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日本の大仏

時代によって様々に変遷してきた日本の大仏。その全貌を解き明かします。

日本の主な大仏に関しての時系列

鎌倉の木の大仏が完成する
鎌倉の大仏が金属製となる
鎌倉幕府成立
東大寺大仏が完成
京都大仏完成
京都大仏焼失
鎌倉の木の大仏が完成する

初めまして。館長です。本日はご来館して頂きありがとうございます。こちらの博物館では、日本のさまざまな大仏とその歴史について知って頂きます。くれぐれも楽しんで見ていただけるようどうぞよろしくお願いします。


この博物館の趣旨


自分は、小学校5年の時に初めて東大寺に行き、大仏を生の目で見ました。また、鎌倉大仏も見に行きました。自分より何世紀も前に生きていた先人たちが、こんなにもすごいものを作っていたのだと感嘆したのを覚えています。そんな大仏について、もっと詳しく、楽しく知って欲しい。そんな思いで当館は営業しています。

日本の代表的な大仏とその関連資料

  • 鎌倉大仏

    館長からの一言 この鎌倉大仏は、日本の中で最も有名な大仏のうちの一つです。この鎌倉大仏は、鎌倉時代に鎌倉幕府が制作したと言われています。この大仏を作るための資金は鎌倉幕府のお金や、寄付金によって作られました。そんな鎌倉大仏は、現在は重厚感のある金属で出来ていますが、当初は金属では無く、木材でできた大仏であったと言われています。そんな木材の大仏は、1243年に完成しましたが、その後1252年に現在の金属でできた物になったと言われています。なぜ、当初あった大仏をわざわざ金属製にしてしまったのか。その理由については現在も不明なのです。鎌倉大仏は像高約11m(台座を含めると13.35m)であり顔の長さだけで2.35mあります。そして、全体での重さは121tとなっています。これはアフリカゾウ20頭分であり、非常に重く大きい事がわかります。 これだけ巨大で知名度も高い大仏ですが、鎌倉幕府の中でも誰が制作したのかなど詳細はわかっていない所が多いという珍しい大仏です。

  • 大仏切通〈だいぶつきりどおし〉

    館長からの一言 先ほど観覧していただきました鎌倉大仏に関連して興味深いのがこの大仏切通です。この大仏切通は、名前の通り鎌倉大仏のあった鎌倉市長谷(大仏付近)と常盤・深沢方面(藤沢方面)を結ぶ、かつての主要街道です。鎌倉は、自然の要塞と言われるほど南側は海、その他は山地で囲まれているエリアなので、鎌倉を防御すると同時に行き来できるようにするための切通という山を切り拓いたような細い道が作られました。道幅が狭いだけでなくとても急な勾配があり、攻めることは難しい構造となっています。この大仏切通は、他の切通の中でも江戸時代に道が整備されるまで鎌倉と郊外を結ぶ幹線道路として機能していた主要な道路と言えるでしょう。また、当時の人々にとって大仏がどれだけ大事な物だったのかを示す材料ともなっています。

  • 東大寺大仏

    横山松三郎撮影,東京国立博物館

    館長からの一言 鎌倉大仏と並んで日本で最も有名な大仏の一つに数えられるのが東大寺の大仏です。東大寺大仏は、その名の通り東大寺に聖武天皇が743年、建てた大仏で座高(高さ)が約14.98メートル、顔の幅は約3.2メートル、目の長さは約102センチメートルという鎌倉大仏よりもさらに大きい大仏です。この大仏の制作には聖武天皇以外にも、聖武天皇が呼び寄せた僧、行基も協力したと言われています。行基によって国民も参加して大規模に工事が行われました。何故こんなにも大きな大仏を作ったのかというと、聖武天皇が仏教で国で流行していた疫病や災害から国を救おうと考え、その信仰の対象として大きい大仏を東大寺につくろうと考えたからです。東大寺はこの当時日本で最も権威のある寺であったために大仏も最も大きいものとなりました。

  • 京都大仏殿絵図

    東京国立博物館,Tokyo National Museum

    館長からの一言 これは、一時期日本最大の木造建築であった京都大仏についての大切な文化財である。京都大仏の歴史は、豊臣秀吉が東山区の方広寺に創建した巨大な毘盧遮那仏坐像(約19m)に始まる。1595年に完成し、奈良東大寺を上回る規模であったが、地震や落雷で数回焼失・再建を繰り返した後、1973年の火災で消滅した。 江戸時代になり、豊臣家が滅亡しても亡き秀吉の発願により方広寺の大仏殿は破却されずにいたが、寛政10年(1798)に落雷によって焼失した。西に面した大仏殿の高さは大坂城天守閣に匹敵し、境内は、現在の方広寺・豊国神社・京都国立博物館の3か所を含む広大なものであった。(東京国立博物館の文章を要約)これは、戦国、そして徳川の時代まで大切に大仏が信仰されてきた事を示す重要な史料である。歴史の中でも大切にされてきた京都大仏が、いつまでも大切にされていく事を私は祈っている。

  • 京都大仏雛形

    伝藤村忠円作,Attributed to Fujimura Chuen,東京国立博物館,Tokyo National Museum

    館長からの一言 これは、豊臣秀吉発願によって建てられた京都・方広寺の本尊釈迦如来坐像(亡失)の寛文4年(1664)再興像の50分の1雛形と伝えられる。正面左右に台を置き、左に1(町人)、右に2(片桐且元と従者)の人形を配し、19mの高さがあったという大仏のスケールと対比させている。 今はない京都大仏が、その当時どのような姿で、どのように信仰されてきたのかが分かるとても貴重な文化財である。京都大仏のように途中で姿が消えてしまう大仏もあるが、それでも人の信仰の跡が残っているのだからとても大切にされてきたのだと分かる。

おわりに

皆さん、楽しんで鑑賞して頂けましたでしょうか。大仏というのは全国にたくさんありますが、今回は主に鎌倉大仏、東大寺大仏、京都大仏の三つに絞って展示いたしました。それぞれ同じ「大仏」です。大仏である事に変わりはありません。しかし、幾つも違う箇所がそれぞれあったと感じて頂けたのではないでしょうか。現存している鎌倉大仏、東大寺大仏。焼失してしまった京都大仏。これだけでも、随分な違いです。しかし、どの大仏も大切にされてきたのは間違いありません。更に言えば、大切にされていたけれど失われてしまった京都大仏のような大仏もあります。けれど、大仏というのはその信仰していた人々の生活、習慣、たくさん分かる事があります。簡単に失われていいものではないと思います。自分たちの記憶からも、空間からもです。皆さんも、大仏についてたくさん知って、たくさん考えて、頭の片隅から消えないようにして頂きたいと僕は思います。

それでは、またのご来館をお待ちしております。 ご利用ありがとうございました。

展示関連イベント

お身拭い

大仏さまのお身体を清める年に1度の行事です。約120人の僧侶や関係者が早朝から二月堂の湯屋で身を清め、白装束に藁草履姿で大仏殿に集合。7:00に撥遣作法を行った後に全員でお経を唱えてお身拭いを始めます。(出典:奈良市観光協会)

是非行ってみると良いと思います。