絵巻とは、横長の紙に絵を描き、説明文として詞書(ことばがき)を添えることで物語を展開し、これを巻物に仕立てたもの。「絵巻物」とも言い、文学と美術を融合させた芸術形式。内容は、説話、伝記、社寺の縁起、文学作品などを主とする。現存する最古の絵巻は、平安時代後期(12世紀前半)に制作された、「源氏物語絵巻」(国宝・徳川美術館蔵)であるが、10世紀前半に執筆された『源氏物語』から、当時の貴族たちの間で既に絵巻が制作・鑑賞されていたことをうかがい知ることができる。平安時代後期、特に、絵巻の制作に積極的であった後白河院(1127~92)の時代には、『信貴山縁起絵巻』『伴大納言絵詞』『年中行事絵巻』『鳥獣人物戯画』など、現代に伝わる名作が多く生み出された。鎌倉時代(13~14世紀)に入ると、絵巻の制作はさらに盛んになり、取り扱われる題材や表現も多様化する。代表的な作品には、合戦絵巻『平治物語絵巻』『前九年合戦絵巻』、王朝文学に基づく物語絵巻『紫式部日記絵巻』『住吉物語絵巻』、社寺縁起絵巻『北野天神縁起絵巻』『春日権現記絵』などが挙げられる。南北朝・室町時代以降は、それまで制作の中心であった公家や寺院に加えて、足利将軍家も絵巻制作に参与するなど、絵巻の制作者および享受層に変化が見られる。その後、絵巻はより一般化・量産化し、江戸時代には、後水尾天皇の二条城行幸を描いた『寛永行幸記』のような活字による絵巻物も刊行された。
関連するひと・もの・こと
日本を代表する絵巻物。現代の漫画にも通じる手法で表現されていることから、漫画のルーツとも言われる。
一遍上人の遊行の旅と当時の暮らしを活写した鎌倉時代の絵巻物
鎌倉幕府成立前後の激動期、三十余年にわたって強力な院政を展開した天皇。絵巻を愛好し、「年中行事絵巻」「伴大納言絵巻」など多数の絵巻を制作したと考えられている。
平安時代の女性作家、紫式部が著した王朝物語。貴公子光源氏を主役とした華やかな物語は、絵画芸術にも影響を与えた。
仏教でいうところの死後の世界である「六道」を描いた仏画。平安時代の浄土思想や末法思想の高まりなどにより流行した。
飛鳥時代、推古天皇の摂政だった皇子。政治で大きな業績を残す一方、仏教隆盛に貢献したといわれる。太子信仰の隆盛に伴い、聖徳太子の伝記を絵画化した絵巻がつくられた。
鎌倉時代の文武両道の天皇。幕府に対抗して承久の乱を起こし、隠岐に配流。その経緯が「承久記絵巻」に記されている。
第96代天皇。鎌倉幕府を倒して建武新政を樹立したが、南北朝分裂の時代を招く結果となった。その動乱の様子が江戸時代に制作された「太平記絵巻」に描かれている。
本で知る
藤原隆能 著,徳川美術館 編,徳川美術館
『源氏物語絵巻』は平安時代末期に成立した、現存する最古の絵巻。紫式部の『源氏物語』を題材とした絵巻で、絵は藤原隆能、詞書は藤原伊房・雅経らの筆と伝わる。徳川美術館と五島美術館などに分蔵。国宝。本書は、昭11年(1936)に徳川美術館が編集・刊行したカラー版の図録。徳川美術館所蔵の絵15枚、詞書5枚が収録されている。
松岡映丘 編著,森江書店
大正15年(1926)刊。日本画家・松岡映丘編著による日本の絵巻の図録。平安末期から室町末期までの絵巻68点、並びに技法様式が絵巻に共通する掛軸・屏風10点を解説付きで掲載。
東方書院 編,東方書院
昭和3年(1928)刊。1巻は室町時代に成立した『清涼寺縁起絵巻』(6巻)を収録。
東京帝国大学文学部美術史研究室
昭和13(1938)刊。東京帝国大学文学部美術史研究室編。日本の代表的な絵巻の名称、作者、所蔵先を掲載。
田中有美 編,田中文庫
千枝惟久,写
もっと知りたい
平安時代の絵巻
東京国立博物館,Tokyo National Museum
【国宝】 餓鬼とは、生前に、欲望のままに悪い行いをした報いにより、常に飢えや渇きの苦しみに悩まされる死者の霊のことである。平安時代末の極楽浄土信仰を背景に制作されたこの絵巻には、不気味な餓鬼達の様子が精細に描写されている。 餓鬼(がき)とは、生前に、欲望のままに悪い行いをした報いにより、常に飢えや渇きの苦しみに悩まされる死者の霊のこと。平安時代末の浄土信仰を背景に制作されたこの絵巻には、不気味な餓鬼達の様子が細かく描写されています。「餓鬼草紙(がきぞうし)」は『正法念処経(しょうぼうねんじょきょう)』にもとづいて描かれた絵巻ですが、伝来の過程で図の説明にあたる詞書(ことばがき)が失われており、 各場面が何を表わしているかについてはいくつかの説があります。ここではその一部を見ていくこととしましょう。 まずは音楽を楽しむ男女を描いた場面。肩や胸に小さな餓鬼が取り付いています。これは仏の教えを軽んずる人の精気を食らう餓鬼と考えられています。つぎに出産の場面では、生まれでた赤ん坊を食らおうと餓鬼が手を伸ばしています。これは生前に病人を騙したものが地獄から這い上がってきた姿です。また人々の排泄物(はいせつぶつ)を食らおうと待ち構える餓鬼の姿。僧侶に与えるべき食料をよごした者がこの姿になるといいます。 いずれも恐ろしい餓鬼の姿。こうした姿を目の当たりにすることは、自身の生活を反省することに繋がるものといえるでしょう。みなさんにはどう感じられますか? なお、本作はもともと、後白河法皇(ごしらかわほうおう)がつくらせ、三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)で有名な京都・蓮華王院(れんげおういん)の蔵で保管されていた「六道絵(ろくどうえ)」の一部と推定されています。
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
