検索」では、全国120カ所の蛍観賞スポットを検索できる。毎年蛍の観賞シーズンに、「ほたる出現予想」を公開。
参考文献
- 「ホタル」の項
- 「ホタル」の項
- 日立デジタル平凡社,平凡社
- 小学館
- 「蛍」の項
- 責任表示
- 二次利用について
ただし、画像は個々の権利表示による
- 最終更新日
- 2025/11/27