龍谷大学図書館特別展観 「<紫式部>の物語」
龍谷大学大宮図書館 2023年度特別Web展観 ― 中古文学会 2023年度秋季大会開催記念 ―
目次
ごあいさつ
龍谷大学図書館長 竹内真彦
龍谷大学図書館 2023年度特別展観は、中古文学会のご助力のもと、「〈紫式部〉の物語」をテーマに開催いたします。
紫式部の書いた『源氏物語』が日本文学の「代表作」であることは言を俟たないでしょう。しかし、「紫式部」が「書いた」と「語」ってしまうと、そこには落とし穴があるのかも知れません。
紫式部は藤原道長(966-1028)と同時代人、今から約 1000 年前の人物です。宮中の一女官に過ぎなかった彼女の人生は、政治の中心であった道長とは異なり、その詳細が判るわけではありません。例えば、その生卒年すらはっきりとは判りませんし、彼女が残した作品としては『源氏物語』と『紫式部日記』、そして和歌集として『紫式部集』が残るのみです。
しかし、紫式部が生み出した『源氏物語』は多くの読者を生みました。その結果、現在に至るまでの約 1000 年、その間に紫式部をめぐる厖大な「語り」が生まれてきたのです。
本展観は、そのような視座のもと、大宮図書館の所蔵する多くの貴重書を展示しております。お楽しみいただければ幸いです。
最後となりますが、中古文学会を始め、この展観にあたってご協力いただきました関係者各位に心より御礼申し上げます。
序言
~ようこそ、〈紫式部〉の物語へ~
龍谷大学文学部 安藤徹
2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」は、紫式部が主人公です。紫式部は『源氏物語』作者として有名です。しかし、彼女の本名も分からなければ、生没年も未詳です。千年ほど前に平安京の貴族社会を生き抜いた実在の紫式部のことを、私たちはあまり知らないのです。
その一方で、私たちは〈紫式部〉についてある程度語ることができます。語られる〈紫式部〉は、まず何よりも『紫式部日記』や『紫式部集』から浮かび上がる(自己語りされた)自己像と、『源氏物語』から読み解かれる作者像とを綯い交ぜにすることで、想像/創造的に造型されたものです。この〈紫式部〉が、平安時代を生きた紫式部その人の実態と一致する保証はありません。〈紫式部〉とは、『紫式部日記』『紫式部集』『源氏物語』の3作品が絡まり合うことで開拓される1つの“物語”の中で活躍する“主人公”として、読者たちが練り上げてきたものだからです。
むろん、紫式部の生きた時代の歴史や文化、思想、宗教などもまた、〈紫式部〉の物語世界を構成する大事な要素です。千年にわたる『源氏物語』の読みの歴史もそうです。「わが国の至宝」などと称賛され、さまざまな領域に広く深く影響を与えてきた『源氏物語』は、それゆえに時代時代の読者の想像力を喚起し、『源氏物語』とその作者〈紫式部〉をめぐる物語を生み出しつづけてきたのです。
今回の特別展観では、中古文学会2023年度秋季大会が本学大宮学舎で開催されることを記念し、龍谷大学大宮図書館所蔵の貴重資料を通して、“『源氏物語』作者という物語”を生きる〈紫式部〉を多面的に紹介します。具体的には、①〈紫式部〉を生み出した物語、②〈紫式部〉が生み出した物語、③〈紫式部〉が生み出した物語を支える物語(としての仏教)、④〈紫式部〉をめぐる物語としての伝説、⑤視覚化された〈紫式部〉の物語、という5つの視座を据えて、みなさんを目眩く物語の世界へといざないます。
ようこそ、〈紫式部〉の物語へ。
第1章 〈紫式部〉とその時代
紫式部の日記や歌、紫式部と同じ時代を生きた人びとに着目しながら、私たちがイメージする〈紫式部〉がどのような文脈=物語の中から紡ぎ出されてきたのか、その一端を辿ります。
第1章 展示資料一覧
むらさきしきぶにっきぼうちゅう 2巻 壺井義知<つぼいよしちか>著 享保14年(1729)跋 [大阪]吉文字屋市左衞門刊 縦25.5×横18.1cm 請求記号[915.35-3W-2] 本書の跋文<ばつぶん>に、「其ノ雅趣藻詞、実ニ源語ト伯仲ヲ相為ス」とある。『紫式部日記』の風雅な趣や文彩は、『源氏物語』のそれと優劣つけがたいというのである。これは、『紫式部日記』の「文体と情態」が「物語の趣にたがはぬ事」を“発見”し、『源氏物語』研究における作者の日記の重要性を宣言した安藤為章<ためあきら>『紫家七論<しかしちろん>』(元禄16年〔1703〕)(→40参照)の影響が想定される。 展示箇所は、時の権力者である藤原道長<みちなが>が紫式部に色めいた歌を贈った場面。日記によれば、その夜、局を訪れた道長を式部は拒み、戸を開けなかったという。しかし、こうした記事が紫式部を「御堂関白妾<みどうかんぱくのしょう>」(『尊卑分脈<そんぴぶんみゃく>』)と見なすような憶測を生むことになった。
くぎょうぶにん(やましなときつねじひつおくがきほん) 49巻20冊 藤原(山科)言経奥書 慶長2年(1597) 写本 縦26.2×横21.3cm 請求記号[021-386-20]写字台文庫 歴代公卿<くぎょう>を年代順に列挙した職員録。今に伝わる本の多くは「山科家本」(山科言継<ときつぐ>〔1507~79〕の書写集成による)の流れを汲む。特に本資料は言継の子、言経の自筆奥書があり、かつ彼の日記に成立過程が記されている点で注目される。日記によると、本資料は本願寺が言経から借りた本を写したもので、さらに本願寺からの依頼で言経自身が校正し、奥書を付したという。 中宮彰子<しょうし>が敦成<あつひら>親王を出産した寛弘5年(1008)当時は、筆頭である道長<みちなが>(左大臣)をはじめ、顕光<あきみつ>(右大臣)、公季<きんすえ>(内大臣)、実資<さねすけ>(権大納言)らのほか、のちに「四納言」(→8参照)と称される斉信<ただのぶ>、公任<きんとう>、行成<ゆきなり>、源俊賢<としかた>も“道長政権”を支える公卿として名を連ねる。
むらさきしきぶしゅう(むらさきしきぶかしゅう) 1冊 [紫式部撰] [江戸中期]写本 縦26.0×横19.2㎝ 請求記号[024.7-4W-1] 紫式部晩年の自撰と見られる私家集。贈答歌を中心に、少女時代から晩年までの詠歌をほぼ時系列に沿って配列。歌数は128首と多くなく、特に四季や恋の歌が少ない。一方で、「可能性に充ちた青春時代を記録する点で、同時代の女流には類を見ない」(清水好子)とも評される本書は、紫式部その人を知りうる資料が乏しい中にあって、きわめて貴重である。本資料の奥書には、「本云/此一冊定家卿以自筆本書写之畢」とある。 展示箇所に見える44番歌「なき人にかことをかけてわつらふもをのかこゝろのおにゝやはあらぬ」は、紫式部の「もののけ」観や『源氏物語』に描かれる「もののけ」事件(→11参照)を考える上でも注目されてきた。
ひゃくにんいっしゅおんてかがみ 1帖 付 極書きわめがき [江戸中期]写本 縦33.8×横23.2cm 極書 縦16.9×横18.4cm 請求記号[021-621-2] 折本装<おりほんそう>に挿絵を貼る手鑑<てかがみ>様式で金銀泥彩色画<きんぎんでいさいしきが>を100図収めた、「百人一首」の歌仙絵<かせんえ>(すぐれた歌人の肖像に詠歌等を添えたやまと絵)。添付の古筆了音<こひつりょうおん>(1674~1725)の極書<きわめがき> 「百人一首御筆者」(宝永元年〔1704〕)によると、和歌は34名の能筆家によるもので、なかでも紫式部、大弐三位<だいにのさんみ>(紫式部の娘)、伊勢大輔<いせのたいふ>の和歌は「藤谷殿為信朝臣<ふじたにどのためのぶあそん>」(1676~1740、冷泉家支流の藤谷家第四代当主)の手とする。 展展示箇所は紫式部の歌仙絵。57番歌「めくりあひてみしやそれともわかぬまに雲かくれにし夜半の月哉」は『紫式部集(紫式部家集)』(→3参照)の冒頭歌で、『新古今和歌集』にも入集<にっしゅう>。詞書によれば、久しぶりに再会した幼なじみとの別れを惜んで詠んだ歌である。
