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デジタルコレクションでみる江戸時代の地図

主に国立国会図書館が所蔵する江戸時代に作成された代表的な地図をご覧いただけます。

日本図

通称「慶長日本総図」。河川・道路・航路が詳細に記入され、城下名の傍らには城主と石高を記載した小紙片が貼りつけてある。城主の氏名は承応3年(1654)ごろの状況を示すが、図中の全国城下の配置は十数年も前のころのものである。図形上の特色は、奥羽地方が短小で陸奥湾の湾入が浅く、四国が矩形に近く、九州中央部がくびれていることである。縮尺は五分一里(259,200分の1)と考えられている。

石川流宣の日本図

長久保赤水の日本図

伊能図

伊能忠敬(1745-1818)の作成になるいわゆる「伊能図」の一種で「大図」といわれるものである。明治期の模写図で、当館は同種の地図43枚を所蔵する。平成9年気象庁より寄贈。 伊能忠敬は寛政12年(1800)から文化13年(1816)までの17年間10次にわたり、順次全国を測量し、多くの地図を作成した。「伊能図」というのはその総称である。「大図」とは縮尺の大きい図の意で、この場合の縮尺は1:36,000(曲尺1分が1町にあたる)である。全214枚を連ねて全国をカバーする。

江戸切絵図

嘉永年間刊行図を中心とする尾張屋板江戸切絵図。武家、寺社、町家、川・堀・海、山林・原・土手などを色分けし、 上・中・下屋敷、木戸など記号であらわす。多色、寺社の絵画的表現など錦絵風の親しみやすさで広く用いられた。

世界図

対の「日本辺界略図」とともに1軸をなす。両図とも銅版刷、国境部分筆彩、高橋景保の識語と大槻磐水の跋文併載。文化4年(1807)、万国全図作成の特命をうけた景保による試作図で、永田善吉鐫。かねて評判の高い善吉の技術を確認した。「日本辺界略図」は小型の試作図のため簡略にとどまった日本付近の拡大図。総界全図はのちの「新訂万国全図」と同様、平射図法による両半球世界図。世界的に未解明であった日本北辺(サハリン島)の考証成果を示し、この地域に関しては当時の世界最新情報となっている。樺太の考証には間宮林蔵の資料を参照、間宮未踏の地は細い線で描く。世界図はカナリア諸島を0度とし、ユーラシア、アフリカ、オーストラリアを西半球、両米大陸を東半球とする(欧米製の両半球図と逆)。「日本辺界略図」は京都を中度(0度)とし、その東西に経度を刻む。

新製輿地全図。江戸時代後期の世界地理学者箕作省吾による両半球世界図。竹口貞斉、杉田祐斉鐫の、巻子仕立ての木版筆彩図。著者識語によれば、原図は1835年(我天保六年)、フランス刊行図だが、その図は異様で文字も小さいため、旧来の図も参照しながら別製の両半球図とした。弘化元年甲辰季冬識。経緯線間隔10度。経度の起点には西洋の諸書で異同があるが、旧例により鉄(ヘルロ)島を初度とすると注記する。筆彩は5大州境界色分、国境で、凡例で州名と対照し、非独立国には宗主国を文字符号で表示する。大槻磐渓、天保十五年甲辰南至日の識語をもつ。

マテオリッチの世界図をもとにした、正保2年ごろの刊行図に始まるとされる万国総図系の小型世界図。画面を左右に分割し、右に東を上にする縦長の卵型世界図、左にコマ割りで40ヶ国の男女人物像を描く。先行図が縦長画面の地図と人物をそれぞれを1枚とし、対の軸として構成しているのに対して、両図を1枚におさめていることを特色とする。

日本で刊行されたメルカトル図法の世界図として最初のもの。著者永井則(字士訓、号青崖、また?如楼)は江戸末期福岡藩の蘭学者。序は安積艮斉、跋は内田観。凡例に、世界図の多くは東西両半球に分断されているが、本図は合一した方図として見やすくしたとある。主図上部に小型の両半球、北極中心の図を載せる。地図銅刻は安田雷州。地図は銅版だが地図の前後に配された序・跋、凡例は木版(藍刷)。天保10年[1839]のイギリス版の地図を原拠とし、カムペン著「地球窮理考大全」、ストラーボ著「度数譜」により地名を補訂したというが、箕作省吾の「新製輿地全図」の影響もみられるという。序は安積艮斉、跋は内田観。

銅版筆彩 113×196cm