平安前期に活躍した歌人。生没年不詳。出自について、小野良真(よしざね)の娘で小野篁(たかむら)の孫などと伝わるが明らかではなく、履歴はほとんど判明していない。
平安前期に編纂された日本初の勅撰和歌集『古今和歌集』や平安中期の『後撰和歌集』など、勅撰集に60余首の歌がおさめられている。『古今和歌集』に「近き世にその名聞こえたる人」として取り上げられた「六歌仙」に女性で唯一選ばれ、平安中期に藤原公任(きんとう)が撰んだ『三十六人撰』(三十六歌仙)、鎌倉初期に藤原定家(ていか)が撰んだとされる「小倉百人一首」にも選出されている。
その作風は漢詩の表現を取り入れた、情熱的で優美な恋愛歌が多く、王朝女流文学の先駆者となった。現在伝わる家集『小町集』は後人の撰で、小野小町の歌と明らかなものは少ない。
後世、歌才に優れた絶世の美女として伝説化され、謡曲・浄瑠璃・御伽草子・歌舞伎など多くの作品の題材となった。小野小町伝説をもとに作られた七つの謡曲(草子洗小町・通(かよい)小町・鸚鵡(おうむ)小町・卒都婆(そとば)小町・関寺小町・清水小町・雨乞小町)は「七小町」と呼ばれる。
江戸時代には、六歌仙を主題にした歌舞伎「化粧六歌仙(よそおいろっかせん)」「六歌仙容彩(ろっかせんすがたのいろどり)」などが上演され、これらの役者絵をはじめ、小野小町の歌仙絵や美人画、「七小町」を題材にした見立絵など、小野小町に関連する絵が多く描かれた。
関連するひと・もの・こと
百人の歌人の秀歌を一首ずつ集めた歌集。特に『小倉百人一首』のこと。小野小町の歌を収録。
江戸時代に盛行した多色刷りの浮世絵の総称。小野小町を画題にした錦絵が多く残っている。
女性美を主題に描いた絵画で、江戸から明治にかけては「美人絵」「女絵」などと呼ばれていた。絶世の美女と言われた小野小町は美人画の格好の画題だった。
自由奔放な美男子として語り継がれる平安時代の歌人。六歌仙・三十六歌仙の一人。歌に優れた美男美女として小野小町と並称される。
歌人・在原業平をモデルとした主人公の一代記的構成をもつ、平安中期の歌物語。作中に小野小町の歌が取り入れられ、中世では一部の登場人物を小野小町と解釈していた。
錦絵を大成した美人画の名手。小野小町の美人画を描いた。
室町時代、足利将軍家に仕え、美術品の鑑定やさまざまな芸能に従事した職能衆団。能を大成した観阿弥・世阿弥が小野小町を題材にした謡曲の制作や改作を行った。
本で知る
育徳財団
『後撰和歌集』恋三に収録された小野小町の歌。「心からうきたる船にのりそめてひとひも浪にぬれぬひそなき」。詞書「おとこのけしきやうやうつらけにみえけれは」。『後撰和歌集』は、『古今集』に次ぐ二番目の勅撰集。掲出本は、南北朝時代の歌人・浄弁が書写した本の複製。「尊経閣叢刊」本。
順徳天皇,写
順徳院が夢にあらわれた小町を、歌の神のように賛仰したことが記されている『八雲御抄』の巻6の一節。『八雲御抄』は、鎌倉初期の歌学書。順徳天皇の著作。1221年(承久3年(1221)より前から執筆、承久の乱(1221)後、佐渡の配所で手を加えてまとめられた。
刊
平安中期ないし末期に成立した長文の序をもつ漢詩。老いさらばえて町を徘徊する女が、往時の栄華と親兄弟の死によって零落する悲惨な老境を綿々と語る。主人公は小野小町ではないが、小町の物語として読みつがれて後世の小町伝説に大きな影響を与えた。
[吉田兼好] [著]
小野小町について触れている『徒然草』の173段。「小野小町がこと、きはめてさだかならず」といい、小町が衰えたさまは「玉造といふ文に出ている」として、『玉造小町壮衰書』についても言及している。しかしこの本の作者は三好清行といわれ、また弘法大師の著作の目録にもあるが、大師とは時代も違い、いずれにしておぼすかないことだ、としめくくっている。
