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石川丈山筆書状 Letter by Ishikawa Jozanイシカワジョウザンヒツショジョウ

解説

石川丈山〈いしかわじょうざん・1583-1672〉は、江戸時代前期の漢詩人。諱(いみな)は重之、のち凹(おう)。丈山は字(あざな)で、嘉右衛門(かえもん)を通称した。凹凸窠(おうとつか)・四明(しめい)・六々山人(ろくろくさんじん)などと号した。祖父・父ともに徳川家康の臣。丈山もまた家康に近侍した。が、大坂夏の陣において、軍功をたてたものの軍律違反に問われたため、禄を辞して出家。やがて、儒者・藤原惺窩〈ふじわらせいか・1561-1619〉に入門し(35歳)、程朱(ていしゅ)の学を修めた。寛永18年〈1641〉59歳の時、洛北一乗寺村に庵・詩仙堂(しせんどう)を建てて隠棲した。友人の林羅山〈はやしらざん・1583-1657〉とともにわが国の三十六歌仙に倣って中国漢~宋時代の36人を選定。庵の四壁に狩野探幽〈かのうたんゆう・1602-74〉描くところの画像を、壁間には丈山が隷書で揮毫した詩を掲げた。後年は、後水尾院よりのたびたびの招きをも固辞して、文雅の友との交遊の中に悠々自適の生活を楽しんだ。とくにその書は、唐様に徹し、隷書を得意とした。著に『本朝仙注』『詩仙詩』などがある。この書状は、越前守から公方様(徳川家康)に初鱈が贈られ、そのお裾分けとして尚食公(しょうじきこう・尚食は中国においては、天子の御膳を掌る官名。わが国では内膳正に相当するもの)に付与されたことに対する礼手紙。丈山が家康に近く仕えた慶長期〈1596~1615〉と推定される。この頃の越前守を検索すると、何人かいる中でも、特に陸奥守伊達政宗〈だてまさむね・1567-1636〉が注目される。政宗が慶長18年〈1613〉11月16日に家康に鱈を贈った記録もあり(『政宗君治家記録引証記』)、鱈の取れる地域性をも加味すれば、その可能性が高い。とすると、宛名の「石川万ヱ(衛)門」はその家臣の一人であろうか。また、尚食公(内膳正)は板倉重昌〈いたくらしげまさ・1588-1638〉か。丈山20代の筆跡。後年の唐様書風の片鱗も見えない、人なつこい人間的な丈山の人柄を彷彿とさせる。「越前守殿より公方様へ御上げ成され候初鱈の御残りを尚食公へ進ぜられ候由にて、御意に呈せられ誠に以って忝なく存じ奉り候。御礼申し上ぐべき様も御座無く候。然るべき様に召し上がられ候と頼み入り有るべく申し候。已上。/返すがえす、過分に頂き申し候。以上。十二日丈山石川万(右)衛門殿」

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2022/07/03