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龍谷大学図書館特別展観   「病と生きる」

龍谷大学大宮図書館 2021年度特別展観

特別展観の開催にあたって

 龍谷大学図書館長 竹内真彦


 龍谷大学大宮図書館2021年度特別展観は「病と生きる」をテーマに開催致します 。 古来、人間は病に悩まされて来ました。人類史上、克服できた病の方が少ないのかも知れません。直近の新型コロナウィルスについても、克服できる相手なのか否かさえ判じかねているようです。


 病は人間の生命を直接的に脅かすだけではありません。その広範囲/長期的な流行は社会基盤さえ破壊しかねないものであることを私たちは身をもって体験しています。そして、そのような状況は、払拭することの難しい不安を多くの人々の心にもたらしています。


 今回の展観では、大谷探検隊が敦煌より持ち帰った10世紀の『妙法蓮華経』も展示されます。ある国(詳細不明)の皇太子が痢病となった我が子の平癒を願って書写したものです。しかし、仏典の書写であるにもかかわらず、病気平癒を道教の神々にも祈願していることが判ります。我が子を救うためにあらゆる手段を尽くそうとしていたのでしょう。現代に生きる我々ですが、この皇太子の心情は理解できます。


 人間は長い不安に耐えることは(おそらく)できません。ならば、その不安を取り除くために、人間、そして人間が形成する社会全体が全力を尽くさねばならないのでしょう。この展観がそのような状況を形作る一助となることを願ってやみません。


 最後となりますが、この展観にあたってご協力いただきました関係者各位に心より御礼申し上げます。


2021年 12月


「病と生きる」とは

現在よりも医学が発達していなかった時代に、

人々が病と共に生き、

乗り越えてきた姿を知っていただくと共に、

今日のコロナ禍を生きる上での手掛かりになることを念じて、

「病と生きる」展を企画しました。

第一章 病と信仰

第一章「病と信仰」では、仏教・神道・儒教・道教・キリスト教といったさまざまな宗教から、 病に関連する経典や絵図などを取り上げて紹介します。

第一章 展示資料一覧

ぞくこうそうでん                                                                                                    40巻 16冊 (唐)道宣撰 慶安4年(1651)丁子屋西村九郎右衛門刊 縦27.0×横19.2㎝  請求記号296.4-164-W-16                                     『続高僧伝』は、中国唐の律宗の僧・道宣(596~667)が撰した、梁代から唐代初めに至るまでの高僧の伝記である。  中国浄土教の祖で、浄土真宗における七高僧(しちこうそう)の一人とされる曇鸞(どんらん。476~542)についても伝記がある。曇鸞は『大集経』の注釈をしようとして病気になり、不老長寿の術を得るべく茅山の陶弘景(とうこうけい。456~536)について学んだが、洛陽で菩提流支(ぼだいるし)に会い『観無量寿経』を授けられ、浄土教に帰依したとある。

ぶっせつかんむりょうじゅきょう                                                                  1巻 1帖 (南朝宋)畺良耶舎訳 [江戸時代]写本 紺地金泥 縦27.8×横875.7㎝ 請求記号021-601-1                             『仏説観無量寿経』は、中国南朝・宋代の畺良耶舎(きょうりょうやしゃ。382~443)によって訳された大乗仏教の経典である。内容は、マガダ国王妃・韋提希(いだいけ)夫人の願いにより、釈迦が極楽世界や阿弥陀仏などを観想する13の観法を説いたものである。  この経典は、中国浄土経の祖である曇鸞に影響を与えたばかりでなく、日本では浄土教の根本聖典の一つとされていて、浄土宗開祖・法然(1133~1212)は『仏説無量寿経』、『仏説阿弥陀経』と合わせて浄土三部経と称した。                                                                

だいはんにゃはらみったきょう                                                                            第22巻 第102巻 2帖 (唐)玄奘奉詔訳 [南北朝期]刊 縦25.8×横1021.8㎝ 請求記号913.39-1-W-3                                                 『大般若波羅蜜多経』は、中国唐の僧・玄奘三蔵(げんじょうさんぞう。602~664)が、インドなどから大乗仏教の教義が書かれている様々な般若経典を持ち帰り、4年の歳月を費やし漢訳した経典である。  日本では、奈良時代の僧・道慈(生卒年不詳)が、『大般若経』の転読を諸国の年中行事に加えることを朝廷に願い出て許されたことにより広まった。現在でも、和歌山県の紀三井寺など各地で、無病息災を願って転読会(てんどくえ)が行われている。

やくしるりこうにょらいほんがんくどくきょう                                                 1巻 1帖 (唐)玄奘訳 嘉永5年(1852)叡山根本中堂刊 縦27.5×横674.1㎝ 請求記号022-588-1                                               『薬師瑠璃光如来本願功徳経』(薬師経)は、大乗仏教の薬師如来に関する経典である。薬師如来は東方浄瑠璃世界の教主で、菩薩の時に12の大願を発し、人々の病患を救い悟りに導くことを誓い仏と成ったと説かれる。現世での利益(りやく)を与える面が強いため、中国・日本では古来信仰が盛んであった。