謡曲。四番目物。各流。観阿彌改作。古名「四位少将」。小野小町に思いをかけて死んだ深草少将の百夜通(ももよがよい)を描く。掲出本は、古活字版で刊行された観世流の嵯峨本謡本の一冊。我が国が世界に誇る美しい装丁と印刷の本である。
謡曲。四番目物。観阿弥作。卒都婆に腰を掛けて高野山の僧にたしなめられた老女小野小町が、狂乱の体となり、百夜通いのありさまを再現する。掲出は、各冊巻末に元和6年(1620)卯月(4月)の観世左近大夫暮閑の奥書があることから、「元和卯月本」と通称される100冊揃いの観世流謡本のうちの一冊。装訂は綴葉装(列帖装)で両面印刷。各冊の表紙には曲に因んだ絵が金銀泥で描かれ、本文は近衛流の書体で、美術的にも珍重される。
西川祐信 画,菊屋喜兵衛
西川祐信の風俗絵本。2巻。宝暦11年(1761)正月、菊屋喜兵衛刊、大本合1冊。上巻は、衣通姫、小野小町、和泉式部、紫式部、浄瑠璃御前と牛若丸、業平と井筒、山路と玉よ、西行法師と江口の君。小野小町は、謡曲の「雨乞小町」の場面を写したような絵柄である。
豊国,梅華山人,魚栄
美人画の名手、三代歌川豊国による、歴史上の著名な女性を描いた美人画シリーズ。本図は小野小町で、謡曲「草紙洗小町」にもとづき、自らの名誉を挽回するため、『万葉集』の草紙を水で洗うシーンが描かれている。
渓斎英泉,佐野喜
小野小町にまつわる七つの謡曲「七小町」を江戸時代の女性の見立絵とした揃物。本図は「通い小町」。作者の渓斎英泉は江戸後期の浮世絵師で、一時期は自ら女郎屋を営み、遊女や芸妓に取材した美人画を得意とした。晩年は戯作者に転向、文筆業に専念した。
国貞改二代豊国,佐野喜
豊国,小川
豊国,伊勢兼
廿三世金剛右京 訂正,桧書店
秋元洒汀 著,白鳩社
[大中臣能宣 ほか撰],古典保存会
もっと知りたい
三井高大氏寄贈,Gift of Mr. Mitsui Takakiyo,東京国立博物館,Tokyo National Museum
【国宝】 元永本『古今和歌集』。掲出は、小野小町に触れている仮名序の一節。「小野の小町は、いにしへのそとほりひめのりうなり。あはれなるやうにてつよからず。いはゞよき女のなやめるところあるかことし。つよからぬはをむなの哥なればなるへし」。 元永本『古今和歌集』は、の仮名序から巻第20までを完存するなかで現存最古の遺品。和製(わせい)の唐紙を使用した豪華な綴葉装(てつようそう)の冊子本で、もとの体裁をほぼ伝えている。筆者は、「巻子本古今和歌集」など、一群の名筆を残しており、藤原行成の曾孫定実とする説が有力である。上巻の最後に「元永三年(1120年)七月廿四日」と日付が記されていることから、元永本と呼ばれる。文様を摺った紙と小さく切った金箔や銀箔を蒔いた紙とを、見開きで交互になるようにとじられ、文様のバリエーションは十数種類に及ぶ。
二条為明筆,By Nijo Tameaki (1295-1364),東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 恋歌二の小野小町の歌。「思ひつつぬれはや人の見えつらん夢としりせはさめさらましを」十世紀の初めに成立し、多くの写本が制作された古今和歌集の中でも、この本は藤原定家による校合の跡を伝える重要なものとして、二条流和歌の宗家に伝えられた。江戸時代には基準的な本とされ、流布した写本や版本のほとんどがこの本に基づくといわれる。
後伏見天皇筆,By Emperor Gofushimi (1288-1336),東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 後伏見天皇筆の『古今和歌集』。掲出は、恋五の小野小町の歌。「いろみえてうつろふものはよの中の人の心の花にそありける」。本書には、烏丸光広の跋、及び近衛信尹(1565-1614)の添状があり、いずれも後伏見天皇の宸翰鑑定している。仮名序と巻第一から巻第二十まで古今和歌集のすべてを一人で写したもので、後伏見天皇の書に対するなみなみならぬ情熱が感じられる。元亨2年(1322)4月の巻末奥書により、藤原定家の貞応本の系統になる『古今和歌集』と知られる。
