様々な古墳と出土品
1.館長挨拶
僕がこの題材を選んだ理由は、日本の古墳を知り、誰の墓なのかわからないものはどの様なものがあるのかなど、興味を持ったからです。よかったら最後まで見ていってください。
2.展示について
いくつかの古墳や出土品の説明をしています。
3.古墳と出土品など
- 王塚古墳
王塚古墳は6世紀に造られた前方後円墳で、国の特別史跡に指定されています。古墳の大きさや技巧を凝らした石室のつくりなどから、当時九州北部を代表する豪族が埋葬されたと推測され、色彩豊かな文様や壁画が描かれていることから日本を代表する装飾古墳と言われています。描かれている壁画は馬や刀など武具や生活を表すもののほか、三角、円を重ねた幾何学的文様があります。日本の装飾古墳で確認されている色は6色(赤・黄・緑・青・黒・白)あるそうですが、王塚古墳ではそのうち青を除く5色が使われていて国内最多です。石室内は毎年4月、10月に一般公開される日があり見学することも可能です。<br><br>(この動画は、2011年に放送したものです。)
館長からの一言
当時の九州の有力者の墓であり、誰の墓かは詳しくはわかっていない。一般公開される日の他、近隣の王塚装飾古墳館で、復元された石室内部を見学できる。
- 高松塚古墳
奈良県明日香村にある高松塚古墳。下段の直径23メートル、上段の直径18メートル、高さ5メートルの2段式の円墳で、7世紀末から8世紀はじめ頃に築造されたと推定されています。1972年に極彩色の壁画が発見されたことで一躍有名になりました。古墳は特別史跡に、壁画は国宝に指定されています。<br><br>(この動画は、2009年、2014年に放送したものです。)
館長からの一言
7世紀末から8世紀初頭(古墳時代終末期)、特に704年から719年までの間に亡くなった人物。高松塚古墳は、下段(直径23m)上段(直径18m)の二段式円墳であり、飛鳥の天皇陵の全ては八角形墳であることから、天皇以外が被葬者と推定される天皇ではないが古墳が築かれるほどの人物で、おそらく天皇の皇子。あるいは有力官人か朝鮮半島(高句麗など)の王族。残された人骨が被葬者とするなら40代から60代の男性、などと推測がされていて詳しくわかっていない。
- 東之宮古墳 鉄剣
京都国立博物館 Kyoto National Museum
<p> 東之宮古墳は愛知県犬山市白山の山頂にある全長78mほどの前方後方墳である。1973年に発掘され、後方部の堅穴式石室の中から三角縁神獣鏡をはじめとする各種の鏡11面、古墳時代の碧玉製の腕飾の一種である鍬形石、車輪石、内径5~6cmの環状に作られた碧玉製の石釧、勾玉など豊富な副葬品が発掘された。この古墳は、尾張地方で最古の時期、4世紀後半に築造されたものと考えられている</p>
館長からの一言
この遺跡は出土遺物は全て後方部の竪穴式石槨から出土されている。
- 亀塚古墳
丹生川の河口近くの左岸、丹生台地の東端に亀塚古墳があります。この古墳は、前方部を南に向ける前方後円墳で、古墳時代中期、5世紀前半に築かれたものです。古墳は、墳丘の全長約120m、前方部高さ7m、後円部径64m、後円部高さ10mの規模を持つ県下最大の前方後円墳です。古墳全体は三段からなり、その斜面全面に直径10~20㎝大の葺(ふき)石が敷き詰められていたこと、後円部に円筒埴輪(はにわ)が並べられていたこと、さらに、後円部中央に埋葬施設として箱式石棺が2ヶ所に納められていたことなどが特徴的です。石棺の内部には、副葬品を入れるための空間が作られており、何度かの盗掘を受けてはいますが、そこから300点を超える勾玉(まがたま)や管玉(くだたま)、がらす小玉などが出土しています。亀塚古墳の北方約30mには、小型の前方後円墳である小亀塚古墳があります。出土遺物などから判断すると、5世紀後半に造られたものと考えられます。このほかにも5世紀前後の時期には、周辺に前方後円墳を中心にいくつかの古墳が造られていますが、そのなかでも亀塚古墳は最大の規模を誇っていました。平野部の少ない海岸部にこのような古墳が形成されたのは、ここ海部に住む人々が海での生業を中心都市、豊富な海の幸に恵まれていただけでなく、彼らのもつ航海術が大和政権に欠くことの出来ない重要な役割を担っていたことによると考えられます。
館長からの一言
多くの貴重な出土品が発掘された亀塚古墳だが、その後の開発工事によって墳丘のほとんどが削られてしまった。現在は、墳丘のごく一部に徳富蘇峰が揮毫した石碑が建っているのみである。
- 侍塚古墳
大田原市
侍塚古墳は上侍塚古墳・下侍塚古墳の2基があり、どちらも4世紀築造と考えられる前方後方墳である。上侍塚古墳は墳丘長114mであり、栃木県内の前方後方墳では足利市の藤本観音山古墳に次いで第2位の大きさを誇る。下侍塚古墳の墳丘長は84mで県内第4位である。 元禄5年(1692)に水戸黄門の名で知られる徳川光圀の命により日本で最初の学術的な発掘調査が上下両侍塚古墳で実施された。この調査は現在笠石神社に祀られている那須国造碑の碑主解明のための調査であったが、被葬者を解明することはできなかった。 発掘調査では、鏡や管玉、石釧などの多くの遺物が発見されたが、光圀の指示によりこれらの遺物は画工に図化された後に松板の箱に収められ再び墓中に埋め戻され、墳丘上には盛土の崩落を防ぐため松が植えられた。それに始まる松の木立は現在も上下両侍塚とよく調和し、美観を高めている。この調査後の古墳に対する保存対策の姿勢は、現在の文化財保存対策の一つの手法として生き続けている。また、毎年霜降(そうこう)の日にはこも巻きが行われ、翌年の啓蟄(けいちつ)の日にはずされる。これらの行事は季節の風物詩として定着している。
館長からの一言
出土遺物などの検討から、上侍塚古墳は西暦400年をさかのぼる時期に築造され、下侍塚古墳は上侍塚古墳に先立って築造されたものと考えられている。
4.展示を見終わった人へ
今回の展示で紹介したものは皆さんがあまり知っていないものをベースに紹介しました。他にも古墳は日本全国にたくさんあるため、興味が出た人は調べてみてください。
5.関連行事
王塚古墳の特別展示があるのでURLを載せておきます。https://kofuncard.jp/news/ozukakofun_publicviewing



