バラ科サクラ属モモ亜属の落葉果樹。高さ3~8メートルほどの小高木で、葉は細長く先端がとがり、4月頃、淡紅色、白や濃紅色の5弁花を開く。実は核果で大ぶりの球形、7~8月に熟す。果実に短毛の密生するモモ(毛桃)、毛のないアブラモモ(ネクタリンなど)などがある。果肉は桃、白黄、黄色など、肉厚多汁で甘酸味が好ましい。材は黄色で細工物に用いる。種子は漢方の桃仁(とうにん)として浄血、鎮痛剤などに、葉は浴湯に入れ(桃湯)、あせもの薬とする。花を観賞するハナモモはヤエシロモモ、キクモモ、サガミシダレなど。庭樹のほか、盆栽、切花(きりばな)などに用いる。生花は桃の節句の花として知られる。
中国の黄河上流地域が原産とされ、漢代に7種が栽培されていた。日本には奈良時代初頭に渡来したとされ、毛桃と呼ばれたが、『万葉集』の「桃の樹」はヤマモモ(楊桃)とする説がある。『古事記』によれば伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が桃の実を投げて黄泉(よみ)軍を撃退させたという。平安時代には3月の節供(せちく)に桃の花を飾り、花びらを浮かべた桃酒(ももざけ)を飲む風があった。宮中の追儺(ついな)行事では桃の杖と弓などにより疫鬼(えきき)を駆逐した(『延喜式』)。江戸時代、花の色や形のさまざまな品種が作られ、江戸の四谷や中野の桃園(ももぞの)、京都の伏見山(桃山)など名所もうまれた(『山城名跡巡行志』)。松尾芭蕉に「わが衣(きぬ)に伏見の桃の雫(しづく)せよ」がある。
桃には、生命力を与える、邪気を払う、現世と異世界を結ぶなどの信仰があり、陶淵明(とうえんめい)の描く桃源郷も桃の力に由来するものであろう。日本でも魔除けのため鬼門に桃を植えたり、花祭(はなまつり)に桃の木札を配ったりする慣例がある。昔話の桃太郎は桃がその生命力を象徴する。明治初年の中国やヨーロッパからの導入で品種改良が進み、布目早生(ぬのめわせ)、白鳳、大久保、白桃などの大規模な栽培品種、早生桃山(わせももやま)、都白鳳、浅間白桃などの地方特産品種がある。山梨、福島、長野、山形、岡山などの諸県で栽培が多い。
関連するひと・もの・こと
桜・桃とともに春に咲く代表的なバラ科の樹木であり、古くから日本人に親しまれてきた。
桃の節句と日本の人形。節句は季節の節目となる日で伝統的な年中行事を行う。
梅・桃ともに春に咲く代表的なバラ科の樹木であり、古くから日本人に親しまれてきた。アジア東部からヒマラヤにかけての広い地域にみられる。
カキノキ科の落葉高木。古くから栽培され、食用をはじめ用途が広く、暮しを支えた。その果実は日本人の甘味の原点の一つとされ、桃や蜜柑などとともに好まれてきた。
長寿や高潔の象徴。景勝地には欠かせない樹種。草花・樹木ギャラリーの一つ。
立春の前日、悪鬼や疫病を払う季節行事。一家揃って家じゅうに豆をまく。
本で知る
写
『植物写生図帖』は、江戸時代中期の大名で高松藩主の松平頼恭(よりたか、1711−71)による図譜。製塩・製糖などの殖産興業に尽力した高松藩中興の英主で、熊本藩主細川重賢と並ぶ初期の博物大名の一人でもあり、『衆鱗図』『衆禽画譜』『衆芳画譜』など、美麗で内容も豊かな図譜を画家に描かせた。平賀源内を登用したことでも知られる。掲載資料は、そのうちの『写生画帖』の転写本。
毛氏江元寿梅園直脚<毛利梅園>//書画并撰著,写
毛利梅園画、文政8年(1825)序。「梅園百花画譜」としても知られる江戸時代屈指の植物図譜の一つ。毛利梅園(ばいえん、1798 - 1851)は江戸時代後期の旗本、本草学者。『梅園草木花譜』は梅園の画譜のなかで最大の規模で、春4帖(所収数349)、夏8帖(617)、秋4帖(277)、冬1帖(34)からなる。
岩崎常正,写
『本草図譜』は江戸時代の代表的な植物図譜で、筆者岩崎灌園(1786 - 1842)の実見した本草約2000種を写生・彩色して、山草・湿草・毒草などに分類したもの。全96巻のうち、文政13年(1830)に巻5から巻10までの6冊が出版されたが、印刷・刊行されたのはこの6冊のみで、以後は灌園の原本を画家に模写させて予約者に配布するかたちで続けられた。本資料は田安家への配布本で、全面的に優れている。
深江輔仁 奉勅新撰,多紀元簡 [校],和泉屋庄次郎
第17巻に「和名毛ゝ」と記す。『本草和名』は『新修本草』所収品の漢名-和名辞書で、深江輔仁(すけひと、生没年未詳)が勅を奉じて延喜18年(918)頃に作成した。すでに散逸した古書からの引用が多いことでも知られる。長く存否不明の書だったが、寛政6年(1794)幕医多紀元簡(もとやす、のち幕府医学館主)が幕府の紅葉山文庫で古写本を発見、それを校訂して刊行。本資料は、考証学者小島尚質(なおかた)・尚真(なおざね)父子の旧蔵書で、諸書を用いて父子がさらに校注を進めたものである。一方、刊行に関連する多紀家の記録も写しており、それによって元簡が幕府の出版許可を得るために提出した文書が判明し、「享和二年(1802)壬戌秋八月廿七日初刷装釘」とあって、出版年が通説の寛政8年(1796)ではないことも明らかになる(『江戸出版書目』によると、出版・販売の許可を得たのは寛政12年12月)。なお、『日本古典全集』に所収されている森立之・約之父子旧蔵『本草和名』刊本への書き込みは、上記多紀家記録を含め、本資料の小島父子書き入れの転写が少なくない。本書刊本には、初版と後刷の2種類がある。初版―表紙は朱色/上巻見返しに出版事項は無し/下巻末尾、「江戸浅草新寺町・和泉屋庄次郎発行」:小島氏本(本書)、121-37本など後刷―表紙は藍色/上巻見返しに出版事項(書名・著者名など)/下巻末尾、「三都発行書林」として9軒の書肆名:特1-218本、『日本古典全集』森氏旧蔵本。