【国宝】 1巻の絵巻に収められている詞(ことば)・絵とも7段の餓鬼の物語のうちの1つで、墓に手向けられた水のしたたりをなめて、わずかに命を保つ食水餓鬼を描く。餓鬼は頚がとくに細く、手足もやせこけているのに、腹のみ肥大して、常に餓えに苦しむ様をあらわすが、この姿は人の目にはみえない。画面はこの悲惨な様子を柔軟な線と淡彩で軽快に描きだし、貴顕老若男女が雑踏する寺の門前の光景を添えて、さりげなく表現している。しかし、それは鎌倉時代の六道絵のどきつい表現にもまして、深刻な懺悔を迫るひとこまといえよう。平安時代後期に流行した一連の六道絵巻の1つである。
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
【国宝】 様々な奇病を集めて絵巻物にしたてたもので、寛政期の模本によれば、名古屋の歌人大 館高門のもとに十五図一巻の形で所蔵されていたが、現在このうちの九図が国有となり 、それ以前に断簡となって逸出した図が諸家に分蔵されている。また寛政模本には含ま れていないが、画風からもともとこれと一連のもので、模本が作られる前に逸出したと 見られる四図がある。 

画風は暢達した線描を主体にし、淡い彩色を加えたもので、病気にかかった人物を中心 に描くものと環境描写を加え、風俗画的な趣を持つものとがある。人物表現には京都国 立博物館本餓鬼草紙や沙門地獄草紙などに通じるものがあり、これらと近い環境で描か れたものと考えられる。こうしたことから、病草紙を、人道苦相の表現として、六道絵 の一部と考える見方があるが、地獄草紙などにみる厭離穢土の思想が強調されることは なく、むしろ病にまつわる説話的興味から制作されたものと考えたい。

10面のうち霍乱は下痢と嘔吐を繰り返す病気で、苦しむ女と、部屋の中でさりげなく 擂鉢を擂る女との対比がおかしく、また里の生活を窺わせる資料としても貴重である。 二形は男女両性を具有する一種の奇形で、ここでは占師という設定で、その住居の様子 が知られる。歯の揺らぐ男は、歯槽膿漏かと考えられているもので、食事の途中で歯を 気にする様子が描かれる。眼病は、眼が見えなくなっている男のところに、医者を自称 する男がやってきて、眼球を鍼で治療したために失明してしまったという話を描いている。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 京都・高山寺所蔵の国宝・鳥獣人物戯画から分かれ、掛幅装となった断簡。仏事や祭礼など人々の営みを動物たちが演じるというその趣向の絶妙さに加え、墨一色のモノクロームで動物たちの動きを活写する軽やかで迷いのない線も、この作品の大きな魅力の一つ。京都高山寺に伝わる国宝鳥獣戯画は甲・乙・丙・丁の4つの巻で構成されています。この作品は絵巻から何らかの理由で切り離された断簡で、別に掛軸として仕立てられたものです。2017年に重要文化財に指定されました。鳥獣戯画は墨一色の作品ですが、動物たちの動きを迷いのない線で軽やかに描いているので、だれでも親しみやすく、子どもたちにも人気があります。この断簡には蛙や狐、猿といった動物が五匹、擬人化されて描かれています。笠や烏帽子を被り、高下駄を履いて歩く姿や、藤の花をささげ持つ様子などから、何かの行列の一場面であったのではないかと考えられています。鳥獣戯画には物語を説明する文章がないため、どういう場面を描いたのかはわかっていません。謎が多い絵巻ではありますが、物語を想像しながら見るのも、楽しみ方の一つかもしれません。画面左端、蛙が抱え持つ大きな蓮の葉の下あたりに、ひらひらと何かが舞っているのにご注目ください。甲巻には兎と蛙が相撲をしている有名な場面がありますが、その右側には萩が描かれており、これはその萩の花びらであることが分かっています。このことからこの作品は、甲巻の一部だったと考えられます。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>長らく『源氏物語』若紫(わかむらさき)帖を描く室町時代の源氏絵と考えられてきた断簡。だが、今から約35年前、これが徳川・五島本源氏物語絵巻(国宝)の同帖を描くものであることが「発見」された。研究の進展が作品の「価値」を問い直したという好例である。<br /></p><br /><p> 平安時代・11 世紀に制作された源氏物語は、主人公光源氏やその一族の恋愛や華々しい生活をつづった物語です。全部で54帖にもなる長編作で、当時の宮廷貴族の実情を描写しています。「源氏物語絵巻」とは、それぞれの帖の1~3場面を選び、物語の内容を文字で記した詞書(ことばがき)の後に、絵を描いて絵巻に仕立てたもののことです。12世紀に成立した、徳川美術館・五島美術館に所蔵されている源氏物語絵巻(国宝)は、現存する源氏物語絵巻の中で最も古い作品です。<br /> この作品は長らく、室町時代につくられた源氏物語絵巻の一部と考えられていました。しかし、研究の結果、徳川美術館・五島美術館に伝わる12世紀の絵巻の一部であるということが、明らかになりました。<br /> 場面は、第五帖「若紫」の一部で、掛軸に仕立て直されています。「若紫」は病に侵された源氏が療養のために訪れた京都・北山で、のちに妻とする若紫(後の、紫の上)と出会うというお話です。描かれているのは、病気が治った源氏が京に帰る途中、咲き誇る桜の下で宴を開き、病気平癒を祈る加持を依頼した僧侶との別れを惜しんでいる場面です。源氏が屋外で宴を開けるほど回復したことを、象徴的に描いています。</p>
