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2024年度 茨城大学図書館企画展「光圀と斉昭」

展示にあたって

茨城大学図書館では茨城県域の歴史や文化にかかわる重要な資料を「地域資料」として収集しています。本企画展ではこれまで収集した資料から、水戸藩主の中でも良く知られる二代徳川光圀と九代徳川斉昭に関連する資料を展示します。

光圀が始めた歴史編さん事業

水戸藩主徳川家が編纂し、明治維新以後は同家が事業を継続して完成した漢文の歴史書。徳川光圀が明暦三年(一六五七)に江戸の藩邸に史局を設けて、編纂事業を進めた。中国の正史の体裁にならい、紀伝体で書かれる。

 古文書、記録などの調査は、元禄六年(一六九三)までに主なだけでも一三回行われ、京都・奈良を中心に九州・北陸・東北まで及んだ。

 光圀はじめ編纂を担当した儒学者たちは「人間社会の動きは天の理法に支配されているのであるから、客観的な事実をありのままに記述すれば、そこにおのずから歴史を貫く天の理法が人々の前に示され、これが道徳上の教訓ないし政治上の鑑戒になる」と考えていた。

大日本史 志
https://digitalcollection.lib.ibaraki.ac.jp/kan-kokusho/001000101586/

1 大日本史

(菅文庫)

四一冊

縦二五・七㎝×横一七・七㎝

明治二一年(一八八八)刊


光圀の言行録

徳川光圀の言行録で、一般に「西山遺事」または「桃源遺事」として知られる書の写。

 西山遺事は光圀に仕えた三木之幹(光圀を養育した家老三木之次の孫)、宮田清貞、牧野和高らにより、光圀が没した翌年の元禄一四年(一七〇一)に編集された。

 光圀に関する逸話が記され、また本書のみが伝える事跡も多く、光圀の伝記史料として価値が高い。和文で書かれているため光圀の伝記の中では最も広く流布し、後世の光圀像の形成に大きな影響を及ぼした。

西山遺事(桃源遺事)
https://digitalcollection.lib.ibaraki.ac.jp/kan-kokusho/001000101881/

2 西山遺事(桃源遺事)

(菅文庫)

 一冊

縦二八・〇㎝×横一九・五㎝

江戸中期写

将軍様はご満悦

徳川光圀の書状。御即位が無事に済み、「公方様(将軍)」がご満悦でめでたいと記している。差出部分には光圀の個性的な花押が据えられている。

 宛先の「稲垣安芸守」は貞享二年(一六八五)から若年寄を務めた稲垣重定で、「御即位」は東山天皇の即位を指すものと考えられることから、本書状は貞享四年(一六八七)と比定できる。四月の即位式の後に書かれたものであろう。五代将軍徳川綱吉は即位式が無事に済んだことに満足しており、光圀も喜んでいたことがわかる。

徳川光圀書状

3 徳川光圀書状

【新収蔵史料】

一幅

本紙 縦一七・七㎝×横四七・八㎝

貞享四年(一六八七)ヵ 五月六日

大津浜にイギリス人上陸・・・水戸藩の危機意識は?

ペリー来航の三〇年前、文政七年(一八二四)五月、英国の捕鯨船員一二人が大津浜(現北茨城市)に上陸する大津浜事件が発生した。この事件に際して、水戸藩側から筆談役として派遣されたのが儒学者の会沢正志斎である。

 本史料は一般に「諳夷問答」として知られ、会沢らが筆談を通して上陸の目的を尋問した内容が記されている。「庚申」は誤りで正しくは甲申。「諳夷」はイギリス人の意味である。

 当時の会沢はアルファベットや数字を

 A(ア) B(ベ) C(セ)

 1(ワン) 2(テウ) 3(フレイ)

と聞き取っていたことがわかる。

庚申諳夷大津上陸記事 
https://digitalcollection.lib.ibaraki.ac.jp/kan-kokusho/001000102157/

4 庚申諳夷大津上陸記事

(菅文庫)