1紙 速水春暁齋画 [江戸末期]刊 木版墨摺 薬師寺蔵版 縦35.0×横49.0㎝ 請求記号024.301-5-7/12 禿氏文庫                                            奈良薬師寺蔵版。 薬師寺は、奈良市六条町にある法相宗大本山である。天武天皇9年(680)、天武天皇の皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈って造立され、文武天皇2年(698)に完成した。当初飛鳥に建てられたが、藤原京に移され、平城京遷都に伴い養老2年(718)現在地に移った。 本図は堂塔伽藍完備の姿を描き、「往昔の壮麗を知らさんがために古伽藍の圖を模して世に弘むるもの」と記している。

10世紀 写本 敦煌出土 縦26.0×横1041.8㎝ 請求記号 大谷文書-512-1                                       この『妙法蓮華経』は、西本願寺第22代宗主・大谷光瑞(1876~1948)が派遣した大谷探検隊によって、敦煌からもたらされた資料の一つである。奥書から、皇太子が痢病(赤痢の類)を患ってしまった息子の病気平癒を願って書写したことがわかるが、どこの国の皇太子であるかは、不明である。 興味深い点は、病気平癒の祈願をなしたのが諸仏・諸菩薩の他に、大山府君・平等大王・五道大神などの道教の尊格に及んでいることである。

ゆうずうねんぶつえんぎえ                                             2巻 2帖 天保15年(1844)跋 刊本 上巻 縦36.2×横1984.8㎝ 下巻 縦36.2×横2181.2㎝ 請求記号022-60-2                                  『融通念仏縁起絵』は、平安時代後期に融通念仏を起こした良忍(1073~1132)の事績及び念仏の功徳について説いた説話が書かれた絵巻物である。本資料は、絵巻物ではなく、折本の形態になっている。 疫病を表す鬼達が念仏の道場の入り口まで押しかけてくるが、男が鬼達に向かって念仏の仏事に参加している人々の名前を記した巻物を示すことで、鬼達は念仏の功徳に感じ入り、参加している人々に悪いことをしないという約束を巻物に書いて退散したという話が、念仏の功徳の一つとして描かれている。

1紙 [江戸時代]刊 木版色摺 縦40.0×横18.8㎝ 請求記号024.301-18-21/30 禿氏文庫                                         『庚申青面金剛像』は、仏法守護の主神である帝釈天(たいしゃくてん)の使者とされる青面金剛を一枚の色摺りにしたものである。青面金剛は、後に道家の思想が加わり、庚申(かのえさる)の日に、人の体に住む三尸(さんし)が、体を抜け出てその人の罪悪を天帝に告げることを防ぐために徹夜する庚申待(こうしんまち)の本尊とされた。青面金剛の身体は青色で六臂に造り、眼は三眼、頭髪は火のように逆立ち、忿怒(ふんぬ)相をしている。病魔・病鬼を除くとされる。

つのだいしぞう                                                      1紙 [江戸時代初期]刊 木版墨摺 伊勢国束寺蔵版 縦43.0×横24.0㎝                                                         請求記号024.301-33-1                                                                                                                                               『角大師像』は、比叡山延暦寺第18代座主であり、元三(がんざん)大師の通称で親しまれている慈恵大師良源(912~985)が祈祷する姿を描いたとされている。両角を有する鬼形相の故に角大師と呼ばれている。角大師の姿を札として配ったところ、流行していた疫病が治まったという言い伝えがある。そのため病除け、病治癒の効能として、今日まで人々に信仰されてきた。現在でも国束寺(くづかじ)では、角大師の札を信者に授与している。

たいまでらちゅうじょうほうにょにじゅうきゅうさいのごえい                                                   1紙 [江戸時代]刊 木版墨摺 縦54.0×横32.0㎝ 請求記号024.301-30-12/16                                                          『当麻寺中将法如廿九歳之御影』は、天平時代に当麻寺に在って発願し、観無量寿経により、蓮糸を以て当麻曼荼羅を織ったという伝承で知られている中将姫の姿を一枚摺りにしたものである。中将姫は、29歳で入滅し、その際、阿弥陀如来と二十五菩薩が来迎し、生きたまま西方浄土に向かったとされる。中将姫が生前婦人病に悩まされ、観音菩薩に祈願したところたちまち平癒したという伝承から、当麻寺の十一面観音像は「導き観音」の名で婦人病・安産の守りとして信仰されている。

8冊 6巻 親鸞集 刊本 縦27.6×横18.2㎝                                                                請求記号021-255-8                                                                                                       『顕浄土真実教行証文類』は、浄土真宗の宗祖親鸞(1173~1262)の著書であり、他力本願・極楽往生を説いた浄土真宗の根本聖典である。親鸞は、教えを説くために、多くの経典や論書を引用しているが、「信巻」には、『涅槃経』を引用して難化の三機・難治の三病を取り出して、人の煩悩である貪・瞋・痴を救いがたい病としている。この他にも、医学医用、医薬、病気、病状などの数々の言葉が使用されており、親鸞の思想を理解する上で、仏教経典中の医学、医薬、医療などの事柄との関連を無視できないとの指摘がある。

5帖 蓮如述 法如証判 江戸時代後期刊 縦26.0×横21.8㎝                                                            請求記号021-539-5                                                                                                        『五帖御文』は、本願寺第8代宗主蓮如(れんにょ。1415~1499)が、布教の為、全国の門徒へ消息として送った仮名書きの法語について、蓮如の孫である圓如(えんにょ)が80通を選び、編集したものである。この中でも第4帖目第9通は、「疫癘の御文(えきれいのおふみ)」として知られている。「疫癘の御文」が書かれた延徳4年(1492)は、疫病が流行して多くの人々が亡くなった年であった。疫病を恐れ迷う人々に対して蓮如は、「人は病が原因で死ぬのではなく、死は生まれた時から定められているのだから、病を恐れて惑わされないように」と説いている。