しじゅうにんしゅう 40巻 写本 縦27.2×横19.7cm 請求記号[022-591-40]写字台文庫 平安~鎌倉時代の41人の家集叢書<そうしょ>。『紫式部集(紫式部家集)』のほか、『御堂関白道長集<みどうかんぱくみちながしゅう>』『伊勢大輔集<いせのたいふしゅう>』など紫式部と同時代の歌人の家集も収める。本文は小沢蘆庵<ろあん>(1723~1801)の門人等が書写し、蘆庵が朱筆の校合<きょうごう>や訂正を加えている。 今回展示する『紫式部集(紫式部家集)』の18番歌「あひみむとおもふ心はまつらなるかゝみのかみやそらにみゆらん」は、『河海抄<かかいしょう>』(→13・36参照)が『源氏物語』玉鬘<たまかずら>巻での大夫監<たいふのげん>詠「君にもし心たがはば松浦<まつら>なる鏡の神をかけて誓はむ」との関連を指摘している。また、『赤染衛門集<あかぞめえもんしゅう>』の357番歌「あらし吹かせはいかにとみやきのゝこはきかうへを露もとへかし」は、桐壺<きりつぼ>巻での桐壺帝詠「宮城野<みやぎの>の露<つゆ>吹きすさぶ風の音おとに小萩こはぎがもとを思ひこそやれ」の引歌<ひきうた>である。
まくらのそうし 1冊 [清少納言せいしょうなごん著] [室町時代]写本 縦28.1×横23.6cm 請求記号[022-535-1] 写字台文庫 『枕草子』の伝本には雑纂<ざっさん>本と類纂<るいさん>本があり、雑纂本は三巻<さんかん>本と能因<のういん>本に分かれる。さらに三巻本には第一類本と第二類本がある。本資料は、三巻本のなかでも第一類本と第二類本を合成した性格を有し、他に類例を見ない。ただし、展示箇所の「職しきの御曹司<みぞうし>におはしますころ、西の廂<ひさし>に」章段から「七日の日の若菜を」章段までの零本<れいほん>。 『源氏物語』朝顔<あさがお>巻に、光源氏が藤壺<ふじつぼ>中宮の御前での雪山作りを思い出す場面がある。これについて、『河海抄<かかいしょう>』(→13・36参照)は『枕草子』「職の御曹司におはしますころ、西の廂に」章段に見える雪山作りを意識していると見る。ちなみに、紫式部は『紫式部日記』(→1参照)で清少納言を厳しく批判している。
ぞくほんちょうおうじょうでん 1冊 [大江匡房<おおえのまさふさ>著] 万治2年(1659)京都林伝左衛門刊 縦27.5×横18.1cm 請求記号[296.5-245W-1] 慶滋保胤<よししげのやすたね>『日本往生極楽記<にほんおうじょうごくらくき>』(寛和年間〔985~987〕)を継いで書かれた往生伝。極楽往生したとされる42人の生前の行状や臨終の様子などを集録。康和4年(1102)頃成立。 展示箇所は冒頭の一条天皇(980~1011)伝。天皇自身、公正温雅で才学に富み、特に笛に巧みで、廷臣の信頼を集めたという。公卿<くぎょう>では藤原実資<さねすけ>や公任<きんとう>など、文人では大江匡衡<まさひろ>(妻が赤染衛門<あかぞめえもん>、匡房の曾祖父)や藤原為時<ためとき>(紫式部の父)など、歌人では和泉式部いずみしきぶや赤染衛門など、陰陽師では安倍晴明せいめいなど、僧侶では勝算しょうさんや源信げんしん(→25参照)など、武士では源満仲みつなか・頼光よりみつ親子など、各界で「天下之一物」が多数輩出したのが紫式部の活躍した一条朝であった。まさに“聖代”である。
じっきんしょう 10編12巻 文化2年(1805)大坂河内屋吉兵衛刊 縦22.8×横16.0cm 請求記号[913.4-15W-10] 写字台文庫 説話集。編者未詳。序文によると建長4年(1252)成立。10箇条の処世訓を掲げ、約280の説話を例証として載せる。室町時代の『正徹物語<しょうてつものがたり>』や『東斎随筆<とうさいずいひつ>』などに引かれるなど、後代の説話集に大きな影響を与え、江戸時代には広く流布した。 展示箇所は、第1の処世訓「人に恵めぐみを施ほどこすべき事」の第21話。『続本朝往生伝<ぞくほんちょうおうじょうでん>』(→7参照)と同じく、一条朝に活躍した人物が多数登場する。冒頭には『枕草子<まくらのそうし>』(→6参照)で有名な「香炉峰<こうろほう>の雪」の話(→42参照)を挿絵とともに語り、続けて『源氏物語』作者の紫式部、さらに赤染衛門<あかぞめえもん>や和泉式部いずみしきぶ、小式部内侍<こしきぶのないし>などの「やさしき女房ども」を列挙する。そして、「四納言<しなごん>」と呼ばれる藤原斉信<ただのぶ>、公任<きんとう>、行成<ゆきなり>、源俊賢<としかた>が紹介される。
第2章 『源氏物語』の世界
紫式部によって紡ぎ出された『源氏物語』によって、物語作者〈紫式部〉が誕生しました。その『源氏物語』の世界を写本や板本からかいま見つつ、物語の解明に挑んだ院政期以来の「源氏学」の世界にも分け入ります。
第2章 展示資料一覧
げんじものがたり 54帖 [紫式部<むらさきしきぶ>著] [江戸前期]写本 縦16.0×横16.2cm 請求記号[021-597-54] 『源氏物語』54巻揃い、列帖装<れつちょうそう>の升形本<ますがたぼん>。一面8行書。下端に水濡れのシミがあるものの、全体的には虫損のない綺麗な本である。本文は青表紙本<あおびょうしぼん>系統で、他本の校合<きょうごう>書き入れが若干見られる。奥書<おくがき>などなし。「中川蔵書」の朱方印から、中川浩文氏(本学元教授)の旧蔵書であることが知られる。 展示箇所は、薄雲<うすぐも>巻。藤壺女院<ふじつぼのにょいん>(中宮)の死を悼む光源氏は、自邸の二条院の念誦堂に籠もって「入日さす嶺にたなひく薄雲は物思ふ袖に色やまかへる」と歌を詠む。史上初の「女院」となった東三条院詮子<せんし>(道長姉、一条天皇母)の喪中に詠まれた『紫式部集(紫式部家集)』(→3参照)40・41番歌との類想性が注意される。
けいあんさんねんぼん(じょうおうさんねんばん)えいりげんじものがたり 60冊 [紫式部<むらさきしきぶ>著] 山本春正<やまもとしゅんしょう>編 承応3年(1654)京都八尾勘兵衛刊 縦27.2×横19.2cm 請求記号[913.36-7W-60] 『源氏物語』最初の挿絵入り板本<はんぽん>。「源氏目案<めやす>」3巻、「源氏引歌<ひきうた>」「源氏系図」「山路やまじの露つゆ」を加えた60巻。夢浮橋<ゆめのうきはし>巻の末尾に、一条兼良<かねら>(1402~1481)書写本(河内本<かわちぼん>系統)を証本<しょうほん>に8種の異本を使用したとする識語<しきご>がある。しかし、実際は三条西<さんじょうにし>家本系(青表紙本<あおびょうしぼん>)を基本にした混態本文である。編者の山本春正(1610~1682)は蒔絵まきえ師で、松永貞徳ていとくらに和歌を、伊藤仁斎じんさいに漢籍を学んだ。本資料には朱墨両筆の書き入れあり。 展示箇所は、夕顔<ゆうがお>巻でもののけが夕顔を取り殺す場面の挿絵。右上の女性がもののけで、几帳<きちょう>のもとに倒れ伏す夕顔やもののけを見つめる光源氏などが描かれる。