水野元勝 [著],松井頼母 [増補],河内屋太助
江戸時代前期の園芸栽培の書。水野元勝(生没年未詳)著。3巻。天和1年(1681)刊。日本最初の花卉園芸書の刊本で、花卉200余種についてその形状や栽培法を記したもの。この国立国会図書館所蔵本は享保1年(1716)の奥付がある。
『庶物類纂』は、加賀藩主前田綱紀が京都の本草学者稲生若水(いのうじゃくすい、1655 - 1715)を招いて編纂した博物書。延享4年(1747)完成。中国古典籍類などから動物植物鉱物の記事を集成、分類し、実物によって検証したもので、日本の博物学史上画期的な業績。若水は編纂中に没したが、その後は幕府の官撰事業として若水門下の官医丹羽正伯らが引き継ぎ、全1054巻をもって完成とした。全体を26属(草、花、鱗、介、羽、毛、水、火、土、石、金、玉、竹、穀、菽 、蔬 、海菜、水菜、菌、蓏 、造醸、虫、木、蛇、果、味)に分類。正伯が幕府に献上した浄書本465冊が江戸城紅葉山文庫に保存され、のち内閣文庫に伝来した。重要文化財。
貝原篤信,永田調兵衛
江戸時代の本草書。宝永6年(1709)刊。貝原益軒著。巻10果木に「近年世上ニ品類多ク出ツ」とし、早桃、冬桃、シダリ桃などにも言及する。また桃の花の名所をあげて、近年は伏見の桃見の人出が吉野の桜より多いという。篤信こと益軒(1630 - 1714)は江戸時代の儒学(朱子学)者、本草学者。本書は、日本の博物学的本草学を確立した、江戸時代前期の代表的本草書。本編16巻、付録2巻、図譜(諸品図)3巻。中国の『本草綱目』掲載品種を基礎に、和漢洋の動・植・鉱物1362種を独自の分類法で分類し、名称・起源・形状・紅葉などを解説。
蘭山小野先生 口授,小野職孝士徳 録,須原屋善五郎 [ほか2名]
江戸時代後期の本草書。48巻。小野蘭山述、小野職孝編。享和3年 - 文化3年(1803 - 06)刊。明の李時珍「本草綱目」所収の動物・植物・鉱物に日本産のものも加えて考証・解説を加え、整理・編集した。自らの観察にもとづく知識、各地の方言などが記される。本書巻25で、桃の異名をはじめ花・実・仁の異称などを記し、「品類多シ」として早桃・冬桃・キクモモなど多彩な桃を紹介する。
[中村[テキ]斎] [編],山形屋
江戸時代の図解事典。20巻。儒学者・本草学者の中村惕斎(てきさい、1629 - 1702)著。寛文6年(1666)成立。天文・地理・動植物などについての精確な図に和名・漢名・注記を付した啓蒙書。
広重
歌川広重(1797 - 1858)は江戸時代の浮世絵師。広重の花鳥錦絵にはほかに「桃花に鶯」「月下桃花に燕」「桃に尾長鳥」などがある。
香蝶楼国貞,佐野喜
歌川国貞(1786 - 1865)は江戸時代の浮世絵師。国貞『豊歳五節句遊』のうちで、「桃の節句」のほかは「正月」「端午の節句」「七夕」「重陽の節句」。
喜斎立祥
喜斎立祥(きさいりっしょう、二代目歌川広重、1826 - 69)。江戸時代末期から明治時代初期にかけての浮世絵師。広重の「三十六花撰」のうちで、ほかに「東都隅田川八重桜」「東京百花園芍薬」「東都木下川杜若」「東都入谷朝顔」「東都押上水仙花」「東京広尾原桔梗」「東京梅屋敷臥竜梅」「東京護国寺きりしま」「東京綾瀬川合歓」「東京根津ばら」「東京大森山本紅梅」などがある。
嵩岳堂主人,紅英堂
「イキウツシシジュウハチタカ」。安政6年(1859)。嵩岳堂(すうがくどう、生没年未詳)は江戸時代の浮世絵師。「生写四十八鷹」は、ほかに「つぐみ ゑんどう菜の花」「鶉 おだまき」「よしきり 芦野ふぢ」「十姉妹 ぼたん」「すずめ 芥子」「白つばめ 柳ばら」「仏法僧 蓮華しよふま」「せきれい 水仙」「百舌鳥 枯かしは冬椿」などがある。
朝岡且[キョウ]
明治17年(1884)刊。朝岡且嶠(たんきょう) は江戸時代後期の絵師長谷川雪旦の弟子という。
史書・古典に見える桃
太安萬侶 [編],前川茂右衛門
奈良時代の歴史書。『古事記』神代巻によれば、伊耶那岐命が黄泉ひら坂のふもとに生えていた桃子(ももの実)を三個取ってて迎え撃つと、みな坂を逃げ帰ったという。この国立国会図書館所蔵本は寛永21年(1644)の刊本。
写
奈良時代の勅撰の歴史書。『日本書紀』神代上に、道の辺に大きな桃樹があり、伊弉諾尊がその実を採って雷に擲げつけると退き逃げていったとみえる。これが桃をもって鬼を追い払う由縁であるという。この国立国会図書館所蔵本は室町時代末期のもので、『日本書紀』の巻1、2のみの写本。この2巻は神代巻であり、中世には神道書として尊ばれた。本文に墨の訓点、読み仮名、朱の読点などがあり、欄外、行間にも書入れが多い。これらは講釈の体裁を存するが、二筆からなるようである。第1冊第1丁表に「持主秀存」、第1冊巻一尾題下、第2冊第1丁、巻二巻首・末丁表に「秀存」の墨書がある。比叡山の再興に努めた同名の僧(1598年没)がいるが、同一人物かどうか明らかでない。
[舎人親王] [編]