一冊

縦二八・〇㎝×横一九・五㎝

天保一三年(一八四二)三月二一日写

お殿様の帰国

水戸下市御用留は、水戸下市本町の町年寄であった佐藤家の町方の基本記録二九冊。延宝五年(一六七七)~天保一二年(一八四一)の一六五年間に及ぶ。その内容は、幕府・藩が公布した法令、町奉行で出した法令、幕府巡検使の接待、水道の整備、御用金や諸上納物関係など多岐にわたる。

 斉昭は文政一二年(一八二九)に九代藩主に就任した後、水戸への帰国を計画、水戸城下でも帰国に向けての準備を進めた。御用留にはその様子が記載されている。

 斉昭が水戸城に着城したのは天保四年(一八三三)三月五日であった。町人たちの斉昭への思いがわかる記述もある。

御用留帳(水戸下市御用留)

5 御用留帳(水戸下市御用留)

(佐藤家文書)

一冊

縦二四・〇㎝×横一六・五㎝

天保四年(一八三三)二月

弘道館はどうあるべきか

斉昭から儒学者の佐藤一斎宛の書簡。藩校弘道館の設立にあたり、その指針を示す弘道館記の内容について相談したものである。

 佐藤一斎は江戸幕府直轄である昌平坂学問所の教授を務めた儒学者である。本書の日付は九月三日で、一斎から斉昭に返信した書簡の存在から、年代は天保八年(一八三七)であると考えられる。

 文と武、孔子、鹿島神社などについての斉昭の考えが記されるほか、末尾には一斎の思う通りに添削をして欲しいこと、また政事に関わることであるため弘道館ができるまでは他人に見せないようにとも書かれている。

徳川斉昭書簡
https://digitalcollection.lib.ibaraki.ac.jp/nariaki-shokan/001001000001/

6 徳川斉昭書簡

一巻

縦一七・〇㎝×横一三二・五㎝

天保八年(一八三七)ヵ 九月三日

家康・光圀・斉昭の遺訓

 徳川家康・徳川光圀・徳川斉昭、それぞれが残したことばを記した書。常陸国茨城郡高野村(現茨城県東茨城郡城里町錫高野)の黒澤家文書中のものである。斉昭の無実を訴えようと単身上京した尊王の志士として、また教育者としても知られる黒澤ときの曾孫、黒澤峰三郎による筆と考えられるもの。

家康公御遺訓・光圀卿処世八ヶ条・斉昭卿処世訓

7 家康公御遺訓・光圀卿処世八ヶ条・斉昭卿処世訓

(黒澤家文書)

一枚

縦一二一・〇㎝×横六一・五㎝

年未詳

弘道館建学の精神と教育方針

斉昭の草稿をもとに、藤田東湖が起草した「弘道館記」が完成すると、斉昭は三メートル以上に及ぶ巨大な寒水石にこれを刻し、特大の唐紙に拓本をとって広く配布した。碑文を忠実に刻した木版刷も存在する。黒澤家がこの拓本を手に入れていたことは興味深い。

*11月10日のみ展示します。


8 弘道館記碑拓本

(黒澤家文書)

一枚

縦三五〇・〇㎝×横二一〇・〇㎝

(天保九年・一八三八)


展覧会情報

2024年度 茨城大学図書館企画展(会期終了)

「光圀と斉昭」

会期 2024年11月6日(水)~11月10日(日) 会場 図書館本館1階展示室

❖資料解説・編集 千葉真由美

❖資料解説・展示パネル作成

宇野伶香、鈴木孝明、生井雅久、石塚響太

五十嵐英成、石川尊、石田瞳、大塚涼馬、柏木彩希、黒須あかり、篠崎亮介、千葉清花、谷颯太

濵野寛之、吉田新、舘野大輝、渡邉泉咲

❖主要参考文献 鈴木暎一『徳川光圀』(吉川弘文館,2006年) 永井博『徳川斉昭』(山川出版社,2019年)


《ギャラリートーク(終了)》

 11月10日(日)13:30~15:00

 講師:千葉真由美(図書館副館長)

 会場:図書館ライブラリーホール/1階展示室

お問い合わせ先

茨城大学水戸キャンパス 図書館本館

 〒310-8512水戸市文京2-1-1

  TEL:029-228-8076/Mail:ser-lib01@ml.ibaraki.ac.jp

 最新情報は、茨城大学図書館webサイト

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