東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 華厳五十五書絵巻の最終段、善財童子が普賢菩薩に会う場面。画面右手で合掌する善財童子(ぜんざいどうじ)に教えを説くのが普賢菩薩。同時に、華厳経(けごんきょう)の主尊・毘盧遮那如来(びるしゃなにょらい)(中央)、文殊菩薩(左手)も出現する奇跡の場面を、絵巻に用いられる「異時同図」の方法で描く。仏さまの教えを説いたお経の一つ、華厳経は奈良・東大寺では大切なよりどころとされています。これは、その中で説かれる内容の一つを絵巻にしたものの一部です。もともとの絵巻は東大寺に伝わりましたが、いくつかの場面が切りはなされた断簡となり、掛軸に仕立て直されました。絵巻は、善財童子(ぜんざいどうじ)という裕福な家に生まれた心清らかな少年が、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の導きにより、仏教の教えを探す旅に出るというところから始まります。善財童子が五十五か所を巡って善知識(ぜんちしき)と呼ばれる人たちから教えを授かっていき、ついには普賢菩薩(ふげんぼさつ)のもとで悟りの境地に達するというものです。右端でこちらに背を向け手を合わせているのが善財童子です。向いにいるのが普賢菩薩。その隣、画面中央にひときわ大きく描かれているのは毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)で、華厳経では中心的な仏さまとされています。偉業を成し遂げた善財童子を称える、クライマックスの場面です。この絵巻には善知識の名前や出会った場所などの記述はありますが、詳細なストーリーは記されていません。おそらく、物語を楽しむというより、華厳経を学ぶために作られたものでしょう。柔らかい墨の線で輪郭を描き、朱や黄、緑といった色で淡く彩られています。素朴な表現で、ひたむきに教えを求めた善財童子の姿を丁寧にあらわしています。
奈良国立博物館,Nara National Museum
【重要文化財】 かつて益田家に伝来した全七段からなる地獄草紙の第五段に相当する。旧益田家本地獄草紙は、国宝辟邪絵(奈良国立博物館蔵)とともに長らく一組の地獄草紙として伝わった。その内容は、十六巻本『仏名経』が引用する『馬頭羅刹経』に説かれる沙門地獄であることが明らかにされており、本品はそのうちの「沸屎地獄」に相当する。平安初期から宮中で行われてきた仏名会で使用される地獄変御屏風には、沙門地獄が描かれた。同屏風には辟邪神の姿が描かれていた可能性もあることから、本品を含む旧益田家本地獄草紙と辟邪絵は地獄変御屏風の図様をもとに描かれた元来一具の絵巻とする説も提示されている。 本品は、詞書における寂蓮流の書風や、人物描写において下描きや隈取を丁寧に施すという平安時代大和絵の伝統的な手法が認められる一方、馬頭羅刹の肉身に用いられる極度の肥痩を伴った線描などに鎌倉時代への過渡的な様相も見て取れることから、その制作時期は平安末期から鎌倉初頭と考えられるだろう。
[常盤光長] [画],[飛鳥井雅経] [詞書]
『伴大納言絵巻』は、平安末期の説話絵巻。3巻。貞観8年(866)閏3月10日に起きた応天門の変にからむ大納言・伴善男の策謀と失脚を描く。作者は後白河院に重用された宮廷絵師・常磐光長と推定されている。本資料は、模写。
狩野晴川院養信筆 原本:筆者不詳,By Kano Seisen'in Osanobu (1796-1846) Original: Artis unknwon,東京国立博物館,Tokyo National Museum
承安元年(1171)、高倉天皇(1161~81)の頃に行なわれた五節舞の行事を描いた絵巻。五節舞とは、新嘗祭や大嘗祭の終盤、豊明節会と呼ぶ宴で舞われた舞のことです。予行演習を含め、4日間にわたって4人(大嘗祭では5人)の舞姫が舞を披露しました。
[常盤光長] [ほか画],写
『年中行事絵巻』は、平安時代の宮中儀式や祭事、民間の風俗などが描かれた絵巻。平安末期に成立。後白河法皇の勅命によって、御用絵師の常磐光長らが制作し、原本は60巻であったという。この原本はしだいに散逸し、江戸時代に焼失。現在は、江戸前期に住吉如慶らが模写した16巻などが伝わる。
鎌倉時代の絵巻
松平直亮氏寄贈,Gift of Mr. Matsudaira Naoaki,東京国立博物館,Tokyo National Museum
【国宝】 13世紀。合戦絵巻は後白河法皇を中心とする貴族社会で誕生した。これは合戦絵巻を代表する優品で、平治の乱(1159)を題材とする軍記物語『平治物語』を描いた大部な絵巻の一部。この巻は、平清盛らが二条天皇を六波羅の清盛邸に迎える内容を描く。 平安時代末期の平治元年(1159年)、権力をめぐる2人の公家、藤原通憲(ふじわらのみちのり)と藤原信頼(のぶより)の争いが、武家の平清盛(たいらのきよもり)と源義朝(みなもとのよしとも)の武力抗争に発展した平治の乱を描いた合戦絵巻です。 「平治物語絵巻」は現在、アメリカのボストン美術館、東京の静嘉堂文庫(せいかどうぶんこ)美術館、そして東京国立博物館がそれぞれ1巻ずつ所蔵しており、ほかに断簡十数枚が残されています。 当館が所蔵するこの六波羅行幸巻は、源氏方に幽閉された二条天皇(にじょうてんのう)が女房の衣装を身に付けて御所をひそかに脱出し、平清盛の六波羅邸へ迎えられる場面を描いています。 まず全体を見渡してみてください。人物の集団の大小、その配置の仕方、動きのある構図による群像表現が見事です。次に、細部を見てみましょう。武士たちのきゅっと引き締まった脚など躍動する肉体の表現。叫んだり、笑ったり、くやしがったり、豊かに描き分けられた人物の表情。きびきびした描線と美しい色彩によって動乱の緊迫したシーンをみごとに描ききっています。この絵巻は当時最高の絵師集団によって描かれたものでしょう。 ところで、このすばらしい絵巻を作らせたのはどんな人だったのでしょうか。貴族たちが白く端正な顔立ちで描かれているのに対して、武士はどんぐり眼(まなこ)に鷲鼻(わしばな)の下卑た様子で描かれています。さらに、よく統率された武士たちがかしこまっている様子は、この絵巻を描かせたのが公家の側であったことを物語っています。公家から武家へ、政治の大転換期を記録する歴史絵巻を描かせたのは、政治の舞台から去る公家の側でした。せめて絵巻の中では、武士たちをこんなふうにコントロールしていたかったのかもしれません。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