6巻 7冊 秋里籬嶌著 竹原春朝斎画 寛政3年(1791)浪華高橋平助等刊 縦25.2×横17.7㎝(第1冊) 縦26.8×横18.3㎝(第2冊至第7冊) 請求記号491.47-7-W-7                                                                                                                      『大和名所図会』は、読本作者・秋里籬嶌(あきさとりとう。生没年未詳)が大和国(やまとのくに。現在の奈良県)の寺社などの名所について記し、大阪の浮世絵師・竹原春朝斎(たけはらしゅんちょうさい)が挿絵を描いた名所案内である。第4巻に収められている大神神社(おおみわじんじゃ)は、三輪山を神体山とする神社で、主祭神は大物主大神(おおものぬしのおおかみ)である。稲作豊穣、醸造、疫病除けなどにご利益があるとされ、古くから信仰されているが、特に境内の摂社である狭井神社(さいじんじゃ)の御神水は諸病に効くとされている。

6巻 6冊 秋里籬嶌著 丹羽桃渓画 享和元年(1801)浪華森本太助等刊 縦26.3×横18.5㎝                                                                                                         請求記号491.43-19-W-6 写字台文庫                                                                                                                   東部である河内国(かわちのくに)の寺社などの名所について記した名所案内である。挿絵を担当した丹羽桃溪(にわとうけい)は、大阪の浮世絵師であり、狂歌も多く詠んだ人物である。第5巻に収められている石切剱箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)は、古代天皇の側近として使えた物部氏の祖神である饒速日尊(にぎはやひのみこと)を御祭神とする神社である。「でんぼ(腫物)の神様」として親しまれ、病気平癒を祈願するために参拝する人が多い。

1冊 刊本 縦22.0×横15.6㎝                                                   請求記号024.3-898-W-1                                                                            『祇園会細記』は、祇園祭の由来や各山鉾について詳細を記したものである。本資料は、序文などの冒頭部分を欠いている。八坂神社の祭礼であり、京都の夏の行事として知られる祇園祭は、疫神や死者の怨霊などを鎮めなだめるために行う祭である御霊会(ごりょうえ)を起源とする。御霊会は、貞観5年(863)に初めて東寺の神泉苑で執り行われたが、貞観11年(869)の御霊会が祇園祭の始まりとされている。

(ぎおん)ごずてんのうおたびしょならびにでんしゃぞうえいらくせいず                                                   1紙 [江戸末期]刊 木版墨摺 縦38.0×横49.0㎝ 請求記号024.301-22-1/50                                                                      『(祇園)牛頭天王御旅所並ニ殿舎造営落成之図』は、牛頭天王御旅所などが落成したことを記念して摺られたものと思われる。御旅所とは、祇園祭の行事の中で、山鉾巡行の後、八坂神社の本殿に祀られている牛頭天王を迎え入れる為の場所である。日本における神仏習合の神である牛頭天王は、平安時代から病を流行らせる行疫神として崇信される八坂神社の祭神である。祇園祭は、その牛頭天王を祀ることにより、疫病や死者の怨霊を鎮める祭礼である。

1紙 [江戸末期]刊 木版色摺 縦25.0×横37.0㎝ 請求記号024.301-44-2/5                                                                                                    『浮世絵二十四孝図版集』は、中国で儒教の教えにより、古来の親孝行で有名な24人の人物である二十四孝を浮世絵にしたものである。二十四孝の話は、教訓書として日本にも伝えられ大きな影響を与えた。二十四孝の中には、病気の親に孝行を尽くす話が幾つかある。ここに描かれているのは、眼病を患った両親のために鹿の乳を得ようとして鹿の皮を纏(まと)ったところ、猟師に間違われて危うく射られそうになったが、親孝行の話を聞いた猟師から射られずに難を逃れた?子(たんし)の逸話である。

1帖 [清末民国初]刊 尊徳堂板道教叢典之一 縦30.3×横406.6㎝                                           請求記号326-37-W-1                                                                      『尊徳堂板道教叢典』は、清朝末期から民国初期にかけて刊行された経巻の叢典である。全74種の経巻には、道教系、仏教系の経巻の他、民間宗教の経巻も含まれており、19世紀中国の地域社会における民間宗教を探る資料として貴重である。経巻の一つである『三聖経』は、『太上感応篇』、『文昌帝君陰隲文』、『関聖帝君覚世真経』から構成されている。刊行の経緯は、蹇泰来(けんたいらい)の母と祖父が病で倒れたが、この経を誦して救われたことなどによるとされる。

1巻 1 冊 清咸豊9年(1859)上海墨海書館鉛印 縦21.0×横14.4㎝                                          請求記号024.3-2152-W-1                                                         『新約全書』は、『新約聖書』の一書名であり、内容は27の書から成り、キリストの生涯と死と復活、初代教会の発展についての信仰証言となっている。本書は『新約聖書』を漢訳したものである。19世紀より、プロテスタント諸教会は海外宣教に力を入れ、聖書を中国の人々にも理解できるよう漢訳を試みた。新約聖書には、イエス・キリストの奇跡の1つとして、病の人々を癒したことがたびたび記されている。例えば、マタイによる福音書には、当時は不治の病であったハンセン病に罹った人を、触れただけで癒したとあり、神の子としての奇跡を称えている。

