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埼玉県内の河川にまつわるデジタル資料

埼玉県立図書館令和5年度Web資料展「古典籍・絵図に見える埼玉の河川の風景」の一部です。

埼玉県立図書館ウェブサイトでは令和5年度Web資料展「古典籍・絵図に見える埼玉の河川の風景」が公開中です。

ここではその出張版として、埼玉県内文化施設で所蔵している河川にまつわる資料を紹介します。

1 利根川の風景

  • 名所江戸百景 利根川ばらばらまつ

    「名所江戸百景」は、歌川広重(1797~1858)が、安政3年(1856)から同5年(1858)にかけて制作した名所絵のシリーズで119枚からなる。構図の斬新さや多色摺りの効果を活かした作品は人気を博した。 描かれている場所は、利根川(現在の旧江戸川)の河口、または中川等諸説ある。投網で捕えられているのは、当時名品とされた利根川の鯉とも考えられる。後摺。

  • 東京両国通運会社 川蒸気往復繁栄真景之図

    左半分に大きく描かれた通運丸は、明治10年(1877)、内国通運会社が、江戸川・利根川に就航させた外輪蒸気船。両国橋付近では、車輪で水をかいて進む通運丸と、日本に昔からある船が入り混じり、橋の上や通運丸の待合所にも多くの人がいて、にぎやかである。待合所には行き先を書いた木の札が見える。

  • 従東京上野至武州熊ケ谷蒸気車往復繁栄之図

    明治16年(1883)の日本鉄道第一区線が仮開業していた時のようすを描いたもの。上野駅周辺の忍之池(しのばずのいけ)、東照宮、議事堂などが描かれている。遠くには筑波山、赤城山が見える。日本鉄道会社の高崎線は明治16年7月28日上野と熊谷の間が通じ、上野・王子・浦和・上尾・鴻巣・熊谷に駅がつくられ、1日2往復、所要時間は2時間24分だった。明治17年5月までに高崎まで鉄道が延伸、明治18年3月、東北線への分かれ目として大宮駅がつくられた。利根川、荒川の船を使っていた埼玉県北部地域・上州地方の農作物の輸送手段は大きく変わり、船による運搬、河岸場は急速に衰えた。

2 荒川の風景

  • 荒川の月(赤羽)

    雲の間から満月が照らす荒川を描いている。穏やかな流れに1艘の荷船が浮かんでいる。子供を背負った女性が堤を下り、明かりが漏れる家に向かっている。向こう岸が川口とみられるが、点在する明かりが、月あかりとともに川の水面に美しく映っている。

  • 大東京十二景の内・九月 荒川放水路の秋色

    完成してから3年たった荒川放水路の秋の景色を描いている。遠くには煙突から煙を出す多くの工場があり、川には2艘の舟が浮かんでいる。近くには釣り人が描かれている。放水路に架けられた橋は、千住新橋とみられる。昭和5年(1930)に完成した荒川放水路は、多くの水場があったり、土手で紙芝居が開かれるなど、人々がゆったりと休む場所だった。

  • 富士見十三州輿地之全図

    富士山を中心とした江戸と十三州を表した絵図。特に河川については詳しく紹介されている。荒川の源流について、「荒川源」との表現がある。

  • 鳥瞰図 秩父ながとろ遊園地図会

    長瀞の観光パンフレット。春の長瀞の鳥瞰図が描かれている。表題にある遊園地は、国神駅から3町(約330m)離れた荒川沿いの公園で、対岸の風景が楽しめるほか、養浩亭・鉱物植物標本陳列所・テニスコート・荒川運動場が設置されていた。

  • (絵葉書)寄居名所 子持瀬渡船場

    子持瀬の渡しは、玉淀河原と八高線鉄橋の間にあった荒川の渡し場。寄居から釜伏峠を越えて秩父へ抜ける裏道であった。冬季は仮橋が架けられていた。

  • (絵葉書)寄居名所 下渡船ノ風景

    「下(しも)の渡し」は、東上線鉄橋の下流にあった荒川の渡し場。「樋の下(ひのした)の渡し」とも呼ばれた。通常は渡し船で、冬場は仮橋が架けられた。手前が上流で、対岸は旧鉢形村。

