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Otoroe: The Astonishing World of Giant Lantern Paintings

Period: September 13 ~ November 4, 2024

This exhibition brings together – for the first time – approximately 60 giant lantern paintings from across Fukuoka, including 9 designated as Tangible Folk Cultural Property by Fukuoka Prefecture. The exhibition also focuses on the artists responsible for these paintings, and introduces other prints, posters, and hanging scrolls they created.

We hope you will take this opportunity to view these unique and highly impactful paintings and learn about the local customs of Fukuoka at the exhibition site!

現在、福岡市無形民俗文化財指定・福岡県有形民俗文化財追加指定を記念して企画展「大浜流灌頂と『大燈籠絵』」(8月18日~10月18日)を開催中!


特別展「大灯籠絵」ティザー

プロローグ

町の神仏とまつり

 福岡市内では大小さまざまな年中行事が行われています。博多祇園山笠など、全国的に知られている祭りもありますが、この展覧会では、「町内」、「町」といった小さなコミュニティで受け継がれてきた、神仏の夏祭りに注目します。

7月から8月にかけて行われるこれらの祭りでは、夕暮れより法要や祈願が執り行われ、夜店や舞台が設けられるなど、町内は厳かでありながら賑やかな雰囲気に包まれます。松源寺 (博多区千代)の10代住職で福岡博多の郷土文化研究に携わっていた佐々木滋寛は、著書『博多年中行事』で、明治時代から昭和時代戦前期の福岡市、市近郊の年中行事について紹介しています。そのなかに「夏祭風景」の項があり、「夏祭景趣をかざるもの」として、「大灯籠」〈参考1〉、「千灯明」〈参考2〉、「造物」〈参考3〉を紹介しています。

  • 博多年中行事

    佐々木滋寛 著,九州土俗研究会

    国立国会図書館デジタルコレクションのページで読むことができます。

    49コマ目:流灌頂 

    寫眞版 7コマ目:流灌頂の大燈籠

〈参考1〉大浜流灌頂の大灯籠 大正-昭和9年/撮影:佐々木滋寛 所蔵:福岡市博物館 〈参考2〉石堂地蔵尊の千灯明 昭和12年8月24日/撮影:佐々木滋寛 所蔵:福岡市博物館 〈参考3〉大浜流灌頂のつくりもの 大正時代から昭和時代(20世紀)/撮影:佐々木滋寛 所蔵:松源寺

「大灯籠」と「大灯籠絵」

 灯明が消えないように紙や火屋などでおおった灯りの道具を灯籠、そして絵や文字が入った灯籠を絵灯籠と呼びます。福岡市内では、畳4畳ほどの巨大な絵灯籠を神仏の夏季大祭で道辻に飾る町内がいくつかあります。この大きな灯籠は、「オオトウロウ」、「オオドウロウ」、「ダイトウロウ」と呼ばれるほか、地域や世代によっては「オオエドウロウ」、「トウロウエマ」とも呼ばれてきました。また、同趣のものとして、石川県金沢市の「大行燈」、新潟県佐渡市相川の「大提灯」、江戸時代末期の土佐(高知県)の「絵馬提灯」などがあり、地域により多様な呼び方があることが分かります。この展覧会では、人びとの言葉の豊かさを尊重しつつ、夏祭りに飾られる大きな灯籠をさす言葉として「オオトウロウ」を使っています。

 さて、「大灯籠」 には、武者絵や説話の一場面などが描かれています。この絵は取り外しができます。市内では、この絵を「灯籠絵」と呼ぶ例があるほか、絵を収める木箱に「大燈籠絵箱」と記された例もあります。そこで本展では、「大灯籠」と区別するために、他地域の語句整理も参考にして、これらの絵を「大灯籠絵」と呼ぶことにします。

他地域の類例

施餓鬼供養と「大灯籠」

 福岡における「大灯籠」のはじまりは、よく分かりません。しかし、福岡藩2代藩主・黒田忠之の治世期の動向を記した「忠之公御代日記」の寛永17年(1640)正月27日条に「一、七月灯炉作り物其外結構成儀仕間敷事」とあり福岡市総合図書館研究紀要』第6号所収)、江戸時代初期には、なんらかの灯籠やつくりものを仕立てる風習があったようです。『仙厓和尚逸話』からは、口伝ながらも江戸時代後期に博多の町々で行われた施餓鬼供養の際に「絵灯籠」が飾られていたことが分かります。また、軒先に飾る「絵灯籠」の制作を絵師に依頼することがあったこともうかがえます。


