写真フィルムからよみがえる原爆の記録と記憶 ー長崎原爆翌日の記録を中心にー
1945年8月10日、長崎に原子爆弾が投下された翌日に山端庸介氏が その被害状況を記録した写真フィルムなどを紹介します。
はじめに
日本写真保存センターでは、文化庁委託事業「文化関係資料のアーカイブの構築に関する調査研究」として、文化財や建物・風景、暮らしや日常、地域文化など貴重な映像が記録された写真原板(写真フィルム)の収集・保存・利活用等に関する調査研究を行ってきました。
今回、これまで収集してきた写真原板の利活用の一環として、原爆が投下されて 80 年の節目に、日本写真保存センターが保存・管理している写真原板から、長崎被爆翌日を記録した写真を中心にご紹介します。写真原板を後世に伝えることの大切さを考えて頂くきっかけになれば幸いです。
山端庸介が撮影した原爆投下翌日の長崎
山端庸介氏は、1940年に海軍省軍事普及部従軍写真班員として撮影に従事。1945年7月に、福岡に司令部をおく陸軍西部軍管区に新設された報道部へ徴用されました。軍の嘱託写真報道班員として原爆投下翌日の8月10日早朝に長崎市郊外の道ノ尾駅に降り立ち、長崎市内に徒歩で入って、被害状況を100枚以上撮影しました。
今回、撮影者である山端庸介氏のご遺族から許諾を得て、日本写真保存センターで保存・管理している写真原板(写真フィルム)のオリジナル画像を公開致します。
当時の記録をそのまま掲載するため、感情的に負担に感じる画像が一部含まれます。
これらの画像は、1945年8月10日、長崎に原子爆弾が投下された翌日に山端庸介氏が被害状況を撮影した白黒ネガフィルム(オリジナル画像)と、それをもとに画像を確認しやすいように作製したコンタクト画像です。背景に写っている建物や山並みから撮影した場所が特定でき、山端氏の当日の足取りを辿ることができます。主な撮影場所と代表的な写真を以下に掲載します。
<参考文献>
吉村文庫制作・出版 「被爆翌日 山端庸介 長崎原爆写真117枚全撮影位置解析」 2024年初版
場所をクリックすると撮影された写真をご覧いただけます
写真原板の保存意義
写真原板とは、撮影時にカメラに装填されていた、写真画像のもととなる記録媒体(メディア)、つまり、写真フィルムやガラス乾板などを指します。写真原板は撮影の瞬間、その場で記録された最も直接的で唯一無二の記録であり、これらが無ければ写真プリントを作成することはできません。一般に写真と言うと、プリントや印刷物などを指しますが、プリントや印刷された写真は、撮影された膨大なコマから選ばれた少数のものであり、トリミングや明るさ、トーン、色あいの補正など、意図を持った編集操作が行われます。
もし写真原板が失われてしまったら、それらの操作が行われる以前の直接的な記録や、場合によっては事実の記録が失われることにもなります。何らかの理由でプリント、印刷されなかったコマにも、その写真が撮影された背景を物語る重要な情報が記録されています。写真原板を調査すると、プリントや印刷された写真の前後に撮影されたカットから周囲の状況や時間経過、写真家の興味の変化や視点の推移とそこからわかる撮影の意図も理解できます。
日本写真保存センターでは、写真原板を保存する事こそが、撮影された写真画像を正確に後世に残すために必要であると考えています。
写真展および記念講演会の開催
2025年は広島と長崎に原爆が投下されて80年の節目の年になります。日本写真保存センターでは、保管・管理している原爆関連写真約 300点からセレクトした作品約50点を展示する写真展を開催します。写真原板から作製した高精細なプリントを是非ご覧ください。今回ご紹介した山端庸介氏のコンタクト画像のプリントもご覧いただけます。
写真展「写真フィルムからよみがえる原爆の記録と記憶」
主催:公益社団法人 日本写真家協会 日本写真保存センター(文化庁委託事業)
期間:2025 年 7 月 31 日(木)~8 月 20 日(水)
午前10:00~午後 6:00 (入場無料)最終日 午後 3:00 まで
* 8 月 7 日(木)~8 月 13 日(水)および日曜休館
会場:東京都新宿区新宿1-4-10 アイデム本社ビル2階
アイデムフォトギャラリー「シリウス」(地下鉄丸ノ内線新宿御苑前駅下車)
開催記念講演会「写真フィルムからよみがえる原爆の記録と記憶」
講演会1 『写真原板が社会に与えた影響について、写真史・博物館それぞれの視点』
日時:2025年8月2日(土) 10時00分 開場 10時30分 開始 12時45分 終了
会場:東京都写真美術館 1Fホール(JR、東京メトロ日比谷線、恵比寿駅下車)
概要:写真の黎明期から現代に至るまで、写真原板は社会の記録、文化の伝承、そして芸術表現の基盤として重要な役割を果たしてきました。本講演会では、近代から続く写真報道に詳しい写真史研究家で学術博士の白山眞理氏と、博物館における写真資料の保存・活用を専門とする田良島哲氏が、それぞれの視点により写真とその原板が社会に与えた影響について踏み込みます。
講演会2 『写真家・土田ヒロミが50年間向き合い続けた「ヒロシマ」』
日時:2025年8月9日(土)10時00分 開場 10時20分 開始 11時50分 終了
会場:東京都写真美術館 1Fホール(JR、東京メトロ日比谷線、恵比寿駅下車)
概要:土田ヒロミ氏が1970 年代から撮影を続ける「ヒロシマ三部作(人・風景・物)」。被爆80 年の今年、これまでの集大成として、プロジェクトの起点から現在までを語ります。
展示作品の紹介
写真展で展示する作品の一部を、日本写真保存センターで保管・管理している写真原板(写真フィルム)のオリジナル画像と合わせてご紹介します。
松重美人(中国新聞社より委託を受けて写真原板を保存・管理)
松重美人氏(当時32歳)は、中国新聞社編集局写真部(中国軍管区報道班員)に勤務。朝、広島市の自宅にいて被爆し、軽傷を負う。原爆投下当日に5枚を撮影した。
吉田潤(ご遺族より寄贈を受けて写真原板を保存・管理)
吉田潤氏は、1948年にサン・ニュース・フォトスに入社し、1964年からはフリーランスとして活躍。写真集『戦後フォーカス293』(潮出版社,1983年)に、広島、長崎の原爆に関連する写真を掲載。
岸田貢宜(広島平和記念資料館より委託を受けて写真原板を保存・管理)
写真館を営んでいた岸田貢宜氏(当時29歳)は、戦況悪化で休業、中国軍管区司令部報道班員となった。1945年8月6日は、出張先の安芸高田市から広島市に戻り、被爆。翌7日から市内の撮影を行った。
林重男(広島平和記念資料館より委託を受けて写真原板を保存・管理)
林重男氏(当時27歳)は、原子爆弾災害調査研究特別委員会が編成する調査団に物理班のスチールカメラマンとして参加。残留放射能の脅威がささやかれる中、10月1日から10日まで、広島で撮影を行った。
深田敏夫(広島平和記念資料館より委託を受けて写真原板を保存・管理)
深田敏夫氏(当時17歳)は、爆心地から2.6kmの霞町広島陸軍兵器補給廠に動員されていた。原子爆弾の炸裂約20分後に小型カメラで、巨大な原子雲を撮影した。










