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『写真週報』掲載写真と関連資料で見る戦時下の子供たち

『写真週報』は、1938年から1945年にかけて内閣情報部・内閣情報局によって発行された週間グラフ誌です。このギャラリーでは、1938から1939年に刊行された『写真週報』に掲載された子供たちのイメージをテーマに、使用された写真原板(フィルム)と関連資料とを合わせてご紹介いたします。

罐詰の出来るまで 『写真週報』第9号 より

1938年 撮影:写真協会

罐詰工場でレッテルを貼る子供


写真週報第9号を閲覧する (国立公文書館デジタルアーカイブ)

『写真週報』第9号に使用された写真原板

海の幸

海辺の春

水産加工業

沿岸漁業

水産製造加工業

大陸へさようなら! 『写真週報』第12号より

1938年4月19日 東京駅前にて 撮影:写真協会

『故國に残す最後の姿―今、寫眞師の握るシヤッターが、少年たちの短かつた日本での人生へ、かちり、と終止符をうつ。「さあ、皆笑つて撮らう……」と、健氣にうながす少年の言葉に、はらからも訣別の涙をかくして─』

写真週報第12号を閲覧する (国立公文書館デジタルアーカイブ)

『写真週報』第12号に使用された写真原板

貯蓄戦に参加せよ 『写真週報』第18号 より

1938年6月1日 撮影:写真協会

写真週報第18号を閲覧する (国立公文書館デジタルアーカイブ)

関連資料:公文雑纂 『国民精神総動員貯蓄報国強調週間ニ関スル件』
『國民精神總動員貯蓄報国強調週間ニ関スル件 一、趣旨 今後発行セラルベキ巨額ナル國債ノ消化ヲ図リ、且ツ必要ナル生産力擴充資金ノ要求ヲ圓滑ナラシムル爲ニハ國民貯蓄ノ増加ヲ圖ルコト極メテ肝要ナリ 仍テ此ノ際特ニ本週間ヲ設ケ國民ヲシテ貯蓄報國ノ念ヲ喚起セシメ貯蓄奬勵ヲ徹底的ニ行ヒ國民ノ貯蓄心ヲ涵養シ以テ銃後に於ケル國民各個ノ責務ヲ果サシメムトス ニ、名稱 國民精神總動員貯蓄報國強調週間 三、期間 自昭和十三年六月二十一日(火)至六月二十七日(月) 一週間』 (中略) 『 (備考)一、本週間中中央ニ於テハ左ノ普及方法ヲ構ズ 1.週報、寫眞週報ニ依ル宣傳 2.ラヂオ放送 3.冊子、ポスター、ビラ等ノ作成配布』

『写真週報』第18号に使用された写真原板

貯蓄報國

興亡ふた道筋

貯蓄報国

貯蓄報國

貯蓄報国

全國安全週間 『写真週報』第19号 より

1938年 撮影:写真協会

「規律訓練日─ 無敵皇軍をつらぬく厳しい軍律、鐵の組織─團軆生活に最も必要なのは規律の原種だ 防火、避難、防空等の演習を行つて、銃後の護りに備へると共に、無敵産業軍をつくるべく、統制された行動を訓練しやう。」

写真週報第19号を閲覧する (国立公文書館デジタルアーカイブ)

関連資料:『全国安全週間報告』
発行:1935年7月8日

『写真週報』第19号に使用された写真原板

全國安全週間

全國安全週間

全國安全週間

全國安全週間

全國安全週間

全國安全週間

全國安全週間

全國安全週間

支那事変一周年 『写真週報』第21号 より

1938年6月23日 第十四全東京乳幼児見審査會場にて 撮影:写真協会

支那事變一周年 「事變勃発の夜呱々の聲をあげたあかちやんもかく丸々と育つてゐる。新生支那よこの赤ちやんと共に健やかに、正しく強く延びよ。」「(昭和十二年七月七日生まれの赤ちやん東京市豊島區長崎南町一ノ一九四〇 春山哲郎君 ─六月二十三日、第十四全東京乳幼児審査會場で撮影)」

写真週報第21号を閲覧する (国立公文書館デジタルアーカイブ)

関連資料: 講演:支那事変一周年を迎えて(一)
米内光政 [海軍大臣大将]

『写真週報』第21号に使用された写真原板

ヒットラー・ユーゲント 派遣團来る 『写真週報』第29号 より

1938年8月16日 東京駅前にて 撮影:写真協会

「輝かしい故國の青少年を迎へて大喜びの在京ドイツ人。」

写真週報第29号を閲覧する (国立公文書館デジタルアーカイブ)

関連資料:『萬歳ヒットラー・ユーゲント』
北原白秋[作詞]、高階哲夫[作曲]、高階哲夫[編曲]、藤原義江、日本ビクター管弦楽団

『写真週報』第29号に使用された写真原板

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家庭では

家庭では

家庭では

家庭では

灯火管制の種類

公園や野原では

灯火管制の種類

公園や野原では

灯火管制の種類

灯火管制の種類

公園や野原では

家庭では

公園や野原では

公園や野原では

満州国大使館にて 『写真週報』第31号(表紙) より

1938年9月7日 満州國大使館にて 撮影:写真協会

「初秋の陽射しに満州國五色旗がはためく東京麻布の満州國大使館では、今日も、成長してゆく若いこの國家の外交の歩みが進められて余念なし。颱風すぎ去つた落葉の庭に折から散歩する院大臣のお嬢さん、守蘭さん(十八)と守筠さん(六つ)。」