『日本書紀』天智天皇6年(667)閏11月条に、「桃染布(つきそめのぬの)五八端」とみえる。これは紅花でトキ色に染めた布をいう。『日本書紀』は神代から持統天皇までを記した史書。養老4年(720)成立。神代巻のみは慶長4年(1599)の勅版があるが、全巻刊行は慶長15年の古活字版が最初。この国立国会図書館所蔵本はこの慶長15年版で、巻1、2の神代巻のみ写本を補配。第2冊巻末に慶長勅版の刊語を写し、端に小字で「延宝四(1676)仲秋下旬」とある。補写の年次であろう。全巻にわたり、振り仮名、頭注などの書入れ、朱の句読等などが施されている。第3冊巻3末に永正11年(1514)、天文8年(1539)、同9年の書写奥書を移写する。高木利太(1871-1933)旧蔵。
奈良時代の歌集。『万葉集』巻7譬喩歌に「向峯爾 立有桃樹 将成哉等 人曾耳言焉 汝情勤」とある。向こうの峰に生える桃の樹は実が成るものかと人がささやく、尻込みしてはいけないよと、桃の実の成熟と愛の成就を兼ねた歌という。この国立国会図書館所蔵本は『万葉集』最古の、慶長元和年間(1596 - 1624)の刊本。第1冊(巻第1,2)欠。伏見版(円光寺版)の木活字を使用し、不足の文字を新雕し印行したものとされる。万葉仮名の本文のみで、無訓本と通称されるもの。第8冊巻第17は一部飛び丁付(丁付:1-40,51-60)、巻第18の第31、32丁は欠。実業家、古書収集家高木利太(1871-1933)旧蔵。
皇典講究所, 全国神職会 校訂,大岡山書店
平安時代中期の法典。『延喜式』中務省に「以桃弓葦矢桃杖〈陰陽寮作進之〉」とみえる。宮中の追儺(ついな、大晦日)行事では、桃の杖と弓などによって、疫鬼(えきき)を駆逐したという。
藤原道綱母,安井嘉兵衛
平安時代中期の日記。『蜻蛉日記』天暦10年(956)3月条に、三月頃にもなった、桃の花などもしつらえていたのだったかしら、待っていたのに姿を見せない、と道綱母が嘆くようすがみえる。これに対して、西王母の故事にちなんで三千年も一つ思いを寄せているという藤原兼家の大げさな返歌があった。この国立国会図書館所蔵本は宝暦6年(1756)大坂の安井嘉兵衛の再版本で、元禄10年(1697)版に拠る。契沖、光中、天明2年(1782)坂徴著「解環抄」との校異が記されている。榊原芳野旧蔵。
清少納言 [著]
平安時代中期の随筆。『枕草子』「正月一日は」の段に、三月三日節句の日はうららかにのんびりと日が照っているのがよい、桃の花のちょうど咲き始めたところ、とみえる。この国立国会図書館所蔵本は、寛永年間(1624 - 44)刊と推定される平仮名交じり13行の古活字本。書名は通称による。各巻末書名は「清小納言」。川瀬一馬著『増補古活字版之研究』にいう第3種本の(ィ)種に属するもの。慶長期(1596 -1615)刊とされる10行本、慶長・元和(1596 -1624)頃刊の12行本に続いて刊行され、慶安2年(1649)刊整版本のもととなった。本文は、近世において流布本の位置にあった伝能因所持本系統。巻1‐3の見返しに「敬茂」と墨書される。幕末・明治初期の国学者榊原芳野(1832 - 81)の旧蔵書で、ほかに2種の印記がある。
刊
『紫式部集』に、おりて見ば近まさりせよ桃の花、ももといふ名もあるものを時の間に散る桜、などの歌がみえる。散るのが早い桜より、「百」に通じて長寿を示唆する桃が劣っているとは考えまいというところか。同集は紫式部の歌の自撰集。
列聖全集編纂会 編,列聖全集編纂会
『梁塵秘抄』巻第二の四句神歌(雑)に、春の初めの歌枕として、霞、鶯、帰る雁、子(ね)の日、青柳、梅、桜とつらね、最後に「みちとせになるもゝのはな」をあげる。仙女西王母が漢の武帝に与えた桃の実は3000年に一度結実すると伝える。そんな桃の花は春の初めにふさわしい歌枕だという。同書は平安時代後期の今様歌謡集。
[吉田兼好] [著]
鎌倉時代後期の随筆。『徒然草』下(145段)に「桃尻」とみえる。北面の武士が桃の尻のように座りの悪い尻つきだのに、跳ね上がるはやり馬に乗るのを好み、ついに落馬して死んだという。この国立国会図書館所蔵本は慶長・元和年間(1596 -1624)の古活字版。嵯峨本。『徒然草』は『伊勢物語』とともに近世初期に最も数多く出版された国文学書。古活字版には慶長18年(1613)刊の烏丸光広本、嵯峨本など10種をこえる異版がある。嵯峨本では雲母刷の版が知られているが、本書は素紙刷。アメリカの蔵書家ドナルド・ハイド(1909 - 66)旧蔵本で、巻末に「拜土蔵書」の印記がある。
無住 [著]
鎌倉時代の仏教説話集。『沙石集』巻9に「貧窮追ひたる事」として、尾張の僧が貧乏を追い払おうと大晦日に「桃の木の枝」を弟子や小法師らにも持たせて呪文を唱え、家内のあちらこちらを叩きながら最後に門を閉じたという話を載せる。『沙石集』は鎌倉時代の僧無住道暁(1226 - 1312)が編纂した仏教説話集。弘安6年(1283)成立。その後も修訂をくり返したようで、多くの異本がある。古活字版は慶長10年(1605)に要法寺の円智(日性)により校訂刊行され、元和年間(1615 - 24)にかけて数種が知られる。この国立国会図書館所蔵本は巻10末に元和4年(1618)の無署名の刊語を有するが、この刊語は慶長10年版の円智のものと同文。表紙一面に「山門東塔南谷 浄教房/惣計十冊之内/沙石集 第一(~十終)/真如蔵 卅七 露」の朱書がある。実業家・古書収集家高木利太(1871 - 1933)の旧蔵。
塚本哲三 等編,有朋堂書店
松尾芭蕉の俳諧紀行『野ざらし紀行』(1685)を描いた与謝蕪村の紀行図。紙本淡彩で安永7年(1778)5月の年記がある。「伏見西岸寺任口(にんこう)上人に逢ひて」として「我衣(わがきぬ)にふしみの桃のしづくせよ」の句がみえる。掲出本は、昭和7年(1932)の、小林写真製版所出版部による複製本(恩賜京都博物館編)。
