
生没年不詳。江戸時代初期(慶長~寛永期頃)に京都で活躍した画家。出身・経歴は明らかになっていないが、「俵屋」を屋号とする絵屋(扇絵や染織の下絵など工芸的絵画を制作する工房)を主宰し、烏丸光広(からすまるみつひろ)や本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)などの文化人と親交が深かったとみられている。
慶長~元和年間頃は、光悦の書による色紙や和歌巻に金銀泥の下絵を多く残す。制作年代の明らかな例として、寛永7年(1630)に制作された「西行物語絵巻」模写(出光美術館蔵)があり、この時、宗達は法橋(ほっきょう/僧侶に準じて、医師や文芸者に与えられた称号)であった。
伝統的な大和絵の流れを汲みながらも、金銀などを用いた高い装飾性と斬新な画面構成を特徴とした作品が多く、代表作には、「風神雷神図屛風」(国宝。建仁寺蔵)、「鶴図下絵和歌巻」などが挙げられる。また、墨の濃淡とにじみを生かした「たらし込み」の技法を創案したと考えられており、「蓮池水禽(れんちすいきん)図」(国宝)などの水墨画の優品も多数制作している。
江戸時代中期には、宗達に深く傾倒した尾形光琳(おがたこうりん)が宗達の美術様式を踏襲、展開した。宗達・光琳によって生み出された華麗で装飾的な日本画の潮流は、今日、「琳派」と呼ばれている。
関連するひと・もの・こと
書画、漆芸、陶芸に通じた桃山・江戸初期を代表する芸術家。宗達と親交があり、色紙や巻物を共同制作した。
元禄上方文化を牽引した、琳派の大成者。宗達に影響を受け、宗達の様式を継承・展開した。
墨一色を基調とした東洋絵画の様式。雪舟が日本的様式を大成。宗達は墨の濃淡とにじみを効果的に生かした「たらし込み」の技法を発案した。
平安時代の女性作家、紫式部が著した王朝物語。貴公子光源氏を主役とした華やかな物語は、絵画芸術にも影響を与えた。宗達は『源氏物語』を画題にした作品を残している。
俵屋宗達・尾形光琳の流れを汲み、江戸で琳派を再興した「江戸琳派」の祖
ハス科の水草。仏典の花として、食用のれんこん(蓮根)として日本人になじみ深い。宗達はハスを画題にした作品を描いている。
400年にわたって日本画壇に君臨した絵師集団。宗達と同時代には、狩野山楽や狩野探幽が活躍していたと考えられる。
本で知る
〔慶長年間(1596〜1614)〕刊 古活字版 無刊記 大きさ各24.1×18.2cm 無辺無界 半葉7行13字内外 字高18〜19cm 漢字仮名交じり 白鼠色蔦葉模様雲母摺表紙、薄紅色雲母摺模様本文料紙 原装 綴葉装。 慶長年間に木活字で刊行された観世流の謡本。100番100冊からなる。掲載書は「三井寺」1冊。光悦流の書体であることから「光悦謡本」「嵯峨本謡本」などと通称される。「光悦謡本」は装訂や摺りなどから多くの種類に分けられるが、綴葉装本には(1)表紙、本文料紙等全てに雲母摺模様のある「特製本」(2)表紙のみに雲母摺模様があり、本文には色替り料紙を用いる「色替り本」(3)表紙に雲母摺模様があり、本文料紙には具引きのみを施す「上製本」の3種がある。掲載書はそのうちの「特製本」。「特製本」は表紙、本文料紙等全てに意匠が凝らされており最も美しい。表紙の下絵は、俵屋宗達によるものと推測されている。
江戸中期の公卿、近衛家熙(このえいえひろ)の日記『槐記』に記された宗達についての記述。家熙邸で催された茶会に宗達の水墨画が掛けられたことが数回にわたって記されている。掲出は享保14年4月の記事で「掛物 宗達墨絵 ナデシコ 杜鵑」とある。『槐記』は、享保9~20年(1724~1735)にかけての家熙の言行を、侍医であった道安が記録したもの。内容は文学、芸能など多岐にわたり、家熙の博学多芸ぶりがうかがえる。内閣文庫所蔵、外題に「槐下余聞」とある写本。
中野其明 編,春陽堂
酒井抱一が手がけた、尾形光琳をはじめとした琳派の画家の落款をまとめた冊子。明治期に、中野其明により増補されて刊行された。
野々村宗達 画,日本美術協会 編,審美書院
大正2年(1913)に審美書院より刊行された俵屋宗達の画集。
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大正12年(1923)刊行。俵屋宗達、尾形光琳筆とされる扇面の図版を収録。