写真週報第31号を閲覧する (国立公文書館デジタルアーカイブ)

『写真週報』第31号に使用された写真原板

銃後後援強化週間 『写真週報』第33号(表紙) より

1938年9月17日 臨時東京第一陸軍病院にて 撮影:写真協会

銃後後援強化週間 『ヘイタイチヤン、ビヤクイノヘイタイチヤンと、手に手にあどけない圖畫や手工品をかざして駆けよつてきた幼稚園慰問部隊勇士は大喜び、「有難うよ、坊やたち、をぢさんはもうこんなに元氣になつたよ」とその一人を勢よく秋空に抱き上げる。臨時東京第一陸軍病院にて─』

写真週報第33号を閲覧する (国立公文書館デジタルアーカイブ)

関連資料:『産聯パンフレット 第11輯 (ニュー・ディールの諸相)』p.30より 銃後後援強化週間實施要項
『銃後後援強化週間實施要綱(昭和十三、八、四 次官會議決定) 事變長期に亙るに従ひ銃後後援は益々其の重要性を加ふるに至れり此の秋に當り銃後後援強化週間設け一層銃後後援に關する國民の認識を深め特に戦歿軍人の遺功を偲ぶと共に傷痍軍人及出征軍人等に對する感謝の念を高揚せしめ以て國民各層の日常生活を通じ之が具現永續を圖り併せて傷痍軍人、戦歿軍人の遺族及出征軍人の家族等に對する援護の完璧を期せんとす』 銃後後援強化週間實施要綱には、子供たちに傷痍軍人や戦死軍人への尊敬、感謝の念を抱かせ、また戦死軍人の遺族の名誉に対する認識を強化する取り組みを行う、と記されています。

『写真週報』第33号に使用された写真原板

今年の七・五・三アルバム 『写真週報』第42号 より

1938年11月15日 明治神宮にて 撮影:写真協会

『「兵隊ちやんのオヂチヤマは千歳飴よか、衛生ボールの方が好きだワネェ」人さし指、中指、くすり指……あたし三ツブよ、髪置の式を丁つた國防婦人會員が銃後の感謝けなげなサービスに一生懸命。』

写真週報第42号を閲覧する (国立公文書館デジタルアーカイブ)

『写真週報』第42号に使用された写真原板

日本に生活を學ぶ支那の少女たち 『写真週報』第48号 より

1939年1月16日 自由学園にて 撮影:写真協会

「静かな冬の夜、自習室の留學生たち。北京にゐるお父さんやお母さんのところへ樂しい日課のハガキ通信を今だしたところ。」

写真週報第48号を閲覧する (国立公文書館デジタルアーカイブ)

『写真週報』第48号に使用された写真原板

夏休みをすてヽ 都會でも 『写真週報』第74号 より

1939年7月8日 東京市芝區愛宕高等小学校にて 撮影:写真協会

『さきに青少年学徒に對し有難き勅語を拜した文部省は今夏學生、生徒、兒童を如何に過ごさせるかについて夏休みの再検討を行つたが、夏休みは勿論冬休も今後は『業を休む』といふ觀念を捨て、『心身鍛錬』の期間とすることに決定した。』『使ひ慣れた自分達の机や椅子の破損は夏休みのうちに修繕しよう。』

写真週報第74号を閲覧する (国立公文書館デジタルアーカイブ)

関連資料:『青少年学徒ニ賜ハリタル勅語謹解』p.55 より『4 靑少年學徒の重任』
『4 靑少年學徒の重任 やがて國家の中堅となり、皇國の運命を雙肩に負ひ、皇運を扶翼したてまつる者は、靑少年學徒である。今日の國民は、よく皇國の使命を自覺して、一路邁進、時難の克服に努めてゐる。この遺業をうけついで、来るべき次の時代に對處する者は、靑少年学徒である。今日の國民が如何によく苦難に堪えて、その本文をつくしても、次代の後継者にこの遺業を大成する實力がなかつたら、國運の將来は、甚だ憂慮すべき結果を生ずる。將に来たらんとする次代の國運は、靑少年學徒の覺悟と努力の如何によつて定まる。靑少年學徒の任務は、まことに重大である。』

『写真週報』第74号に使用された写真原板

関連ギャラリー

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日本写真保存センターの写真原板から、1930~60年代にかけて撮影された冬のスポーツを紹介いたします。

日本写真保存センターでは歴史的、文化的に貴重な場面を写した写真原板(ネガフィルムやガラス乾板など)を後世に残すために、写真原板の収集・保存・アーカイブ化を行っています。


詳しくは、日本写真保存センターHPをご覧ください。