※施餓鬼供養・・・餓鬼道で苦しむ衆生に食事を施して供養すること

 しかし、「大灯籠」については記されていません。江戸時代後期の地誌「筑前名所図会」には、「流灌頂(現在の大浜流灌頂)」についての記述がありますが「つくりもの」の記載があるのみで「大灯籠」についての言及はありません。明治35年(1902)に出版された『福博誌』には「大浜の各町は灯籠を灯し」とあるものの「大灯籠」であるかははっきりしません。

 年代が特定できるものは、「大徳寺焼香之図」(大浜)などの一得斎高清(第二章参照)が手がけた「大灯籠絵」です。彼の活動時期から少なくとも明治時代中期には「大灯籠」が飾られていたことが分かります。

  • 福博誌

    伊東尾四郎 著,森岡書店

 過去から現在に至るまで「大灯籠」が使用された場所とまつりは、博多湾沿岸部(博多、箱崎、唐人町、黒門、千代、今宿)に集中しています。それらの町内の多くは福岡・博多部で、寺社や人口が密集しているところです。福岡の「大灯籠」は、家々の祖先だけでなく、 無縁の霊魂をも弔ってきた都市社会ならではの死者供養と関わりが深いという特徴を有しています。

福岡市内で大灯籠絵を飾っていた場所とまつり

)現在「大灯籠」を飾っているところ ()かつて「大灯籠」を飾っていたところ ()「大灯籠」の特異な例

第1章 「大灯籠」の特徴と展開

 博多湾沿岸のいくつかの町で飾られてきた「大灯籠」には、どのような特徴があるのでしょう。

 本章では、町をとりまく社会や生活が変化するなかで、「大灯籠」のあり方がどのように変わってきたのかを、町に関わる諸記録や人びとの記憶などを手がかりに紹介します。

↓ タブを押すと各地域の大灯籠について詳しく見られます ↓

大浜流灌頂(おおはまながれかんじょう)

8月24~26日

博多区大博町1区~6区集会所

One of the famous events in which giant lantern paintings ("Otoroe") are displayed is Ohama Nagarekanjo, a local summer festival held every year in August in Fukuoka City. This festival’s original purpose was to pray and hold a memorial service for people who had died in a severe natural disaster in 1755 and the plague of the following year. The giant lantern paintings, which have been adorned with prayers for the dead and the safety of the town at festivals, evoke feelings of extraordinary excitement and fear.

 大浜流灌頂は、8月24日から26日まで3日間行われます。令和4(2022)年より、大浜流灌頂継承保存会を中心として運営されるようになりました。また同年より、知足庵跡とされる瑜伽稲荷神社横の集会所に施餓鬼堂が設けられるようになりました。この期間は毎日19時より、東長寺の僧侶による法要が営まれます〈写真1〉。26日には、施餓鬼堂での法要前に施餓鬼堂の北東にある那の津通り沿いの享保の大飢饉の供養塔前でもお経があげられます〈写真2〉。また同日21時には施餓鬼堂の前に精霊船「西方丸」が設置され、人びとがお参りに訪れます〈写真3〉。かつては浜に祭壇が設けられ、供え物などを入れた船を博多湾に流していましたが、現在は船へのお参りを船の送り出しにかえています。

 大浜の「大灯籠」は、かつては旧大浜町内(博多区大博町と神屋町の一部)の道十数か所に飾ったとも伝わります。現在は、大博町の流灌頂通りに海老﨑雪渓作の福岡県指定有形民俗文化財「大浜流灌頂大燈籠」を含む4基の「大灯籠」が飾られます。令和4年より、「大灯籠」の設置を担う若手世代の負担減のため、3基は外側から照明を当てる方法に変更されました。大浜の「大灯籠絵」は、幅が4メートルを超えるものが多いのが特徴です。これは大浜の道幅が広かったことによります。

 さて、江戸時代から知られている大浜流灌頂(プロローグ参照)も、昭和40年代には、名物の「つくりもの」や「大灯籠」も中断、露天商による出店も数店となり、賑わいを失っていたそうです。昭和50年代に入り、町の有志たちがかつての賑わいと歴史ある流灌頂への誇りを取り戻そうと「大灯籠」を復活させました。平成時代には、大浜まちづくり協議会が町内の各組織に協力の呼びかけをしたり、「浜友会」という有志の会による夜店の出店などの取り組みがはじまり、再び多くの人びとが訪れるようになりました。