今泉雄作 著,書画骨董叢書刊行会
大正9年(1920)刊行。著者の今泉雄作は、明治・大正期の美術教育家。岡倉天心らと東京美術学校創立に尽力し、京都美術工芸学校長、帝室博物館美術部長を経て、大正5年に大倉集古館館長となった。本書は、日本美術史と日本画の鑑定法について記述されている。第5編に「宗達・光琳派」の解説があり、また、第8編「日本画鑑定法」には、「宗達・光琳派の鑑定法」の項がある。
もっと知りたい
俵屋宗達(伝俵屋宗達を含む)の作品
俵屋宗達,Tawaraya Sotatsu,京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
【国宝】 蓮池水禽図は宋元画に著色画の例をいくつか見ることができるが、宗達は2茎の蓮と2羽のかいつぶりを水墨のみで、あっさりと描いている。それでいて、今を盛りの白蓮とすでに花弁の散り落ちた蓮の実。次なる餌を求めて小波をたてる1羽と、静かに足を休める1羽という対照の妙を、柔らかい筆づかいときらめくような墨色をもって描き得ている。画面左下隅に「伊年」印があるのみで落款もないが、宗達の水墨技法の極を示す作といえよう。
俵屋宗達筆、烏丸光広賛,By Tawaraya Sōtatsu (dates unknown); inscription by Karasumaru Mitsuhiro (1579–1638),東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 江戸初期の代表的歌人で、朝廷に仕えた烏丸光広が書した和歌から、『源氏物語』のうち、光源氏が石山寺へ参詣する折、逢坂の関でかつての愛人空蝉の一行と出会い、往時をしのぶ「関屋」帖の一場面とわかる。仕丁の装束の白が光り、波状の動きを生んでいる。
俵屋宗達筆、烏丸光広賛,By Tawaraya Sōtatsu (dates unknown); inscription by Karasumaru Mitsuhiro (1579–1638),東京国立博物館,Tokyo National Museum
烏丸光広による賛の部分。右扇には「なみたをや/関の清/水と/人は/みるらん」、左扇には「みきのこゝろをよみて/かきつく(花押)/をくるまのえにしは/あれな/としへつゝ/又あふみち/に/ゆくも/かへる/も」とある。
俵屋宗達画・本阿弥光悦書,Painting by Tawaraya Sotatsu; calligraphy by Hon'ami Koetsu,京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
【重要文化財】 本阿弥光悦の書蹟の代表作ということでも従来から著名な1巻。装飾芸術家としての俵屋宗達(活躍期、1602-1635)の真骨頂がみごとに発揮された作品である。描かれているモティーフはただ鶴のみに限られる。長大な巻物の冒頭から繰り広げられる鶴の群れは、一様に金と銀の泥で表現される。あるいは飛翔し、あるいは羽を休めて寄りつどう鶴の姿態は、単純そのものの筆使いで捉えられていながら、そのシルエットの美しさは比類がない。料紙装飾という限定された課題のなかで、ぎりぎりまで個性を表出し得た宗達の手腕を見てとることができよう。
伝俵屋宗達筆,Attributed to Tawaraya Sōtatsu (dates unknown),田沢房太郎氏寄贈,Gift of Mr. Tazawa Fusatarō,東京国立博物館,Tokyo National Museum
桜と山吹咲きほこる春。三つの半円状の色面で画面を大胆に区画、各面の左奥に山吹を置き、桜木立の垂直線を繰り返す。意匠性ゆたかな画面構成は、まさに宗達風だ。貼付色紙の多くが慶長10年(1605)頃書と推定され、画は寛永年間(1624~44)の作と見られる。 白い桜と黄色い山吹が咲きほこる山の絵に、和歌を書きしるした色紙を何枚も貼りつけた屏風です。色紙には、金泥や銀泥でさまざまな季節の草花が描かれています。その上に、時代を代表する書の名手、寛永の三筆のひとり本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)が和歌を書きしるしています。左の屏風に描かれている山は、右の山よりも手前にあるようです。そのわりに桜や山吹は、近くのものも遠くのものもほとんど同じサイズで描かれており、不思議な印象です。山は単色で平面的に塗られており、木の幹も、まるで途中でのこぎりで切って地面に置いたように、唐突に地面から生えています。「山」や「木」の記号的な描写に加え、宙に浮いているかのようにあちこちに貼り付けられた色紙の配置など、独特なデザイン性に満ちた作品です。