岩佐又兵衛
岩佐又兵衛は江戸初期の絵師。伊丹城主荒木村重の子として生まれ、数奇な運命を経て越前松平家の御用絵師をつとめた後、幕府の招きで江戸に移った。土佐派や狩野派などの影響を受けつつ独自の画風を展開。本図の他にも、川越東照宮の「三十六歌仙額」をはじめ、歌仙絵が数点残っている。
春信〈1〉
江戸中期の浮世絵師で錦絵を大成した、初代鈴木春信の作。手に扇を持った立ち姿の小野小町を描く。
清長, 高津屋伊助か?(『清長展』図録№179にはそう記されるが、本図には版元印はない。)
江戸後期に美人画で独自の画風を確立し、一世を風靡した浮世絵師・鳥居清長の作。本図の小野小町は、鈴木春信の画を踏襲しているとみられるが、清長美人画の特徴である、背の高いすらりとのびやかな八頭身の女性として描かれている。
国芳,エヒ子
江戸末期の浮世絵師で武者絵を得意とした歌川国芳の作。「百人一首之内」は小倉百人一首の歌を画題にした100枚の揃物。歌の情景を描き、詞書には歌と解説が書かれている。
栄之,永寿板
江戸後期の浮世絵師で気品のある美人画で人気を得た鳥文斎栄之(ちょうぶんさいえいし)の作。小野小町の肖像が描かれ、詠歌「花の色はうつりにけりな」が添えられている。
国貞〈1〉,- 森屋 治兵衛
合巻『浮世源氏絵』(山東京山作、国貞<1>・国直・豊国<3>画、天保元~嘉永元刊、森屋治兵衛板、15編60巻)の絵表紙上下巻の校合摺ヵ。ただし11.42425を除いて、題名が「浮世源氏」となっている。
清倍〈2〉, 平野屋
豊国〈3〉,古 本二 古勝 古賀屋 勝五郎
岳亭,文章舎 正世
豊国〈3〉,若狭屋
栄之,(巴)永寿板
清満
絵画に描かれた小野小町
土佐光起筆,By Tosa Mitsuoki (1617–1691),東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸初期(17世紀)に活躍した土佐派中興の祖・土佐光起の作。六歌仙(僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大友黒主)の歌人の肖像が描かれ、その詠歌が添えられている。
伊藤若冲 ITO Jakuchu,Six Poetic Immortals,sumi on paper,木村定三コレクション / Kimura Teizo Collection
江戸中期の絵師・伊藤若冲の作。六歌仙が豆腐田楽をつくる様子を描いたユーモラスな墨絵。右上から、すり鉢で田楽味噌をする喜撰法師、提箱から豆腐をとりだす小野小町、田楽を炙り団扇で扇ぐ大友黒主、豆腐に串を打つ在原業平、大盃で酒を飲む僧正遍昭、酒瓶の残りを確かめる文屋康秀。
西村清狂 NISHIMURA Seikyo,Six Poetic Immortals,sumi and color on paper,木村定三コレクション / Kimura Teizo Collection
西村清狂は江戸中期の尾張(名古屋)の絵師。山水画、人物画にすぐれ、戯画も得意とした。尾張南画初期の代表的作家。
国芳,並木湊小版 湊屋小兵衛
江戸末期の浮世絵師で武者絵を得意とした歌川国芳の作。
狩野晴川院〈養信〉模,Copied by Kano Seisen'in (Osanobu),東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>現在は各歌仙ごとに掛幅となり15点ほどが確認されている、業兼本が巻子装だった頃に全巻を写した模本。住吉具慶模写本を、天保8年(1837)に狩野晴川院が写した。約三分の一の歌仙の図様が時代不同歌合と共通し、その影響下に成立したと考えられる。<br /></p>