詳細はこちら

Lantern painting depicting a scene from historical fiction
一徳斎高清  明治時代中期(19世紀)  縦290.0×横543.0  所蔵:大浜流灌頂継承保存会  福岡市最大の「大灯籠絵」。『絵本太閤記』より、織田信長の葬儀にて信長の孫・三法師を抱いた豊臣秀吉が誰よりも先に焼香する場面。秀吉こそ信長の後継者と印象づけるシーンである。よく似た構図の浮世絵が複数あるが、例えば月岡芳年の作と比べると、本図は秀吉の顔貌を高貴に描く点が特徴的。
Giant lantern painting with depicting a legendary assassination (Tangible folk cultural property designated by Fukuoka Prefecture)
海老崎雪渓  近代(19-20世紀)  縦180.0×横450.0  所蔵:大浜流灌頂継承保存会  織田信長の死を知った豊臣秀吉が急ぎ京へ戻る途中、尼ヶ崎(兵庫県)で明智光秀の刺客(画面中央)に襲われる。秀吉の家臣・加藤清正(画面右)が奮戦し、秀吉(画面左)は長徳寺に逃げることができたという。画中で清正が「正清」になっているが、浮世絵がしばしば歴史上の人物名を避けた影響かと思われる。
Giant lantern painting depicting a tragedy based on historical facts (Tangible folk cultural property designated by Fukuoka Prefecture)
海老﨑雪渓  近代(19-20世紀)  縦180.0×横450.0  所蔵:大浜流灌頂継承保存会  源義綱(通称加茂次郎)が源義忠暗殺の冤罪に憤り甲賀山(滋賀県)へ籠城する。父に自害をすすめる息子らは、まず長男・義弘(画面左)が谷底へ身を投げ、説得にあたる次男・義俊(画面中央)も投身、五男・義範(画面中央左奥)は切腹、画中にない四男は焼身と、皆壮絶な死を遂げた。義綱(画面中央右)は出家し投降したという。
Lantern painting depicting the Genpei war in the 12th century (Tangible folk cultural property designated by Fukuoka Prefecture)
海老﨑雪渓  近代(19-20世紀)  縦180.8×横486.0  所蔵:大浜流灌頂継承保存会  源頼朝が大敗を喫した石橋山の戦い。画面中央で頼朝が少数の手勢とともに身を隠している。平氏のさしむけた大庭景親の大軍(画面左)が山狩りを行い、ついに梶原景時(画面中央上)に見つかるも、かつて源氏の家人だった景時は頼朝を見逃し命を救った。のちに景時は頼朝の家臣となる。
Giant lantern painting depicting a 16th century legendary assassination. It also depicts Nihon-go, a famous long-bladed spear on display at the museum. (Tangible folk cultural property designated by Fukuoka Prefecture)
海老﨑雪渓  近代(19-20世紀)  縦186.6×横468.8  所蔵:大浜流灌頂継承保存会  南宗寺(大阪府)に伝わる徳川家康死亡説を描く。いわく、大坂夏の陣で真田軍に追い詰められた家康(画面中央)は、戦線離脱の途中、後藤又兵衛(画面右)に鎗で駕籠ごと突かれ死亡したのだという。又兵衛の背には豊臣秀頼の子・国松。そして手にはその後福岡藩黒田家に伝わる名鎗日本号が握られている。
Lantern painting depicting an assassination scene based on a novel (Tangible folk cultural property designated by Fukuoka Prefecture)
海老﨑雪渓  近代(19-20世紀)  縦175.8×横412.0  所蔵:大浜流灌頂継承保存会  小栗判官が相模(神奈川県)の権現堂で横山氏に毒殺されそうになったが、侍女の機転に救われ脱出した画面(画面右奥)。画面中央は生死の確認にきた横山兄弟で、小栗配下の片岡兄弟(画面左)に返り討ちにされている。『寒燈夜話 小栗外伝』巻之六に掲載された葛飾北斎画を翻案した図。
Giant lantern painting depicting illustration from novels by Hokusai. (Tangible folk cultural property designated by Fukuoka Prefecture)
海老﨑雪渓  近代(19-20世紀)  縦185.2×縦468.2  所蔵:大浜流灌頂継承保存会  江戸時代後期の読本『新田義統功臣録』第二輯巻之五より、鷹狩中の足利基氏(画面中央)に仮病を申し出る竹澤監物(画面左)を描く。この後一足先に館へ戻った竹澤監物は、基氏の寵姫玉琴を殺害してしまう。画中の筋書き文は読本本文からの引用、一つ前(小栗判官伝説)と同様に本図も読本所載の葛飾北斎画の翻案である。
Giant lantern painting depicting the extermination of yokai, based on a novel (Tangible folk cultural property designated by Fukuoka Prefecture)