俵屋宗達筆,By Tawaraya Sotatsu,九州国立博物館,Kyushu National Museum
『伊勢物語』第七段「かへる浪」を主題とする作品である。京に居づらくなった主人公の男が東へ旅立つが、伊勢と尾張の境の海辺に到ったところで、寄せては返す波を羨む和歌を詠んだという短編を画題とする。画中には狩衣姿の主人公が縁側に座って海を眺める姿を描き、画面右上の金地に和歌を書写する。群青・緑青等で彩色を施し、金銀泥の細い筆線で文様を表わすなど、非常に丁寧な描きぶりを特徴とする。俵屋宗達およびその工房による「伊勢物語図色紙」(現存59枚)のなかでも、特に描写の秀でた作例の一つに数えられる。なお、本色紙の旧肌裏紙には、表と同じ和歌と、段の数字(「七」)、詞書筆者(「高辻侍従殿」)を記した墨書が確認できる。益田孝(1848-1938)旧蔵。
俵屋宗達筆,By Tawaraya Sōtatsu (dates unknown),安田建一氏寄贈,Gift of Mr. Yasuda Ken'ichi,東京国立博物館,Tokyo National Museum
俵屋宗達が、醍醐の蒸笋(むしたけ)(筍を釜ゆでにして乾燥させたもの)を受け取った礼状。宗達の現存する自筆書状で、その筆致には光悦(こうえつ)流の影響が強くうかがえる。文書の中央に折り目があり、中表に縦に二つ折りして、奥から畳んで、宛所(あてどころ)と差し出し人の名を書いている。
伝俵屋宗達筆,Attributed to Tawaraya Sotatsu (dates unknown),山本達郎氏寄贈,Gift of Mr. Yamamoto Tatsuro,東京国立博物館,Tokyo National Museum
扇の形をした画面に、さまざまな絵が描かれ、屏風に貼られています。この屏風は本来、2枚でセットになっており、こうした「扇面画」が、左右の屏風を合わせると60枚、貼り交ぜられています。描かれている内容は、「源氏物語」「伊勢物語」「平家物語」といった物語絵、有名な景色を彩り豊かに描いた名所絵、昔から伝えられてきたエピソードや人物を含む故事人物、風景や動物をモノクロで描いた水墨画など、幅広い画題を網羅しています。 安土桃山時代から江戸時代初期(17世紀初頭)にかけて活躍した絵師、俵屋宗達は、扇屋「俵屋」を営んでいました。この屏風は、俵屋の製品であったと考えられています。扇は、日常の実用品であることに加え、贈答品としても盛んに流通していました。この屏風に貼り交ぜられた扇面画には、扇の折り畳み線がなく、またサイズも大きいことから、実用目的ではなく、初めから鑑賞のために屏風や冊子状に仕立てることが想定されていたのでしょう。扇屋は、さまざまな扇のデザインをストックしてあったはず。これは、まるで俵屋の図案のレパートリーを見せるカタログのような屏風です。 それぞれ雰囲気の異なる絵が貼り交ぜられていますが、墨や絵具の濃淡のにじみやむらを活かした「たらしこみ」の技法、また金の雲をきらきらと光る水色の縁取りで囲む表現など、繰り返し登場する要素は、「俵屋らしさ」として期待される特徴だったのでしょう。
伝 俵屋宗達,Attributed to Tawaraya Sotatsu
画面を対角線で区切るように夥しいまでの松の緑の塊が連なり、左上方の金地空間と鮮やかな拮抗をなす斬新で奇抜な構図。松といえば養源院の《松図襖》が有名であるが、本作では松の葉をより簡略化して描いている。松の樹間には宗達がモティーフとして採用した槙や檜も描かれており、宗達作品を想起させる。右上部の八重桜は、独特の盛り上げ彩色による厚みを備え、松葉の群れに負けじと咲き誇って、画面にひときわ興趣を添えている。
