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〜零戦〜 皇紀2600年生まれの「大空のサムライ」

館長の挨拶

 皆さんこんにちは。

 “零戦“その名前は聞いたことがあっても詳しくは知らない人も多いのではないでしょうか?今回は僕がジャパンサーチで見つけた物を素人ながらまとめさせていただきました。

 是非見てください! (ゆっくりしていってね!)


展示の趣旨

 この展示をするにあたっていろいろなことをジャパンサーチや本などで調べました。

その時にこの零戦の栄光の裏に当時虐げられ、怯えていた人々(軍人、民間人問わず)もいることでしょう。 

戦争はダメなことですがここではそのようなことを抜きにして単純にこの零戦という飛行機がどのような物なのか、またどのような人が作ったのかそのようなことを詳しく展示しようと思い、このテーマにしました。

展示品

  • This bullet can stop a Zero!

    Genesee Tool Company

    館長からの一言

    これはアメリカ軍が制作したプロパガンダ(民衆の考えを操作するために使われやすい手段の一種)のポスターでタイトルには「この弾丸がゼロ(零戦)を止めることができる」と書いてある。このことから零戦が太平洋戦争初期で連合軍に恐れられる対象になってたと考えられる。

  • 堀越二郎(試作機木型前)

    館長からの一言

    零式艦上戦闘機(零戦)の設計主任者の堀越二郎氏(次回以降敬称略)と同じ三菱の設計陣との写真。画面奥に見えるのは零戦の木造試作機堀越氏は画面むかって中央の人物である。

  • 十二試艦上戦闘機

    館長からの一言

    零戦はもともと昭和十二年に配布された「十二試艦上戦闘機 海軍計画要求書」という書類を通して十二試艦上戦闘機の名前で海軍から三菱や中島などの民間企業に委託して設計、開発、製造などが進められていた。零戦の名前は皇紀(初代神武天皇が即位した年から数えて)2600年に完成したのでその下二桁をとって、命名された。零戦の一つ前の他の九六試艦上戦闘機なども同じ命名方法である。

    また、この写真の博物館がある岐阜県各務原には戦時中に三菱の飛行実験場があり十二試艦上戦闘機もそこで飛行に関するテストなどを度々行い、記録を採ったりしていた。

  • 「九五式海軍艦上戦闘機」

    撮影者不明 モノクロ プリント70×102mm

    1936(昭和11)年 福島県金山町 G家アルバム 戦前の写真を中心とした家族アルバムより 「九五式海軍艦上戦闘機」販売写真 九五式海軍艦上戦闘機(1936-) 館長からの一言

    零戦以前の世界の艦上戦闘機は布張りの複葉機(主翼が2枚あるタイプ)が多く、零戦開発当時は全金属製の単葉機(主翼が一枚のタイプ)は珍しかったが零戦以降全金属製に徐々に移行していった。写真は零戦より約5年前の日本の艦上戦闘機の一つ、九五式海軍艦上戦闘機である。

  • 貴島正明写真(戦闘機上にて)

    館長からの一言

    零戦とは少し話が逸れるが慶應生の話も。

    写真の人物は貴島正明氏で、1945年4月6日に撮影された写真である。貴島氏は幼稚舎から進学し昭和一八年に経済学部を卒業されている。僕らの先輩にも戦争の当事者がいたことも頭の片隅に置いておきたい。残念ながらこの戦闘機の特定は難しいが、複葉機ではなさそうなので零戦、もしくはそれより後の機種だと考えられる。

展示を見た人へ

 皆さん、いかがでしたでしょうか?満足していただけたかどうかはさて置き、今回の展示を行うにあたっていろいろなことを調べ、間違いはないと思いますが、もし間違っている場所などがあったら指摘していただけたらありがたいです。

見ていただた皆さんには是非これを機に零戦や他の戦闘機などに興味を持っていただけたら幸いです。

また他のことでも好きなことを極めるのは大切だと思うので頑張ってください!

ちなみに僕が好きな戦闘機はもちろん零戦です!(現代だったらF35←まだよく知らないけど)