八文字自笑,八文字屋八左衛門
浮世草子。「ヤハクナイショウカガミ」。宝永7年(1710)自序。「諸色内証鑑」ともいう。『野白内証鑑』二之巻の「意違卦」に、若道のたしなみの深い若衆が「伏見の桃見」、嵯峨の鮎汲み、南禅寺の豆腐など野遊びに親しむ話を載せる。八文字自笑は江戸時代中期の浮世草子作者、また書肆、版元。八文字屋(一)の初代。京都の人。通称安藤八左衛門。歌舞伎狂言本・役者評判記などを出版する一方、江島其磧を代作者として「けいせい色三味線」以下の浮世草子を発表し、西鶴没後の浮世草子界の主流となった。文学史上、八文字屋本と称せられる作品群を残した。延享2年(1745)没。
岳亭, 定岡,河内屋源七郎
江戸時代の奇癖家・奇行家の逸話集『百家琦行伝』巻之一、「外山成山」の項。「常に桃をこのむ。よりて幼名を桃太郎と呼びけり。衣服はみな桃色をもつてなす」などと記される。同書は、戯作者八島五岳(岳亭春信)の編述、天保6年(1835)刊。
桃の栽培、利用
梅原寛重 著,梅原寛重
明治22年(1889)刊、東京。桃のほかに油桃、寿星桃(カラモモ)、楊梅(ヤマモモ)なども取り上げている。
写
桃の栽培に適する気候・土質、栽植、整枝、病害、果実の用途などについて記載する。
立花寛治 著,立花寛治
明治26年(1893)刊、柳河城内村(福岡県)。フランス原産の「ベルボウス」や上海の「水蜜桃」など13種の品位、熟成期、果形、果色、果味などを一覧する。
福羽逸人 著,博文館
明治29年(1896)刊、東京。桃樹の種類の選択、有毛24種の解説、繁殖法や露地剪定などを紹介する。
草場久八 著,瑞穂園
明治41年(1908)刊、 山口村(佐賀県)。桃などの有望株の苗木の選択、定植法、剪定、人為的早熟法、害虫などを紹介する。
河村九淵 著,智利硝石普及会日本本部
明治41年(1908)刊、東京。品種、苗木仕立法、肥料、剪定、袋掛けなどについて記載する。
内田郁太 著,読売新聞社
明治44年(1911)刊、東京。栽植、結果促進法などのほか、桃の缶詰製造法に言及する。
西田藤次 著,岡山県内務部
明治44年(1911)刊、岡山。桃樹の縮葉病・落葉病、桃果の腐敗病・硬化病・黒点病、根腐病など22項にわたって説明する。
北葛城郡馬見村農会
大正11年(1922)刊、馬見村 (奈良県)。桃の早生種ではアムステンジューンなど4種、中生種では天神水密など4種、晩生種では白桃と上海の2種を紹介する。
富樫常治 著,富民協会
昭和8年(1933)刊、高石町(大阪府)。
農林省園芸試験場
昭和9 年(1934)刊、静岡県興津町。三保、清水、羽衣、久能、興津の品種について詳説する。
宇津木益夫 述,[出版者不明]
桃仁(とうにん)の効用では「能畜血ヲ破リ、血滞ヲ泄シ、新血ヲ生ジ」などと説く。
東京修士館 編,東京修士館
明治32年(1899)刊、東京。桃仁酒の作り方。
昔話桃太郎
喜三二 作,恋川春町 画,[鱗形屋孫兵衛]
安永6年(1777)刊本。黄表紙『桃太郎後日噺』(上)は「桃太郎、鬼ヶ嶋へ渡り、宝物を取り得て故郷に帰る」と始まる。朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ、1735 - 1813)は江戸時代後期の戯作者。恋川春町(1744 - 89)は戯作者、浮世絵師。
古阿三蝶 画作,[伊勢屋治助]
天明4年(1784)。黄表紙、3冊。作者・絵師古阿三蝶、版元伊勢屋治助。古阿三蝶(こあみちょう、生没年不詳)は江戸時代中期の浮世絵師、戯作者。
桜川慈悲成 作,歌川豊国 画,[西村屋与八]
寛政7年(1795)、江戸。黄表紙、3冊。桜川慈悲成(じひなり、1762 - 1833?)は江戸時代後期の戯作者、落語家。烏亭焉馬(うていえんば)の主催する落語の会に参加し、芝楽亭(しばらくてい)と称したという。戯作者として100種以上の黄表紙、合巻本を手掛けたとされる。歌川豊国(1769 - 1825)は江戸時代の浮世絵師。
根本八五郎 著,根本八五郎
明治18年(1885)、東京。
菱川春宣、山崎暁三郎
明治23年(1890)。山崎暁三郎(ぎょうざぶろう、1864 - 没年未詳)は明治時代の東京の地本問屋(じほんどいや)。洒落本・草双紙・滑稽本・人情本などの大衆本(地本)を企画、制作し販売した。春宣は絵師。
ダビッド・タムソン 訳述,弘文社
明治18年(1885)、東京。David Thompson(1835 - 1915)はアメリカ長老教会の宣教師。
柳田国男 著,三省堂
昭和8年(1933)、東京。柳田國男(1875 - 1962)は農務官僚、民俗学者。諸国に伝える民話・伝説などを収集して分析、日本の信仰の一端をうかがう。
もっと知りたい
養福、糺晴岱模,東京国立博物館
天保11年(1840)。仇英(きゅうえい、1494 - 1551)は明代の画家。中山養福(おさよし、1808 - 49)は江戸時代の絵師。糺晴岱は藤原養承か。
狩野山楽筆 龍岩瑞顕賛,九州国立博物館
安土桃山~江戸時代、17世紀初頭。岩の上に二羽の雉子を、その背後に桃花を、岩の下に蒲公英など春の草花を水墨のみを用いて描く。その画風は牧谿(もっけい)の水墨花鳥図を基調とするもので、狩野派の体制を確立した元信(1477 - 1559)が整理し、永徳(1543 - 90)らに受け継がれた表現やモチーフを踏襲する。山楽(1559 - 1635)は永徳の後継者として豊臣家に仕え、のちに京都に定住して幕府の用命を受けて活躍し、京狩野の祖と呼ばれた。賛者の龍岩瑞顕(1560 - 1636)は妙心寺住持を3度つとめた高僧。