本阿弥光悦筆,By Hon'ami Kōetsu (1558–1637),松永安左エ門氏寄贈,Gift of Mr. Matsunaga Yasuzaemon,東京国立博物館,Tokyo National Museum
金銀泥を用いて大胆に描く蓮下絵は、俵屋宗達(たわらやそうたつ)の筆と伝え、独特のたらし込みの手法がかいま見られる。その上に光悦が『百人一首』の和歌を散らし書きするが、その書は下絵と見事な調和を醸し出している。もと巻子本であったが、関東大震災で大半が焼失した。
俵屋宗達筆,By Tawaraya Sōtatsu (dates unknown),川合玉堂氏寄贈,Gift of Mr. Kawai Gyokudō,東京国立博物館,Tokyo National Museum
シルエットの桔梗と淡墨に包まれて白く浮かび上がる兎。月に照らし出された秋の野辺を思わせ、兎の見上げる視線の先には明るい月が暗示されている。俵屋宗達は、兎と月を組み合わせた作品を他にも描いており、月下の兎は得意のテーマだった。烏丸光広の賛は、「はな野にも/のこる雪かと/みるか/うちに/ふしとかへたる/秋のうさき/か」。
俵屋宗達筆,By Tawaraya Sōtatsu (dates unknown),東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>兎・鷺・梅・竹をそれぞれ1幅ずつに描いた4幅対。桃山~江戸初期に京都で活躍した宗達は、墨の濃淡や滲+にじ+み、溜+たま+りを用いる「たらし込み」という技法を使い、対象の立体感を表現することに長+た+けていました。本作でも得意の「たらし込み」技法を用い、立体感と実在感が表現されています。</p>
俵屋宗達筆,川合玉堂氏寄贈,東京国立博物館
伝俵屋宗達筆,Attributed to Tawaraya Sōtatsu,九州国立博物館,Kyushu National Museum
俵屋宗達
俵屋宗達
俵屋宗達
宗達工房・琳派の作品
伊年 印,Sealed: Inen
江戸時代前期(17世紀)。画面左下に「伊年印」と呼ばれる俵屋宗達が主宰した工房作を示す商標印が付されている。二曲仕立ての屏風には女竹・蔦・もろこし・芥子・すみれ・桜草・つくし・立葵・竜胆・燕子花・撫子・たんぽぽ・鶏頭・芒・萩など十数種の草花を散見することができる。草花の配置や組み合わせには花卉全体を見渡せるよう配慮がなされている。花々の最盛期を捉えた瑞々しい生命感が心地よく、艶やかな花の色と金地が相まって琳派特有の雅な空間を創り出している。
俵屋宗雪筆,By Tawaraya Sōsetsu,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(17世紀)。緑を薄塗りした金地の野辺に、萩、薄、女郎花、芙蓉など咲き乱れる秋の草花。地面の起伏と草花の布置(ふち)とが協調して波状の動きを作り、澄んだ秋の大気が吹き抜ける。宗雪は、あの俵屋宗達の後継者であり、はじめ京都で活躍し、後に加賀金沢で前田家に仕えた。 二つの画面で1セットの屏風です。淡いグリーンが透ける、金色のなだらかな地面の盛り上がりが幾重にも連なっています。ここは、起伏に富んだ場所のようです。そこには、薄(ススキ)、菊、萩、黄蜀葵(トロロアオイ)、芙蓉(フヨウ)、女郎花(オミナエシ)といった草花が勢い良く生い茂っています。草花の種類からいって、季節は夏から秋でしょうか。多くの種類の草花が描かれていますが、色合いは白、緑、黄色系にまとめられているので、爽やかな統一感があります。左右の端にある菊は、貝殻から作られる白い顔料・胡粉を厚く盛り上げて描かれています。左右の端の菊がほぼ同じ高さに描かれているので、右と左の屏風を入れ替えても絵がつながります。地面の盛り上がりもつながります。澄んだ秋の空の下、草花が延々と続く野辺を歩く気分で、ご覧ください。作者の俵屋宗雪は、江戸時代初期に活躍した俵屋宗達の後継者。はじめ京都で活躍し、のちに加賀金沢で前田家に仕えました。
伝 俵屋宗雪,Attributed to Tawaraya Sosetsu