第二章 病と記録

第二章「病と記録」では、奈良時代から江戸時代に至るまでの各時代の歴史書や日記から、 病に関する記録を紹介する他、中国の歴史書に見られる病の記録も取り上げます。

第二章 展示資料一覧

30巻(欠巻第23至30)10冊 舎人親王等奉勅撰 刊本 縦26.4×横18.9㎝                              請求記号410.1-26-W-10 写字台文庫                                                                  『日本書紀』は、養老4年(720)に成立した日本初の正史とされる歴史書である。神話の時代から持統天皇の時代までの記録が収められ、漢文、編年体で記されている。本書は全30巻のうち巻第23~30を欠く。敏達天皇(びだつてんのう)14年(585)3月、物部氏守屋らが、2月に病で多くの人が亡くなったのは蘇我氏が仏教を信仰したためではないかと奏上し、仏像や仏殿が焼かれ、仏塔が倒されるなどの弾圧が行われた。しかし、却って天皇や守屋が病気になり、病で亡くなる人も増えたため、仏像を焼いた罪の報いではないかと言われるようになったとある。崇仏廃仏論争に病が利用されたことが分かる。

40巻 20冊 藤原継縄・菅野真道等撰 明暦3年(1657)跋 京都丁子屋源次郎等刊 縦25.5×横18.5㎝                                                                                                      請求記号410.25-1-W-20                                                                                                                                                                                                                                               『続日本紀』は、平安時代初期に編纂された勅撰史書である。文武天皇元年(697)から桓武天皇の延暦10年(791)までを収める。漢文、編年体で記されている。天平7年(735)に、日本で初めて死亡率の高い伝染病である天然痘が流行し、多くの人々が犠牲になったことが記録されている。流行は続き、同9年には政治を担う公卿(藤原氏四兄弟)も相継いで亡くなったとあり、天然痘の流行が政治や経済にも大きな打撃を与えたことがうかがえる。

5冊(醍醐天皇至後一条天皇)山崎知雄校 万延元年(1860)江戸山城屋佐兵衛等刊 縦25.7×横17.9㎝                                                       請求記号410.3-5-W-5                                                                                                                                             『日本紀略』は、平安時代末期に編纂された歴史書である。編者は不詳。『日本書記』をはじめとする「六国史」(りっこくし)の抄録と、六国史以降の後一条天皇の時代(長元9年(1036))までを収める。後一条天皇の長元3年(1030)に、疫病平癒のため4月に大極殿で『大般若経』の転読が行われ、5月に諸国に『観音経』の転読などを命じ、6月には大極殿に於いて臨時の仁王会が執り行われたことが記されている。政策として、宗教儀式を相継いで執り行うことで疫病を何とか抑えようとする姿が見える。

130巻 26冊 惟宗允亮著 安政2年(1855)藤原(日野西)延栄写 縦26.3×横18.5㎝ 請求記号528.1-34-W-26                                                                 『政事要略』は、平安時代の法制書であり、律令の専門家である明法(みょうぼう)博士の惟宗允亮(これむねまさすけ)が、諸書から制度・事例を集めて類別したものである。本来130巻あったが、26巻(巻第22~30、51、53~57、59~62、67、69~70、81~82、84、95)が現存している。疫病に関する事例として、天暦9年(955)閏9月に、疫病の流行により人民が苦しんでいることから、宮中行事である残菊の宴(ざんぎくのえん)を取りやめたことが記されている。平安時代でも、現代のように世情を見て自粛をしていたことが記録として残っている。

<附:明月記要目・明月記歌道事類> 57冊 『明月記』藤原定家記 『明月記歌道事類』一条兼良著 寛文2年(1662)至延宝9年(1681) 縦26.3×横18.6㎝ 請求記号410.4-13-W-57                                                                                                                                      『明月記』は、鎌倉時代初期の歌学者藤原定家(1162~1241)の日記である。漢文体で書かれており、治承4年(1180)~嘉禎元年(1235)に至るまでの日記が現存する。日記は、有職方面・政治生活・経済生活・家庭生活など多方面に及んでいて、史料価値も極めて高い。日本では古くから病気治療は呪術に依存していたが、それは鎌倉時代になっても変わることなく続いた。例えば元久元年(1205)6月18日の条には、病の悪化を防ぐために定家が僧侶から護身を受けていたことが記されており、この他にも護身を受けていた記事が幾つかある。

17巻 14冊 享和3年(1803)跋 刊本 縦26.3×横19.0㎝ 請求記号410-115-W-14                                               『百練抄』は、鎌倉時代末期に成立した編年体の通史である。編者は未詳。全17巻の内、第1巻から3巻までを欠く。冷泉天皇から後深草天皇までの時代(10世紀後半~13世紀前半頃)を収めている。後深草天皇の正元元年(1259)4月27日、飢饉や疫病のため、朝廷が格別の崇敬をする稲荷神社などの所謂二十二社に奉幣使を遣わして、7日間『仁王経』を読経させたとある。続けて5月7日には、禁裏に於いて、疫病平癒のために北斗法が執り行われており、当時疫病が流行って治まらなかったことがうかがえる。