【国宝】 13世紀。京都・北野天満宮の草創を描く絵巻。北野天満宮は、死後怨霊になったとされる菅原道真*すがわらのみちざね*をまつる社で、道真は「天神」として、農耕や学問の神として多くの人々の崇敬を受けた。この絵巻は鎌倉時代中期に作られた弘安本というバージョンから分かれた絵巻。
法眼円伊筆,By Monk En’I, Eye of the Dharma,東京国立博物館,Tokyo National Museum
【国宝】 13世紀。時宗の開祖一遍の伝記を描いた最古の絵巻。一遍十回忌の正安元年(1299)に聖戒が詞書を撰述している。詞書には一遍の和歌や和讃、遊行した社寺の縁起なども記述され、一方の絵では季節感あふれる野山の風景や社寺の景観を展開し、他の高僧伝絵と一線を画す。。 「一遍聖絵」は、時宗の開祖で、「南無阿弥陀仏」(なむあみだぶつ)と唱えれば信仰のあるなしに関わらず極楽浄土に行くことができると説いた、一遍上人の生涯を描いた絵巻です。 絵巻としては珍しく絹に描かれており、縦の大きさも大きいのが特徴です。全部で12巻からなり、これはその中の7巻目に相当します。 巻第7は、一遍上人をはじめとした僧侶の一行が、諸国をめぐって京都にたどり着く場面を描いています。時宗では「南無阿弥陀仏」と唱えながら鉦(かね)を打ちたたき、輪になって踊る「踊念仏」を行いますが、この絵巻にも京の市中に舞台を立て、踊念仏を行う僧侶の姿が描かれています。舞台正面にひときわ大きく描かれた一遍上人。その真剣な表情からは阿弥陀仏に対する真摯な信仰が伝わってくるようで印象的です。 高い位置に視点を置き、群衆は小さく捉えられていますが、表情や衣服も描き分けられ、たいへん個性豊かです。また各地の風景や人々の営みも活き活きと描かれており、絵師の並々ならぬ力量が画面のいたるところに発揮されています。 なお、巻第12に残された記述から、この絵巻は一遍の弟とも甥とも言われる聖戒(しょうかい)という人物が、一遍の没後十年目に物語の部分をまとめ、円伊(えんい)という名の絵師に絵を描かせたことが知られます。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 13世紀。継母からのいじめにより住吉へ逃れた姫君と、長谷観音の夢告と琴の音をたよりに彼女を探し当てた少将の恋物語。建物の謹直な定規引きの線、樹木や土坡の力強い筆さばきとともに、人物の表情、衣服の模様、画中の障子絵など、細部へのこだわりも見逃せない。(110920h_032) 鎌倉時代に広く知られていた「住吉物語」を描いた現存最古の絵巻です。 物語の主人公は、京の都に住む姫君です。姫君は早くに母を失い、継母に育てられました。少将という青年が美しく成長した姫君に想いを寄せますが、いじわるな継母は少将に自分の娘を引き合わせました。しかし、少将の姫君への想いは変わらなかったため、継母は姫君を誘拐しようとたくらみます。そこで、姫君は大阪の住吉に逃げていきました。どうしても姫君に会いたい少将は、長谷観音で夢のお告げを受けて住吉に行き、美しい琴の音をたよりに姫君と逢うことができました。こうして結ばれた少将と姫君は、都へ戻り幸せに暮らしました。いじわるな継母は事の次第を知った夫の中納言に捨てられてしまいました。めでたし、めでたし。という、ハッピーエンドのお話です。 当館所蔵のこの絵巻は物語後半の一部を描いたもので、少将が姫をたずねて住吉に行く場面、姫君の住む館を探し当て、二人が出会いそして結ばれる場面、その後二人の婚礼を祝う酒盛の場面が描かれています。白い衣装を着ているのが少将です。姫君にだんだん近づいていくわくわく感を、少将の気持ちになって味わってみてください。 物語の展開を話の流れに沿って丁寧に描くスタイルは、物語絵巻の一つの特徴です。現代の私たちにもとてもわかりやすく、楽しくご覧いただけることでしょう。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 13世紀。『源氏物語』の作者・紫式部が宮中での営みをつづった『紫式部日記』を描いた作品。現在、二十数段が現存し、各所に分蔵されている。この断簡ももとは巻子であったが、昭和8年(1933)、益(ます)田(だ)鈍(どん)翁(のう)が絵巻を分け、現在の掛幅装となった。鎌倉時代王朝物語絵の代表作である。 日本の古典文学の最高峰とも言われる「源氏物語」の筆者、紫式部(むらさきしきぶ)の日記を絵巻にしたものです。紫式部が仕えていた一条天皇の中宮彰子(しょうし)が、のちに後一条天皇となる敦成(あつひら)親王を出産した際の様子や産後のお祝いの儀式についてなど、親王誕生前後の数年間の出来事が詳細に記されています。文学作品としてはもちろん、平安時代の貴族たちの暮らしを今に伝える貴重な資料です。 これは敦成親王の誕生50日を祝う儀式の場面を切り取って、掛け軸にしたものです。画面右側、背を向けている女性が中宮彰子。画面下の男性は、彰子の父で、当時宮廷で大きな権勢を振るっていた藤原道長。そして、左は、道長の妻であり彰子の母である北の方と生後50日を迎えた親王です。 ところで、この絵巻が描かれたのは、鎌倉時代で、紫式部の時代から200年以上あとのことです。引目鉤鼻と呼ばれる人物の類型的な描き方など、平安時代の伝統的なやまと絵と同様に見えますが、よく見るとそれぞれの人物の個性や表情が表わされていることに気付きます。リアリティを求めた、鎌倉時代ならではの表現といえるでしょう。また、道長が着ているのは、鎌倉時代に流行した強装束(こわしょうぞく)と呼ばれる糊づけされた直線的な衣です。 鎌倉時代の人びとの好みを反映させた、王朝絵巻ということができるかもしれません。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