東京国立博物館,Tokyo National Museum
書を万里小路宣房の子、藤房筆と伝える伝本の模本で、「後醍醐帝本」とも呼ばれる。彩色は控えめで、彫り塗りを用い、画面上部に墨界線を引く作例も見られる。宣房本と近く、万里小路家の周辺でこうした歌仙絵が制作されていた可能性も考えられる。
狩野晴川院〈養信〉、狩野勝川院〈雅信〉、小林養建模,Copied by Kano Seisen'in (Osanobu), Kano Shosen'in (Tadanobu), and Kobayashi Yoken,東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>巻末に「寛永の三筆」の一人烏丸光広(1579~1638)の奥書があることから「烏丸光広奥書本」の別称がある。後鳥羽院とおおむね図様を共有しながら、数人の歌仙に異なる姿態が確認され、別本とみられている。原本は「細川能登守」の蔵品であったらしい。 <br /></p>
北斎,図南
江戸後期の浮世絵師・葛飾北斎の「文字絵六歌仙」。六歌仙の肖像描かれ、上部には詠歌が記される。「文字絵」とは文字をあしらって絵を描いたもの。本シリーズは歌仙の衣裳の輪郭線が名前の文字で構成されている。
幕末の銅版画家・岡田春灯斎(しゅんとうさい)の豆版の銅版画。三十六歌仙とその詠歌が描かれている。
文調, 丸に村
晴嶺,大黒屋
松好斎
広重〈1〉,藤彦 藤岡屋彦太郎
小野小町を題材にした能
老女は小野小町の老衰した顔を写したといわれる面。「卒都婆小町」「関寺小町」の小町物や「姨捨」の老女の霊の役に用いる。姥の面のような皺はなく、白髪を混ぜるところが痩女の面と異なる。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
「高砂」「国栖」に登場する老夫婦の翁は尉面、嫗は姥を用いる。目は伏し目とし、全体を刳り抜く。年老いた女性の面のうち「姥」は神がかった役に用いるが、「関寺小町」「姨捨」などの老女の役にも使われる。修理によって表情が硬くなっているが、面裏の彫りに古さが感じられる。
「出目満茂」焼印,With branded mark “Deme Mitsushige”,東京国立博物館,Tokyo National Museum
若女は「草紙洗小町」の小野小町などで使用する優雅で気品のある女性の面。ふっくらとした頬や顎、唇、つややかな肌、切れ長の目、整った鼻をしている。かわいらしさだけではなく上品さや洗練された美しさを持つ。額の中央から少し太く2本、こめかみ辺りに細く3本、その下へ3本の髪筋を描く。
観世元滋 訂,桧大瓜堂
「草紙洗小町」の大正時代の観世流の謡曲本。
耕漁,-,日本橋区吉川町二番地 松木平吉 松木 平吉
内裏での歌合わせの前日、歌人・大伴黒主(ワキ)は相手の小野小町(前シテ)の家に忍び込み、小町の和歌を盗み聴く。黒主はその歌を古歌と偽るため、『万葉集』の草子に書き入れた。翌日、歌会で小町(後シテ)が歌が読むと、黒主はその歌が古歌の盗作だと言い出し、証拠として『万葉集』の草子を出す。小町が草紙を見ると、その歌の箇所だけ文字の書き方が異なり、黒主の策略に気づく。小町が草子を水で洗うとやはり例の歌だけが消えていた。黒主は恥辱のあまり自害を図るが、小町がこれを引き留め、帝も黒主を許す。皆が小町に舞いを舞うように勧めると、小町は舞を舞った。
豊国〈3〉,長 芝神 有田屋 有田屋 清右衛門
美人画の名手、三代歌川豊国の作。「七小町」を江戸時代の女性の見立絵とした7枚の揃物。本図は「草紙洗小町」。
「通小町」の古活字版で刊行された観世流謡本の揃い。「嵯峨本謡本」、「光悦謡本」、「角倉本」等と通称されるもののひとつで、我が国が世界に誇る美しい装丁と印刷の本である。
耕漁,東京両国 大黒屋製 松木 平吉
