本能寺の変
館長の挨拶
この度は自分の作品を見てくださり誠にありがとうございます。
ここでは本能寺の変では何が起きたのか書いています。
本能寺の変では何が起きたのか
- 「瓢軍談五十四場」 「二十六」「本能寺の戦に於直の局美勇をあらはす」「安田作兵衛」「森蘭丸一長」「於直の局」
芳艶, 蔦屋 吉蔵(紅英堂)
54枚の揃物に板元紅英堂の口上1枚を付す。 01梶塚与六矢矧の橋にて猿之助に見ゆ・02猿之助初陣に伊藤日向守を討つ・03猿之助尾田家へ士官を好む・04此下宗吉割普請破損をおさむ・05此下宗吉郎岩倉を焼討にす・06梅島此下試鎗の長短・07桶狭間合戦に稲川氏元討死・08此下宗吉郎莚にて五色の旗を造り奇計を行ふ・09此下宗吉郎再び須股の砦を築く・10宗吉郎智弁をもつて滝中を須またの閑居にうつす・11此下宗吉郎稲葉山の搦手を襲ふ・12ひやうたんの相図に寄手水門より討入稲葉山落城・13千葉田員家宗貞が為に水の手を断るゝ・14員家水瓶を破て諸士をはげます・15仙住坊木蔭にしのび春長を討たんとす・16佐々井京蔵行年十五歳乱軍の中に討死・17安藤喜右衛門敵陣へ紛こみ春長を害せんとす・18延受藤助主君数家の馬印を取返す・19志奥近内今成を水中へ引入討とる・20久吉播州へ出張を春長見送り給ふ・21天目山に武田伊賀四郎勝家主従討死す・22春長公蘇鉄の怪異を怒りたまふ・23香辺川を絶て赤松を水にしたす・24赤松水責防戦難儀におよふ・25四方伝政兵衛本能寺の塀重門を打砕く・26本能寺の戦に於直の局美勇をあらはす・27武智右馬之助石弩火鉄にて敵城を討崩す・28武智右馬之助浮橋を造り勢田をわたす・29久吉京都の密使を捕ゆる・30四方伝左二馬頭久吉を追ふて勇力を顕す・31佐藤正清四方伝左二馬頭を討・32百性太之助久吉の陣中へ瓜を献る・33久吉道秀天王山をあらそふ・34旧臣等道秀の討死を諌る・35中沼忠兵衛闇夜に道秀を突く・36武智十左衛門偽て死人と成リ久吉に近付く・37右馬之助家臣早瀬判四郎討死・38右馬之助馬をもつて湖水を渡す・39折尾宇助内藤由良のすけを生どる・40大徳寺の焼香に諸士の順列をたゞす・41英雄勇名を賤ヶ嶽にとゞむ・42生笹の指物北兵を恐れしむる・43賤ヶ嶽七本鎗の内佐藤富久知間高名・44賤ヶ嶽七本鎗之内 吉良野賀津谷高名・45賤ヶ嶽七本鎗之内 和毛坂新内高名・46賤ヶ嶽七本鎗之内捨作万一郎高名・47正盛一騎久吉を襲ふ・48久吉の伏兵宅間玄蕃頭を生捕・49久長久次和気の城を責る・50左砂正成峰越しの図・51志木林仙難所にて伊木田を打殺す・52他伝政峰降参してはからず久吉の陣営を見聞す・53保条直氏佐枝時家に着て降参を乞・54久吉公目出度小田原を凱陣し給ふ
織田軍は急に攻められたので甲冑を着ていなかった。
- 太刀 銘 長光 名物 津田遠江長光
長光は長船派の祖、光忠の子で、長船派二代を継ぎ、技量は父に迫るものがあるといわれる。この太刀は姿がよく、地、刃ともに優れた作行きである。とくに中ほどから上は大房丁字の乱れが華やかで、見事な刃文の中でも特に見どころとなっている。もと織田信長の佩刀であったが、本能寺の変の際に明智光秀が安土城より奪い、家老津田遠江守重久に渡り、のち前田利長、五代将軍綱吉へと移り、さらに、宝来六年(一七〇九)に六代将軍家宣より四代吉通が拝領した。
織田信長は明智光秀に刀を取られて、安土城に持って行かれているので、かなりの大敗をしたと思う
- 細川幽斎筆三首和歌懐紙
細川幽斎
