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東海道の各地の様子

【館長からの挨拶】

この度は私のギャラリーに足を運んでいただきありがとうございます。このギャラリーでは江戸時代の当時の東海道の各地の様子を絵に描いたものやそれに関する文化財を展示しています。

【この展示について】

江戸時代後期の化政文化が発達した時期である19世紀に描かれた絵やそれに関する文化財などを展示しています。

東海道を描いた絵やそれに関する作品について

  • 東海道 日本橋

    歌川国貞(初代)/画 片田彫長/彫師

    【館長からの一言】

    この絵は東海道の始点である日本橋を登る将軍の行列の様子を描いた絵です。こちらに近づいてくる様子が伺える帽子だけが見えていますが旗が完全に垂直に掲げられているのが見えます。こちらから見ていると橋はとても空いていて、橋の高さなども実際よりも大げさに描かれているように見えます。また、赤や青の色のグラデーションが綺麗な絵で、とても鮮やかに見えます。

    この絵は1863年、第14代将軍徳川家茂が京都へ行く様子を描いた錦絵のシリーズの一つです。「東海道名所風景」などと呼ばれています。16人の絵師と25件にのぼる書物の発行所が競って版行しました。


    参考

    https://egenolfgallery.com/ja/products/%e5%9b%bd%e8%b2%9e-%e6%97%a5%e6%9c%ac%e6%a9%8b-%e6%97%a5%e6%9c%ac%e6%a9%8b-%e6%9d%b1%e6%

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  • 【館長からの一言】

    これは箱根関所を通過する大名行列を描いたもので、上洛東海道の一部です。大傘の元馬に乗った家臣たちを関所役人が下座をして迎えている絵です。大名行列に向かって下座をする関所役人の多くは下級武士で、自分たちより身分の高い大名や大名の臣下に下座をしなければいけませんでした。

    まず、関所というのは入鉄砲出女の厳しい監視、身分を問わず通行の監視をする役割や、人だけでなく物流も監視し、また不審人物などの情報を江戸へ送るという情報機関もしており、そのようなたくさんの仕事をこなし交通を監視していた関所は江戸時代が終わるまで機能し、残っていました。

    この絵は、身分制度という江戸社会の一部を表していて見てわかりやすい絵であったので展示しようと思いました。


    参考

    https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/453399

  • 染付東海道五十三次図大皿

    伊万里,平野耕輔氏寄贈,Gift of Dr. Hirano Kosuke,東京国立博物館,Tokyo National Museum

    <p>江戸後期の伊万里の染付大皿は意匠の面白さに格別のものがある。この大皿は日本橋を出発点とし、品川から大津までの五十三の宿場と終点にあたる三条大橋までの東海道が題材とした。円形の中にはそれぞれの宿場の風景を描いて、双六仕立てとなっている。<br /></p>

    【館長からの一言】

    日本では江戸初期から肥前有田で、中国の青花盛を模した白地に青色の図柄を表した染付が作られ始めました。コバルト顔料の下絵付けにより白と青が清新な染付は人気を博し、その多くが近くの伊方港から出荷されたことから伊万里焼と呼ばれ全国各地に流通しました。

    この染付東海道五十三次図大皿は伊万里焼の一種で歌川広重の品川から三条大橋までを描いた「保永堂版」を双六状にして大皿状に写した作品です。

    この大皿は、直径四十・五センチと大きく、宴会などで使う大きさのお皿です。この大皿に白と青の鮮やかな色で東海道五十三次の絵を描いたものが染付東海道五十三次大皿です。そしてこの作品の特徴的なところ、双六状になっているところは初めて見たとき面白いと思ってこの作品を展示してみようと思いました。


    参考https://hum-web.jp/wp/wp-content/themes/hum-temp/images/exhibition_archives/2015/pdf_2.pdf

  • 東海道五拾三次之内 小田原 酒匂川

    歌川広重,Utagawa Hiroshige

    現在の神奈川県小田原市にあたる。遠景の様々な色彩と形で構成された山の表現が斬新に映る。山のふもとには小さく小田原城とその城下の町並みが描かれている。手前を横切る酒匂川は幕府の政策により架橋や渡船が禁止され、川越し人足による徒渡しによって渡る方法しかなかった。ここではふんどし姿となった人足の肩車を使って渡る者や、複数の人足が担ぐ輦台(川を渡すための台)で渡る者など、様々な徒渡しの様子が描かれている。

    【館長からの一言】

    これは、上記の通り奥に小田原城と城下町があり、手前を流れる酒匂川には橋をかけることや船で渡ることが禁止されており人の足で川越しをするしか無かった。ここで肩車を使って渡ったり台に乗って渡る方法があるが、これらには川札というものを購入しなければいけなく、庶民にとっては手痛い出費でした。川札というものは一枚につき川越人足を一人雇って肩車で川を越すなどというもので、大井川などの水位が高いところでは連台という梯子のようなものを使って川をこえました。一人で川を越えるために必要な金額は最も少なくても三百文程度(現在の九千円ほど)が必要でかなりの出費になってしまいました。このように川を渡るだけでも庶民はかなりの出費をしなければならず旅をする難易度が当時から高かったことがうかがえます。


    参考

    https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/kawagoshi-seido.html

【館長からのメッセージ】

いかがでしたでしょうか。今回の私の展示を見て皆さんが江戸時代の当時の東海道について興味を持ってもらえると嬉しいです。また、このような絵などは展覧会などの様々なところで見ることができます。皆さんもぜひ言って見てください。

【関連イベントについて】

https://tokaido-hiroshige.jp/exhibition/2025/the_three_hiroshiges.html「三人の広重」1/27〜3/29 静岡市東海道広重美術館