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『浜口梧陵小伝』浜口梧陵翁五十年祭協賛会,昭和9 / 国立国会図書館デジタルコレクション

津波の被害は、小説や随筆、俳句など様々な文学のテーマにもなっています。

The Ansei Nankai earthquake and The Rice Straw Fire

安政元(1854)年11月5日に安政南海地震が起こり、被害地域は中部から九州に及びました。地震と津波の被害は大きく、この地震にまつわる実話から「稲むらの火」という物語が生まれ、教科書に掲載されて流布しました。

「稲むらの火」は昭和12~22年まで尋常小学国語読本に掲載されました。 高台に住む老人五兵衛は、地震の後で津波の予兆である引潮に気が付きました。当時は火事が起こったら村人全員が助けに行く相互扶助のきまりがありました。そこで彼はそばにあった稲むら(刈り取った稲を乾燥させ、脱穀するまでの間、空地などに積み上げておくもの)に火を付けて、五兵衛の家が火事だと村人に思わせて高台へ集めて津波から救ったという物語です。

「稲むらの火」の主人公五兵衛のモデルになったのは紀伊国有田郡廣村(現和歌山県広川町)の浜口梧陵(はまぐちごりょう) といい、ヤマサ醤油の7代目当主で、勝海舟などとも親交があり、西洋医学の研究も援助するなど広い視野を持った人物でした。本書には、浜口の手記で、安政南海地震の救助の様子が詳細に記されています。掲載画像は、逃げ遅れた人々を高台へ導く目印とするために、路傍の稲むらに火を放った様子が描かれています。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の肖像(出典:小泉八雲全集. 第1巻,大正15)
「稲むらの火」と実話では浜口の名前や火を放った目的など異なる点が多々あります。これにはラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が書いたA Living Godという短編小説が関わっています。
  • By Lafcadio Hearn,Yushodo

    浜口梧陵の実話に想を得てラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、A Living Godという短編小説をアメリカの雑誌Atlantic Monthly(179号 1896年12月)に発表しました。A Living God(「生神」)というタイトルは、浜口に救われた村人が「浜口大明神」と呼んで、彼を神のように讃えたことに由来しています。

  • ラフカデイオ・ヘルン 著,田部隆次 訳編,八雲書店

    「A Living God」の日本語訳の一つ。

  • 中井常蔵 編,中井常蔵

    本書によると、当時、和歌山県の小学校教師だった中井は広村の隣の湯浅町で育ち、幼い頃から浜口梧陵の業績を親から聞いて知っていましたが、A Living Godを読んで改めて郷土の偉人に深く心を打たれました。文部省が教科書用の教材資料を募集していることを知った中井は、英文をもとに「燃ゆる稲むら」を作成し、入選したとあります。

昭和23年からは教科書に載ることもなく、「稲むらの火」を知る人は少なくなりましたが、平成16年12月26日に起こったインドネシアのスマトラ沖地震をきっかけに、津波防災教育の教材として注目されました。現在ではたくさんの言語に翻訳されて、世界中で活用されています。

アジア防災センターホームページ External Site
「稲むらの火」をアジア各国の言語や英語、スペイン語、フランス語に翻訳したブックレットを見ることができます。
気象庁ホームページ「稲むらの火」 External Site
『稲むらの火』や浜口梧陵の実話、A Living Godについてだけではなく、安政南海地震の絵図や浜口梧陵の築いた堤の構造や写真なども掲載されています。

Pearl Buck and the Shimabara tsunami occurred by Unzen earthquake

1792(寛政4)年4月1日、雲仙岳の火山活動による地震で前山(天狗山)の頭部がくずれ、崩土0.34km3が島原海に入って津波が起こり、津波による死者は全体で約1万5千人にも及びました。対岸の肥後にも大きな被害が及んだことから「島原大変肥後迷惑」と呼ばれました。

ノーベル文学賞を受賞したアメリカの文学者パール・バックは、昭和2年の夏に長崎県の雲仙に数カ月間滞在しました。その時に島原大変肥後迷惑の話を聞いて、The Big Wave(1947年)という子供向けの物語を書いたのではないかと言われています。

『The Big Wave』(1947年)の挿絵は北斎、広重の版画が使用されています。バックはまえがきで挿絵に北斎、広重の版画を選んだ理由として「挿絵は日本の国と人々の精神を表現すべきものです。日本は美しい国です。そんな国だからこそ挿絵も美しくなければなりません。」と日本への深い思いを述べています。
  • パール・S.バック 文,黒井健 画,北面ジョーンズ和子, 小林直子, 滝口安子, 谷信代, 弘中啓子 訳,径書房

    漁村で暮らしていた少年ジヤは津波で家族を失い、農村に住む友人キノの家で成長します。成長したジヤは津波がまた来ることを知りながらも、海とともに生きることを選び、漁師となって海辺へと戻っていくという物語です。

  • パール・バック 著,竜口直太郎 訳,河出書房新社

    この話は映画化され昭和36年にアメリカで公開されました。出演は早川雪洲、伊丹十三、ミッキー・カーチス、ジュディ・オング、音楽は黛敏郎、津波の特撮には円谷プロダクションが協力という豪華な布陣で、撮影は昭和35年に日本で行われました。本書では、撮影時にパール・バックが来日して立ち会った時のエピソードが紹介されています。

The Meiji Sanrikuoki earthquake in literature

明治三陸地震津波の報を聞いた文学者たちも新聞や雑誌に作品を寄せています。

正岡子規は新聞『日本』に「海嘯」というタイトルで14句を寄せています。子規は『日本』の新聞記者でしたが、日清戦争に従軍記者として派遣されて、帰国した後に結核を発病し、被災地に行けない状況でした。「海嘯」は同僚記者の記事をもとに書いたと言われています。
  • 博文館

    雑誌『文芸倶楽部』を発行していた博文館は、明治29(1896)年7月25日の臨時増刊号「海嘯義捐小説」を企画、定価20銭で発行しました。この増刊号は森鴎外、尾崎紅葉、樋口一葉など名だたる文学者や画家の賛同を得て約70もの作品が5日あまりで集まりました。9月10日号には「海嘯義捐小説義捐金報告」として、売上純益の300円(現在の価値で約50万円)を岩手、宮城、青森の三県に義捐したとの報告が載っています。

明治三陸地震津波から25年後の大正9(1920)年8月31日の朝日新聞には、三陸地方を旅した民俗学者の柳田國男が「豆手帳から」という寄稿文を寄せています。

男が津波で亡くなった妻に出会う物語(p.85)を紹介しています。

本ページはダイジェスト版です。ぜひ、オリジナルサイト:https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/8/2.html(国立国会図書館HPへ飛びます)もご覧ください。