細川幽斎〈ほそかわゆうさい・1534-1610〉は、桃山時代の武将、茶人。三淵晴員〈みつぶちはるかず・1500-70〉の子。将軍足利義晴〈あしかがよしはる・1521-46〉の子ともいわれる。冷静な判断力と知略をもって、足利義輝、義昭、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と、時の権力者に次々と仕え、激動の乱世を生き抜いた。天文8年〈1539〉細川元常〈ほそかわもとつね・1482-1554〉の養子となり、同15年〈1546〉足利義輝から一字を与えられ、藤孝と称した。天正10年〈1582〉、本能寺の変の際、明智光秀が縁戚にあたることから即時に剃髪し、幽斎・玄旨と号した。かれはとくに和歌をよくし、有職故実に通じた当代屈指の文化人であった。三条西実枝に師事して、古今伝授を受け、桂宮智仁親王、さらに後水尾天皇へと伝授した。この三首懐紙の歌は、いずれも幽斎の家集『衆妙集』に所収される。「法印玄旨」の署名から、出家後の49歳以降のものと知る。教養あふれるすがすがしい筆跡である。「三首の和歌を詠める/法印玄旨/荻笹の葉のみ山の里もそよさらに寂しさ添ふる荻の上風/虫水茎の岡辺に集(すだ)くきりぎりす誰が書き捨てし筆にかあるらむ/思いかにせん種は心の思ひ草はらふにたえん根差ならねば」
ここでは織田信長は冷静な判断力持っているとかいているのに負けてしまったのでかなりの大敗をしたと思う。
- 「瓢軍談五十四場」 「二十九」「久吉京都の密使を捕ゆる」「富士田源八」
芳艶,蔦吉板 蔦屋 吉蔵(紅英堂)
54枚の揃物に板元紅英堂の口上1枚を付す。 01梶塚与六矢矧の橋にて猿之助に見ゆ・02猿之助初陣に伊藤日向守を討つ・03猿之助尾田家へ士官を好む・04此下宗吉割普請破損をおさむ・05此下宗吉郎岩倉を焼討にす・06梅島此下試鎗の長短・07桶狭間合戦に稲川氏元討死・08此下宗吉郎莚にて五色の旗を造り奇計を行ふ・09此下宗吉郎再び須股の砦を築く・10宗吉郎智弁をもつて滝中を須またの閑居にうつす・11此下宗吉郎稲葉山の搦手を襲ふ・12ひやうたんの相図に寄手水門より討入稲葉山落城・13千葉田員家宗貞が為に水の手を断るゝ・14員家水瓶を破て諸士をはげます・15仙住坊木蔭にしのび春長を討たんとす・16佐々井京蔵行年十五歳乱軍の中に討死・17安藤喜右衛門敵陣へ紛こみ春長を害せんとす・18延受藤助主君数家の馬印を取返す・19志奥近内今成を水中へ引入討とる・20久吉播州へ出張を春長見送り給ふ・21天目山に武田伊賀四郎勝家主従討死す・22春長公蘇鉄の怪異を怒りたまふ・23香辺川を絶て赤松を水にしたす・24赤松水責防戦難儀におよふ・25四方伝政兵衛本能寺の塀重門を打砕く・26本能寺の戦に於直の局美勇をあらはす・27武智右馬之助石弩火鉄にて敵城を討崩す・28武智右馬之助浮橋を造り勢田をわたす・29久吉京都の密使を捕ゆる・30四方伝左二馬頭久吉を追ふて勇力を顕す・31佐藤正清四方伝左二馬頭を討・32百性太之助久吉の陣中へ瓜を献る・33久吉道秀天王山をあらそふ・34旧臣等道秀の討死を諌る・35中沼忠兵衛闇夜に道秀を突く・36武智十左衛門偽て死人と成リ久吉に近付く・37右馬之助家臣早瀬判四郎討死・38右馬之助馬をもつて湖水を渡す・39折尾宇助内藤由良のすけを生どる・40大徳寺の焼香に諸士の順列をたゞす・41英雄勇名を賤ヶ嶽にとゞむ・42生笹の指物北兵を恐れしむる・43賤ヶ嶽七本鎗の内佐藤富久知間高名・44賤ヶ嶽七本鎗之内 吉良野賀津谷高名・45賤ヶ嶽七本鎗之内 和毛坂新内高名・46賤ヶ嶽七本鎗之内捨作万一郎高名・47正盛一騎久吉を襲ふ・48久吉の伏兵宅間玄蕃頭を生捕・49久長久次和気の城を責る・50左砂正成峰越しの図・51志木林仙難所にて伊木田を打殺す・52他伝政峰降参してはからず久吉の陣営を見聞す・53保条直氏佐枝時家に着て降参を乞・54久吉公目出度小田原を凱陣し給ふ
最後の方は織田軍は負けていたので複数対1人だった。
全て読んでいただきありがとうございました