海老﨑雪渓  近代(19-20世紀)  縦184.5×横458.0  所蔵:大浜流灌頂継承保存会  岩見重太郎が信州松本(長野県)で人身御供を要求する狒々を退治する場面。重太郎は江戸時代から昭和時代戦前期にかけて講談などで人気を博したキャラクターで、全国各地に化物退治伝説がある。一説に小早川隆景の家臣・薄田兼相の前半生であるという。本図は肥後(熊本県)での狒々退治を描いた月岡芳年作品の翻案である。
Giant lantern painting depicting the extermination of yokai, based on a novel (Tangible folk cultural property designated by Fukuoka Prefecture)
海老﨑雪渓  近代(19-20世紀)  縦176.8×横410.0  所蔵:大浜流灌頂継承保存会  『寒燈夜話 小栗外伝』巻之十二より、下総(千葉県)の城主・結城持朝(画面右奥)が、妖怪に攫われた娘・白糸姫(画面右下)を探して船越山(兵庫県)に至るも、救出に苦戦している場面を描く。持朝の放った矢は、妖術をつかう狒々(画面左)に届かない。後日小栗判官らの助けで妖怪を討伐する。
Lantern painting depicting a legendary assassination from the 16th century
竹雲  近代(19-20世紀)  縦179.0×横479.0  所蔵:大浜流灌頂継承保存会  天正10年(1582)の本能寺の変で奮戦する織田信長一派を描く。落合芳幾の浮世絵を翻案した絵だが、原画があくまでも人形浄瑠璃・歌舞伎の演目「絵本太功記」にならって歴史上の人物名を避けているのに対し、本図ではその配慮を廃し実在の人物名を記す。また画面中央下の情けない明智軍(桔梗紋)も本図の創意と思われる。
大灯籠絵(酒吞童子退治)
作者不詳 近代(19-20世紀) 縦179.0×横443.0 所蔵:大浜流灌頂継承保存会 天下無双の武将・源頼光が鬼の頭領・酒呑童子を退治する。ひるがえる童子の袴や、首だけとなっても反撃を試みる童子など、全体の構図は歌川国芳の浮世絵を参考に左右逆転させている。作者不詳だが画風は〈作品24〉の竹雲作に似ている。近隣地域にも類例〈作品40〉がある人気の画題。
大灯籠絵「木曾義仲法住寺殿焼討」
作者不詳 近代(19-20世紀) 縦179.0×横489.0 所蔵:大浜流灌頂継承保存会 木曽義仲による法住寺殿焼討は平安時代末期の史実で、院御所が武士によって攻め破られた前代未聞の事態。画面中央には木曽義仲四天王、その背後にははや戦意喪失した公卿ら、そして画面左には逃げ惑う女房と転ぶ幼子が描かれ、混乱を極めた戦場の様子がうかがわれる。
大灯籠絵「一ノ谷合戦無官太夫敦盛青葉の笛をたつさへて出陣し給ふ図」 (2026/8/18~10/18展示中)
作者不詳 近代(19-20世紀) 縦154.0×横402.0 所蔵:大浜流灌頂継承保存会 源平合戦のうち一ノ谷の戦い前夜。笛の名手だった平敦盛(画面中央)が、祖父が鳥 羽上皇から拝領したという青葉の笛を吹く。このあとわずか16、7歳の敦盛が熊谷直実に討たれることは「平家物語」などでよく知られており、壇之浦(山口県)で散る父・経盛(画面左)の姿ともども雅な風情がかえって涙を誘う。
大灯籠絵(石橋山の戦い)
作者不詳 近代(19-20世紀) 縦155.0×横398.0 所蔵:大浜流灌頂継承保存会 源平合戦のうち石橋山の戦いで、武勇に秀でた佐奈田義忠が大庭景親らを討ち取らんと出陣し、まず1人目の首級をあげた場面。その後も夜で視界がきかないなか奮戦したが、やっと敵将をみつけ組み伏せたときには先の血糊で刀が使えなくなっており、惜しくも討たれたという。画面左の稲毛某は義忠郎党を討った人物。
大灯籠絵(一ノ谷の戦い平氏諸将討死の図)
作者不詳 近代(19-20世紀) 縦152.0×横400.2 所蔵:大浜流灌頂継承保存会 源平合戦の一ノ谷の戦いで総崩れになった平氏諸将を描く。画面中央右手で奮戦するのは平忠度。文武に優れ、討たれた時は敵味方が惜しんだという。画面奥で敗走するのは平知盛。交戦中に嫡男・知章に助けられたが、知章は敵に囲まれて討死、郎党・監物太良頼賢(画面左)も討たれたため、知盛は生存を悔い涙したという。
大灯籠絵「福原殿舎怪異」 (2026/8/18~10/18展示中)
作者不詳 近代(19-20世紀) 縦155.0×横400.0 所蔵:大浜流灌頂継承保存会 「平家物語」より、晩年の平清盛が強引に遷都した福原(兵庫県)で怪異に苛まれるさまを描く。本図は、雪景色の庭をながめていると突如多数の髑髏が現れた場面。月岡芳年なども描いているが、本図は葛飾北為や歌川広重の作品を翻案している。昭和30年代には、大浜流灌頂の際に町内の家の壁に飾られていたこともあった。
大灯籠絵「後藤基次国松君ヲ守護シテ紀州ヨリ帰路闇リ峠ニ於テ家康公ヲ突ク図」
作者不詳 近代(19-20世紀) 縦157.2×横371.6 所蔵:大浜流灌頂継承保存会 平成30年(2018)に製作された全天候型の「大灯籠」に使用する「大灯籠絵」。雨でも海老﨑雪渓の作品が見られるようにとの意図で〈作品19〉と同じ画題である本図が選ばれた。大浜の「大灯籠絵」は4メートルを超えるものが多いなか、157.2メートル×371.6メートルと小型である。
大灯籠絵(岩見重太郎狒々退治)
作者不詳 近代(19-20世紀) 縦157.4×横367.0 所蔵:大浜流灌頂継承保存会 〈作品31〉と対になるもので、〈作品22〉と同じ画題。全天候型の「大灯籠」は、従来のように箱型の木枠に「大灯籠絵」を貼り付けて飾るのではなく、〈作品31・32〉を背合わせにして専用ビニールでとじたものを木枠に挟み込んで飾る。原三信病院(博多区大博町)から東に通る「流灌頂通り」の入口に飾られる。