14世紀。平安時代中期、陸奥で起こった前九年の役を描く。安倍頼時が鎮守府将軍源頼義に駿馬金銀を献上し恭順を誓う場面、阿久利河での人馬殺傷事件をきっかけに頼義・頼時が決裂し合戦へと至る発端部分が残る。主要人物には名を付し、それぞれの表情も個性に富む。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 14世紀。狭衣中将という才色兼備の貴公子と、幼い頃よりともに育てられた従妹・源氏宮の悲恋を描く。徳川将軍家に伝来し、幕末の動乱時、寛永寺に「疎開」したものの、上野戦争により焼失寸前、いくつかの場面が救い出されたという。画面下部の波状の損傷は罹災の状況を生々しく伝える。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 天狗(てんぐ)は、怪異現象を引き起こしたり、さまざまな悪さをしたりする想像上の生き物です。この絵巻は、当時、大きな力をもっていた大寺院の僧たちのおごった様子を天狗にたとえて風刺したものです。僧侶たちに対する痛烈な批判を連ねた詞書のあとに、京都の東寺(とうじ)、醍醐寺(だいごじ)、和歌山の高野山・金剛峯寺(こうやさん こんごうぶじ)の風景が描かれています。満開の桜の下で美しい稚児(ちご)たちが舞い踊る場面にご注目ください。醍醐寺の清滝会(せいりょうえ)と呼ばれる春の行事です。舞台を取り囲む僧たちは、稚児に特別な思いを寄せているのでしょうか。仏門の戒律が乱れている様を風刺した場面です。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 14世紀。平安時代中期の武将・源頼光とその郎等・渡辺綱*が京都洛北に住まう土蜘蛛を退治する物語。あばら家を舞台に次々に登場する妖怪たちはどれも個性豊か。画中の襖絵などもしっかりと描かれており、本格的なやまと絵絵師によって制作されたことがうかがわれる。平安時代の武将、源頼光(みなもとのらいこう)とその部下の渡辺綱(わたなべのつな)による土蜘蛛退治を描いた絵巻です。京都市街地北部のあばら家を舞台に、頼光ら一行を追い払おうと化け物が次々と登場してきます。化け物たちは個性豊かで、どこかこっけいでもあります。物語は右から左へと進んでいきます。絵巻の終盤、土蜘蛛を討ってからあばら家を焼き払うまでが描かれていますが、登場する人物にご注目ください。土蜘蛛を討つ二人の人物と、その横であばら家を焼き払う二人の人物が描かれていますが、二人はそれぞれ同じ着物を着ています。実はどちらも同じ人物。こういった描き方を異時同図法といい、同じ画面に同一人物を描くことで、その間の時間的流れを表現しています。これは右から左に読み進める、絵巻特有の表現です。また、部屋の内部の描写や、そこに描かれる襖絵にも目を向けてみてください。定規で引いたような線、襖に描かれた浜辺に松や千鳥など、細部までしっかりと描きこまれています。こうした表現からこの絵巻は、鎌倉時代の一級の絵師が書いたと考えられます。部屋の様子から当時の貴族の邸宅がどんな様子だったのか分かるという意味でも貴重な作品です。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 関東に住む武士の兄弟の物語。都の生活にあこがれる兄吉見二郎(よしみじろう)は宮仕えした都の女房を、武芸一途の弟男衾三郎(おぶすまさぶろう)は関東一の醜女を妻に迎えるが、大番役(おおばんやく)で京都に上る際、武芸を怠っていた二郎は山賊に襲われ死んでしまう。 武士の本分とは何かを問うような物語。 鎌倉時代、関東に住んでいた武士の兄弟の物語を絵巻にしたものです。都の暮らしに憧れる兄、吉見二郎(よしみじろう)は、宮仕えの経験もある美しい女房を、武芸一筋の弟、男衾三郎(おぶすまさぶろう)は、関東一の醜い女を妻に迎えました。絵巻はまず、兄二郎と黒髪の美しい妻の貴族のような暮らしを描いています。部屋の中には琴や琵琶が置かれており、妻はゆったりと絵を眺めていますね。いっぽう、弟の三郎は武芸の稽古に明け暮れていました。三郎が、弓矢の稽古、笠懸に励む場面は歴史の教科書にもよく掲載されているのでご存知の方も多いはずです。やがて、二郎夫妻には美しい娘が生まれ、慈悲と名付けます。三郎夫妻も子宝に恵まれましたが、娘の容貌は母にそっくり、顔は横に広く、縮れ毛でわし鼻、ドングリ眼(まなこ)に描かれています。場面は一転して、兄弟が大番役で京都に上る途中の出来事を描いています。武芸を怠っていた二郎は山賊に襲われ、首を切られて死んでしまいました。その後の物語は長くなるので簡単にご紹介しましょう。二郎の妻と娘の慈悲は三郎の家に引き取られ、使用人として井戸の水汲みなどをさせられていました。そんなおり、美しい娘がいると聞きつけた国司が慈悲に求婚すると、三郎は自分の醜い娘と妻合せ、国司におおいに呆れられました。おしまい。なんとも中途半端な終わりかたで、おそらくはこの続きがあったものと思われます。この絵巻を描かせたのは、貴族の側ではなかったかと考えられています。当時台頭してきた武士に対して、田舎の武士が都の貴族の真似などしてもだめ、という思いを表現したかったのかもしれません。
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
