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冨嶽三十六景・神奈川沖浪裏 / 東京国立博物館

江戸時代の美術

江戸時代における日本美術の変遷

江戸時代(1603〜1868)はさまざまな分野で優れた美術作品が生み出されてきた。安土桃山時代に続き、京都が重要な位置を占めるが、幕府が開かれたことに伴い、江戸も新たな美術の発信地となった。まず、絵画においては狩野派を典型として、御用絵師階層を確立し、やまと絵系の住吉派を取込みながら武家階層の中で勢力を拡大していった。しかし、権威主義的で組織化した体制は、創造性を失っていくこととなる。一方、京都においては琳派、文人画、円山四条派、さらには奇想系の絵画などが生まれた。これらの担い手が支配階層ではなく町民階層であることは、この時代の美術をもっともよく表す特徴だろう。その中で最も象徴的なのが、浮世絵である。絵本や版本の挿絵、墨摺絵、そして錦絵へと進化を続け、その造形は海外の印象派の画家たちにも影響を与えることになった。絵画だけでなく、工芸の分野にも多くの優れた作品が生まれている。日本の美術史上においても、最も豊穣な時代だったと言えるだろう。

狩野派の席捲

江戸絵画の扉を開いた絵師集団

狩野派は、日本画の一流派。室町時代中期に起こり、室町幕府の御用絵師になった狩野正信や、織田信長や豊臣秀吉の庇護を受けた狩野永徳らによって隆盛を極めた。江戸時代に入ると、若くして幕府の御用絵師となった狩野探幽が台頭。瀟洒淡白と言われる画風を開拓し、狩野派の画風の基礎を確立するとともに、宮内卿法印に叙せられるなど権勢を極めて狩野派の地位を不動のものとし、以降、鍛治橋・木挽町・中橋・浜町の狩野四家が幕府の奥絵師を独占した。一方、京都では狩野山楽や山雪による京狩野が活躍している。その後も狩野派は江戸時代を通して主流派であり続けたが、徐々に芸術的創造性は失われていき、久隅守景や英一蝶らのように、破門されたり、一門から遠ざかったりした絵師が名を残している。明治期初期には、フェノロサや岡倉天心と関係した狩野芳崖や橋本雅邦が活躍している。

400年にわたって日本画壇に君臨した絵師集団

狩野永徳の孫。江戸幕府の御用絵師として活躍。晩年には宮内卿法印を叙任するなど、狩野派の権威を不動のものにした。 図は、伝桃田柳栄「狩野探幽像」。

狩野永徳の養子。永徳とともに豊臣秀吉に仕え、安土城の障壁画や東福寺の天井画などを手がけた。江戸時代に狩野探幽らが江戸に移って活動する中、山楽は後継者の山雪とともに京都に残り、京狩野を形成した。図は、伝木村香雪「狩野山楽像」。

くすみもりかげ。江戸時代前期の絵師。狩野探幽門下の四天王のひとり。門弟のなかで、探幽の画風をもっとも正しく受け継いだ画家であるが、後年に破門され、罪を得て佐渡に流された。その後は金沢や京都で創作活動を続けた。図は、守景筆の「山水図」。

はなぶさいっちょう。江戸時代前中期の絵師。京都の生まれで、後に江戸に出て、狩野安信に入門したが、後に破門された。その後は町絵師として活躍する一方、俳諧師としても活躍し、松尾芭蕉らと交流した風流人であった。

かのうほうがい。江戸時代末期から明治にかけて活躍した絵師。長府藩狩野派の御用絵師だった狩野晴皐の家に生まれた。明治初期にフェノロサと出会い、日本画の伝統に西洋絵画の写実や空間表現を取り入れた作品を多く残した。 図は、芳崖筆の「獅子図 」

はしもとがほう。江戸時代末期〜明治にかけて活躍した絵師。父が狩野派の絵師で、幼い頃より狩野派の手解きを受けた。狩野芳崖と親交し、明治初期に共にフェノロサから手ほどきを受けて、西洋絵画の技法を取り入れたの表現を模索し、多くの作品を残した。図は、雅邦筆の「竹林猫」。

琳派の登場

光悦・宗達の美意識を受け継ぐ、江戸時代を通じて栄えた装飾性

桃山時代後期に活躍した、本阿弥光悦や俵屋宗達が創始し江戸時代中期に尾形光琳によって大成された流派。絵画だけではなく、書や工芸も含む総合性をもつもので、江戸時代を通じて隆盛した。大和絵の伝統を継承しながら、大胆なデザインと色彩によって装飾性に満ちた作品が特徴。当初は京都を中心としたが、江戸後期には江戸へと拠点が移り、酒井抱一やその弟子の鈴木其一らが活躍した。