これより先は、令和7年に確認された新出資料

大灯籠絵(本能寺の変) (2026/9/25~10/18展示)
半田鶴城ヵ 近代(19-20世紀) 縦290.0×横536.8 所蔵:大浜流灌頂継承保存会 令和7(2025)年に新たに確認された大燈籠絵。画題は本能寺の変で、明智光秀の軍勢に取り囲まれる織田信長の姿が描かれている。作者は右下に鶴城とある。大燈籠絵は、博多・福岡ゆかりの絵師らによる制作も多く、また落款から、福岡出身の日本画家・半田鶴城の可能性がある。 特別展『大灯籠絵』の図録では「画題不明」として掲載したもの。
大灯籠絵(賤ヶ岳の戦い)
鶴城 近代 縦290.0×横536.8 所蔵:大浜流灌頂継承保存会 令和7(2025)年に新たに確認された大燈籠絵。「(本能寺の変)」と一対の関係と推測される。 黒田長政の賤ヶ岳の戦いを描いたものであるが、2枚とも翻案元については確認できていない。 こちらも半田鶴城による作と思われる。
写真「大燈籠絵『播州須磨寺ノ櫻ニ義経高札ヲ立ル図』」
佐々木滋寛の著書『博多年中行事』の口絵にも使用された大濱流灌頂の「大燈籠」の写真〈参考1〉中にある一得斎高清「大徳寺焼香之図」の奥に三基の「大燈籠」が見える。そのうち最も手前のものには、右端上部に不明瞭ながら「義経」「高札」と見える。この画題が一勇斎国芳の浮世絵「播州須磨寺ノ櫻ニ義経高札ヲ立ル図」を翻案したものであることが分かった。〔研究紀要35〕

第2章 絵師たちの活動

「大灯籠絵」は、博多周辺で活動する浮世絵師や絵馬師が手がけてきました。しかし彼らの活動や人物像については謎の部分も多くあります。本章では、一得斎高清、海老﨑雪渓、白水耕雲が残した作品や地域に伝わった資料から、彼らが福岡の年中行事や社会と深く結びついていたことを紹介します。

↓ タブを押すと絵師について詳しく見られます ↓

一得斎高清

一得斎高清(以下、高清)は、現存する「大灯籠絵」のなかでもっとも大きなものを制作した絵師です。現在5点の「大灯籠絵」が確認されています。(2024年10月時点)

↓ ●■を押すと来歴が見られます ↓

年表

明治20年(1887)ごろ
生年不詳
没年不詳
明治19年(1886)ごろ
明治20年代
明治20年(1887)ごろ
第5回九州沖縄八県連合共進会に関わる版画を制作