まんじさんねんぼん えいりげんじものがたり 29冊 [紫式部<むらさきしきぶ>著] 万治3年(1660)[京都]林和泉掾刊 縦14.7×横21.1cm 請求記号[021-608-29] 慶安3年本(→11参照)を模写して作成された挿絵入り『源氏物語』板本<はんぽん>。本文に誤字が多く、また慶安本にあったふりがなは省略されている。挿絵は慶安本の図を敷き写しにしつつ、横本に合わせて上下を機械的に省くとともに、左右に粗雑な絵を書き足している。慶安本のいわゆる“海賊版”と見られる。なお、本資料は「源氏系図」と「山路やまじの露つゆ」の2巻1冊を欠く。 展示箇所は、御法みのり巻で紫の上が主催した法華経千部供養における「薪<たきぎ>の行道<ぎょうどう>」(「法華経を我が得<え>しことは薪<たきぎ>こり菜摘<なつみ>水汲み仕つかへてぞ得し」という和歌を唱えながら、薪を負い水桶みずおけを持った者が行道する儀式)の場面。仏教は、『源氏物語』の世界を織りなす重要な糸である。
かかいしょう 20巻 四辻善成<よつつじよしなり>著 [江戸前期]写本 縦27.7×横20.8cm 請求記号[021-636-20] 室町幕府第2代将軍・足利義詮<よしあきら>の命により、貞治年間(1362~68)に作成された『源氏物語』の注釈書。博引傍証<はくいんぼうしょう>して出典考証するところに特徴があり、爾後<じご>の研究に大きな影響を与えた。「注釈は河海抄ぞ第一の物なる」(本居宣長<もとおりのりなが>『源氏物語玉<たま>の小櫛<おぐし>』)と評されるゆえんである。本資料は寄合書<よりあいがき>で、中書本<なかがきぼん>(→36参照)と覆勘本<ふっかんぼん>に大別される本文系統のうち、覆勘本系統に属する。同系統の高松宮家<たかまつのみや>け本と同じ奥書<おくがき>が巻一末にあり。「青蓮王府」(青蓮院<しょうれんいん>)と「近衛蔵」の蔵書印があり、その伝来も注目される。 展示箇所では、玉鬘<たまかずら>巻の大夫監<たいふのげん>「君にもし心たかはゝ」詠について、『紫式部集(紫式部家集)』18番歌「あひみむとおもふ心は」(→5参照)との関連を注している。
かちょうよせい 30巻15冊 [一条兼良<いちじょうかねら>著] 文明10年(1478)覚恵(=兼良の法名)奥書<おくがき> [江戸前期]写本 縦20.3×横15.2cm 請求記号[021-425-15] 写字台文庫 「一天無双の才」一条兼良(1402〜1481)による『源氏物語』の注釈書。文明4年(1472)に初稿本成立。文章解釈に重点を置き、『河海抄<かかいしょう>』(→13・36参照)と並んで「かならず見ではかなはぬもの」(本居宣長<もとおりのりなが>『紫文要領<しぶんようりょう>』)と評される。 本資料は第一冊末の識語<しきご>に「依 勅命馳禿筆加書写訖 文明十年春老衲覚恵」とあり、他冊末にも校正識語を付す(いずれも、龍門文庫本〔第一冊は兼良自筆〕と一致)。後土御門<ごつちみかど>天皇に献上された「献上本」系統に属する。 展示箇所は花宴はなのえん巻で、「大方源氏なとを一見するは歌なとによまむ為也。読んにとりては本歌本説を用へきほとをしらすしてはいかゝ」との記述が見られる。
ははきぎべっちゅう(あまよだんしょう) 1冊 宗祇<そうぎ>著 [江戸中期]写本 縦27.3×横18.8cm 請求記号[913.36-20W-1] 写字台文庫 『源氏物語』帚木<ははきぎ>巻の一場面である「雨夜あまよの品定しなさだめ」の注釈書。奥書<おくがき>によれば、文明17年(1485)に連歌師の宗祇(1421~1502)が「児女子のために」注したもの。最初に巻名の由来を説き、以下、文意の詳細な注釈がつづく。語句説明にとどまらず、文章の鑑賞や巻の構成にも触れ、また場面中で話題となっている女性を以後の巻々に登場する女君たちと比定しつつ評するところに特徴がある。なお、本資料には、猪苗代兼載<いなわしろけんさい>「光源氏物語 定家の本河内本の分別の事」が付載されている。 展示箇所に見える「草子<そうし>(の)地<じ>」は、『源氏物語』研究における重要な術語として現在も用いられているもので、その最古の確例として注目される。
さんじょうにしきんえだじひつこうほん げんじものがたりさいりゅうしょう 4帖 [三条西公条<さんじょうにしきんえだ>著] [大永5年(1525)〜天文21年(1552)頃 三条西公条自筆本] 縦24.8×横47.4cm 請求記号[021-421-4] 能登守護・畠山義総<よしふさ>(1491~1545)からの『源氏物語』注釈書の注文に対し、三条西実隆<さねたか>(1455~1537)が自身の講釈聞書ききがきをもとに、大永5~8年(1525~28)にかけて子の公条<きんえだ>(1487~1563)に作成させた草稿本。公条はその後も長らく草稿本を愛用した。本資料(澪標<みおつくし>~若菜下<わかなのげ>巻、ただし初音<はつね>~野分<のわき>巻は欠)のツレ(柏木<かしわぎ>~竹河<たけかわ>巻)が、東北大学附属図書館(狩野<かのう>文庫)にある。本資料は紙背文書<しはいもんじょも>貴重である。 展示箇所は澪標巻で朱雀<すざく>帝から冷泉<れいぜい>帝に代替わりする場面の注釈(→17参照)。
さんじょうにしきんえだじひつこうほん げんじものがたりさいりゅうしょう 4帖 [三条西公条<さんじょうにしきんえだ>著] [大永5年(1525)〜天文21年(1552)頃 三条西公条自筆本] 縦24.8×横47.4cm 請求記号[021-421-4] 能登守護・畠山義総<よしふさ>(1491~1545)からの『源氏物語』注釈書の注文に対し、三条西実隆<さねたか>(1455~1537)が自身の講釈聞書<ききがき>をもとに、大永5~8年(1525~28)にかけて子の公条<きんえだ>(1487~1563)に作成させた草稿本。公条はその後も長らく草稿本を愛用した。本資料(澪標<みおつくし>~若菜下<わかなのげ>巻、ただし初音<はつね>~野分<のわき>巻は欠)のツレ(柏木<かしわぎ>~竹河<たけかわ>巻)が、東北大学附属図書館(狩野<かのう>文庫)にある。本資料は紙背文書<しはいもんじょ>も貴重である。 展示箇所は少女<おとめ>巻の小書き補入注に「天文廿一四十三」と記入時期が見える箇所(→18参照)。
さんじょうにしきんえだじひつこうほん げんじものがたりさいりゅうしょう 4帖 [三条西公条<さんじょうにしきんえだ>著] [大永5年(1525)〜天文21年(1552)頃 三条西公条自筆本] 縦24.8×横47.4cm 請求記号[021-421-4] 能登守護・畠山義総<よしふさ>(1491~1545)からの『源氏物語』注釈書の注文に対し、三条西実隆<さねたか>(1455~1537)が自身の講釈聞書<ききがき>をもとに、大永5~8年(1525~28)にかけて子の公条<きんえだ>(1487~1563)に作成させた草稿本。公条はその後も長らく草稿本を愛用した。本資料(澪標<みおつくし>~若菜下<わかなのげ>巻、ただし初音<はつね>~野分<のわき>巻は欠)のツレ(柏木<かしわぎ>~竹河<たけかわ>巻)が、東北大学附属図書館(狩野<かのう>文庫)にある。本資料は紙背文書<しはいもんじょも>貴重である。 展示箇所は若菜上<わかなのじょう>巻の紙背文書で、九条稙通<くじょうたねみち>(実隆の外孫、1507~94)の実隆(逍遥院<しょうよういん>)宛書簡。