【重要文化財】 法華経絵巻は、法華経28品に説かれる内容を絵解風に描いたもので、もとは28品のすべてにわたっていたと考えられるが、現存するのは本図を含め3点(詞3段、絵4段)のみである。本図はこのうち、嘱累品(ぞくるいほん)の冒頭の絵1段にあたり、詞書は畠山記念館蔵本に残っている。図は霊鷲山で釈迦が聴聞の菩薩の頭をなで、法華経の弘宣を託す場面で、経文の一部が書き込まれている。筆者について、住吉慶恩との伝称があるが、真偽は別として鎌倉中期の絵仏師の手になるものと考えられる。
松永安左エ門氏寄贈,Gift of Mr. Matsunaga Yasuzaemon,東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 14世紀。
狩野晴川院養信模,By Kano Seisen'in Osanobu (1796-1846),東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>駒競べのフィナーレで、寝殿の正面中央に後一条天皇が出御する。水面に紅葉を浮かべた紺碧の池には、龍頭と鷁首の2艘の楽船。角髪を結った4人の童が、五色の棹で船を漕ぎ、船中では鳥兜に裲襠の装束を着けた楽人たちが太鼓・笙・篳篥を奏している。<br /></p>
竹内喜一模,Copied by Takeuchi Kiichi,東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>鎌倉時代後期に伊勢国の十の名所を詠んだ歌合絵の模本。歌合の様子が描かれた本場面には「ほのぼのと明石の浦のあさきりに島がくれゆく舟をしぞおもふ」の歌意を背景とした人麻呂像が掛けられている。人麻呂影供、影供歌合を彷彿とさせる場面として貴重である。<br /></p>
山名繁太郎模,Copied by Yamana Shigetaro,東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>原本はボストン美術館蔵。もと二巻本と思われるが、前半のみを現存する。内容は遣唐使として唐に渡った吉(き)備真(びのま)備(きび)が、唐の朝廷から多くの難題を出され、その才能技芸を試されたとき、阿(あ)倍仲(べのなか)麻呂(まろ)の霊が鬼に化けて吉備を助けるという話などを描いている。<br /></p>
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>寛治5年(1091)、雪の多く降った朝のこと。白河院が突然、小野の里に雪見をしようと思いたちます。小野に住まう皇太后は、御殿の御簾の下から美しい女房衣を出し、童女に蜜柑とお酒を捧げさせるなどして、白河院を大いに満足させたというお話。かんじ/しらかわいん/こうたいごう/みす<br /></p>
京都国立博物館 Kyoto National Museum
晴川模,東京国立博物館
梅笑一信、養信模,東京国立博物館
雅信、雅紹、養福、養道、会心法印、雅熈、養實模,Copied by Kano Seisen-in 〈Osanobu〉(1796-1846),東京国立博物館,Tokyo National Museum
写
南北朝・室町時代・安土桃山時代の絵巻
飛騨守惟久筆,By Hidanokami Korehisa,東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 南北朝時代・貞和3年(1347)。
絵:土佐光信筆、詞書:三条実香・甘露寺元長筆,Illustrations by Tosa Mitsunobu; text by Sanjō Saneka and Kanroji Motonaga,東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 清水寺縁起絵巻は今も多くの観光客でにぎわう京都の名所、清水寺の始まりと本尊千手観音にかかわる物語を描いた作品です。全部で3巻がのこされています。今回展示される巻中には、平安時代に東国を平定した坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が清水寺を建て、本尊十一面観音と地蔵菩薩、毘沙門天像を奉納する場面などが描かれています。絵の中にはおなじみの清水の舞台や仁王門が見えますが、仁王門から舞台までの間にあるはずの建物は描かれていません。その代わりに霞と樹木が配置されています。このような霞は、場面の切り替えや省略を表しています。絵師の土佐光信(とさみつのぶ)は宮廷に仕え、そのトップにまで昇りつめた室町時代を代表する絵師です。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>京都の六角大宮にあった星光寺の本尊、地蔵菩薩像の由来とそれにまつわるありがたくも不思議なお話を描いた絵巻です。<br />前半では現在の京都府、山城国の国司だった平資親(たいらのすけちか)が僧のお告げにより茨の中から地蔵菩薩を見つけて持ち帰り、これを安置する星光寺を建立したという経緯が描かれています。後半は地蔵菩薩を信仰していた尼の家の屋根が大風で吹き飛んでしまったところ、知らないうちに若い僧が来て屋根を葺き直してくれたことや、夢に地蔵菩薩が現れ尼が往生したことが描かれています。この話から、星光寺の地蔵は「屋根葺地蔵」とも呼ばれました。<br />地蔵菩薩は座っていたり、立っていたり本当に動いているようにユニークに描かれています。また、資親の屋敷の襖や屏風に中国風の水墨画が描かれていることにもご注目ください。中国から入ってきた水墨画は当時の人々にとってステータスの象徴でした。<br /></p>
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>隣に展示している「融通念仏縁起絵巻」ともとは連れだった作例で、融通念仏の教えが人や神仏のみならず畜類にも広まったという場面を描きます。屋根の上に毘沙門天が出現し、縁先に立つ良忍上人の前には結縁を求める鼠が、樹木の枝には鳶が描かれています。<br /></p>
