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帝都東京-開戦前夜の日常風景-

 このオンラインギャラリーは、明治から昭和前期にかけて撮影された写真から、戦前の東京の姿と人々の暮らしを伝えるものである。

 「首都」東京は、政治や経済、文化など、日本のすべての中心地である。全国から人やモノが集まり、街には高層ビルが立ち並ぶ。そんな輝かしい都市を思い描く私たちにとって、「帝都」という響きは古めかしく、現代とは全く違った世界のように感じられるかもしれない。しかし、それはまぎれもなく歴史の中の同じ場所に存在し、そこで生きる人たちもいた。

 では、果たして戦前の街や社会、そして人々は、本当に「今」と隔絶されているのだろうか。

 現在との違いや共通点を探しながら、考えていただければと思う。

第一章 帝都の街並み

 まずは、帝都の様々な場所を写した写真を何点か紹介する。現在では失われてしまった景色や建物が見られ、当時の姿に思いをはせることができるだろう。

行啓道路東京駅前(東亰)

 皇居側から東京駅丸の内駅舎を眺めた風景である。現在、この通りは遊歩道となっており、両側の建物も高層のオフィスビルに変わっている。

東京郵便局

(東京)永代橋

 隅田川にかかる永代橋を捉えた写真である。形や構造は今もそれほど変わらないが、橋の中央付近には都電が走っていたことが分かる。

(東京名所)上野広小路

現在の上野広小路交差点付近から上野公園方向へと眺めている上野広小路の風景の絵はがきである。絵葉書の広小路の両端を見てみると、様々な店が並び大勢の人々が通行している様子が見られる。寛永寺の御成道として発達してから、現在に至るまで栄えている大きな道だと分かる。

(帝都名所)浅草雷門より蔵前方面を望む

「浅草仲見世」:現在の雷門の位置から蔵前方面を眺めたもの。雷門は慶応元年(1865)に焼失し、その後、仮設で短期間の門が数度建てられたが、昭和35年(1960)に松下幸之助から寄進されるまで、正式には再建されなかった。仲見世が煉瓦造りであることから、関東大震災前と推察される。

(東京名所)浅草公園瓢箪池

明治15年に浅草田圃を埋め、六区を造成するために掘られた瓢箪池は、戦後まで区民憩いの場だった。

第二章 人々の娯楽と賑わい

 当時撮影された写真からは、街の風景だけでなく、人々の様子も確認することができる。浅草や上野公園など、現在でも人気の行楽地には、当時から多くの人が訪れていた。ここでは、主に「人」に焦点を当てて、見ていただきたい。

(東京名所)浅草雷門

タイトルに「浅草雷門」とあるが、門がない時代の絵はがきである。大八車、赤レンガ造の仲見世など、明治の面影が見られる。赤レンガは、関東大震災によって崩壊したので、年代はこれ以前までと推定できる。

(大東京)浅草仲見世と仁王門の遠望

昭和戦前の仲見世である。ガス灯ではなく電気灯であることから、少なくとも大正時代以降の仲見世であることが分かる。資料右端には、店名は切れているものの書店があることが分かる。大正から、戦後まで仲見世には数件の書店があり、雷門のすぐ右手には清水屋書店があった。

(大東京)世界に誇る国際劇場

昭和12年(1937)に開場した松竹歌劇団の本拠地。昭和57年閉場し、現在の浅草ビューホテルが建てられた。

(東京名所) 日本橋通リ

 当時の服装は、洋服や和服など人それぞれだったようである。通りには、傘をさして歩いている人や人力車を引いている人がおり、活気が感じられる。

(東京名所) 日本橋室町賑

大正3年落成の日本橋三越本店と、関東大震災で焼け落ちた木屋本店ビルが写っているため

(東京名所)上野公園

 詳細な場所は不明だが、上野公園へ通じる階段で撮られた一枚である。家族連れが多く、今にもにぎやかな話し声が聞こえてきそうだ。

(帝都桜花)上野公園動物園前ノ桜

上野動物園前に咲いていた桜の風景が写っている。満開の桜の奥には動物園の正門があり、当時、動物園の周りにも満開の桜が咲いていたことがわかる。

(東京名所)向嶋隅田川上流

 よく見ると、土手には花見に訪れた多くの人がいる。向島をはじめとする隅田川沿岸は古くから桜の名所であり、同じような光景は今でも見ることができる。

第三章 帝都をかける交通網

 現在の東京は、常に通勤客や旅行者が行き交い、駅や鉄道は多くの利用客で混雑している。戦前の東京にも、鉄道や車などの移動手段があり、人々の暮らしを支えてきた。

東京駅

(東京名所)東京駅

 駅前には人力車が多く並んでおり、交通の主流であったことが分かる。手前に写っているのはタクシーであろうか。

(東京名所)上野停車場

このはがきは明治16年(1883)に開業した際の上野駅。開業当時は荷物取扱所を仮駅舎として使用していたが、明治18年にレンガ造り瓦ぶきの2階建て駅舎が完成した。

(大東京)上野駅全景

この絵はがきは昭和7年(1932)に完成した2代目の上野駅駅舎。コンコースには自動車が横付けできるようなスロープが設けられている。乗車口と降車口を上下に分け、車の平面交差を避けることで広場に地下道を設け、車と人の分離を図っていた。

(東京名所)新装なれるモダン上野駅

震災による焼失後、昭和7年に2代目の駅舎が完成した。混雑緩和のため、乗車客と降車客を分離する構造とした。

(東京名所) 銀座通リ

 今では荒川線のみになってしまった都電も、当時は市中の様々な場所を走っていた。電車のデザインも今とは大きく違っている。

神田駅ホーム

東洋唯一(東京地下鉄道)浅草駅

「郷土・資料調査室ってどんなところ?Ⅲ」:この絵はがきは現在の東京メトロ銀座線浅草駅。昭和2年に「東洋唯一の地下鉄道」として浅草~上野間での営業開始にともない設置された日本最初の地下鉄駅の一つ。昭和9年に上野~新橋間が開通したことによって、「地下鉄銀座線」と名称を変えた。

終章 そして、戦争の時代へ

 人々の何気ない暮らしにも、だんだんと戦争の影が忍び寄ってくることとなる。戦地へと出征する兵士の姿が、それまでの日常的な風景に不自然に溶け込んでいく。

帝都をあとに

 同じ東京駅であっても、先ほどの写真とは大きく印象が異なる。駅前に並んでいる一人ひとりの表情も見て取れる。

帝都をあとに

帝都をあとに

 出征兵士を見送っている場面であろうか。時代が違うというだけで、写真の若者も、今の私たちとは何も変わらない。