  • 千住大橋吾妻橋 洪水落橋之図

    明治18年(1885)7月3日未明、荒川が増水し千住大橋が流された。吾妻橋に激突し、同橋も崩れ落ちて、転覆した船のような有様となった。暗闇の中、提灯の明かりを頼りに水防夫や消防等の人々が必死に綱を張り、岸に引き寄せ、何とか厩橋(うまやばし)への衝突は回避された。人々が協力して水害に対応する姿が描かれている。

  • 名所江戸百景 川口のわたし善光寺

    「名所江戸百景」は、歌川広重(1797~1858)が、安政3年(1856)から同5年(1858)にかけて制作した名所絵のシリーズで119枚からなる。構図の斬新さや多色摺りの効果を活かした作品は人気を博した。 画面右上に見えるのが善光寺。川上から6艘のいかだで木材が流されて来たところ。右下には舵をあやつる渡し舟の船頭が描かれている。江戸時代の荒川・善光寺周辺の風景を知ることができる。後世の摺。

  • 木曽街道蕨之駅 戸田川渡

    木曽街道(中山道)の69の宿場と、起点の日本橋を描いた70枚からなる風景画のシリーズ。渓斎英泉が34図、歌川広重が46図を描いている。このうち、埼玉県内の蕨、浦和、大宮、上尾、桶川、鴻巣、熊谷、深谷、本庄の各宿は英泉が描いた。本資料は英泉の名や版元の名が削除された後世の後摺。 船頭が長い竿を操る渡し舟に、多くの旅人が乗っている。中ほどの馬は鞍を着けている。頭上にはサギが飛んでいる。対岸には舟を待つ人々がいる。江戸時代後期の荒川の堤防や渡し場の様子をうかがうことができる。

3 治水・利水に関する資料

  • 武州埼玉郡高岩村絵図(二)

    現在の白岡市高岩の江戸時代後半の村絵図。主に用水、汚れた水を流す水路を中心に書かれていて、それらと備前堀川との関係などの詳細が書かれている。また水門の大きさ、堰の配置、土橋など用水に関する施設も記されている。元荒川、古利根川と用水、悪水、溜井の関係を示すものもある。この地域は、旧日川付近の水はけの悪い土地で、北部は備前堀川、笠原沼用水、南部は姫宮堀川に囲まれている。享保13年(1728)、見沼代用水が切り開かれたことを契機に、用水・排水が整えられ、庄兵衛堀川から水を取り入れることになった。

  • 武州埼玉郡高岩村絵図(一)

    現在の白岡市高岩の江戸時代後半の村絵図。主に用水、汚れた水を流す水路を中心に書かれていて、それらと備前堀川との関係などの詳細が書かれている。また水門の大きさ、堰の配置、土橋など用水に関する施設も記されている。元荒川、古利根川と用水、悪水、溜井の関係を示すものもある。この地域は、旧日川付近の水はけの悪い土地で、北部は備前堀川、笠原沼用水、南部は姫宮堀川に囲まれている。享保13年(1728)、見沼代用水が切り開かれたことを契機に、用水・排水が整えられ、庄兵衛堀川から水を取り入れることになった。

  • 昭和2年度工務報告(綴)

    昭和2年度の荒川上流工事事務所の工務報告書の綴りで、荒川の支流である入間川および新河岸川についてのもの。

  • 参考書(綴)

    荒川上流改修事務所職員の参考文書類。大正時代から昭和のはじめ頃の工事に関連した文書が綴られている。

4 その他川にまつわる資料

  • 大日本国々名高大川角力(番附)

    江戸時代に書かれた日本各地の有名な川の番付。行事は武州の宮戸川、山城の加茂川、江戸の両国川、勧進元差添人は大阪の天満大川と江戸の隅田川利根川は東の方の大関に、荒川や入間川は前頭に名が見える。

5 県立図書館Web資料展「古典籍・絵図に見える埼玉の河川の風景」紹介資料

埼玉県立図書館ウェブサイト令和5年度Web資料展「古典籍・絵図に見える埼玉の河川の風景」で掲載している資料をこちらでもご紹介します。説明などは埼玉県立図書館のページに掲載しています。

こちらで紹介している資料は、埼玉県で所蔵している資料のほんの一部です。このギャラリーを見て埼玉県の資料に興味の湧いた方は、「埼玉県」のページで資料を検索してみてください。