『写真週報』掲載写真と関連資料で見る戦時下の子供たち 2
『写真週報』は、1938年から1945年にかけて内閣情報部・内閣情報局によって発行された週間グラフ誌です。このギャラリーでは、1940から1941年に刊行された『写真週報』に掲載された子供たちのイメージをテーマに、使用された写真原板(フィルム)と関連資料とを合わせてご紹介いたします。
マッチも砂糖ももう安心 六大都市に切符制 『写真週報』第118号より
ほんとにお父さんは困ります。『こんなに買溜めをして。あはてなくても切符でチャンともらへるんですよ』『いやァーもう今後絶對に国策に沿ふよ、勘辨々々』(p.6)
1940年 撮影:写真協会
日常の家庭生活になくてはならぬもののうち、マッチと砂糖の切符制販賣がいよいよ六月一日から東京、大阪、名古屋、京都、神戸、横濱の六大都市(東京と大阪は六月五日から)實施されることになりました。巷間ではいよいよ物が無くなつたから切符制が布かれるのだと誤解して、砂糖屋やマッチを賣る店の前で買ひ溜めに狂奔する一部の人たちの見苦しい列さへ見られましたが、しかし事實は一切の暗雲を取除いてくれませう。(p.6)
写真週報第118号を閲覧する (国立公文書館デジタルアーカイブ)
写真週報第118号に使用された写真原板
薯米御飯はいかが 茨城縣下妻高等女學校の節米運動 『写真週報』第120号より
1940年 撮影:写真協会 笹本恒子
節米はわれわれ國民がぜひ實行しなければならぬ問題です。國民精神總動員本部はさきに節米の實行方法を全國に示して國民の協力を求めてゐます。その實施要項の一に、學校の協力を求め、晝食には麥飯、パン食を勵行し、女生徒には特に家事科をおいて節米に關する教科を取扱ふこと、といふのがあります。いふまでもなく、節米の實踐者として主婦の役割は非常に大切なもので、したがつて主婦となるべき女生徒の節米教育も亦なかなか重要なものとなります。茨城縣下妻高等女學校の家庭寮教育は精動の節米運動にさきがけ、代用食奨勵の實踐者として馬鈴薯から作つた『薯米』混食の範をたれ、生徒を通じて家庭への節米を奨勵してゐます。都會の女學校でも空地を利用する事ができれば、比較的育ち易い馬鈴薯を植ゑ、混食の手段にしたいものです。(p.6)
写真週報第120号を閲覧する (国立公文書館デジタルアーカイブ)
写真週報第120号に使用された写真原板
笹本恒子に関連する写真原板
米はわしらがひきうけた 新潟縣下の共同田植 『写真週報』122号より
現物支出 共同炊事に要する味噌、野菜、乾物類は各戸から賄ひ當番によつて集められる。(p.22)
1940年 新潟県中頸城郡保倉村 岡澤部落 撮影:写真協会 撮影者不詳
『旱魃に不作なし』とはいはれるものヽ、水が不足のために植付け不能の面積が増大すれば、一層の増産を図らなければならない戦時下の日本にはそれこそ由々しい問題である。かうした情勢の下に田植はどんな風に行はれてゐるか、その實際を新潟縣下の一例について窺つてみよう。(p.21)
写真週報第122号を閲覧する (国立公文書館デジタルアーカイブ)
関連資料:1940年 新潟県上越市高田の気象観測データ (気象庁|過去の気象データ検索)
新潟県上越市高田の1940年の気象観測データでは、5月には42mm、6月には102.2mmの降雨量が観測されています。これは平年の6割程度の雨量であり、水稲の栽培には相当の苦労があったと思われます。
写真週報第122号に使用された写真原板
一縣総出の奉公日 千葉県 『写真週報』第133号より
この村の副業の王座縄なひは年三萬貫に達するといひます。興亞奉公日、小学校の児童は校庭で縄なひ作業です(p.22)
1940年9月1日 千葉県 豊浦村 撮影:写真協会
いま日本は全世界と共に劃期的な轉換期に直面してゐます。日本で東亞の盟主として強く伸びてゆくためには、あらゆる意味での新體制が必要です。國家も、村も町も、個人の生活もすべて新體制をとらねばなりません。今澎湃として全國にその動きが巻き起つてゐます。こゝ千葉縣では、九月一日の興亞奉公日を期し擧縣一體、時艱克服聖業完遂運動を起しました。(p.23)