江戸時代(17世紀)。左隻に白菊、野紺菊などの野菊を中心として、桔梗、女郎花、萩、芒、南天、藪柑子などの秋から冬にかけての草花、右隻にたんぽぽ、芥子、野あざみ、すみれ、つつじ、紫陽花、つくし、蕨といった春から夏にかけての植物を描く。横長の金地画面をいっぱいに使って、地面を描かずに一つ一つの植物を点在させる装飾的な表現は琳派が得意としたもの。精細に描写された草花は生き生きとした生命力を宿している。
書:伝 本阿弥光悦 下絵:宗達派,Calligraphy: Attributed to Hon’ami Koetsu (1558-1637), Painting: Sotatsu School
本図と《草花図下絵漢詩》は、もともと六曲一隻の屏風仕立てのものを各扇ごとに表具したもの。本作は第四扇に仕立てられていた。宗達工房の下絵と思われる金地の秋草図に、和歌を認めている。和歌は平安前期の女流歌人伊勢の作で、和漢朗詠集・上巻のうち春の雨の部にある「青柳の 枝にかかれる 春雨は いともてぬける 玉かとぞみる」の句を数行に分かち書きにしている。
書:伝 本阿弥光悦 下絵:宗達派,Calligraphy: Attributed to Hon’ami Koetsu (1558-1637), Painting: Sotatsu School
本図と《草花図下絵和漢朗詠集和歌》は、もともと六曲一隻の屏風仕立てのものを各扇ごとに表具したもの。本作は第2扇に仕立てられていた。金地の下部に宗達工房の下絵と思われる女郎花、菊、芒といった秋草をあしらい、漢詩が認められている。漢詩は和漢朗詠集・上巻のうち春の雨の部にある平安時代の文人慶滋保胤の詩「斜脚暖風先扇処 暗声朝日未晴程(斜脚は暖風の先づ扇ぐ処、暗声は朝日のいまだ晴れざる程)」の句。
琳派,Rinpa School
江戸時代前期(17世紀)。草花図の中でも秋草図は一つの定番として多く描かれてきた。比較的小さな寸法で仕立てられた屏風の横長の画面に、芒と萩を4つの草叢に分け、バランスよく配置しており、画面に散らされた金銀の砂子は、月光や霞、土坡などを効果的に表すと同時に、奥行きの演出にも一役買っている。こうした図案では月も一緒に描かれるのが主流であるが、ここでは見つけることはできない。また銀の砂子は経年による酸化が激しく、現在では黒く変色している。
尾形光琳筆,By Ogata Kōrin (1658-1716),東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 江戸時代(18世紀)。右側に風神、左側に雷神が描かれた屏風が2枚でセットになったものです。風や雷といった、人間には抗えない自然の大きな力を、神の姿を借りてちょっとユーモラスに描いています。 風神も雷神も、衣が風にはためいて、左から右への強い風の動きを感じさせます。緑色の風神は右の方から画面に飛び込んできたかのような勢いがあり、対する白で描かれた雷神は足を踏ん張って風神の動きを受け止めているかのようです。墨をにじませた雨雲のような部分が、空間の奥行きを感じさせ、また風神と雷神の色合いをくっきりと際立たせています。もともと俵屋宗達(たわらやそうたつ)が描いた国宝「風神雷神図屏風」(京都・建仁寺蔵)を、尾形光琳(おがたこうりん)が忠実にトレースした作品です。宗達の風神雷神図との違いはいくつかありますが、宗達版で下界を見下ろしていた雷神の視線の向きは、光琳版では風神をまっすぐ見るように変えられています。風神と雷神は視線を交錯させ、息を合わせてダンスをしているかのような「コンビ感」があります。風神と雷神を一体として捉え、調和性を重視して描いているのが光琳の「風神雷神図屏風」の特徴でしょう。 ちなみに、この作品の裏に、酒井抱一(さかいほういつ)があとから描き加えたのが「夏秋草図屏風」です。作品保存のため、表と裏に分けられ、現在はそれぞれ別の屏風になっています。雷神図の裏には雨に打たれた夏草が、風神図の裏には、風神が巻き起こした風に吹かれているかのように秋草が描かれていました。
尾形光琳筆,By Ogata Kōrin (1658–1716),東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>吉祥のモチーフである「松竹梅」のうち、竹と梅のみを描いた屏風。光琳は梅を好み、五弁の花を円く描いた梅の図様は、光琳梅とも称され流行しました。この屏風では、金地に墨のみで大胆かつ簡潔に竹林を描き、そこに屈曲する古木の梅を可憐に咲かせています。<br /></p>