げんじものがたりききがき 16冊 [三条西公条<さんじょうにしきんえだ>著] [江戸期]写本 縦27.7×横20.8cm 請求記号[913.36-14W-16] 写字台文庫 三条西公条自筆稿本<さんじょうにしきんえだじひつこうほん>『源氏物語細流抄<げんじものがたりさいりゅうしょう>』(→16参照)を透き写し(敷き写し)した転写本。薄様(薄葉)の料紙を用い、虫食いの穴までもその形をなぞるようにして正確に書写してある。若菜上<わかなのじょう>・下<げ>巻を欠く。また、第五冊「紅葉賀<もみじのが>」は別本で、第十冊の一部(初音<はつね>~蛍<ほたる>巻)と第十六冊「初音歌詞巻」(初音~竹河たけかわ巻)は永正10~11年(1513~14)にかけて三条西実隆<さねたか>(1455~1537)が行なった講釈の聞書ききがき(16の作成にも利用)の転写本。 展示箇所は、澪標<みおつくし>巻で朱雀<すざく>帝から冷泉<れいぜい>帝に代替わりする場面の注釈。16①と比較することで、透き写しの状況がよく分かる。
げんじものがたりききがき(ひかるげんじものがたり) 10冊 [三条西公条さんじょうにしきんえだ著] [江戸前期]写本 縦30.0×横23.7cm 請求記号[021-352-10] 写字台文庫 三条西公条自筆稿本<さんじょうにしきんえだじひつこうほん>『源氏物語細流抄<げんじものがたりさいりゅうしょう>』(→16参照)の写本で、同じ転写本の17に欠落する若菜上<わかなのじょう>・下<げ>巻をも有する。第十冊「自初音至竹河」は17の第十六冊「初音歌詞巻」と同じく、永正10~11年(1513~14)にかけて三条西実隆さねたか(1455~1537)が行なった講釈の聞書ききがき(16の作成にも利用)の転写本。現在は修復を終え、紺色の新しい表紙が掛けられ、後補題簽<だいせん>には「源氏物語」と記される。もとの共紙<ともがみ>表紙は扉<とびら>として存し、各冊所収の巻名が記される。 展示箇所中、少女<おとめ>巻の小書き補入注に「天文廿一四十三」(天文21年〔1552〕4月13日)と記入時期が見える。16②と比較すれば明らかなように、17の透き写しほどの忠実さはないものの、全体に正確な写しである。
げんじものがたりききがき [2冊 写本 縦28.1×横21.5cm 請求記号[021-432-2] 写字台文庫 展示箇所に見えるように、内題の下に「永正十三年霜月十九日九州日向国都於郡聞書」とあり、永正13年(1516)11月19日から日向国<ひゅうがのくに>の都於郡<とのこおり>(現在の宮崎県西都市の南部)で催された『源氏物語』講釈の聞書ききがきであることが知られる。料簡<りょうけん>と桐壺<きりつぼ>~松風<まつかぜ>巻の残欠本。伊井春樹氏によると、連歌師の宗祇<そうぎ>(→15参照)の弟子、宗碩<そうせき>(1474~1533)による講釈の可能性が高いという。 なお、伊井氏は本資料を唯一の伝本とするものの、筑波大学附属図書館蔵『源氏物語聞書』(請求記号ル120-303)の第一冊冒頭に本資料と同じく「永正十三年霜月十九日」と記されており、両者の関係が注目される。
げんじものがたりききがき(きゅうもんしょう) 15冊 [里村昌休<さとむらしょうきゅう>著] [江戸前期]写本 縦13.7×横20.0cm 請求記号[021-426-15] 写字台文庫 天文19年(1550)に成立した『源氏物語』の注釈書。連歌師の里村昌休(1510〜1552)が、師である宗牧<そうぼく>(?~1545)の『源氏物語』講釈の聞書<ききがき>をもとに、『河海抄<かかいしょう>』(→13・36参照)、『花鳥余情<かちょうよせい>』(→14参照)、『弄花抄<ろうかしょう>』の注をも取捨しつつ自説を加えたもの。伝本は10本程度の写本が知られるのみで、板本はない。本資料は、昌休の弟子、里村紹巴じょうは(1525~1602)の注などが増補された内閣文庫本系統に属する。装訂・書写相は諸伝本の中でも美麗である。 展示箇所である手習てならい巻の冒頭に登場する横川僧都よかわのそうずについて、『河海抄』以来、恵心僧都源信えしんそうずげんしん(942~1017)(→25参照)を准拠とする説が唱えられている。
第3章 『源氏物語』と仏教
虚構である『源氏物語』は、現実社会の諸要素を貪欲に織り込み、綾なすことで独自の世界を構築しています。そのように織りなされる物語世界に欠かせない“糸”が仏教です。今回は、とくに聖徳太子と源信および浄土思想に着目します。
第3章 展示資料一覧
しゅしょげんじものがたり 54巻 系図1巻 一竿斎<いっかんさい>著 寛文13年(1673)[京都]積徳堂刊 縦27.5×横20.1cm 請求記号[913.36-6W-55] 写字台文庫 『源氏物語』の本文にはじめて頭注(=首書<しゅしょ>〔かしらがき、とも〕)を付けた板本で、同様の形式は北村季吟<きぎん>著『湖月抄<こげつしょう>』(→38参照)に継承された。清水婦久子氏によると、本文は万治3年本『絵入<えいり>源氏物語』(→12参照)を底本とし、『万水一露<ばんすいいちろ>』(板本)をもって校訂したという。他本注記は本文に傍記されている。慶安3年本『絵入源氏物語』(→11参照)、『湖月抄』とともに、広く流布。著者の一竿斎は、北野天満宮の社僧能貨<のうか>とする説が有力。 展示箇所は、若紫<わかむらさき>巻で北山の僧都から光源氏に「聖徳太子の百済<くだら>より得たまへりける金剛子<こんごうじ>の数珠<ずず>」が贈られた場面で、光源氏と聖徳太子(→22参照)との関係を考える上で重要。
さんごくしちこうそうでんずえ 5巻 付録1巻 一禅居士<いちぜんこじ>編 松川半山<まつかわはんざん>画 万延元年(1860)京都川波卯助等刊 縦25.7×横18.5cm 請求記号[296.2-1W-6] 親鸞<しんらん>が浄土教の祖師と定めて尊崇した7人の高僧(龍樹<りゅうじゅ>〔南天竺〕、天親<てんじん>〔北天竺〕、曇鸞<どんらん>〔中国〕、道綽<どうしゃく>〔中国〕、善導<ぜんどう>〔中国〕、源信<げんしん>〔日本〕、源空<げんくう>〔日本〕=法然<ほうねん>)の伝記を内容とする、図会<ずえ>形式の読本<よみほん>。挿絵は緻密で、各巻冒頭に口絵(登場人物を芝居役者のように描いた「繡像<しゅうぞう>」)も備える。 展示箇所は、①付録の第六巻「聖徳太子伝」(→22参照)の口絵。
さんごくしちこうそうでんずえ 5巻 付録1巻 一禅居士<いちぜんこじ>編 松川半山<まつかわはんざん>画 万延元年(1860)京都川波卯助等刊 縦25.7×横18.5cm 請求記号[296.2-1W-6] 親鸞<しんらん>が浄土教の祖師と定めて尊崇した7人の高僧(龍樹<りゅうじゅ>〔南天竺〕、天親<てんじ>ん〔北天竺〕、曇鸞<どんらん>〔中国〕、道綽<どうしゃく>〔中国〕、善導<ぜんどう>〔中国〕、源信<げんしん>〔日本〕、源空<げんくう>〔日本〕=法然<ほうねん>)の伝記を内容とする、図会<ずえ>形式の読本<よみほん>。挿絵は緻密で、各巻冒頭に口絵(登場人物を芝居役者のように描いた「繡像しゅうぞう」)も備える。 展示箇所は、第三巻「源信和尚伝」の口絵。源信(→25参照)>と慶滋保胤よししげのやすたね(?~1002、寂心じゃくしん)を描く。紫式部の同時代人。源信は日本浄土教の祖で、藤原道長みちながも帰依した。『日本往生極楽記にほんおうじょうごくらくき』の著者でもある保胤は、紫式部の父、藤原為時ためときとも交流のあった文人。