模者不詳,東京国立博物館
狩野探幽(1602 - 74)は江戸時代初期の狩野派の絵師。探幽作とされる桃を題材とする絵はほかに「桃図」「桃ニ孔雀鳩図」「桃ノ図」などが知られる。
玉川模,東京国立博物館
狩野探幽(1602 - 74)は江戸時代初期の狩野派の絵師。玉川は江戸時代の絵師の狩野養信(1796 - 1846)のことで、古画の模写にも努めた。
晴川模,東京国立博物館
狩野探幽(1602 - 74)は江戸時代初期の狩野派の絵師。晴川は狩野晴川院(養信1796 - 1846)、江戸時代の絵師であり、古画の模写にも努めた。
重太道純模,東京国立博物館
弘化3年(1846)の写。狩野探幽(1602 - 74)は江戸時代初期の狩野派の絵師。
呉春筆,九州国立博物館
江戸時代、18世紀。四条派の祖、呉春の充実期の大作。右隻に唐の李白が催した花見の宴、左隻に宋の文人らが王詵の西園に会した「西園雅集」中、米芾が岩壁に書を認める場面が描かれる。リズミカルな岩や樹木の筆致が躍動感を生み、透明感のある淡い藍・緑・代赭による彩色が華やかさをかもし出す。人物や卓上の器物の細墨線による描写は実に丁寧で繊細。師の与謝蕪村ゆずりの南画風だが、現実味あふれる描写、画面の明るさ、洗練された気品は、呉春の持ち味である。呉春の池田時代、30~38歳頃の作とみなせる。
清長,永寿板
鳥居清長(1752 - 1815)は江戸時代の浮世絵師。「江都花十景」は、ほかに「染井」「牡丹屋敷」「飛鳥山」「亀井戸」「東叡山」「日暮里」「梅屋敷」「御殿山」などがある。
岡熊嶽
岡熊嶽(ゆうがく、1762 - 1834)は江戸時代中期・後期に大坂で活躍した文人画家。
小田海僊,Oda Kaisen,谷口豊三郎,京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
海僊(かいせん、1785 - 1862)は下関の出身。京で四条派の祖の呉春に学び、のちいわゆる文人画の方面に進出した。頼山陽と知己になったのが契機といわれる。掛軸、障屏画をとわず、遺作は多い。
広重〈1〉, -
歌川広重(1797 - 1858)は江戸時代の浮世絵師。広重の花鳥錦絵にはほかに「桃に山鵲」「梅に鶯」「雪中椿に雀」「菊に雉子」「菖蒲に白鷺」「紫陽花に翡翠」などがある。
広重〈1〉,-, 川口屋正蔵
歌川広重(1797 - 1858)は江戸時代の浮世絵師。天保1年(1830)頃から花鳥図を描くようになったとされる。桃の枝にとまっているオナガドリを描いた短冊判の作品で、その目は丸く大きめに、尾が長く描かれる。
歌川広重筆,By Utagawa Hiroshige (1797–1858),東京国立博物館,Tokyo National Museum
歌川広重(1797 - 1858)は江戸時代の浮世絵師。満月に、桃の花と2羽の燕を縦長の短冊判に描いた作品。
広重,藤彦 藤岡屋 彦太郎
歌川広重(1797 - 1858)は江戸時代の浮世絵師。桃林に流れる小川と、放された黒い牛を描く桃林放牛図。「帰馬放牛」の故事を題材に描かれたものとされる。
広重〈1〉,雲垣 富士見、三輪垣 甘喜、千代垣 素直,永寿堂 西村屋 与八
天保14年(1843)。歌川広重(1797 - 1858)。「魚づくし」と通称される10枚の揃物の一つで、『魚貝譜』(鍬形恵斎画、享和2年)を参考として広重の写生と創意を加味したものとされる。絵に雲垣冨士見、三輪垣耳喜、千代垣素直の狂歌賛を添える。
広重
歌川広重(1797 - 1858)。花咲く桃の枝にとまっている小鳥を描いた団扇絵の作品。
広重〈2〉,-,蔦吉板 蔦屋 吉藏
二代目歌川広重(喜斎立祥、1826 - 69)は江戸時代末期から明治初期にかけての浮世絵師。広重の「三十六花撰」は、ほかに「東京谷中天王寺あさぎ桜」「東京海案寺楓」「東都堀の内山茶花」「東京亀戸川はぎ」「東京大宮八幡おのこへし」「東都巣鴨海棠」「東京小松川菜の花」「東京梅屋敷臥竜梅」「東京北沢牡丹」「東京根津ばら」「東京護国寺きりしま」「東都浅草花やしき紫陽花」などがある。
王安節 等摸古,李漁 (笠翁) 論定,前川文栄堂
明治14年(1881)刊、大阪。紅白桃花。安節は王槩(おうがい、1645 - 1710年以後)、清の文人、画家。『芥子園画伝』は弟二人とともに制作した絵画教本。
工芸品に描かれた桃
中国・景徳鎮窯,Jingdezhen ware, China,比佐隆三氏寄贈,Gift of Mr. Hisa Ryuzo,東京国立博物館,Tokyo National Museum
明、嘉靖年間(1522 - 66)。16世紀中葉、景徳鎮官窯では、赤、黄、青などの濃い原色の上絵具で地を塗りつぶした器を作るようになります。独特の華やかさ、賑やかさが魅力となっています。
中国・景徳鎮窯,Jingdezhen ware, China,広田松繁氏寄贈,Gift of Mr. Hirota Matsushige,東京国立博物館,Tokyo National Museum
明時代、17世紀。青花に加えて上絵具で祥瑞文様をあらわしたものを色絵祥瑞といいます。明時代末の景徳鎮民窯で日本の茶人向けに焼かれました。中央の大きな桃の実はわずかに彫りくぼめられており、口縁にはいわゆる口紅が施されています。