尾形光琳筆,By Ogata Kōrin (1658–1716),東京国立博物館,Tokyo National Museum
尾形光琳作,By Ogata Kōrin (1658–1716),東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p> 有名な『伊勢物語』第九段、三河国八橋の情景を描いた硯箱。大胆な構図に、圧倒的なデザイン力が示されている。作者の尾形光琳(おがたこうりん)は、八橋を主題にした屏風絵の名品をいくつか残しており、このテーマは自家薬籠中(じかやくろうちゅう)のものであったと考えられる。 <br /></p><br /><p> 蓋を開けた上の段には硯(すずり)と水滴(すいてき)を収め、下の段には紙を収める硯箱です。底を除いた外側の面に、木の板をつなげた橋がジグザグと不規則に曲がりながら続き、それぞれの面にグループで咲く燕子花(かきつばた)は、数や位置に変化をつけています。モチーフの配置は大胆でありながらも、計算されたデザイン感覚がうかがえます。燕子花の葉や茎の部分は、漆で描いたのち、乾かないうちに金粉を蒔きつける「金蒔絵(きんまきえ)」によって表し、花の部分は貝がらの内側を平らに加工してはめ込む「螺鈿(らでん)」という技法を用いています。硯箱のデザインは一見斬新な印象を受けますが、その表現は伝統的な漆の工芸技術によるものです。板橋と燕子花のモチーフは、『伊勢物語』という平安時代の文学で記された愛知県東部にある八橋という場所にちなんだもの。作者の尾形光琳(おがたこうりん)は、17世紀のおわりから18世紀はじめに活躍した画家です。光琳には、八橋の情景を描いた屏風の名品も知られ、古典文学にちなんだモチーフを、洗練された感覚で捉えなおす点が特徴です。 </p>
乾山,By Kenzan (1663–1743),広田松繁氏寄贈,Gift of Mr. Hirota Matsushige,東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>尾形光琳の弟、深省が京都鳴滝に窯を開き、つくられたのが「乾山焼」です。深省は仁清に倣い、土や釉薬の開発に力を入れたことが知られています。金銀彩も積極的に採用し、素地を活かし、文様のモチーフを引き立てるような多彩な表現を行ないました。<br /></p>
琳派,Rinpa School
江戸時代中期(18世紀)。比較的小さな寸法に仕立てられた八曲一隻の屏風。画面右下に「対青印」らしき朱文円印があるが、にわかには判読しがたい。本作では俵屋宗達・尾形光琳の双方が描いた《松島図》にも見られる波頭の図案が簡潔にリズムよく描かれ、波の躍動感を伝えている。波形の描写は波の外側にだけ濃い群青色を引き輪郭を際立たせ、波頭部に胡粉で白を着彩し、飛沫や波のうねりの部分に金泥の線で調子をつけて仕上げている。
酒井抱一筆,By Sakai Hōitsu,東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p> この作品は、酒井抱一が尾形光琳(おがたこうりん)の「風神雷神図屏風」の裏にあとから描き加えたものです。第11代将軍徳川家斉(とくがわいえなり)の父で、一橋家の当主、治済(はるさだ)から制作を依頼された作品でした。作品保存のため、昭和49年(1974年)に表と裏に分けられ、現在はそれぞれ別の屏風になっています。<br /> 月の光を思わせる銀色の地に、夏から秋の草花が爽やかな色彩であらわされています。向かって右の屏風には、百合や昼顔などの夏草が、うなだれたように葉先を地面に向けています。背景には地面にたまった雨水が流れ出しています。雨粒を描くことなく、夏の強い夕立を表現しています。<br /> 左側の屏風には、葛(くず)や藤袴、ススキや野葡萄といった秋の草花が右から左へと大きく風に吹かれています。宙に舞う野葡萄や、裏返った葉の色に、風の強さがしめされています。<br /> 夏草図は、もともとは光琳の雷神図の裏に、秋草図は、風神図の裏にありました。つまり、この夏草は雷神がもたらした雨に打たれており、秋草は風神が巻き起こした風に吹かれているという関係にあったのです。<br /> 他にも光琳の「風神雷神図屏風」と抱一の「夏秋草図屏風」には、金と銀、天上の世界と地上の世界といった対比が見られ、光琳に憧れた抱一が、さまざまに光琳の作品に応えようとしたことがうかがえます。</p>