3冊 写本 写字台文庫 縦28.2×横20.6㎝ 請求記号410.48-3-W-3                                                                                     『南方紀伝』は、南北朝時代に於ける南朝について、後醍醐天皇の治世から長禄2年(1458)の南朝後胤(なんちょうこういん)の滅亡までを対象とした史書・軍記である。江戸時代前期の成立とされるが、撰者は不詳。内容は、編年体で記されている。ここに記された南朝の歴史の中には、疫病の流行も幾つか確認できるが、中でも宝徳2年(1450)の正月から7月までの間、疫病が大流行し、洛中では1日1000人が死んだとある。誇張されているかもしれないが、悲惨な状況であったことが分かる

7巻 7冊 忍屋隠士(大野広城)輯 縦26.4×横18.5㎝ 請求記号410.6-36-W-7                                                                                                                                       『泰平年表』は、国学者である大野広城(1797~1841)が編輯した年代記である。徳川家康から家斉までの約300年間の行事・事件・事変などが詳しく記されている。疫病についても、享和2年(1802)2月から4月にかけて、現在で言うところの流行性感冒が諸国に蔓延したため、幕府は、仕えている武士などには薬湯を与え、町家の貧民には御救として米や銭を与えたことが書かれており、医学的な対策や経済的な救済策を行っていたことが分かる。

90巻 附続漢志30巻 目録1巻 61冊 (劉宋)范曄撰(唐)李賢注 続漢志(晋)司馬彪撰(梁)劉昭注 明暦3年(1657)林(出雲寺)和泉掾刊 縦26.2×横19.5㎝ 請求記号422.021-8-W-61                                                                            『後漢書』は、中国後漢時代(25~220)を記した歴史書であり、正史の1つである。『後漢書』には、この時代の後半以降、たびたび疫病流行に見舞われたことが記されているが、中国とローマで疫病流行の平行現象が見られるとの指摘があり、東西交通路の開設などにより、インドを疫病の発源地として、インドから西はローマ、東は中国に至るパンデミックがあったとする説がある。

65巻 40冊(晋)陳寿撰(南朝宋)裴松之集註(明)陳仁錫評閲(日)田中犀(止邱)訓点 寛文 10年(1670)浪華渋川清右衛門松村久兵衛刊 縦26.2×横18.0㎝ 請求記号 422.021-1-W-40                                                                  『三国志』は、中国三国時代について記した歴史書であり、後漢時代末の混乱期から、魏・呉・蜀の三国鼎立を経て、西晋による中国統一までを扱っている。疫病の流行は、この時代にも大きな影響を与えていた。例えば、曹操軍と孫権・劉備の連合軍が戦った赤壁の戦いはよく知られているが、「魏書」武帝紀には、曹操は赤壁で劉備と戦ったが、疫病が流行して官吏士卒が多く亡くなったため撤退したとある。

第三章 病と文学

第三章「病と文学」では、病から生まれた物語や病に関連して詠まれた和歌、 病について書かれた随筆などの文学作品を紹介します。

第三章 展示資料一覧

7巻 7冊 清少納言著 慶安2年(1649)京都深田庄左衛門刊 縦25.9×横18.9㎝ 請求記号914.3-33-W-7                                                                『枕草子』は、平安時代中期の歌人清少納言(生卒年不詳)による随筆である。中宮定子に仕えていた頃の回想や日常の生活や四季の観察など鋭い感覚で描かれている。第183段は、病について書かれているが、ここに書かれている病は、疫病などの恐ろしい病ではなく、文芸作品において、魅力的な人物の境遇や内面を反映しつつ同情的・美的に描写し得る病であり、違った視点で病が扱われている。

3巻 狩野探信筆 江戸時代後期写 絹本 縦32.0×横338.0㎝ 請求記号021.1-188-3                                                                                       『源氏画』は、「源氏物語」の前半部分にあたる桐壺巻から蓬生巻まで各帖一場面を描いた絵巻物で、3巻で合計15図あり、典雅で開放感のある絵になっている。『源氏物語』には、病が関係する場面が幾つかある。例えば、若紫巻では、わらわやみ(マラリアとされる)を患った光源氏が、その治療の間に、伴侶となる紫の上に出会う。その他、夕顔巻では、夕顔の急死に寝込んでしまう源氏を見舞う頭中将に、源氏がしはぶきやみ(流行性感冒)を欠勤の言い訳にしている。華やかな「源氏画」であるが、病のことも踏まえて見ると、また違った味わいが生まれてくるのではないだろうか。

40巻 21冊 明暦2年(1657)林和泉掾刊 縦18.9×横13.3㎝ 請求記号913.392-9-W-21                                                        『栄花物語』は、平安時代の歴史物語であり、宇多天皇から堀河天皇までの約200年間の歴史を、仮名文の編年体で記している。内容が物語性を重視するあまり、史実との齟齬が多いとされる。しかし、史実である長徳元年(995)の疫病の流行について、「正月から疫病の流行が甚だしく、人々は生きた心地もない有様であった。(中略)今年は下人等皆死に絶えてしまうかと思われた。四位五位の人達は勿論、その上の公卿(くぎょう)達に迄及ぶであろうという事であった。・・・」とあり、物語とはいえ、当時の世情不安を如実に伝えている。

