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天正遣欧使節
豊臣秀吉の時代、キリシタン大名らがローマ教皇のもとに派遣した4人の少年使節団
天正少年使節、天正遣欧少年使節ともいう。天正10年(1582)に九州のキリシタン大名大友宗麟(そうりん)・大村純忠(すみただ)・有馬晴信がイエズス会の宣教師バリニャーノの勧めによりローマ教皇のもとに派遣した少年親善使節団。正使は伊東マンショ、千々石(ちぢわ)ミゲル、副使は原マルチノ、中浦ジュリアンで、イスパニア国王フェリペ2世に謁見し、ローマ法王グレゴリウス13世からは最高の待遇をもって引見された。バリニャーノの目的は、彼ら14~15歳の少年にヨーロッパのキリスト教界の偉大さを見聞させ、帰国後に語らせることで布教上の成果をあげること、またローマ法王や王侯貴族に日本人を紹介することで日本での布教事業に理解を深め、援助を求めることにあった。天正18年(1590)一行は長崎に帰り、翌年聚楽第で豊臣秀吉に謁見した。かれらはイエズス会に入ったが、のちミゲルは棄教、ほか3名は司祭になるもののいずれも病死または殉教死を遂げ、必ずしも期待に応えられなかった。しかし、ヨーロッパ・キリスト教世界に日本と日本人を知らしめた功績は大きい。
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| タイトル | 主催者 | 会場 | 開始 | 終了 |
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天正遣欧使節を派遣した有馬氏、その拠点の日野江城や原城、キリスト教伝来やキリシタン弾圧などをテーマとする。
「日本文化の形成をアジア史的観点から捉える」をコンセプトにした博物館です。
ローマに派遣された日本初の公式使節団、かれらが出帆して400年目を記念し、4少年の偉業を讃えるために建てられた顕彰像。所在地は長崎県大村市森園町。
伊東マンショの魂の偉業と足跡を讃えるためマンショ祭を開催、また翻訳活動を行っている。