「通小町」は小野小町のもとに百夜通の果てに死んだといわれる深草少将の伝説をもとにした謡曲。深草少将の霊が死後も小野小町の霊を追い成仏を妨げるが、僧の回向で成仏する。古作を観阿弥が改作。左は小野小町の霊(ツレ)、右は深草少将の霊(シテ)。
春章〈1〉
江戸中期の浮世絵師・勝川春章の作。勝川春章は、勝川派の祖。役者の個性的な表情をとらえた役者絵で人気を高めた。肉筆美人画にもすぐれ多くの傑作を残す。僧のもとへ通う女(小野小町の霊)が描かれている。
春信〈1〉, -
江戸中期の浮世絵師で錦絵を大成した、初代鈴木春信の作。「やつし」とは、古典のものを現代風に卑近にして表すこと。この絵では、連夜深草少将の通いを受ける小野小町を茶屋で客を待つ江戸時代の遊女にやつして描写している。「風流やつし七小町」は紅摺絵の7枚の揃物で、春信が錦絵に移行する直前に制作した傑作。
国貞〈2〉, 藤岡屋慶次郎
美人画の名手、三代歌川豊国(二代国貞)の作。『七小町吾妻風俗』は、江戸時代の遊郭の風俗を「七小町」に見立てて描いた揃物。
「鸚鵡小町」の古活字版で刊行された観世流謡本の揃い。「嵯峨本謡本」、「光悦謡本」、「角倉本」等と通称されるもののひとつで、我が国が世界に誇る美しい装丁と印刷の本である。
耕漁,東京両国 大黒屋製 松木 平吉
「鸚鵡小町」は小野小町の老後を描いた謡曲。百歳の小野小町のもとに、帝の和歌をたずさえた新大納言行家が訪れる。小町はその歌の一字を変え鸚鵡返しの古法によって返歌をし、行家の求めに応じて和歌の道を語り、昔をしのんで舞を舞う。左は小野小町(シテ)、右は新大納言行家(ワキ)。
春章〈1〉
江戸中期の浮世絵師・勝川春章の作。勝川春章は、勝川派の祖。役者の個性的な表情をとらえた役者絵で人気を高めた。肉筆美人画にもすぐれ多くの傑作を残す。帝の和歌を受け取る年老いた小野小町が描かれている。扇面の周りには、作中の小野小町の返歌「雲の上はありし昔に変はらねど見し玉簾の内ぞゆかしき」が書かれている。
「卒塔婆小町」の観世流の謡本。年月の明記された版行謡本としては最も古いもので、観世大夫公認の謡本として権威を持った。各冊巻末に元和6年(1620)卯月(4月)の観世左近大夫暮閑の奥書があることから、「元和卯月本」と通称される。
耕漁,東京両国 大黒屋 発行 松木 平吉
「卒塔婆小町」は小野小町の老後を描いた謡曲。観阿弥作。高野山の僧が都へ上がる途中、卒都婆に腰かけた老女をとがめて説教を始めるが、逆に論破される。老女は小野小町のなれのはてで、今の境涯について語るうちに、かつて小野小町を恋慕した深草少将の怨念がとりつき、百夜通いの有様を再現する。絵に描かれているのは小野小町(シテ)。
「関寺小町」の古活字版で刊行された観世流謡本の揃い。「嵯峨本謡本」、「光悦謡本」、「角倉本」等と通称されるもののひとつで、我が国が世界に誇る美しい装丁と印刷の本である。
耕漁,印刷兼発行者 日本橋区吉川町二番地 松木平吉(「大平」) 松木 平吉
「卒塔婆小町」は小野小町の老後を描いた謡曲。近江国関寺の僧が七夕の日に、稚児を伴って、近くに住む老女の所に和歌の話を聞きに行く。老女の和歌の物語から老女こそが小野小町の零落した姿であると分かる。関寺の七夕祭に招かれた小町は稚児の舞にさそわれて舞い、明方に庵に帰る。絵に描かれているのは小野小町(シテ)が作り物の藁屋の中で歌を詠む姿。
清倍〈2〉,ゑ 元浜町伊賀屋板 伊賀屋
豊国,井 山 十
歌麿
国芳,吉 両国 かゝや 加賀屋 吉右衛門
豊国, 和泉屋市兵衛
小野小町を題材にした歌舞伎
国貞〈1〉,中村,川正 川口屋 正蔵 ,小町〈2〉岩井 粂三郎、喜撰〈2〉中村 芝翫、業平〈2〉中村 芝翫、康秀〈2〉中村 芝翫、遍昭〈2〉中村 芝翫、黒主〈2〉中村 芝翫
豊国〈3〉,河原崎座,小林、文正堂 小林 泰治郎 ,僧正遍昭〈5〉沢村 長十郎、大友黒主〈5〉沢村 長十郎、小野小町〈4〉尾上 梅幸、在原業平〈5〉沢村 長十郎、文屋康秀〈5〉沢村 長十郎、喜撰法師〈5〉沢村 長十郎、