前編15巻 後編15巻 10冊 井沢長秀(蟠龍子)考訂纂註 前編享保6年(1721)平安柳枝軒茨城多左衛門刊 後編享保18(1733)年江府小川彦九郎等刊 絵入 縦22.5×横15.9㎝ 請求記号913.37-34-W-10                                                        『今昔物語』は平安後期の説話集である。12世紀初めごろに成立されたとされる。インド・中国・日本の3部に大別して千余編の説話を収めており、近代文学にも大きな影響を与えた。本資料は、日本の説話のみを選んで刊行したものである。疫病に関連した説話もあり、応天門の変で流罪となった伴大納言の霊が行疫流行神(ぎょうやくるぎょうじん)となったが、国から受けた恩のため、悪性の疾病で人々が死ぬ所を代わりに咳病(がいびょう)の流行で済ませたという説話には、不業の死を遂げた人物が、行疫流行神になると信じられていたことが背景にある。

48巻 12冊 宝永4年(1707)辻三郎兵衛等刊 縦13.2×横19.4㎝ 請求記号913.4-2-W-12 写字台文庫                                                                『源平盛衰記』は、軍記物語『平家物語』の異本であり、読本系統に分類される。応保年間から寿永年間(1161~1183)までの源氏・平氏の盛衰興亡を詳しく叙述している。本資料には、挿絵が施されている。平清盛は熱病により最後を迎えるが、東大寺や興福寺を焼いた仏罰とされていた。挿絵にも水風呂が湯気となりその中で苦しむ清盛が描かれている。近年では、この熱病がマラリアではないかという説がある。

2巻 2冊 兼好法師著 元文2年(1737)京都菊屋喜兵衛刊 縦27.2×横19.1㎝ 請求記号022-739-2                                                                   『徒然草』は、鎌倉時代末期、歌人であった兼好法師(1283~1352)が著した随筆である。随筆は244段あり、無常観に基づく鋭い人生観、世相観、美意識などが見られる。第129段には、人や動物を苦しめてはいけないとして、体を傷つけられるより、心を痛めつけられる方が、人の心は傷が深くなってしまうのだとしている。そして、病気になる時も多くは心の悩みであって、外から来る病は少ないと、兼好独自の病気に関する見解も述べている。

4巻 4冊 伴高蹊著 伴資規校 文化3年(1806)平安野田次兵衛等刊 縦26.2×横18.5㎝                                                                                            請求記号091-43-W-4 写字台文庫                                                                                                                                                                                   『閑田次筆』は、江戸時代後期の歌人・文章家である伴高蹊(ばんこうけい。1733~1806)による随筆集である。『閑田筆耕』の続編にあたる。紀実・考古・雑話の3部に分類し、古物・古風俗の図を入れている。享和元年(1801)の末から翌年の正月に流行した流行性感冒であるアンボン風邪について触れていて、この疫病を病んだ者には、袂(たもと)に薄赤い奇妙な毛があったと記している。

1冊 大谷光瑞著 昭和11年(1936)実業之日本社発行 縦19.1×横13.3㎝ 請求記号 091-179-1                                                                      『光瑞縦横談』は、西本願寺第22代宗主大谷光瑞(1876~1948)が、昭和11年元旦から約2ヶ月読売新聞紙上に連載したエッセイを書籍化したものである。エッセイの内容は、宗教から政治・産業・自然・食など幅広い分野に及んでいる。その中には、当時、日本が台湾など南方へ進出していたことから、マラリアについて書かれたものもあり、病の責任を土地に転嫁するのではなく、病の大部分は自身の不用意から起きているといった見解を述べている。

第四章 病と治療

第四章「病と治療」では、伝染病をはじめとするさまざまな病の治療について 書かれた書物の他、 病の治療の礎となる人体の仕組みについての書物や薬草などについて記された本草書などを取り上げ、 昔の人々の病に対する研究の成果について紹介します。

第四章 展示資料一覧

10巻 附録1巻 6冊 雲林院(古野)了作註解 橋本正隆筆授 明和8年(1771)浪花宝文堂大野木市兵衛等刊 縦22.7×横16.0㎝ 請求記号690.9-452-W-6 写字台文庫                                                                            『傷寒論』は、治療の原則とその原則に従っての治療処方と応用の仕方について、分かりやすく明確に述べた医学書として評価された。日本にも広まり、『傷寒論』に関する著述が約600部に及んだとされている。『傷寒論国字解』もその一つであり、雲林院了作一門の初学者向けに作られた注釈書である。『傷寒論』の語句について、理解しやすいように語句ごとに註釈が施されている。

8巻 目録1巻 10冊 (明)丁鳳輯 明万暦10年(1582)序 刊本 縦23.7×横15.2㎝                                                                                                          請求記号690.9-503-W-10 写字台文庫                                                                                                                                                                                            『秘伝経験痘疹治法玉函集』は、痘疹(とうしん)(痘瘡(とうそう))に関する医書である。明代後期の医師と思われる丁鳳(生没年未詳)によって編集された。国内で鈔本が確認される他、現存する書籍は僅かである。本書は、痘瘡の総論にはじまり、形状別の治療法、症状別の治療法、婦人の痘瘡などについて述べれられている他、金元四大医家の一人である李東垣(1180~1251)などの痘瘡に関する論についても触れている。