えしんそうずえことばでん 3巻 法龍<ほうりゅう>著 [慶応2(1866)年]近江松島昌寿堂刊 縦26.1×横18.9cm 請求記号[296.5-821W-3] 源信<げんしん>(→24参照)の850年遠忌<おんき>に際し、比叡山の前大僧正豪海<ごうかい>が一代記制作を発願し、恵忍<えにん>・堯道<ぎょうどう>が法龍<ほうりゅう>に依頼して執筆させた源信伝の集大成。「絵詞伝<えことばでん>」というにふさわしく、多くの挿絵を備える。恵心僧都<えしんそうず>、横川僧都よかわのそうずとも称された源信(942~1017)は、比叡山で出家し良源に師事。主著『往生要集<おうじょうようしゅう>』(→26・27参照)は浄土教の基盤を確立し、平安時代の思想・文化にも深い影響を与えた。本書中に登場する源信の妹や母は、『続本朝往生伝<ぞくほんちょうおうじょうでん>』(→7参照)や『今昔物語集<こんじゃくものがたりしゅう>』などにも見える。 展示箇所は、息絶えた妹を源信が蘇生させた場面。『源氏物語』手習<てならい>巻にも「横川僧都」とその母尼、妹尼が登場する(→20参照)。
えしんそうずえことばでん 3巻 法龍<ほうりゅう>著 [慶応2(1866)年]近江松島昌寿堂刊 縦26.1×横18.9cm 請求記号[296.5-821W-3] 源信<げんしん>(→24参照)の850年遠忌<おんき>に際し、比叡山の前大僧正豪海<ごうかい>が一代記制作を発願し、恵忍<えにん>・堯道<ぎょうどう>が法龍<ほうりゅう>に依頼して執筆させた源信伝の集大成。「絵詞伝<えことばでん>」というにふさわしく、多くの挿絵を備える。恵心僧都<えしんそうず>、横川僧都<よかわのそうず>とも称された源信(942~1017)は、比叡山で出家し良源に師事。主著『往生要集<おうじょうようしゅう>』(→26・27参照)は浄土教の基盤を確立し、平安時代の思想・文化にも深い影響を与えた。本書中に登場する源信の妹や母は、『続本朝往生伝<ぞくほんちょうおうじょうでん>』(→7参照)や『今昔物語集<こんじゃくものがたりしゅう>』などにも見える。 展示箇所は、源信が臨終間際の母と久々に対面した場面(挿絵)(第3冊5カット目)。『源氏物語』手習てならい巻にも「横川僧都」とその母尼、妹尼が登場する(20参照)。
けんちょうばん おうじょうようしゅう 3巻6冊 源信<げんしん>著 建長5年(1253)刊本 縦24.0×横15.0cm 請求記号[021-150-6] 源信(942〜1017)(→25参照)の主著で、寛和元年(985)成立。極楽と地獄の概念を明示し、極楽往生するための念仏の重要性を説く。成立翌年には中国の天台山国清寺にもたらされ、皇帝をはじめ多くの帰依者を得たという。本書は鎌倉時代に少なくとも3度刊行されており、そのうち本資料は完本として現存最古とされる建長版である。 展示箇所は、「建長五年」刊を明かす第六冊末の識語。
けんちょうばん おうじょうようしゅう 3巻6冊 源信<げんしん>著 建長5年(1253)刊本 縦24.0×横15.0cm 請求記号[021-150-6] 源信(942〜1017)(→25参照)の主著で、寛和元年(985)成立。極楽と地獄の概念を明示し、極楽往生するための念仏の重要性を説く。成立翌年には中国の天台山国清寺にもたらされ、皇帝をはじめ多くの帰依者を得たという。本書は鎌倉時代に少なくとも3度刊行されており、そのうち本資料は完本として現存最古とされる建長版である。 展示箇所は、第一冊の大文第一「厭離穢土」の冒頭。厭離穢土欣求浄土<えんりえどごんぐじょうど>の思想は、『源氏物語』橋姫<はしひめ>巻の「ただ厭<いと>ひ離れよとことさらに仏などの勧めおもむけたまふ」という宇治八の宮の言葉や、『紫式部日記』の「ただ阿弥陀仏にたゆみなく、経を習ひはべらむ。世の厭はしきことはすべてつゆばかり心もとまらず」といった文言にも確認できる。
わじえいり おうじょうようしゅう 3巻 源信<げんしん>著 寛政2年(1790)京都菱屋治兵衛刊 縦22.4×横15.5cm 請求記号[024.3-463-3] 漢文で書かれている『往生要集』(→26参照)をひらがな交じりの和文にし、挿絵を入れて読みやすく編集したもの。複数種ある本書のうち、本資料は元禄2年(1689)版をもとに再刻した寛政2年(1790)本。上巻が「地獄物語」、中巻が「六道物語」、下巻が「極楽物語」。このうち、展示箇所は上巻「地獄物語」の「第四 衆合地ごくの事」の挿絵。衆合<しゅごう>地獄とは殺生<せっしょう>、偸盗<ちゅうとう>、邪淫<じゃいん>を犯した者が堕ちる所で、挿絵が描いているのは邪淫の罪で堕ちる地獄の様子。 『源氏物語』には「地獄」の語は見えないものの、たとえば明石あかし巻に登場する罪に苦しむ故桐壺<きりつぼ>院の霊について、醍醐<だいご>天皇の堕地獄<だじごく>説話との関連が指摘されるなど、地獄へのまなざしをたしかに感知することができる。
じごく・ごくらくずえふく(じごくごくらくえず) 2幅 [江戸後期]墨摺・彩色 縦127.3×横58.5cm 請求記号[021.1-184-2] 天保14年(1843)版『和字絵入<わじえいり> 往生要集<おうじょうようしゅう>』の挿絵の板木<はんぎ>を利用して、江戸後期から明治時代にかけて制作された掛軸。4列6段で構成される2幅からなり、地獄と極楽とに分けてそれぞれの様子を描いている。絵解きの場などで用いられたものと推測される。 今回は第二幅の地獄図絵を展示する。3段目の両端の絵が「衆合<しゅごう>地獄」(→27参照)である。院政期になると、『源氏物語』の作者・紫式部は地獄に堕ちたとする説話(→32・33・34・35参照)が登場する。それは、『往生要集』によって定着した地獄・極楽の観念とそれらへの想像力が生み出したものの一つであろう。
じごく・ごくらくずえふく(じごくごくらくえず) 2幅 [江戸後期]墨摺・彩色 縦127.3×横58.5cm 請求記号[021.1-184-2] 天保14年(1843)版『和字絵入 往生要集』の挿絵の板木を利用して、江戸後期から明治時代にかけて制作された掛軸。4列6段で構成される2幅からなり、地獄と極楽とに分けてそれぞれの様子を描いている。絵解きの場などで用いられたものと推測される。 *この資料は電子展示のみです。会場での展示はありません。
にがびゃくどうず 1幅 墨摺・彩色 縦50.8×横41.3cm 請求記号[024.3-294-1] 善導<ぜんどう>『観無量寿経疏<かんむりょうじゅきょうしょ>』が説く「二河譬<にがひ>」を表現した仏画。法然<ほうねん>『選択本願念仏集<せんじゃくほんがんねんぶつしゅう>』や親鸞<しんらん>『顕浄土真実教行証文類<けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい>(教行信証<きょうぎょうしんしょう>)』にこの譬えが引用されて以降、作画されるようになった。水(貪欲<どんよく>)と火(瞋恚<しんに>=怒り)の二河に挟まれた白い細道を、極楽浄土に向かう道に譬えている。二河の上部が浄土(彼岸<ひがん>)、下部が穢土<えど>(此岸<しがん>)を表す。此岸(東岸)には送り出す釈迦<しゃか>が、彼岸(西岸)には迎える阿弥陀仏<あみだぶつ>がそれぞれ描かれる。尾張藩御用絵師・喜田華堂<きだかどう>(1802~79)の描いた「二河白道図」と酷似しており、関係が注意される。 中哲裕氏は、「煩悩<ぼんのう>の河を渡って彼岸に到る」という思想や仏画が紫式部の時代にあった可能性に触れつつ、『源氏物語』における浮舟<うきふね>物語を読み解いている(『源氏物語の主題と仏教』)。
