『東韃紀行』1942 2版 / 国立国会図書館デジタルコレクション
間宮林蔵
樺太(からふと)が島であることを確認し、間宮海峡の名の由来ともなった江戸後期の探検家
1775-1844(安永4-弘化1)
江戸後期の北方探検家。名は倫宗(ともむね)。常陸国筑波郡上平柳(かみひらやなぎ)村(現在の茨城県つくばみらい市)の農家に生まれる。江戸に出て地理学を学んだ。寛政11年(1799)初めて蝦夷地に渡り、翌年には蝦夷地御用雇となり、蝦夷地測量中の伊能忠敬に測量術を学び、伊能ができなかった蝦夷地北西部や択捉(えとろふ)島を測量した。間宮の測量データは伊能に提供され、伊能図に反映された。文化5年(1808)幕命により松田伝十郎と樺太を探検、翌年シベリアに渡り、アムール川下流に至る。この間樺太が大陸とつながった半島ではなく、島であることを確認し、 1832年シーボルトによって間宮海峡の名で世界に紹介された。晩年は密貿易調査などの隠密として働き、シーボルト事件の通報者とされる。著書に『東韃(とうだつ)紀行』『北蝦夷地部』『北蝦夷図説』などがある。
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茨城県つくばみらい市の専称寺。なお東京都江東区の本立院にも墓がある。
茨城県つくばみらい市の間宮林蔵生地近くに建てられた記念館。間宮林蔵の生家も移築されている。
茨城県つくば市にある国土地理院のホームページに掲載された「測量・地図ミニ人物伝」で解説。間宮林蔵が協力した「官板実測日本地図 蝦夷諸島」も検索できる。
参考文献
- 対外関係史総合年表編集委員会 編,吉川弘文館
- 加藤友康 [ほか]編,吉川弘文館
- 歴史学研究会 編,岩波書店
- 吉村昭 著,埼玉福祉会