Description
首里丘陵の最高部にあり、その創建年代は不明であるが、第1尚氏による三山統一後に王城として確立した。その後、第2尚氏の尚真・尚清によって、王城東南石垣を二重にし、「継世門」を設け、今日の規模ができ上がったものであろう。 城は那覇より東行する大道に中山門・守礼門、城門第一門として歓会門、外郭には久慶門・継世門をひらき、内郭には瑞泉門・淑順門・白銀門を設け、これらの門を石垣でつらねていた。内郭には木造の諸宮殿を建立する。その正殿は最も雄大であり、前面左右に[[南風殿]はえおどん]・[[北殿]にしおどん]が相対し、そのまわりに書院・内原書院等が存在していた。これらは、すべて今次大戦で失われ、城内の拝所「[[首里森]しょりもり]」も原形を失ったが、守礼門のみ復元された。しかし、首里城は沖縄を代表する城であり、王城としての構えをなお十分に伺うことができる。 琉球王国の王城であった首里城跡の西北、歓会門と守礼門の間に[[園比屋武御嶽]そのひゃんうたき]がある。園比屋武御嶽は、国王が城外に出御する際に、道中の平安を祈願した場所と伝えられ、拝殿に当たる石造の門が現存する。門は単層平入の唐門で、門の扁額によって、正徳14年(1519)、尚真王の時代に創建されたものであることが知られる。 この園比屋武御嶽石門は、第2次世界大戦の際に損壊したが、昭和32年に修復され、同47年に国の重要文化財に指定されている。首里城における琉球国王の祭祀にかかわる遺跡として追加指定し、保存の万全を図ろうとするものである。
Data source
Cultural Heritage Online
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Last updated
October 8, 2026