あみだにょらいにじゅうごぼさつらいごうず 1紙 [江戸時代] 墨摺・彩色 縦42.7×横29.9cm 請求記号[024.301-24-12] 墨摺すみずりに手彩色てさいしきを施した一枚摺で、荘厳な阿弥陀二十五菩薩<あみだにじゅうごぼさつ>の来迎<らいごう>と富士山とを大きく描き、右下に横たわる往生者と看取り僧、左下に雲に乗った善導<ぜんどう>と法然<ほうねん>をそれぞれ配置し、さらに2人の間に「南無阿弥陀仏 義賢(花押)」と書かれている。義賢<ぎけん>(1785~1840)は富士山などを修行の場とした浄土宗の木食<もくじき>行者。阿部美香氏によると、本資料は「義賢行者現見感得之図<ぎけんぎょうじゃうつしみかんとくのず>」(個人蔵)と兄弟関係にあたり、阿弥陀来迎に預かる往生者こそが義賢その人であるという(「一枚摺の世界―その小釈の試み(9)」)。 『源氏物語』においても、「今はただ、迎ふる蓮はちすを待ちはべる」と阿弥陀来迎による極楽往生を信じる明石入道の姿が描かれている。
さがこうぶつえんぎ 1巻[江戸後期] 海雲<かいうん>写 縦27.7×横846.0cm 請求記号[021.1-204-1] 「嵯峨光仏<さがこうぶつ>」は嵯峨野の清涼寺<せいりょうじ>の阿弥陀三尊<あみださんぞん>像(国宝)。清涼寺の前身「棲霞寺<せいかじ>」の本尊で、本資料はその縁起(巻末に清涼寺の本尊、釈迦<しゃか>如来にかんする縁起も短く付す)を絵巻にしたもの。金霞引<きんかすみびき>の美しい料紙に金泥彩色<きんでいさいしき>の精写画が5図、末尾に「東武芝山宝松荼若釈海雲書」とある。同縁起の写本は、ほかに宮内庁書陵部図書寮<ずしょりょう>文庫の池底叢書<ちていそうしょ>所収「嵯峨光仏之縁起<さがこうぶつのえんぎ>」(本文のみ)が知られるばかりである。 棲霞寺は、河原<かわら>の左大臣・源融<とおる>(822~895、嵯峨天皇の皇子)の山荘「棲霞観<せいかかん>」を彼の死後に寺に改めたもの。『花鳥余情<かちょうよせい>』(→14参照)は、光源氏が建立した「嵯峨野の御堂<みどう>」(松風<まつかぜ>巻、若菜上<わかなのじょう>巻)について「棲霞寺に思なすらへ侍り」と注している。
第4章 伝説の中の〈紫式部〉
院政期、『源氏物語』が権威を高め、影響を強めていくにつれ、物語そのものだけでなく物語作者への関心も急上昇します。その結果、〈紫式部〉をめぐる新たな物語=伝説が登場します。伝説はいまも生きています。
第4章 展示資料一覧
しんちょくせんわかしゅう 1帖 藤原定家<ふじわらのさだいえ>撰 [室町中期]写本 縦25.3×横17.2cm 請求記号[021-585-1] 後堀河院の命によって藤原定家(1162~1241)が撰した第9番目の勅撰和歌集。文暦2年(1235)成立。20巻。表紙は雲龍金襴緞子<うんりゅうきんらんどんす>装。列帖装<れっちょうそう>。墨付181丁、一面10行、和歌一首1行書。奥書<おくがき>はない。巻十と巻十四に各2丁分の落丁<らくちょう>があり、計19首の歌を欠く。伝本系統は第一類本。紫式部の歌は5首入集<にっしゅう>している。 展示箇所は巻十・釈教<しゃっきょう>。権中納言藤原宗家<ごんちゅうなごんふじわらのむねいえ>(1139~89)の「法の雨に我もやぬれむゝつましきわか紫の草のゆかりに」(602)という歌の詞書に、「紫式部ためとて結縁経供養し侍ける所に薬草喩品ををくり侍とて」とある。地獄に堕ちた紫式部のために供養(→35参照)が行なわれていたという。なお、和歌中の「わか紫」は『源氏物語』の巻名「若紫<わかむらさき>」のこと。
げんじものがたりもくろくか 1冊 [後土御門院<ごつちみかどいん>]・飛鳥井雅親<あすかいまさちか>(栄雅<えいが>)・中院通秀<なかのいんみちひで>等詠 写本 縦28.8×横22.1cm 請求記号[913.36-43W-1] 写字台文庫 「源氏物語目録歌」とは『源氏物語』の巻名を題にした(詠み込んだ)和歌(歌集)の意。「源氏物語巻名和歌<げんじものがたりかんめいわか>」などとも。甘露寺親長<かんろじちかなが>(1424~1500)は応仁の乱で一度は失った『源氏物語』全巻を改めて書写し終えたことを祝い、文明18年(1486)に「源氏供養」(→35参照)を催した。本資料は、その際の詠歌記録である。参集した飛鳥井雅親(栄雅)や西園寺実遠<さいおんじさねとお>、中院通秀、冷泉為広<れいぜいためひろ>、三条西実隆<さんじょうにしさねたか>ら12名の歌人のほか、後土御門院や勝仁かつひと親王(後柏原ごかしわばら天皇)の歌も加えられている。伊井春樹氏によると、本資料が唯一の伝本。『源氏物語』54巻のうち、松風<まつかぜ>巻の歌を欠き、雲隠<くもがくれ>巻(巻名のみで本文なし)の歌を加えた54首からなる。 展示箇所には、「すま」(須磨<すま>巻)を詠んだ親長の歌が見える。
げんじくようひょうびゃく(げんじものがたりひょうびゃく) 1冊 [聖覚<せいかく>]著 [室町後期]写本 縦23.5×横16.4cm 請求記号[913.36-142W-1] 写字台文庫 「源氏供養」とは、『源氏物語』作者・紫式部が狂言綺語<きょうげんきぎょ>の罪により地獄で苦しんでいるという「紫式部堕地獄<だじごく>」伝説に基づく〈紫式部供養〉で、院政期から行なわれた。本書は、その供養の際に読み上げる、巻名を詠み込んだ文章。安居院<あぐい>聖覚の作とされるものの、確証なし。なお、本資料は石山寺所蔵本と同じく、「源氏歌数」「源氏名所」を付す。 展示箇所は表白の末尾。「南無西方極楽弥陀善逝ねかはくは狂言綺語のあやまりをひるかへして紫式部か六趣苦患をすくひたまへ南無当来導師弥勒慈尊かならす転法輪の縁としてこれをもてあそはん人を安養の浄刹にむかへたまへとなり」とあるように、紫式部だけでなく、物語を「もてあそはん人」=読者の救済をも願っている。
かかいしょう 20巻 四辻善成<よつつじよしなり>著 [江戸初期]写本 縦26.8×横19.4cm 請求記号[913.364-48W-10] 写字台文庫 『源氏物語』の注釈書。著者の四辻善成(1326~1402)は、順徳天皇の曾孫で、二条良基<にじょうよしもと>の猶子<ゆうし>となったのち臣籍降下して源姓を賜る。姉の娘(紀良子<きのよしこ>)は2代将軍足利義詮<よしあきら>の側室で、3代将軍義満<よしみつ>の母。本書では「正六位上物語博士源惟良」と名乗るものの、本書作成時は正二位。なお、「物語博士」は虚構の官職、「惟良」は光源氏の従者として活躍する「惟光<これみつ>」と「良清<よしきよ>」に由来するペンネーム。中書本<なかがきぼん>系統と覆勘本<ふっかんぼん>系統(→13参照)に大別される『河海抄』本文のうち、本資料は前者に属する。 展示箇所は巻一の「料簡<りょうけん>」冒頭、『源氏物語』の成立事情を記す部分。石山寺参籠時に新たな物語の構想が浮かんだ紫式部は須磨<すま>巻から書き始めた、という「石山寺起筆伝説」などを掲載。
ずいひつ(いしやまつきみき) 1冊 [三条西公条<さんじょうにしきんえだ>著] 写本 縦28.9×横22.3cm 請求記号[091-152W-1] 写字台文庫 天文24年(1555)8月14~21日、三条西公条(→16参照)が大覚寺義俊<だいかくじぎしゅん>・宗養<そうよう>・紹巴<じょうは>とともに石山寺に赴き、観月と千句連歌(石山千句)の会を催し、さらに百韻連歌や名号和歌を詠じた“石山月見行”の記録。本資料は、群書類従本や公条自筆と見られる石山寺所蔵本と比較すれば明らかなように、後半の記事を欠く。 展示箇所は本資料の冒頭。石山月見行のきっかけは、前年秋に公条が『源氏物語』講釈をした際、「或説」として「紫式部は石山寺で物語を起筆した」という『河海抄<かかいしょう>』に載るような話(→36参照)を取り上げたことだったという。文中には、現在の石山寺にもある「源氏のま(間)」という語が見える。