写真週報第133号を閲覧する (国立公文書館デジタルアーカイブ)
写真週報第133号に使用された写真原板
航空日 九月二八日 空だ 男のゆくところ 『写真週報』第135号より
『おゝすばらしいぢやないか』早速目につく新型設計圖 (p.20)
1940年 東京帝国大学 撮影:写真協会 菊地雙三郎
島國から東亞の盟主──世界の推進力にぐんと伸びた日本、今こそ新世界の空へも翼を伸ばさねばならない。『飛行機は飛行機の専門家に任せて置かう』といふ時代ではなくなつた。空は一億國民のものだ。男なら若い男なら一人残らず、分相應に空への知識を深め空への憧れを實踐しようではないか。(p.20)
写真週報第135号を閲覧する (国立公文書館デジタルアーカイブ)
写真週報第135号に使用された写真原板
菊地雙三郎に関連する写真原板
コドモトオモチヤ 『写真週報』第138号より
満一才──三才。オモチヤも實物に近いものを慾しがります。お嬢ちゃんには──セルロイドか布製のお人形、動物。簡單なおまま事道具 坊ちやんには──押して進める木製の自動車、汽車 頭腦の訓練に──お母さんの補助で積木、組立て繪等(p.24)
1940年 撮影:写真協会 加藤恭平
子供をしつけ導いて正しく健やかに育てゝゆくにはまづ子供の心の動きをほんとに掴んでゐることが必要です。これができなければ肝心の子供達は私達の希望する所へはついて来ないでせう (p.23)
写真週報第138号を閲覧する (国立公文書館デジタルアーカイブ)
写真週報第138号に使用された写真原板
加藤恭平に関連する写真原板
南洋神社鎮座祭 南洋群島パラオ・コロール島 『写真週報』第143号より
今日の歓びを顔一杯に示す島民の兒童 (p.18)
1940年 パラオ コロール島 撮影:写真協会
輝かしい紀元二千六百年に際し畏き邊りの仰出によつて、南洋群島パラオ諸島コロール島アルミズ高地に官幣大社南洋神社が創立され、その鎮座祭は十一月一日伊藤勅使の参向を仰いで荘厳のうちに執り行はせられた (p.18)
写真週報第143号を閲覧する (国立公文書館デジタルアーカイブ)
写真週報第143号に使用された写真原板
端午の節句がきた 『写真週報』第167号より
『写真週報』第167号(表紙)
1941年 撮影:写真協会
端午の節句がきた。尚武日本の男の祭、綠の風をそよぐ靑空に矢車の音爽かな節句がきた 仲良く綱を引張つて、日独伊、三人の子供が鯉幟を擧げてゐる、五月空に悠々と游弋する鯉幟に若い希望、枢軸國の未来が表徴されて── (p.24)
写真週報第167号を閲覧する (国立公文書館デジタルアーカイブ)
写真週報第167号に使用された写真原板
海の乙女たち 横須賀 海洋少女團訓練 『写真週報』第177号より
捧げもつ杖の先に海國日本の明日を宿して─栄光あれ海洋少女團 (p.3)
1941年 撮影:写真協会
海の乙女たち 横須賀 海洋少女團訓練・少女ながらもいたづらな夢と感傷とを擲つて、戦時下日本の現實を直視し海を知り海に挑まうと、横須賀信證女学校海岸少女團の少女たちは毎週二回軍艦『春日』の甲板一杯に氾濫して鴎と競ふ海洋訓練をつゞけてゐます (p.3)
写真週報第177号を閲覧する (国立公文書館デジタルアーカイブ)
写真週報第177号に使用された写真原板
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日本写真保存センターの写真原板から、1930~60年代にかけて撮影された冬のスポーツを紹介いたします。
日本写真保存センターでは歴史的、文化的に貴重な場面を写した写真原板(ネガフィルムやガラス乾板など)を後世に残すために、写真原板の収集・保存・アーカイブ化を行っています。
詳しくは、日本写真保存センターHPをご覧ください。