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
<p>『平家物語』に取材したもので、色彩を全く施さず墨のみで描く白描画の手法で描かれ、枯れた感じがあるが、描写力は手堅い。<br />天地の幅が通常の半分しかない「小絵」と呼ばれる絵巻で、これは将軍家や公家の子女の愛玩物であったと推定されている。</p>
奈良国立博物館,Nara National Museum
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>この作品は、平安時代の武将、源頼光(みなもとのよりみつ)が酒呑童子(しゅてんどうじ)という鬼の頭領を退治する有名な物語の後日談を描いたものです。<br />主人公は、頼光の部下で、四天王(してんのう)と呼ばれた勇猛な武将のひとり、渡辺綱(わたなべのつな)です。<br />なんと、酒呑童子の配下の鬼が1匹逃げ延びて都の羅生門(らしょうもん)の上に住みついているというではありませんか。綱は、頼光から名刀を授けられ、鬼を退治にしに行きました。見事、鬼の右腕を切って、持ち帰ったところ、突如雷鳴がとどろき、鬼に右腕を取り返されてしまいました。ここまでが前半のお話。<br />後半では、頼光が重い病にかかってしまいます。今度は牛鬼ののろいだということで、ふたたび名刀を授けられた綱が、退治に行きました。牛鬼の腕を切って持ち帰ったのですが、今度は、綱の母親に化けた牛鬼が腕を取り返しにきます。<br />この鬼退治の際の名刀は、のちに源氏に伝わりました。<br />作者や伝来はわかっていませんが、おそらく源氏の流れをくむ武家がつくらせたものでしょう。</p><br /><p>頼光四天王の一人、渡辺綱のスピンオフ作品にして、酒呑童子の物語の後日談です。酒呑童子が退治された後、そこから逃げ出し、羅生門に住んでいた鬼を綱が退治するという話と、頼光を病気にさせた牛鬼の腕を綱が切り落とすという話です。渡辺綱の人気は抜群だったようです。<br />らしょうもん、うしおに<br /><br /></p>
美田悦子氏寄贈,Gift of Ms. Mita Etsuko,東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p> 今回ご紹介する作品は、室町時代から好んで読まれた、御伽草子(おとぎぞうし)と呼ばれる絵入りの短編の物語です。<br /> 主人公・雀の小藤太(ことうた)には子どもがいましたが、蛇に食べられてしまいます。なぐさめにやってきた鳥たちと歌を交わし、発心(ほっしん)、つまり出家をするというお話です。<br /> 前半と後半の鳥の描き方に注目してください。前半部分は、ワシに始まり、ウグイスやヤマドリ、ツルなど、20種もの鳥を細かい部分まで丁寧に描写しています。鳥たちはどこか愛らしく、色合いも豊かです。後半は、鳥を擬人化しています。出家の場面から、最後の踊りながら念仏を唱える踊念仏(おどりねんぶつ)の場面まで、人間の姿で描かれる鳥たちは、けなげでありつつどこかコミカルにも見えます。<br /> さらに、絵巻の天地のサイズが通常の縦半分の大きさというのもこの作品の特徴です。<br /> 小さな画面の中で展開する、前半と後半の違いを楽しみながら、ご覧ください。</p><br /><p>室町時代以降愛好された御伽草子*おとぎぞうし*を描いた作例。自らの子どもを蛇に食われた小藤太*ことうた*という雀が、多くの鳥たちと和歌を交わした末に出家し、念仏三昧*ねんぶつざんまい*の日々を送るという物語。縦の大きさが通常の半分程度の小型絵巻で、描かれた鳥たちの姿が何とも愛らしいです。</p>
[慈俊] [著],藤原久信, 藤原隆章, 藤原隆昌 畫,三條公忠 [ほか] 詞
江戸時代の絵巻
住吉具慶筆,By Sumiyoshi Gukei (1631–1705),千野浩一氏寄贈,Gift of Mr. Chino Hirokazu,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(17~18世紀)。「初音」「常夏」「野分」「行幸」「若菜上」各帖の場面の詞と絵をつないで一巻とする。春夏秋冬と季節順に展開。筆者具慶は近世住吉家第二代で、中世以来の大和絵の伝統を継承、同家および分派の板谷家は、大和絵師として代々幕府の御用を勤めた。
谷文晁筆,By Tani Buncho (1763-1840),東京国立博物館,Tokyo National Museum
文化元~2年(1804~05)。鎌倉時代の原本が失われた巻第6・7の絵の補作を石山寺に依頼された松平定信が、谷文晁に描かせたもの。古画に典拠を求め、私意を交えぬよう命じられた文晁は、「伴大納言絵巻」や「春日権現験記絵巻」などから採った図を巧みに組み合わせた。文晁41~42歳。
岩佐又兵衛,京都国立博物館 Kyoto National Museum
江戸時代(17世紀)。伝岩佐又兵衛勝以筆。室町時代の御伽草子『堀江物語』の古浄瑠璃の正本を絵巻化したもの。岩佐又兵衛勝以とその工房によって制作されたと見られ、当初は全20巻程度の大作であったと想定される。中世の合戦絵巻の伝統を継承しつつも、凄惨な合戦や残酷な殺戮の場面を多く描く。
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
<p>天明八年(1788)、正月の晦日の朝、宮川町から出火。延焼の範囲は、東は鴨川、西は千本、南は七条、北は鞍馬口におよぶ。応仁の乱で焦土となって以来、未曽有の大火であった。円山応挙の筆とも伝えるが、むしろ岸派の横山華山に近い。</p>