書画、漆芸、陶芸に通じた桃山・江戸初期を代表する芸術家

洗練された構図と高い装飾性を特徴とした、日本美術の潮流「琳派」の先駆者

元禄上方文化を牽引した、琳派の大成者

江戸時代中期の陶芸家。光琳の弟。陶法を野々村仁清に学び、京都で鳴滝窯を開き、晩年は江戸入谷に窯を築いた。光琳の意匠を図案化した作品も多く残した。図は、乾山作の「銹絵葡萄図角皿」。

ふかえろしゅう。江戸中期の絵師。商家の出で、若いころから光琳に師事したとされる。作品は古典に題材を求めたものが多く、俵屋宗達に通じる素朴な作風を示す。 図は、芦舟筆の「蔦の細道図屏風」。

俵屋宗達・尾形光琳の流れを汲み、江戸で琳派を再興した「江戸琳派」の祖

すずききいつ。江戸後期の絵師で、酒井抱一の弟子。抱一の影響を強く受けた作品が多いが、後年は大胆で斬新な装飾に満ちた独自の画風を確立した。 図は、其一筆の「萩月図襖」。

文人画と写生画

中国の文人への憧憬と、写生への執念。時代に新風を吹き込んだ二大画派

文人画とは、文人墨客、つまり教養人が描く絵画のこと。中国で科挙を通った士大夫や処士らによって手がけられたものを指し、日本でも江戸時代に、これに憧れてはじめられた。その作品は南宗画風によったものが多いので、南画とも呼ばれる。日本の文人画は紀州藩の儒官の祇園南海により基礎が確立され、その後、与謝蕪村や田能村竹田、浦上玉堂らが上方の画壇で活躍した。江戸では谷文晁が人気を集め、渡辺崋山ら多くの弟子を従えた。写意的傾向の強い文人画に対し、写生の重要性を訴えたのが円山応挙だ。眼鏡絵の制作などを通して得た奥行き表現を駆使し、リアリティに富んだ写生画を数多く生み出した。やがて応挙は、またたく間に京都第一の画家となり、以降、円山四条派が京都画壇を席巻した。

中国より伝わり、江戸時代に池大雅と与謝蕪村によって大成された絵画様式

ぎおんなんかい。江戸時代中期の絵師、儒学者。紀州藩の藩医祇園順庵の長子として江戸に生まれる。22歳で藩の儒官となるも、不行跡によって追われ、後に許され藩校で教えた。早くから元・明の文人画風を学び、その影響を受けた作品を多くの越したことから、日本の文人画の祖と言われる。 図は、南海筆の「山水図」。

江戸中期から後期の文人画家。武士であったが仕官中に書画、詩、琴などに傾倒し、50歳で脱藩、各地を遊歴した。

たのむらちくでん。江戸後期の南画家。豊後竹田の岡藩藩医の家に生まれ、儒学を志し藩校の頭取までになった。後に職を辞し、文人生活に専念。谷文晁に師事するなど、文人墨客と交流しながら、多くの作品を残した。 図は、竹田筆の「吾汝同酔図」。

関東文人画の泰斗。八宗兼学と呼ばれる多様な画風

江戸中期の俳人・画家。書画、俳諧ともに優れ、文人画の大成者の一人とされる

江戸中期の文人画家。与謝蕪村とともに南画を大成した

精緻な写生画で一世を風靡した、江戸中期の巨匠

洋学を学び、幕府の保守的な外交政策を批判した三河国田原藩士。西洋画の影響下、独自の画風を確立した画家としても知られる

奇想の絵師

現代人も興奮させる奇抜なイメージ

奇想と呼ばれる分類が登場したのはごく最近のこと。1968年、美術史家の辻惟雄による「奇想の系譜ー江戸のアヴァンギャルド」が連載され、そこで岩佐又兵衛や伊藤若冲らが取り上げられてからである。正当な粉本主義(粉本とは下書きのこと。先人の絵を模倣してその技術を習得することをいうが、画一的との批判もある)による絵画の埒外で、奇矯で幻想的なイメージを打ち出した絵画群は当時においても異色だったばかりか、現代においても多くの人々に驚きを与え、海外においても高く評価されている。


安土桃山時代〜江戸時代初期にかけて活躍した絵師。戦国大名の荒木村重の子。京都で絵師として活動を始め、40歳くらいの時に越前福井藩に招かれて、20年あまりをこの地で過ごし、その後江戸に移り住んで活躍した。図は、又兵衛筆「伊勢物語 鳥の子図」。

はくいんえかく。臨済宗の僧。若くして全国を遊歴し、24歳の時に越後の英巖寺で大悟したという。その後、生まれ故郷の駿河の松陰寺に入り、禅の普及に尽力。民衆への布教の過程で禅の教えを表した絵を数多く描いた。図は白隠筆の「寿老人図」。

江戸時代中期に京で活躍した絵師。狩野派に学び、その後、琳派や中国の宋・元・明の絵画に学んだという。写実的な描写と独特な色彩の画風で、近年再評価されている。

そがしょうはく。江戸時代中期の絵師。京都の商家に生まれる。狩野派に近い高田敬甫に学んだとされるが不明で、蕭白自身は室町時代の画家の曽我蛇足の画系に属すると称した。荒々しい筆致と色彩豊かな奇抜な作品が多く、本人の奇行も知られた。図は、蕭白筆の「寒山拾得図」。

