女学生と女制服博物館
電車に乗っていると女子高生や女子中学生を見ることがあります、とても綺麗でした。しかし私はある日気づいてしまいました。それは、制服自体が綺麗ということです。首元のかわいらしいリボンまたはクールなネクタイ、落ち着いた黒い上着から隠れ見える白いシャツ、花のように広がる可憐なスカート、落ち着いた雰囲気を与えるボタン、ズボンもどこかボーイッシュな感じがしていいですよね。
制服の魅力はここでは語りきれませんが火薬、羅針盤、活版印刷術に並ぶ人類の叡智の結晶であることは間違いないです。
この展示は明治から平成初期に至るまでの制服の写真を大まかに集めたものです。制服も時代に合わせて変遷していくということと、制服はうつくしいということをわかってもらえると嬉しいです。
展示
亀井至一筆,By Kamei Shiichi (1843-1905),東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>明治18年(1885)に創設された華族女学校(後の学習院女子部)で「本校の生徒たる者は袴を着し、靴を穿くべし」と定められた。女子教育の普及にともなって、これを規範に女袴に洋靴という女学生の服装が普及した。<br /><br />亀井至一は横山松三郎に洋画と石版画を学び、第一回内国勧業博覧会に「上野徳川氏家廟之図」を出品、その後博覧会でたびたび入選した。特に風俗画と美人画に優れ、矢野龍溪『経国美談』など小説の挿絵など幅広く活躍した。<br /></p>
館長からの一言 袴に洋靴というのはハイカラというファッションです。最初の制服は洋装だったのですが袴に落ち着きました。これが最初の日本独自の女制服です。
館長からの一言 これは明治、もしくは大正の時代のもので、女生徒が当時の天皇の病気が治るよう祈っている写真です。前の絵の制服の補足のために選びました。
高岡駅に向かって左手にて、日の丸の小旗を持った女学生たちが、兵士が乗った出征列車を見送る風景。当時は各地でこのような見送りの風景がみられた。
館長からの一言 戦前の女制服です今とあまり変わらないスタイルになっています。このスタイルは大正九年ごろからだと考えられます。
南城市教育委員会
旧佐敷町所蔵。撮影場所不明。沖縄戦前の女学生の主な進学先は、沖縄師範学校女子部、沖縄県立第一高等女学校、沖縄県立第二高等女学校、沖縄県立首里高等女学校、沖縄県積徳高等女学校、私立昭和女学校などであった。
館長からの一言 戦前の沖縄の制服の写真です。沖縄だからといって本州と違いはありません
南城市教育委員会
1950年代初期。 少女とバス。 那覇市安謝。左手に見える2階建ての瓦屋根の建物は生房薬局本店。左手奥に見える建物は沖縄食糧株式会社。 Early 1950’s A girl and a bus Aja, Naha city 寄贈者:ギルバート・E・クリスターソン夫人 Contributor: Mrs. G. E. Christersson
館長からの一言 これが戦後の沖縄の女子制服です。戦前のものに比べ色は白でノースリーブ、半ズボンになっています(おそらく夏服)。戦前のものは黒くて長袖だったのでこっちの方が涼しそうですね。
館長からの一言 これは戦時中の写真です。銃後の女学生が何をしていたかを伝えるとともに、当時の華々しいとは言えない制服を見せるために選びました。
館長からの一言 これも戦時中の女学生です。白兵戦の訓練の他にも戦争を支えるために工場で勤務していました。ここに青春はありません。
片桐恒平(山古志) カラー 35mmネガフィルム
1990(平成2)年5月12日、長岡市山古志虫亀 三石川付近 山古志中学校へ登校途中(虫亀の女学生)
館長からの一言 1980年台から主流になったブレザー制服です。リュックを持っているようですね。こんな写真どこで撮ったのか、、、。
女制服
展示をみてあなたはどう感じましたか?幸せでしたか?辛かったですか?何も感じませんでしたか?どうあれ人の好みの問題なので咎めることはしません。ただ、もし見てて幸せだった、楽しかったと感じたらぜひ自分でも調べてみてください。さて、この展示で分かる通り制服は時代とともに進化しています、五十年後の制服はいったいどうなっているのでしょう、誰にもわかりません。ひょっとしたら加速用のブースターがついているのかもしれませんし、そもそもなくなっているのかもしれません。未来も同じです。未来も先が見えません。つまり制服は未来なのです。皆さんは駅で、道で、未来観測ができるというわけです。皆さんも制服に着目して生活してみてくださいね。
イベント1 女子制服展
場所:当博物館
予定日:2月20日
イベント2 実際に来てみよう!制服着用体験
場所:未定
予定日:未定
内容:制服を着て、どのような着心地かを体験するイベントです。