景徳鎮窯 ,横河民輔氏寄贈,東京国立博物館
清、乾隆年間(1736 - 95)
伊万里(柿右衛門様式),Imari ware, Kakiemon style,横河民輔氏寄贈,Gift of Dr. Yokogawa Tamisuke,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代、延宝年間(1673 - 81)。有田の磁器生産が最も隆盛した時期に焼かれた柿右衛門様式の作。主文様は染付と赤、黄、緑の上絵具を用いた石榴、仏手柑、桃の吉祥の三果であり、縁を巡る精緻な龍文が全体を引き締めている。
景徳鎮窯,広田松繁氏寄贈,東京国立博物館
中国・景徳鎮窯,Jingdezhen ware, China,横河民輔氏寄贈,Gift of Dr. Yokogawa Tamisuke,東京国立博物館,Tokyo National Museum
清、18世紀。この形の口部を日本では柑子口、中国では蒜頭と呼びます。描かれた桃、蝙蝠、霊芝はいずれも長寿や幸福をあらわす吉祥の文様です。地の藍釉には吹墨の技法によって斑文があらわされており、色の深みに豊かな表情を見いだすことができます。
東京国立博物館
朝鮮時代、19世紀。
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
桃山時代、17世紀。陶製輪花鉢。高6.2cm 、底径13.0cm、口径26.2cm。
唐代に葵花形・菱花形など様々な形状の鏡が生まれたが、宋代にはさらに多様化し、亜字形、梵鐘形や、柄鏡も登場する。この桃の形を模した鏡はそれまでには見られない形状を示している。
小倉コレクション保存会寄贈,Gift of the Ogura Foundation,東京国立博物館,Tokyo National Museum
朝鮮時代、19世紀。硯に使う水を入れて置く容器で、水注、水差しともいう。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代、17~18世紀。植物水滴は、野菜では茄子や瓜などふっくらとした形のものが多く、果物では桃がほとんどである。なんの変哲もない野菜を水滴としてしまう江戸時代の人々の発想に感心させられる。
線刻銘「一貫」,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代、19世紀。根付は江戸時代の留め具で、煙草入れや印籠などを紐で帯から吊るして持ち歩くときに利用した。
飯塚桃葉(2代),Iizuka Toyo II
江戸時代後期、19世紀。常形4段の印籠で、斑梨子地に研出蒔絵で流水を、高蒔絵と白蝶貝の彫嵌で沢瀉に翡翠を表す。
桃源郷、桃の節句など
伊川模,東京国立博物館
牧谿(もっけい)は、13世紀後半、南宋末元初の僧。水墨画家として名高い。模写の伊川は狩野栄信(ながのぶ、1775 - 1828)のこと。
「大明嘉靖年製」銘,東京国立博物館,Tokyo National Museum
明、嘉靖年間(1522 - 66) 。3個の桃の実のそれぞれに福・禄・寿の文字があらわされており、吉祥の仙果であることがわかります。西王母(せいおうぼ)の居所である瑤池(ようち)にある蟠桃(ばんとう)は、三千年に一度開花し、三千年に一度実を結び、これを食せば寿命が延びるという伝説があり、桃は長寿の象徴とされています。
渡辺玄対筆,By Watanabe Gentai (1749–1822),東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代、18~19世紀。桃の花咲き続く仙境に漁師が迷い込み、帰るのを忘れたという陶淵明『桃花源記』が主題。物語は下から上へ展開、下方に舟上の漁師、桃花の林が続き、奥に桃源郷が広がる。群青や緑青など濃厚な絵の具を用いた青緑山水で、谷文晁と互いに影響し合った渡辺玄対(1749 - 1822)の代表作。
浜田杏堂
浜田杏堂(きょうどう、1766 - 1815)は江戸時代中期後期の画家、大坂の人。漢方医の仕事のかたわら池大雅流の画を学び、元・明の花鳥画や山水画に親しむ。また行書にすぐれ、詩文をよくした。
福田半香筆,By Fukuda Hankō (1804–64),東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代、安政2年(1855)。陶淵明『桃花源記』が主題。物語は右から左へ展開、洞窟の入口と奇岩と峩々たる山並みのあと、良田に牧童と牛、美池に釣人、鶏や犬など、桃源郷の平和な光景が広がる。渡辺崋山の高弟半香(はんこう、1804 - 64)は中国文化に憧れ、南宗画に影響をうけた画家の一人。
富岡鉄斎,Tomioka Tessai,京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
富岡鉄斎(1837 - 1924)。晋の太元年中、武陵の漁夫が山の中に発見した秘境桃源、蓬莱は東方の海中にあると信じられた神仙の住む島で、図上にそれぞれ陶淵明の桃花源記と雲笈七籤の記事を書いている。画面一杯につみ重ねるような墨筆と鮮やかな色彩を縦横に駆使した、鉄斎69歳の作で、近代文人画の頂点を飾る大作である。
呉春(松村月渓),Goshun (Matsumura Gekkei),京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