3巻 附本邦老医伝1巻 1冊 平岡宗安著 加藤玄順校 安永8年(1779)浪華星文堂浅野屋弥兵衛等刊 縦18.7×横12.5㎝ 請求記号690.9-514-W-1 写字台文庫                                                                              『痘疹結要』は、序文によれば、元文3年(1738)に平岡宗安が著し、その後明和7年(1770)に、医師である加藤玄順(1699~1785)が校訂して分かりやすくしたとある。本資料は、痘疹について、原因、気の流れ、病的変化、治療法、調薬法などの項目を設け、各項目で中国の医書などを出典にして解説している。

13巻  2冊 (宋)竇漢卿撰 (清)洪瞻巖・陳友恭校 清康熙56年(1717)序刊 浩然楼蔵板 縦25.8×横16.5㎝                                                                                     請求記号690.9-188-W-2 写字台文庫                                                                                                                                            『瘡瘍経験全書』は、宋末元初の医家・学者であった竇漢卿(1196~1280)が著した外科書である。「瘡瘍(そうしょう)」とは、腫物・できものなどの外科的疾患を意味する言葉である。本書は、全13巻から成るが、瘡瘍についての論述ばかりではなく、痘瘡(天然痘)や小児雑症などについても取り上げられていて、各病症には、論・図・薬方などが記されている。

きんのうがいりょうひろく                                                                                 1巻 附湿毒一切経験良方 1冊 林子伯著 明和9年(1772)大坂定栄堂吉文字屋市兵衛等刊 縦26.2×横18.8㎝                                                                                 請求記号690.9-351-W-1 写字台文庫                                                                                                                                                                                                  『錦嚢外療秘録』は、江戸時代中期の医者林子伯(生没年未詳)が著した外科治療の医書である。外科治療には、鍼灸と湯液(煎じ薬)などが併用して行われた。本書には、癰疽(ようそ。悪性のできもの)にはじまり、臓毒(各臓器に蓄積した毒症)・破傷風・耳病・結核などさまざまな病を取り上げ、111の項目に及び、それぞれの症状について、図などによって解説し、治療法が記されている。

2巻 2冊 山岡元眠(周急)著 安永8年(1779)平安青樹堂等刊 縦15.8×横10.9㎝ 請求記号690.9-402-W-2 写字台文庫                                                                            『黴瘡療治方』は、梅毒の治療について記した書物である。「黴瘡」(ばいそう)とは梅毒の異称である。梅毒は、15世紀末のスペインやポルトガルによる世界航路の新発見に伴い、世界中に広がったとされる。日本でも16世紀前半には、流行した記録がある。著者山岡元眠(生没年未詳)が記した題言には、黴瘡について、高貴な人々には患者が少なく、貧しい人々に患者が多い病であり、きちんとした医者に診てもらうことができず、軽くても後遺症が残り、重ければ死に至るため、本書を著し、漢字にはすべて片仮名を付けて、貧しい人々でも処方が読めるようにしたとある。

7巻 8冊 岡本一抱子(為竹)著 元禄8年(1695)江戸西村半兵衛等刊 縦22.3×横15.7㎝ 請求記号690.9-265-W-8                                                                   『万病回春病因指南』は、医師である岡本一抱子(1654~1716)が、江戸時代前期に最もよく読まれた明代の医書『万病回春』の病因病理(病気の原因・過程に関する理論)について詳しく記したものである。一抱子は、『万病回春病因指南』の凡例で、『万病回春』の病因病理の不足を指摘している。そのため、『万病回春』の本文の注解だけでなく、金元明の医説を合わせた自身の医論も述べている。

1冊 寧寿堂主人口授 安政5年(1858)跋 伊東市右衛門刊 木活字版 縦24.1×横16.4㎝ 請求記号690.9-366-W-1                                                      『コレラ病用薬度量略記』は、コレラに対する治療法や処方について記したものである。口授した寧寿堂主人は、幕末伊勢津藩の藩医であった新宮涼閣(しんぐうりょうかく。1828~1885)と思われる。跋文には、コレラが流行した安政5年に、古書を読んで救う方法を求め、その方法が得られたので、塾生に授けたとある。因みにコレラは、コレラ菌に汚染された水や食物を口にすることにより感染する伝染病である。日本での最初の流行は、江戸時代の文政5年(1822)とされている。コレラの伝染の激しさと急死する率の高さから、恐ろしい奇病として「コロリ」と呼ばれた。その後も、安政5年、文久2年(1862)と流行し、多くの人々が命を落とした。

1舗 江戸中期頃刊 縦82.1×横59.6㎝ 請求記号023.2-55-1/2                                                          『側人明堂之図・人身五臓之図』は、明代に作られた「側人明堂之図」と「人身五臓之図」がそれぞれ日本に伝わり、合わせて一紙に刊行したものである。伝統中国医学では、気が流れるルートを経脈といい、各経脈上に針や灸の治療を行う経穴(ツボ)がある。経脈や経穴を描いた人体図を「明堂図」と呼ぶようになった。また、人間の内臓を五臓(肝・心・脾・肺・腎)と六腑(胆・小腸・胃・大腸・膀胱・三焦)から成ると考え、視覚的に理解するために、「人身五臓之図」が作成された。

