Jump to main content

Description

高さ48cm、緑泥片岩の自然石を墓石としています。墓石表面には近松門左衛門の戒名「阿耨院穆矣日一具足居士」(あのくいんぼくいにちいちぐそくこじ)と妻の戒名「一珠院妙中日事信女」(いちじゅいんみょうちゅうにちじしんにょ)、裏面には「享保九年(1724)十一月二十二日」と没年が刻まれています。 近松門左衛門の墓と称するものはいくつかありますが、国指定史跡になったものは、広済寺の近松墓と大阪市中央区谷町にある法妙寺跡の墓の2基だけです。近松門左衛門は音曲の名人竹本義太夫と協力して、近世初頭に始まった人形浄瑠璃を空前の盛況にまで発展させた脚本家で、「曽根崎心中」「女殺油地獄」「冥途の飛脚」など数多くの名作を残し、 東洋のシェークスピアとも称されています。広済寺再興の開山講に名を連ね、同寺において母の供養を行うなど、広済寺と深いつながりがあったことがわかります。毎年、命日(11月22日)の前後の日曜日に広済寺において近松祭が盛大に催され、文豪を顕彰しています。

Meta Data

EDUCATIONAL

規約に従うことで制限なく利用できる

NON-COMMERCIAL

規約に従うことで制限なく利用できる

COMMERCIAL

規約に従うことで制限なく利用できる

Data source

Digital Archive of the Amagasaki City Museum of History

Digital Archive of the Amagasaki City Museum of History

October 10, 2025