酒井抱一,Sakai Hoitsu,京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
<p>二曲屏風の向かって右隻に春夏、左隻に秋冬の景を、霞をへだてて配している。いかにも江戸琳派の総師・酒井抱一(1761~1828)の作品らしく、鮮やかな色彩を用いながらも執拗な感じがせず、瀟洒な趣きのある画面に仕上げている。</p>
鈴木其一,Suzuki Kiitsu
俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一という琳派の巨匠たちによって手がけられてきた重要画題である「風神雷神図」を抱一の高弟其一が再構成した作品。3人の巨匠が二曲の金地屏風に二神を収めたのに対し、其一は絹本の襖四面に各々を描いた。この襖絵は元々4面が表裏にくるよう仕立てられていたという。白と緑の軽やかな色彩を得た風神・雷神は、墨の滲みを使った柔らかな雲を従えて、与えられた広々とした空間を我が物顔で支配している。其一は、師である酒井抱一とともに、大らかで典雅な気風の京琳派に対して、瀟洒で機知的な近代性を併せもった「江戸琳派」を確立させた。本作では風神・雷神の二神の胴体・腕・足の凹凸を表す描線や目玉の周囲にわずかな陰影を施し、立体性をより強調しているのが見て取れ、他の3巨匠にはないリアリティへの追求が窺える。落款には「為三堂」「噲々」の印、「祝琳斎其一」の署名がなされており、抱一の死後、其一独自の作風を確立しゆく30代半ばから40代後半の充溢した時代の作と考えられる。
鈴木其一,Suzuki Kiitsu
萩と月は秋を表す好画題といえよう。左右から伸びた紅白の萩は緩やかな動きをもって、対角線上に配置されている。花房と葉の表現には、輪郭線を引かず色の階調を作る付け立ての技法がとられ、葉の葉脈には金泥が施されている。月下の葉色に変化をつけ、絹地の背景に銀泥を引くことで月光を演出するなど、こうした其一の細部へのこだわりが画面に程よい緊張感をもたらすとともに、江戸琳派特有の美麗で瀟洒な品格を醸し出している。
酒井鴬浦
酒井鴬浦(1808-1841)は、江戸時代後期の画家。築地本願寺の末寺、市ケ谷浄栄寺に生まれる。11歳(一説には12歳)で酒井抱一の養子となり、書画などを学ぶ。抱一の没後、雨華庵を継いで酒井姓を名乗る。俳諧にも優れた。
酒井道一筆,By Sakai Dōitsu,東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>道一は江戸時代の画家鈴木其一+きいつ+に琳派を学び、酒井鶯一+おういつ+の養子となり、酒井姓を名乗り雨華庵+うげあん+四世を継ぎました。本作は其一の師酒井抱一+ほういつ+の「夏秋草図屏風」を模写したもの。明治26年(1893)のシカゴ万国博覧会で建てられた鳳凰殿内部を飾る調度品として描かれました。</p>
酒井道一,Sakai Doitsu
背景に水の流れを敷き扇面をバランスよく配置した精錬な雰囲気は、琳派に脈打つ粋の精神を感じさせる。扇面図は江戸の庶民の間で文化が熟すにつれ、その需要が増したという。本図に見られるような扇面図屏風もそうした進歩発展の中で大いにもてはやされた。俵屋は扇の製作でも有名であったと見られ、以来、宗達をはじめ酒井抱一を中心とした江戸琳派の中でも一種の伝統的な図案として定着した。扇面の図案としてはタンポポ、梅、竹、百合、牡丹、松、桔梗、水仙といった四季を代表する植物に加え、富士を背景とした山水図が1点見られる。
田中抱二
田中抱二(1815-1885)は、江戸後期~明治時代の画家。江戸の本両替町の質商の子として生まれる。13歳で酒井抱一の雨華庵の門に入る。晩年の抱一との合作もあり、同門の四天王の一人と言われる。
琳派,Rinpa School