作者の呉春(ごしゅん、1752 - 1811)は江戸時代中期の絵師。画号は松村月渓ともいう。四条派の始祖。
呉春(松村月渓),Goshun (also known as Matsumura Gekkei)
天明2~寛政1年(1782 - 89)。蘭亭脩契は、東晋の王羲之が浙江省紹興市の蘭亭に文雅の士41人と集まり、上汜の修禊(3月3日の桃の節句に水辺で行なう祭事)を行い、作詩したという故事。流水に盃を流して、前を過ぎないうちに詩作する文士たちを生き生きと表している。呉春(ごしゅん、1752 - 1811)が30歳代に摂津池田時代に描いたもの。師の蕪村風の南画様式の作品。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代、19世紀。能「西王母」を主題とした長寿を願う袱紗。西王母という仙人が周の王に、食べれば永遠の命が得られるという桃の実を贈ったという物語であるが、実際には西王母は描かれず、唐団扇と桃によって象徴される。登場人物が不在なため留守模様と称する。
芝山細工,東京国立博物館,Tokyo National Museum
明治時代、19世紀。漆工。桃園三傑図は、江戸時代に流行した『三国志演義』のうち、劉備玄徳が関羽・張飛の二人と桃の木の下で盃を交わし義兄弟の契を結ぶ話をもとにしたもの。右に関羽、左に張飛が描かれる。
北斎
葛飾北斎(1760 - 1849)は江戸時代後期の浮世絵師。作品数、その作域の広さ、清新な画境の開拓、和漢洋の画法への強い関心など、圧倒的な画力をみせた。 桃の木は魔除けの仙木であり、その薄板(桃符、とうふ)を正月の門口に貼って百鬼の侵入を制するという風習があった。
勝川春潮筆,By Katsukawa Shunchō (dates unknown),東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代、18世紀。勝川春潮(生没年不詳)は江戸時代の浮世絵師。役者絵の勝川春章門下で、美人画に優品を残す。
豊国,蔦屋吉蔵
歌川豊国(3代、国貞)。安政1年(1854)。 大判錦絵。三月三日は桃の節句で、可愛いお客様を迎えた雛の宵。左図奥が雛壇だが、本体の雛人形は描かれず、雛道具の碁盤・将棋盤・双六盤、衣桁に掛けた3着の衣装、琴、女乗物が見え、豪華な雛飾りなので、人形もさぞ立派であろうと想像される。
豊国,平のや
文久2年(1862)。作者の三代目歌川豊国(1786 - 1865)は国貞で、江戸時代の浮世絵師。
国宝・重文を探す
伝狩野元信筆,Attributed to Kano Motonobu (1477-1559),東京国立博物館,Tokyo National Museum
重要文化財。室町時代、16世紀。祖師図は仏教の模範とすべき先輩の姿を描いたもので、これは唐の禅僧・霊雲(れいうん)が桃の花が咲いているのをみて、突然悟りを得たという霊雲観桃(れいうんかんとう)のエピソード。京都市の大仙院の衣鉢(えはつ)の間の襖に描かれていたものを掛軸に仕立て直したもの。
芸愛,Geiai,京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
重要文化財。6曲1双。芸愛(生没年未詳)は、宗湛(室町幕府の御用絵師、俗姓は小栗)の画系に連なり、16世紀半ば頃に京都を中心に活動していたと想定される。鞭のようにしなる松や桃、椿などまるで突風にあおられたような激しい動勢に芸愛の個性がはっきりと見てとれる。
李士達筆,By Li Shida (dates unknown),東京国立博物館,Tokyo National Museum
重要文化財。明、16~17世紀。李士達(りしたつ)は蘇州の職業画家。竹の林がこんもりと茂り、風に揺れ動いています。その後ろに満開の桃の花とその間を流れる白い霞がみえます。前に座るふたりの人物は、竹の葉のそよぎ、小川のせせらぎ、滝の流れ落ちる音に耳をすませているかのようです。彼らの鼻には桃の香りも届いているのでしょう。明時代の終わりには、このような詩と絵画を同時に味わうような作品が流行しました。
絵画の桃太郎
雅信模,東京国立博物館
江戸時代、天保8年(1837)。原画は狩野栄川院典信(1730 - 90)、それを狩野勝川院雅信(1823 - 79)が模した。いずれも狩野派の絵師。
豊春, 不明
安永9年(1780)。歌川豊春(とよはる、1735 - 1814)は江戸時代中期の浮世絵師。歌川派の祖。
北尾重政, 蔦屋 重三郎
寛政3年(1791)、 江戸。北尾重政(1739 - 1820)は江戸時代中期の浮世絵師。北尾派の祖。遊里など世態風俗の活写に秀でる。
国貞,ト、山口 山口屋 藤兵衛
歌川国貞(三代目歌川豊国、1786 -1865)は江戸時代の浮世絵師。
国芳, 越前屋平三郎
天保10年(1839)。歌川 国芳(くによし、1798 - 1861)は江戸時代末期の浮世絵師。「武者絵の国芳」の名声を得る。
桜川慈悲成 作,歌川国丸 画,刊
いわゆる江戸後期小本「赤本/昔ばなし」8冊のうちの1冊。表紙は素朴ながら木版多色摺で、紅地の背景に薄紅で桃、分銅、隠れ笠、宝珠などを摺り出し、広袖に草鞋掛けで梵天を担ぎ風呂敷包みを背負って立つ桃太郎と、背に乗る猿、足もとの犬を描く。歌川国丸(1793 - 1829)は江戸時代後期の浮世絵師。桜川慈悲成(じひなり、1762 - 1833?)は戯作者、落語家。
歌川芳員、浜田屋徳兵衛