こげつしょう 60冊 北村季吟<きたむらきぎん>著 延宝元年(1673)跋 京都風月荘左衛門刊 縦26.8×横19.0cm 請求記号[913.364-59W-60] 『首書源氏物語<しゅしょげんじものがたり>』(→23参照)と同じく、頭注と本文からなる『源氏物語』注釈書で、近代まで最も広く長く流布したテキストでもある。本文の底本は慶安3年本『絵入<えいり>源氏物語』(→11 参照)と見られる。従来の諸注を取捨選択して集成し、古注釈(江戸時代までの注釈)史上の劃期<かっき>をなす。書名は「石山寺起筆伝説」(→36参照)に基づく。著者の北村季吟(1624~1705)は俳人・歌人・国学者。『伊勢物語拾穂抄<いせものがたりしゅうすいしょう>』『徒然草文段抄<つれづれぐさもんだんしょう>』『枕草子春曙抄<まくらのそうししゅんしょしょう>』『八代集抄<はちだいしゅうしょう>』など著書多数。 展示箇所は、「発端」の「此物語之発起」。『源氏物語』の成立事情の諸説を掲載する(「明星(または明)」は三条西公条さんじょうにしきんえだ(→16参照)の注釈書『明星抄みょうじょうしょう』の略号)。
しかしちろん 1冊 附図1巻 安藤為章<あんどうためあきら>著 元禄16年(1703)跋 刊本 縦18.2×横12.2cm 請求記号[913.36-42W-1] 写字台文庫 『源氏物語』の評論書。紫式部と物語について、「才徳兼備」「修撰年序」「一部大事」「正伝説誤」など7つの論点に分けて論述。従来の注釈書にも載る伝説付会を徹底批判し、『紫式部日記』を主要な論拠に実証する“作家論”は、本書が開拓した新分野で、爾後<じご>の研究に大きな影響を与えた。著者の安藤為章(1659~1716)は、徳川光圀<みつくに>に招かれて水戸藩彰考館<しょうこうかん>の寄人<よりゅうど>となり、『大日本史<だいにほんし>』の編纂<へんさん>等に携わった。自跋<じばつ>によれば、本書執筆の契機となった『紫式部日記』との出会いは彰考館においてであったという。 展示箇所は「正伝説誤」。「日記をくはしく見る人は、さらに此妄説にまよふへからす」という言葉に、本書の特徴が端的に表われている。
第5章 描かれた〈紫式部〉と『源氏物語』
徳川・五島本「源氏物語絵巻」(国宝)を先蹤(せんしょう)とする『源氏物語』の絵画化により、物語世界を視覚的に鑑賞できるようになりました。一方、〈紫式部〉も日記や伝説に基づく肖像画が描かれるようになります。視覚化された〈紫式部〉の物語の最新版が、2024年の大河ドラマです。
第5章 展示資料一覧
ぜんぞうほんちょうここんれつじょでん(ほんちょうれつじょでん) 10巻6冊 黒沢くろさわ(安部)弘忠ひろただ著 寛文8年(1668)平安文徳堂刊 縦25.5×横18.4cm 請求記号[481-78W-6] 日本史(含、神話・伝説)上の「列女れつじょ」(貞女節婦ていじょせっぷ)計217人の伝記集成。全編漢文で書かれ、それぞれ伝記に頌しょう(美徳を讃える詩)と図(肖像挿絵)を付す。 展示箇所は、巻三「孺人伝」の中の「紫式部 付大弐三位」。なお、文中に、帝から「香炉峰ノ雪ハ如何」と問われた紫式部が御簾みすを捲まき上げたという話を載せるものの、むろんこれは『枕草子まくらのそうし』「雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子みこうしまゐりて」の章段が描く清少納言せいしょうなごんのエピソードで、挿絵も同様に誤る。ちなみに、本書は清少納言を取り上げていない。また、娘の大弐三位だいにのさんみだいを『狭衣物語さごろもものがたり』の作者とするのは、古くに唱えられていた説(現在は六条斎院禖子ばいし内親王家に仕えた宣旨せんじとするのが定説)。
ぜんぞうほんちょうここんれつじょでん(ほんちょうれつじょでん) 10巻6冊 黒沢くろさわ(安部)弘忠ひろただ著 寛文8年(1668)平安文徳堂刊 縦25.5×横18.4cm 請求記号[481-78W-6] 日本史(含、神話・伝説)上の「列女れつじょ」(貞女節婦ていじょせっぷ)計217人の伝記集成。全編漢文で書かれ、それぞれ伝記に頌しょう(美徳を讃える詩)と図(肖像挿絵)を付す。 展示箇所は、巻三「孺人伝」の中の「紫式部 付大弐三位」。なお、文中に、帝から「香炉峰ノ雪ハ如何」と問われた紫式部が御簾みすを捲まき上げたという話を載せるものの、むろんこれは『枕草子まくらのそうし』「雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子みこうしまゐりて」の章段が描く清少納言せいしょうなごんのエピソードで、挿絵も同様に誤る。ちなみに、本書は清少納言を取り上げていない。また、娘の大弐三位だいにのさんみだいを『狭衣物語さごろもものがたり』の作者とするのは、古くに唱えられていた説(現在は六条斎院禖子ばいし内親王家に仕えた宣旨せんじとするのが定説)。
じゅうじょうげんじ 10巻10冊 野々口立圃ののぐちりゅうほ著画 [明暦年間(1655~58)頃か)]刊 縦27.8×横19.5cm 請求記号[913.36-47W-10] 写字台文庫 『源氏物語』の梗概こうがい書で、挿絵131図を有する。自跋じばつから承応3年(1654)成立とする従来説に対して、初刊が慶安年間(1648~52)を下らないとする新説が有力。その場合、本書の刊行が、『源氏物語』最初の挿絵入り板本はんぽんである山本春正しゅんしょうの慶安3年本『絵入えいり源氏物語』(→11参照)以前だった可能性が生じる。著者の野々口立圃(1595~1669)は俳諧師で、春正とともに松永貞徳ていとく門下。本書は俳諧のための参考書だったとも推測される。本資料は自跋無刊記本で、新説に基づけば明暦年間(1655~58)あたりの刊行か。 展示箇所は巻一冒頭、「石山寺起筆伝説」による紫式部像。参籠中の紫式部が琵琶湖に映る月を観て物語を着想し、文机ふづくえに硯すずりを置いて筆を執り、大般若経だいはんにゃきょうの裏に書き付ける場面。
しゅうこじっしゅ 82冊 [松平定信まつだいらさだのぶ編] 刊本 縦39.1×横26.5cm 請求記号[410.07-22W-82] 写字台文庫 松平定信(1759~1829)が編纂へんさんした古宝物図録集。全85巻。古画、扁額へんがく、文房、碑銘ひめい、鐘銘しょうめい、銅器、兵器、法帖ほうじょう、楽器、印章の10種について、谷文晁ぶんちょう(1763~1841)らが実物を模写したものに所在や寸法を記したもので、1859点収載。序から寛政12年(1800)成稿と推定される。 展示箇所は、「古画 肖像五」の「紫式部像」。かつて紫式部肖像画の最古例とされていた石山寺蔵「紫式部図」(伝狩野孝信かのうたかのぶ画)の模写。ただし、原画に描かれている硯箱すずりばこと紙は省かれている。『十帖源氏じゅうじょうげんじ』(→43参照)の挿絵と比べ、本資料は執筆行為を象徴する「筆」を右手に持つしぐさのみによって、『源氏物語』作者としての紫式部を表現する。
げんじものがたりびょうぶ 6曲1隻 [江戸中期]作 縦170.0×横375.5cm 請求記号[021-609-1] 絵師は不明。12枚の絵は、残念ながら落剝らくはくが散見されるものの、すやり霞がすみに金銀箔きんぎんぱくを散らし、画面一杯に上質の絵具を用いて描いている。本屛風は改装されたもので、各絵の寸法が縦55cm、横22cmと大型なことから、もとは高さ70cmほどの屛風(6曲1双)に貼られていた可能性がある。 画は、第一扇・上が花散里はなちさと巻か、下が浮舟うきふね巻、第二扇・上が須磨すま巻、下が空蟬うつせみ巻、第三扇・上が桐壺きりつぼ巻、下が蓬生よもぎう巻、第四扇・上が篝火かがりび巻、下が薄雲うすぐも巻、第五扇・上が澪標みおつくし巻か、下が明石あかし巻、第六扇・上が若紫わかむらさき巻、下が葵あおい巻か。場面を特定する上での指標が欠ける絵もあり、巻の特定にはなお議論の余地があるものの、おおよそ「源氏絵」として有名かつ典型的な絵柄である。
