徹底抗戦を強いられた戦い〜ペリリュー島の戦い〜
このページは太平洋戦争の戦い「ペリリュー島の戦い」について展示しています
こんにちは。館長です。僕がなぜこの展示を作ったのかは去年に映画『ペリリュー-楽園のゲルニカ』を見て太平洋戦争の中にもこんな悲惨な戦いがあったなんてと驚きました。また、去年は戦後80年を迎えた節目の年でもあったのでこのような戦争があったことを多くの人にしってもらい、二度と同じような戦争を起こさないようにして欲しいと思いこの展示を作りました。
この展示は「ペリリュー島の戦い」での日本軍の戦いの様子、終戦しているのに潜伏し続けた日本兵の話などを載せています。
皆さんに少しでもお伝えできれば幸いです。それではご覧ください
ペリリュー島の戦いと太平洋戦争の主な出来事
〜ペリリュー島の戦い〜
ペリリュー島の戦いは、太平洋戦争中の1944年9月15日から同年11月27日にかけペリリュー島(現在のパラオ)で行われた、日本軍守備隊とアメリカ軍の戦闘である。日本軍約1万に対してアメリカ軍4万という兵力差があった。
要塞化した洞窟陣地などを利用した日本軍の組織的なゲリラ戦法はアメリカ軍を苦しめ当初4日で島を攻略する予定が最終的に2ヶ月半もを要することになった。
アメリカ軍はなぜペリリュー島の攻略に2ヶ月半も要したのか?
日本軍はペリリュー島特有のサンゴ礁が隆起してできた硬い岩山(五州山など)を利用して網目のように張り巡った地下通路を掘りました。
この地下陣地は互いに連絡通路で結ばれていて、内部には発電機、炊事場、病院機能まで備えている上にアメリカ軍の管放射劇や空爆にも耐えられる構造でした。そして日本軍は外に飛び出さず、地下陣地で待ち伏せし、至近距離から射撃して敵を倒していました。この網目のように針巡った地下陣地があったためアメリカ軍はペリリュー島の攻略に手こずりました
中山巍 (1893 - 1978),NAKAYAMA, Takashi (1893 - 1978)
館長からの一言-ペリリュー島では日本軍は最初から勝つことを想定されておらずアメリカ軍に抵抗し続け、本土決戦までの時間稼ぎの意味を持っていました。そのためどんなに過酷な状況でも玉砕することなくアメリカ軍に最後まで抵抗しなければならなかったのです。
発行番号:第22150号 地域:大阪 見出し:台湾・比島沖血戦の荒鷲に栄の感状 ペリリュー パラオ 両島陸海軍部隊にも,レ島北岸で敵圧迫 二十四師一部を猛追撃
館長からの一言-台湾・比島沖血戦…台湾沖航空戦(1944年10月)やフィリピン(比島)周辺での海戦を指している。
荒鷲… 日本軍の航空機や搭乗員を英雄視したよびかたです。
感状…優れた功績を挙げた部隊や個人に対して、司令官から授与される表彰状のことです。
日本軍は最終的に「玉砕」することになったが、粘り強い抵抗が報道では称えられていたことが書かれている。この報道では日本軍が優勢のように書かれているが実際は負けていた
船坂 弘 著者,毎日新聞社
館長からの一言-サクラサクラサクラ ワガシユウダンノケントウヲイノル ワレクノゴチヨウ ワレクノゴチヨウ
サクラサクラサクラ ワガシユウダンノケントウヲイノル ワレクノゴチヨウ ワレクノゴチヨウ ・・・─・─
これは中川州男がパラオ地区集団司令部あてに発信したものである。その夜、中川地区隊長は従容として自決を遂げたという。
内閣
館長からの一言-ペリリュー島には終戦しても終戦したことを知らないで島の洞窟に潜伏し続けた日本兵がいました。
およそ2年半にわたってゲリラ戦を継続していたが1947年4月21日日本軍34名が元日本軍少将の呼びかけに応じて投降した。
武田 一義 著者/平塚 柾緒 原案協力,白泉社
館長からの一言-ペリリュー島の戦いをもとに当時の日本軍の兵士の生活を描いている。アニメ映画化もしている
これで展示は終わりです。この展示を見てどう思いましたか?少しでも興味が湧いたのなら自分でもっと詳しく調べるのも良いですね。
