蒙古襲来ー日本軍と元軍の戦法の違いについて
今回は鎌倉時代のモンゴル襲来について説明します。
日本は鎌倉時代に2度も元軍に攻められ、両方とも退けることができました。今回は日本軍と元軍の戦法の違いや、どのようにして元軍を退けることができたのかについて説明したいと思います。
- 絵葉書「蒙古襲来歴史絵葉書」蒙古襲来の圖
発行:熊本城址保存會
館長からの一言
「蒙古襲来歴史絵葉書」は九州の御家人である、竹崎季長が蒙古襲来の時の自分の戦いを描かせたものです。日本軍は、一騎打ちを重んじる武士の戦法に対し、元軍はてつはうや槍を用いた集団戦法を行ったため、日本軍は苦戦を強いられていました。
- 絵葉書「蒙古襲来歴史絵葉書」蒙古襲来の圖
発行:熊本城址保存會
館長からの一言
元軍は、日本よりも兵の数が多いことを利用し、長い槍を持って集団で1人を囲むという戦法を取りました。槍を持った部隊の後ろには銅鑼を持った元軍がおり、銅鑼の合図で日本軍を一人一人囲うという戦法を行なっていました。
- 絵葉書「蒙古襲来歴史絵葉書」蒙古襲来の圖
発行:熊本城址保存會
館長からの一言
日本軍は、一対一の個人戦を重視した戦法で、日本軍が5人しかいないのに対して、上の資料では日本軍の五倍ほどいます。また日本軍は馬に乗って戦う近接の戦法だったが、元軍はてつはうや毒の矢などを使用する遠距離の戦法だったことも、日本軍を苦しめた要因の一つでもあります。けれど、元軍は夜間の暴風雨や指揮官の死亡により、撤退を余儀なくされ、日本軍は一度退けることに成功しました。
- 絵葉書 元寇弘安の役
館長からの一言
文禄の役の後、日本軍はもう一度攻めてくると予想して、博多湾沿岸に高さ3mの石の防塁を築きました。また、日本は個人戦中心の戦法をやめて、集団戦法や海戦に切り替え、兵もより一層集めました。日本軍の予想通り、1284年により多くの兵を連れて、元が攻めてきましたが、対策をしていたことと、嵐の影響もあり、無事に元軍を退けることができました。
- てつはう
林慶良氏寄贈,東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>明治時代に引き揚げられた、蒙古襲来(もうこしゅうらい)の際に元(げん)軍が使用した炸裂(さくれつ)弾の本体です。すでに火薬などの中身はありませんが、本来は中に鉄片や陶器のかけらを詰めるなど、爆風や破裂を利用した強い威力をもつ兵器であったことがわかっています。 <br /></p>
館長からの一言
てつはうは、元軍が用いた火薬を使った爆発生の手榴弾です。 大きさは直径20cm、重さは約4kgで手で投げたり投石器を使用して飛ばしていました。元軍はてつはうを使い、日本軍を爆発音や破片で混乱させる戦法を取りました。
いかがでしたでしょうか。
モンゴル襲来の時の、日本軍と元軍の戦い方の違いや、どうやって元を退けることができたのかについて知っていただけたでしょうか。これを機に、モンゴル襲来についてもっと知りたいと思ってくれたらとても嬉しいです。
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