安政1年(1854)。歌川芳員(よしかず、生没年不詳)は江戸時代末期から明治時代初期にかけて活動した浮世絵師。
芳年
月岡芳年(よしとし、1839 - 92)は幕末から明治時代中期にかけて活躍した浮世絵師。明治15年(1882)作。
芳年, 遠州屋彦兵衛
安政6年(1859)。月岡芳年(よしとし、1839 - 92)は幕末期から明治時代中期にかけて活躍した浮世絵師。
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
引札は江戸時代の宣伝広告の一形式で、後のちらし、ビラにあたるもの。
線刻銘「寿玉」,郷誠之助氏寄贈,Gift of Mr. Gō Seinosuke,東京国立博物館,Tokyo National Museum
明治時代、19世紀。根付は江戸時代の留め具で、煙草入れや印籠などを紐で帯から吊るして持ち歩くときに利用した。
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南アルプスの麓に広がる甲府盆地。日本有数の桃の栽培地笛吹市では、4月上旬から半月の間、およそ30万本もの桃の花が咲き誇り、桃源郷をほうふつとさせます。2004年放送。
甲府盆地の東部にある山梨市は日照時間が長く寒暖の差が大きい気候のもと、季節ごとに桃や梨、ぶどう、さくらんぼなど、多くの種類の果物が栽培されています。笛吹川フルーツ公園は果物をテーマにしたテーマパークです。2004年取材。
山梨県の北部にある韮崎市では、4月中旬から下旬かけて桃の花が満開になります。戦国時代に武田信玄の息子、勝頼がこの地に城を構えるなど、韮崎は武田家ゆかりの地です。2005年取材。
山梨県の西側、南アルプス市の特産は果物です。桃やさくらんぼ、ぶどう、柿など四季を通じて収穫が楽しめます。2008年取材。
青森県の南東にある南部町は農業が盛んで、りんごや桃、そして、さくらんぼの生産で知られています。また、食用菊の生産も盛んで、地元では巻き寿司や菊なます、みそ汁として食べられています。2008年取材。
秋田県の北東部にある鹿角市では桃を特産としています。着色が良く、糖度が高いと評判です。昼夜の温度差が大きく、桃栽培に適しているとされています。生産された桃は、全国の桃産地よりも遅い9月中旬の出荷となるため、市場でも高値で取引されます。2012年取材。
山形県の中央部にある東根市はさくらんぼの出荷が県内トップクラスです。「佐藤錦」発祥の地でもあります。さくらんぼの他にも桃、ぶどう、ラ・フランスなど1年を通して味わえます。 2008年取材。
岡山県の南東部にある赤磐市は、温暖で雨が少ない気候を活かした果物作りが盛んなところで、白桃、マスカットやピオーレといったブドウなどが生産され、全国に出荷されています。 2006年取材。
福岡県東部にある行橋(ゆくはし)市は漁業が盛んで、ワタリガニ、シャコは有数の水揚げ量を誇ります。農業は桃、梨、いちじくなどの栽培が盛んです。今井津須佐神社に奉納される連歌は、室町時代から続いているとされます。2004年取材。
「つるし飾り」は、氷見市の手芸サークル「つるし飾り・ひめの会」が月に3回ほど集まり制作しています。2月には完成した作品を展示、部屋一面を彩るつるし飾りは一足早い春の華やかさを感じさせます。2014年放送。
桃の花が咲き誇る駅舎。神戸(ごうど)駅は、群馬県桐生市の桐生駅と栃木県日光市の間藤(まとう)駅を結ぶ、わたらせ渓谷鉄道の駅です。1926年、足尾鉄道の大間々町~神戸間の開通に伴い開業しました。開業当初のままの瓦ぶきの木造駅舎は、古びた壁や苔むした屋根が長い年月を物語ります。国鉄足尾線の時代から変わらない、こぢんまりとした待合室の竿縁天井や木製のベンチも健在です。2010年放送。
岡山市吉備津には桃太郎のモデルともいう神話が伝わります。人々はなぜか退治された鬼・温羅(うら)に共感を抱きます。その理由や吉備津神社に伝わる謎めいた神事を紹介します。2012年放送。
山本早苗,山本早苗*, 撮影:相原隆昌*,小西六本店,タカマサ映画社
[サクラグラフ版]。竹馬に乗った桃太郎が自分の力を誇示する場面で、鬼の角を抜き、その角で頭を叩くと、鬼の目玉が飛び出るといったグロテスクな描写もある。山本早苗が若き日、アニメーション映画の技術を学んだ北山清太郎も『桃太郎』(1918)を作っている。文献によっては『日本一の桃太郎』との表記もある。
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和歌山県紀の川市粉河。市場競争力の高い新品種の探索、品質の良い果実の生産技術、栽培管理の機械化・省力化などの試験研究を行っている。また病害虫の効率的な防除のため、新規薬剤の効果試験、環境に配慮した防除技術の開発などに取り組んでいる。 研究成果の公表、病害虫図鑑の提示、果物の生育状況や病害虫発生予察情報を報告する。
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農林水産省公式Webマガジン。2020年6月号から週刊化された。特集では「ももの歴史と主な品種」などを扱う。「ふるさと給食自慢」や「達人レシピ」などの連載を載せている。
参考文献
- 小学館
- 責任表示
- 国立国会図書館
- 二次利用について
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- 最終更新日
- 2024/03/06