げんじえ 3巻 狩野探信かのうたんしん筆 [江戸後期]作 各巻 縦32.0×横338.0cm 請求記号[021.1-188-3] 『源氏物語』を題材とした絵巻(残欠)。第一巻は桐壺きりつぼ~若紫わかむらさきの5帖、第二巻は末摘花すえつむはな~賢木さかきの5帖、第三巻は花散里はなちさと~蓬生よもぎうの5帖、計15帖のそれぞれ一場面を描く。すやり霞がすみに金箔きんぱくを散らし、色彩は濃厚、描線は繊細。邸内の描写には伝統的な吹抜屋台ふきぬきやたいの技法を用い、全体として典雅で優艶な色調を湛えた絵巻である。絵師の狩野探信(守道、1785~1835)は、江戸幕府御用絵師の鍛冶橋かじばし狩野家の第七代。 展示箇所は、夕顔ゆうがお巻、若紫巻、澪標みおつくし巻。若紫巻の絵柄は狩野探幽たんゆう「源氏物語屛風」(宮内庁所蔵)と特に類似する。先祖の探幽の絵に学んだという探信ならではとも言えよう。澪標巻は光源氏の住吉参詣の場面で、海上の小舟には紫式部の自画像ともいわれる明石君あかしのきみを描く。
げんじえ 3巻 狩野探信かのうたんしん筆 [江戸後期]作 各巻 縦32.0×横338.0cm 請求記号[021.1-188-3] 『源氏物語』を題材とした絵巻(残欠)。第一巻は桐壺きりつぼ~若紫わかむらさきの5帖、第二巻は末摘花すえつむはな~賢木さかきの5帖、第三巻は花散里はなちさと~蓬生よもぎうの5帖、計15帖のそれぞれ一場面を描く。すやり霞がすみに金箔きんぱくを散らし、色彩は濃厚、描線は繊細。邸内の描写には伝統的な吹抜屋台ふきぬきやたいの技法を用い、全体として典雅で優艶な色調を湛えた絵巻である。絵師の狩野探信(守道、1785~1835)は、江戸幕府御用絵師の鍛冶橋かじばし狩野家の第七代。 展示箇所は、夕顔ゆうがお巻、若紫巻、澪標みおつくし巻。若紫巻の絵柄は狩野探幽たんゆう「源氏物語屛風」(宮内庁所蔵)と特に類似する。先祖の探幽の絵に学んだという探信ならではとも言えよう。澪標巻は光源氏の住吉参詣の場面で、海上の小舟には紫式部の自画像ともいわれる明石君あかしのきみを描く。
げんじえ 3巻 狩野探信かのうたんしん筆 [江戸後期]作 各巻 縦32.0×横338.0cm 請求記号[021.1-188-3] 『源氏物語』を題材とした絵巻(残欠)。第一巻は桐壺きりつぼ~若紫わかむらさきの5帖、第二巻は末摘花すえつむはな~賢木さかきの5帖、第三巻は花散里はなちさと~蓬生よもぎうの5帖、計15帖のそれぞれ一場面を描く。すやり霞がすみに金箔きんぱくを散らし、色彩は濃厚、描線は繊細。邸内の描写には伝統的な吹抜屋台ふきぬきやたいの技法を用い、全体として典雅で優艶な色調を湛えた絵巻である。絵師の狩野探信(守道、1785~1835)は、江戸幕府御用絵師の鍛冶橋かじばし狩野家の第七代。 展示箇所は、夕顔ゆうがお巻、若紫巻、澪標みおつくし巻。若紫巻の絵柄は狩野探幽たんゆう「源氏物語屛風」(宮内庁所蔵)と特に類似する。先祖の探幽の絵に学んだという探信ならではとも言えよう。澪標巻は光源氏の住吉参詣の場面で、海上の小舟には紫式部の自画像ともいわれる明石君あかしのきみを描く。
げんじものがたりえまき 1巻 土佐光貞とさみつさだ画 文化2年(1805)作 縦27.0×横1388.5cm 請求記号[022.1-205-1] 『源氏物語』を題材とした絵巻(残欠)。少女おとめ~夢浮橋ゆめのうきはしの34帖のそれぞれ一場面を描く。ただし、少女巻と蛍ほたる巻は位置(巻序)が入れ替わっており、また椎本しいがもと巻の絵柄が橋姫はしひめ巻のかいま見場面となっているなど、物語理解に疑わしいところもある。全体として慶安3年本『絵入えいり源氏物語』(→11参照)の挿絵に似る。巻末の「文化二年冬日 光貞」によれば、画師は土佐光貞(1738~1806)か。 展示箇所は手習てならい巻と夢浮橋巻で、両場面とも『絵入源氏物語』の挿絵と比較的類似している。手習巻、小野の庵いおりで手習をする浮舟うきふねは、石山寺で『源氏物語』を起筆する紫式部(→43参照)にも通じる「書く女」の姿である。
そのすがたゆかりのうつしえ 1帖 歌川国貞うたがわくにさだ(三代豊国さんだいとよくに)画 [江戸末期~明治時代]刊 縦15.6×横21.3cm 請求記号[022-754-1] 『源氏物語』を題材とした錦絵にしきえ。柳亭種彦りゅうていたねひこ『偐紫田舎源氏にせむらさきいなかげんじ』の挿絵を描いた歌川国貞(三代豊国、1786~1864)は、その挿絵も用いつつ、さまざまな源氏絵を生み出した。その一つに「其姿紫そのすがたゆかりの写絵うつしえ」(嘉永5年〔1852〕泉市〔和泉屋市兵衛〕刊)がある。物語各巻をモチーフに一場面ずつ描いた、54枚揃いの横大判錦絵一枚物シリーズである。本資料は、それらを用いて作られた縮緬ちりめん絵(細かい皺しわ加工を施した絵)の揃いを綴じたもの。 展示箇所は、夕顔ゆうがお巻と若紫わかむらさき巻。前者に見える江戸時代の要素を消せば、伝統的な夕顔巻の源氏絵(→46参照)との近さがよくわかる。障子や提灯の模様は、組香くみこう(複数の香を聞き当てる遊戯)の一つである「源氏香げんじこう」で用いる図形のうちの「夕顔」である。
展観情報
★対面展観 ※終了しています。
龍谷大学図書館2023年度特別展観
― 中古文学会 2023年度秋季大会開催記念 ―
<紫式部>の物語
開催期間 : 2023年10月12日(木)~10月19日(木) ※土日を除く
開催時間 : 10:00~17:00 (最終入場 16:30)
開催場所 : 龍谷大学大宮キャンパス 本館1階 展観室
アクセス : 大宮キャンパスへのアクセスページをご覧ください。
ご来場について :
・入場は無料です。
・学内・学外の方いずれも事前予約は不要です。
・駐車場はありません。公共の交通機関をご利用ください。
・最新情報は図書館HPやX(旧Twitter)にてご確認ください。
★Web展観
龍谷大学図書館2023年度特別Web展観
― 中古文学会 2023年度秋季大会開催記念 ―
<紫式部>の物語
開催期間 : 2023年10月12日(木)より こちらのHP にて公開中
関連リンク
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- 龍谷大学図書館 貴重資料画像データベース「龍谷蔵」
龍谷大学図書館が所蔵する古典籍等の貴重資料を中心に全頁画像データを順次公開するサイトです。
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- 龍谷大学図書館 展観図録
龍谷大学図書館主催の展観等で配布した図録バックナンバーのうち、著作権者等の了解が得られた図録を公開します。
- 龍谷大学大宮図書館 2023年度特別Web展観 〈紫式部〉の物語
2023年10月12日(木)~10月19日(木)に開催しました 「龍谷大学図書館2023年度特別展観 <紫式部>の物語」のWeb版です。
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