しなやかに枝を伸ばし、ちらほらと蕾が咲きだした梅を、金地の対角線状に配置した意匠性の高い作品である。画面の上下をはみ出して描かれた梅は枝振りや幹の一部のみを描き、独特の形態の美しさを捉えて簡潔にまとめ上げられている。薄墨のたらし込みで表された樹幹に、点苔として加えられた緑青が潤いを感じさせる。梅の花は尾形光琳がよく用いたモティーフで、花弁をひとつなぎの輪郭線のみで描いた梅は「光琳梅」とも称された。
松永安左エ門氏寄贈,Gift of Mr. Matsunaga Yasuzaemon,東京国立博物館,Tokyo National Museum
細かい金粉を蒔き詰めて金地に仕立てた硯箱。蓋表から身の側面にかけて流水を描き、鶴が飛翔する姿を鉛板を嵌めて表わす。モチーフを画面いっぱいに大きく描いた構図や、厚い鉛板を切り口も整えずに大胆に用いる点など、尾形光琳(おがたこうりん)の蒔絵の作風に倣っている。 これは、硯(すずり)や筆、墨などの筆記用具をおさめる硯箱です。金色の地に、黒いラインで流れる水が描かれています。そして、重なり合って飛ぶ鶴の群れが画面いっぱいに表されています。鶴は全て同じ方向を向いていますが、よく見ると翼や足、羽の形など、少しずつバリエーションがつけられています。地の金色は、細かい金粉を蒔き、接着して仕立てています。一段盛り上がった鶴の姿は、鉛の板をはめて表されています。作者ははっきりしていませんが、切り口を整えずに厚い鉛の板を大胆に使う点、画面内に大きくモチーフを配置する構図などは、琳派(りんぱ)を代表する尾形光琳(おがた こうりん)の作風にならっています。鶴の群れも、光琳が得意としたモチーフでした。
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| タイトル | 主催者 | 会場 | 開始 | 終了 |
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日本と東洋の文化財を守り伝える中心拠点としての役割を担う我が国の総合的な博物館です。
平安時代から江戸時代の京都文化を中心とした文化財を取り扱う地域に根ざした博物館です。
浅井長政の菩提を弔うため、長政の長女・淀殿 (茶々)の願いにより、豊臣秀吉が建立した寺院。重要文化財の杉戸絵「白象図杉戸」「唐獅子図杉戸」、襖絵「松図襖」を所蔵。杉戸絵は常時公開しており、襖絵は特別公開時に鑑賞可能。
京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の大本山の寺院。国宝「風神雷神図屏風」を所蔵し、特別展などで公開。建仁寺大書院では、本図の高精細複製作品を展示している。
出光興産の創業者・出光佐三が蒐集した美術品を所蔵・展示する美術館。日本の書画、中国・日本の陶磁器など東洋古美術品を中心とした所蔵品を年6回の展覧会で公開。俵屋宗達の重要文化財「西行物語絵巻」をはじめとする宗達作品を所蔵する。
山種証券創業者・山崎種二が蒐集したコレクションをもとに、日本初の日本画専門美術館として開館。「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」「四季草花下絵和歌短冊帖」などの宗達作品を所蔵する。
実業家・細見古香庵に始まる細見家三代の蒐集品を基礎とした美術館。約1,000点に及ぶ日本美術コレクションを所蔵し、多彩な企画展を展開する。俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一、鈴木其一など琳派の作品が充実しており、度々琳派展を開催。
文化庁が運営する日本の文化遺産についてのポータルサイト。 東京国立博物館、山種美術館、東京芸術大学大学美術館などに所蔵されている俵屋宗達の作品情報を閲覧可能。
国立国会図書館に収蔵されている資料を紐解きながら、琳派の流れの周辺を紹介。
参考文献
- 日立デジタル平凡社,平凡社
- 辻惟雄, 泉武夫, 山下裕二, 板倉聖哲 編集委員,小学館
- 村重寧 著,東京美術
- 古田亮 著,平凡社近代日本美術研究の立場から,宗達芸術のエッセンス,琳派画家との相違,海外の画家との類似について鋭く指摘。図版多数掲載。(日本児童図書出版協会)
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- 最終更新日
- 2025/11/21