ながさわろせつ。江戸時代中期の絵師。山城淀藩の武士の家系に生まれる。京都にて円山応挙に師事し頭角を現し、天明6年(1786)には名代として南紀の諸寺に赴き絵筆を振るった。師に劣らない精緻な画風とともに、躍動感に溢れる大胆な構図と奔放な着想の絵師として知られ、障壁画を多く手がけた。

幕末から明治中期の日本画家。写実性の高さと特異な画風で知られる。

浮世絵の光輝

江戸の庶民を虜にした、絵師の競演

江戸時代前期、浮世絵は菱川師宣から始まったとされる。挿絵画家として出発した師宣はやがて一枚ものの墨摺絵をつくり出し、これに多くの絵師が追随していくことになった。さらに技術の革新は進み、鈴木春信の周辺で錦絵と呼ばれる多色摺が誕生。刺激的な色彩が加わったことにより、浮世絵は版画芸術として世界的にも独特な発展を遂げた。また、肉筆とは異なり量産が可能なため、庶民の多くが作品を手に取ることができたことも、浮世絵が隆盛した背景にはあった。こうした環境の中、多くの才能ある浮世絵師が誕生。葛飾北斎、喜多川歌麿、歌川広重などが活躍し、明治に入るまで様々な作品が生み出されていった。

「見返り美人」が代表作。浮世絵草創期を支えた絵師。

江戸時代中期に京都で活躍した浮世絵師。絵本を中心に手がけ、古典を題材にした作品が多い。肉筆作品も多く残している。 図は、祐信筆「柱時計美人図」。

錦絵を大成した美人画の名手

女性美を主題に描いた絵画で、江戸から明治にかけては「美人絵」「女絵」などと呼ばれていた。菱川師宣の『見返り美人図』などが有名。

江戸時代に盛行した浮世絵の中でも、多色刷りの木版画の総称。

江戸中期の代表的出版業者。作家や画家と組んで数多くの話題作をプロデュースした

江戸時代後期、独特の役者絵を描いた謎の浮世絵師

大首絵を創始した浮世絵の大家

写楽を超える人気を誇った役者絵の巨匠

奇行でも知られる、江戸時代後期の浮世絵版画シリーズの巨匠

江戸時代後期の浮世絵師、葛飾北斎による富士山を描いた代表的浮世絵版画シリーズ

ゴッホにも影響を与えた江戸時代後期の浮世絵師

江戸後期の浮世絵師。豊国の弟子で、早くから人気絵師として活躍した。美人画や役者絵など、人物を描くのに優れ、多くの作品を量産。作画期も長く、生涯に手がけた作品数は1万点を超すとも言われ、その数は浮世絵師の中で最も多い。図は、「江戸名所百人美女(根津権現)」。

奇想天外な構図と斬新な画風で知られる幕末の浮世絵師

江戸時代に活躍した初代歌川広重の最晩年の江戸名所絵版画シリーズ

江戸時代の工芸

武家や町人の美意識に応えた精緻な技巧

江戸時代の工芸は質と量を兼ね備える点に最大の特色を見せる。社会の安定と経済の伸張により需要が拡大し、質量主義的傾向が見られていった。そのなかでも、武家や町人階層の美意識を反映した多くの作品が生まれ、漆工、焼物、織物などに多くの優品が生まれた。また、琳派に影響を受けた作品も数多く制作され、尾形光琳の弟の乾山などがその代表として活躍した。


江戸時代前期の陶工。京焼色絵陶器を大成させたとされる。図は、仁清作の「色絵梅花文茶碗」。

佐賀県有田の陶工。初世(1596-1666)は白磁、染付の改良に努めた後,長崎で赤絵の技法を学び、1640年頃に日本最初の赤絵焼成に成功した。図は柿右衛門作の「色絵花鳥図陶板」。

こうあみちょうじゅう。江戸前期の蒔絵師。室町時代以来の幕府お抱えの幸阿弥家の10代目。大名の婚礼調度を多く手がけたとされる。図は、長重作の「初音の調度」。

にんあみどうはち。江戸時代後期の京焼の陶工。初代・高橋道八の次男として生まれ、2世を名乗る。仁阿弥の号は剃髪して以降のもの。琳派や狩野派の絵を移した雲金手(うんきんで)がうよく知られる。図は、道八作の「色絵桜楓文木瓜形鉢」。

参考文献

  1. 『世界大百科事典』(japanknowledge)
  2. 『日本大百科全書』(japanknowledge)
  3. 『国史大事典』(japanknowledge)
  4. マルチメディアマイペディア 百科事典CD-ROM日立デジタル平凡社,平凡社
  5. 日本美術史入門河野元昭 監修,平凡社 
  6. JapanKnowledge所収コンテンツの最終アクセス日は、いずれも2021/12/20