美人画の名手、三代歌川豊国による歌舞伎絵。嘉永4年(1851)に、木挽町の河原崎座で行われた六歌仙をテーマにした興行の図。小野小町は、品格のある女形として人気の高かった四代目尾上梅幸(四代目尾上菊五郎)が演じた。
豊国〈3〉, 湊屋小兵衛
美人画の名手、三代歌川豊国による、「六歌仙容彩」の歌舞伎絵。安政5年(1854)出版。
豊国〈3〉,市村座,太 ,小町〈4〉尾上 梅幸、業平〈1〉中村 福助
美人画の名手、三代歌川豊国による団扇絵。嘉永7年(1854)に浅草の市村座で上演された「六歌仙体綵(ろっかせんすがたいろどり)」の役者が描かれている。小野小町は四代目尾上梅幸、在原業平は初代中村福助(四代目中村芝翫)。団扇絵は、江戸時代の夏(4~6月)に売り出され、切り取って団扇に貼って使用された。
清倍,はん元 もとはま丁 いがや ,小野小町〈1〉嵐 和歌野
初代嵐和歌野(1692~1728)は、江戸中期の歌舞伎役者。若女方として京都・大坂の舞台に立った後、江戸に出た。世話物をよくし、傾城役を得意とした。本図は漆絵。漆絵・丹絵の役者絵や美人画の傑作を多く描いた鳥居清倍による。
清満
初代中村松江(1742~1786)は、江戸中期の歌舞伎役者。初代中村歌右衛門の門弟。上方で修業して若女形として成長した後、江戸に下り松江と改名。美貌の女形で人気があり、世話女房や遊女などの役柄を得意とした。絵は、役者看板絵や紅摺絵の美人画・役者絵などを描いた初代鳥居清満(1735~1785)。
写楽, 蔦屋 重三郎
江戸後期に個性豊かな役者似顔絵を描いた東洲斎写楽の作。二代目中村野塩(1759~1800)は京坂で活躍した後、江戸にくだり若女方として人気を得た。
豊国〈1〉,中村座,- - ,良実の息女小野小町〈2〉沢村 田之助
文化7年(1810)に日本橋人形町の中村座で上演された「雪月花黒主(ゆきとつきはなのくろぬし)」の良実の息女小野小町の図。二代目沢村田之助(さわむらたのすけ)(1788~1817)は京都・大阪・江戸の三都で人気が高い、若女形の花形だったが、30歳で早世した。絵は初代歌川豊国(1769~1825)。
-,- ,〈〉中村 歌右衛門
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大宮町は京都府の北西部、丹後半島にあります。平安時代の歌人小野小町が、この地で晩年を過ごしたという言い伝えがあります。この町は、丹後ちりめんで知られています。近年、原料の絹糸の成分の一つ「セリシン」が肌に良いことがわかり、化粧品やせっけんなどに応用されています。※大宮町は2004年市町村合併により、京丹後市になりました。
福島県の小野町(おのまち)。町の名前は、平安時代にこの地方を治めていた、小野小町の父親「小野篁(おののたかむら)」に由来します。いわきと郡山を結ぶ交通の要衝で、江戸時代から宿場町として栄えてきました。平安時代に開かれた東堂山万福寺(とうどうさんまんぷくじ)には、たくさんの羅漢像があります。どの羅漢像もとてもユニークで表情豊かです。
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小倉百人一首や日本美術をはじめとする嵯峨嵐山にゆかりのある芸術・文化を紹介するミュージアム。1階常設展で百人一首に関する展示を行うほか、シーズンごとに日本美術の企画展を開催。
京都市山科区小野にある真言宗善通寺派の大本山。小町文塚や小野小町の旧邸にあった井戸と伝えられる化粧の井戸がある。
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参考文献
- 日立デジタル平凡社,平凡社
- 責任表示
- 国立国会図書館
- 二次利用について
ただし、画像は個々の権利表示による
- 最終更新日
- 2024/03/04