首里城
〈館長からの一言〉こんにちは。作者の岡村和範です。ここでは、首里城についてまとめています。
〈この展示について〉首里城は琉球王国の政治、外交の中心であり、王の住居でもあった琉球最大規模の城。14世紀末に築かれ、初代琉球国王の尚巴志が拠点にしたのち、1879年に起きた廃藩置県まで琉球王国の王宮として栄えた。
首里城
- 首里城跡
首里丘陵の最高部にあり、その創建年代は不明であるが、第1尚氏による三山統一後に王城として確立した。その後、第2尚氏の尚真・尚清によって、王城東南石垣を二重にし、「継世門」を設け、今日の規模ができ上がったものであろう。 城は那覇より東行する大道に中山門・守礼門、城門第一門として歓会門、外郭には久慶門・継世門をひらき、内郭には瑞泉門・淑順門・白銀門を設け、これらの門を石垣でつらねていた。内郭には木造の諸宮殿を建立する。その正殿は最も雄大であり、前面左右に[[南風殿]はえおどん]・[[北殿]にしおどん]が相対し、そのまわりに書院・内原書院等が存在していた。これらは、すべて今次大戦で失われ、城内の拝所「[[首里森]しょりもり]」も原形を失ったが、守礼門のみ復元された。しかし、首里城は沖縄を代表する城であり、王城としての構えをなお十分に伺うことができる。 琉球王国の王城であった首里城跡の西北、歓会門と守礼門の間に[[園比屋武御嶽]そのひゃんうたき]がある。園比屋武御嶽は、国王が城外に出御する際に、道中の平安を祈願した場所と伝えられ、拝殿に当たる石造の門が現存する。門は単層平入の唐門で、門の扁額によって、正徳14年(1519)、尚真王の時代に創建されたものであることが知られる。 この園比屋武御嶽石門は、第2次世界大戦の際に損壊したが、昭和32年に修復され、同47年に国の重要文化財に指定されている。首里城における琉球国王の祭祀にかかわる遺跡として追加指定し、保存の万全を図ろうとするものである。
首里城のつくりなどの情報が書かれています。
- 首里城跡
守礼門(しゅれいもん)は、日本でも独自の文化をもつ沖縄を象徴する建物です。16世紀に、琉球王国の王城・首里城の門として建てられました。沖縄特産の赤瓦が使われた優美な門で、「琉球は礼節を守る国である」という意味の「守礼之邦(しゅれいのくに)」と書かれた額がかかげられています。かつての建物は沖縄戦で破壊されましたが、戦後の1958年に創建当時の建築技術で復元されました。2000円紙幣に描かれるなど、日本を代表する観光スポットになっています。
復元された守礼門について書かれています。
- 首里城
沖縄県那覇市にそびえる、琉球王国の宮殿・首里城。城のたたずまいから、薩摩と中国のはざまで生き抜いてきた琉球の歴史が偲ばれます。普段は非公開の部屋なども訪ねます。<br>※2019年の火災で焼失する前の映像です。<br><br>(この動画は、2012年に放送したものです。)
2019年に焼失する前の首里城です
- 識名園
沖縄、首里城の南に広がる庭園、識名園。琉球と薩摩のはざまで巧みな外交を行った琉球王国の姿が、随所に見て取れます。庭園を散策しながら、琉球の歴史に思いをはせます。<br><br>(この動画は、2014年に放送したものです。)
首里城の南にある識名園について書かれています
- 首里城跡
那覇港を眼下にした丘陵上に地形を巧みに利用して築城されたグスクです。三山鼎立時には中山国王の居城で、1429年に琉球王国が成立した後は、1879年まで琉球王国の居城として王国の政治・経済・文化の中心的役割を果たしました。これまでの発掘調査などの成果から、14世紀中葉から後半の築城であることが判明しています。 グスクは内郭と外郭からなり、正殿や南殿、北殿などの中心的建物群は内郭に配されています。正殿は琉球独特の宮殿建築で、戦前は国宝に指定されていましたが、第二次世界大戦で焼失し、平成4年に復元されました。正殿前の御庭は、冊封をはじめとした国の重要な儀式が行われた場所です。
首里城の歴史について書かれています
〈展示を見終わった人へ〉首里城について理解していただけましたか。首里城は琉球王国の王宮であり、長い間栄えていましたが、第二次世界大戦によって焼失してしまったのです。また2019年に火災が起きて焼失しました。現在は修復が進められています。
〈展示関連イベントについて〉2026年3月14日〜5月10日の金土日+ゴールデンウィーク:夜首里城(夜の首里城を舞台にしたイベント)