1舗 服部玄広図 享保8年(1723)大和屋孫兵衛等刊 縦135.3×横58.5㎝ 請求記号023.2-55-2/2                                                   『背面経脈図』は、中国医学に於いて、人体の中の血液や気などの流れる通り道の一つである経脈について記した図である。鍼灸による病の治療などに用いられたと思われ、人体をうつ伏せにした状態でツボなどの位置が示されている。図を作成した服部玄広(生没年不詳)は、江戸時代中期の享保年間(1716~1736)に活躍した医師・本草学者である。明李時珍の『本草綱目』を訳した『本草和談』などを著した。

4巻序図1巻 5冊 与般亜単欠児武思(ヨハン・アダム・クルムス)著 杉田玄白訳 中川淳庵等校 小田野直武画 安永3年(1774)東武須原屋市兵衛刊 初版本 縦26.8×横18.0㎝ 請求記号690.9-356-W-5 写字台文庫                                                                   『解体新書』は、わが国最初の西洋解剖書の翻訳本である。原典は、ドイツ人ヨハン・アダム・クルムスの『解剖図譜』の蘭訳『ターヘル・アナトミア』であり、本文4巻・附図1巻から成る。内容は、原典の本文だけを訳し、本文の数倍に及ぶ脚注には触れず、28編に細分される。

縦27.6×横15.8㎝ 請求記号大谷文書-8097-1                                                                  20世紀初頭、西本願寺第22代宗主大谷光瑞師が、中央アジアに派遣した大谷探検隊は、仏教に関する貴重な経典などを多数将来した。その中には、仏教に限らず、いくつかの本草学(中国の薬物学)関係の文書断片も含まれていた。8097番の大谷文書には、消炎薬などに使用される朱砂や黄連などが記されているが、どのように分類されているのかは判然としない。また後半部分には、「五穀部」とあるが、内容から、後世の本草書にみられる分類には合致していない。

28巻 24冊 (宋)王継先等校 江戸後期写本 縦26.5×18.8㎝ 請求記号021-543-24 写字台文庫                                                                    『紹興校定経史証類備急本草』(しょうこうこうていけいししょうるいびきゅうほんぞう)は、宋代の医師唐慎微(とうしんび。1040?~1120)が作った『大観本草』について、王継先(おうけいせん。?~1181)らは同書を再校し、自注も加えて紹興29年(1159)に進上した。本資料は、国内では27点、国外では大英図書館をはじめ3点の所蔵が知られている。龍谷大学所蔵本には619薬が載り、うち510薬について計792の図がある。後人の手がかなり加えられ、錯簡(さっかん)や誤脱もあるが、絵はよく文も多く、内容が豊富な点では伝写本中の善本とされる。

52巻 巻首附図2巻 附瀕湖脈学1巻・奇経八脈考1巻・脈訣考證1巻 40冊 (明)李時珍著 明万暦31年(1603)刊                                                                                                          縦26.1×横17.1㎝ 請求記号694.29-35-W-40                                                                                                                                                                                                                               『本草綱目』は、明代の医師で本草学者である李時珍(りじちん。1518~1593)が著した薬学書である。歴代の著作に比べて、分量が最も多く、内容も充実している。因みに収録薬種は1892種、図版1109枚、薬としての処方は1096種に及んでいる。万暦23年(1596)に南京で刊行され、幾つもの版を重ねて出版された。日本には、最初の刊行から数年後には輸入され、日本の本草学に大きな影響を与え、訓点を施した和刻本が長年にわたって刊行された。

2巻 1冊 松岡玄達著 貞享3年(1686)自筆本 縦23.8×横17.3㎝ 請求記号694.29-61-W-1 写字台文庫                                                                         『本草摘要講義』は、江戸時代中期の本草学者松岡玄達(1668~1746)の自筆講義ノートである。本書名は外題より採った。写字台文庫にある他の書物などから推察すると、おそらく医師浅井周伯(1634~1705)の講義を玄達が筆録したものと思われる。周伯は明・李時珍の『本草綱目』から要点を抜き書きし、薬物の使用頻度順で甘草(かんぞう)~石膏(せっこう)の順に縮成し、『本草抜書』と名づけていた。この書は『本草摘要』とも呼ばれたので、その講義録を玄達が『本草摘要講義』としたのである。

展観情報

★対面展観 

龍谷大学図書館2021年度特別展観 「病と生きる」

※コロナ禍のため開催中止


★ジャパンサーチギャラリー (オンライン版)

龍谷大学図書館2021年度特別展観 「病と生きる」 

開催期間 : 2025年2月より公開中!

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大宮図書館
龍谷大学には、3キャンパスにそれぞれ図書館があります。大宮図書館、深草図書館、瀬田図書館です。龍谷大学の歴史は、寛永16年(1639)西本願寺が創建した「学寮」に始まります。大宮図書館もほぼ同じ時期に始まったとされています。 大宮図書館は、380年余りの歴史の中で、数多くの資料を収集してきました。大宮図書館の蔵書数は、現在では、75万冊余りに及びます。大宮キャンパスは、文学部のキャンパスです。したがって、大宮図書館の蔵書は、仏教学、真宗学、歴史学、文学の分野で構成されています。 大宮図書館の特徴として、日本及び中国の古い資料を数多く所蔵しております。資料には、国宝である『類聚古集』などが含まれています。また、西本願寺歴代宗主の蔵書であった「写字台文庫」が大宮図書館に寄贈されています。その他、西本願寺第22代宗主大谷光瑞が派遣した大谷探検隊が将来した中央アジアの仏教経典なども所蔵されています。

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