対馬宗家伝来,Belonged to the Sou Family in Tsushima
寛文−延宝年間(1661-81)頃。御伽草子『文正草子』の絵巻。正直者の文太は鹿島神宮の大宮司から追放され、常陸国の塩屋で働く。長者となり「文正つねをか」と改名、鹿島明神に申し子をし、美しい姉妹を授かる。噂を聞いた二位の中将は、小間物売りに身をやつして都から下り、姉姫と結婚して帰京する。妹姫は帝に迎えられて皇子が誕生、文正は大納言となる。めでたづくしの『文正草子』は大流行し、豪華な絵巻が多数制作された。
伝狩野孝信筆,Attributed to Kano Takanobu (1571-1618),東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(17世紀)。
伝住吉具慶筆,Attributed to Sumiyoshi Gukei (1631 - 1705),東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(17世紀)。
三村晴山、井上昆得、岩崎信盈模、原本:狩野山雪筆,東京国立博物館
江戸時代・天保11年(1840)、原本:江戸時代・17世紀。
写
金紙題簽に「風俗絵巻」と墨書する。料紙を金箔散らしの紙で裏打ち、巻子としている。満開の桜のもとで踊る男女の描写を中心とし、最後は紅葉の樹々、雪中の山路の景で終わる。
九州国立博物館,Kyushu National Museum
<p>朱印船(近世初期、朱印状によって海外渡航の許可をえた船)貿易に従事していた茶屋新六(ちゃやしんろく)がベトナムのホイアンなどで交易している場面を描く、名古屋市・情妙寺(じょうみょうじ)所蔵の絵巻「茶屋新六交趾貿易渡海図(こうしぼうえきとかいず)」と大変よく似ている。<br />巻首から順番に、(1)日本の港町、(2)海上を行く小舟と海辺の町、寺院、(3)三艘(さんそう)の小舟に曳かれる朱印船、(4)海辺の人々、(5)町並み、(6)瓢箪棚(ひょうたんだな)のまわりの人々、(7)交易品を並べた館、(8)河に浮かぶ船、水中から角(つの)を出している水牛と角に留まる鳥、河辺の農耕風景、(9)二頭の象がいる庭のある館という、各地の風景が詳細に描かれている。9場面のうち、(4)以降は異国の風景と考えられる。</p>
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広島県の山間部に江戸時代から伝わる不思議な絵巻物「稲生物怪録絵巻」。夜な夜な現れる妖怪たちをものともせず追い払った物語の主人公、稲生平太郎。実はこの主人公、この地に実在した人物でした。<br><br>(この動画は、2011年に放送したものです。)
大阪と奈良を隔てる生駒山地の南端にある信貴山朝護孫子寺。6世紀末、聖徳太子によって開かれたと伝えられ、長く庶民の信仰を集めてきました。寺に伝わる国宝「信貴山縁起絵巻」は、寺を隆盛に導いた平安時代の名僧・命蓮上人にまつわる説話を描いたもので、平安絵巻の傑作といわれています。<br><br>(この動画は、2001年に放送したものです。)
世界文化遺産「古都奈良の文化財」のひとつ、唐招提寺。苦難の末に唐から日本に渡ってきた偉大な僧・鑑真によって、創建されました。境内北側にある御影堂には、国宝の鑑真和上像が安置されています。身をもって仏教の教えを実践して見せた鑑真和上の心は今も受け継がれています。<br><br>(この動画は、1999年に放送したものです。)
世界遺産・熊野古道の要所にある和歌山県日高町「道成寺」。釣鐘の無い寺として知られており、その経緯は、絵解き説法「安珍清姫」で語り継がれています。男性に情念の炎を燃やすあまり悲しい結末を迎えた女性の物語です。<br><br>(この動画は、2010年に放送したものです。)
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日本と東洋の文化財を守り伝える中心拠点としての役割を担う我が国の総合的な博物館です。
平安時代から江戸時代の京都文化を中心とした文化財を取り扱う地域に根ざした博物館です。
仏教美術及び奈良を中心として守り伝えられてきた文化財を取り扱う博物館です。
国立国会図書館は、国会に属する唯一の国立の図書館です。国内外の資料・情報を広く収集・保存して、知識・文化の基盤となり、国会の活動を補佐するとともに、行政・司法及び国民に図書館サービスを提供しています。
東急グループの礎を築いた五島慶太が蒐集した日本と東洋の美術品を中心に設立された美術館。国宝「源氏物語絵巻」、国宝「紫式部日記絵巻」を所蔵し、それぞれ、毎年ゴールデンウィーク頃と秋に1週間程度展示。
絵画、陶磁、漆工、染織など日本の古美術から東西のガラスまで、約3,000件の美術品を収蔵。重要文化財に指定された「病草紙断簡」「善教房絵巻」「酒呑童子絵巻」など平安時代~江戸時代の多数の絵巻を所蔵し、企画展などで公開。
尾張徳川家伝来の大名道具を収蔵・展示。国宝「源氏物語絵巻」を所蔵。特別展などで公開しています。
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日文研所蔵の「地獄草紙絵巻」「鳥羽絵巻」「長谷雄草紙」 「寛永行幸図巻」絵巻や「百鬼夜行絵巻」などの妖怪絵巻のほか、妖怪・化物などの 画像を高精細表示するデータベース。
「名品ギャラリー」「コレクションデータベース」からサントリー美術館が所蔵している絵巻を閲覧できる。
江戸東京博物館が所蔵している絵巻を閲覧できる。
参考文献
- 若杉準治 編,至文堂
- 村重寧 監修,平凡社
- 河野元昭 監修,平凡社
- 責任表示
- 国立国会図書館
- 二次利用について
ただし、画像は個々の権利表示による
- 最終更新日
- 2023/03/07