蔦屋重三郎の道のり
-館長からの一言-
ようこそ蔦屋重三郎についての博物館へ
館長です。
まず蔦屋重三郎をご存知でしょうか、
知らない人はもちろん、知っている人もより詳しく知れることでしょう。
ぜひ江戸の大衆文化を楽しんでください。
-展示について-
蔦屋重三郎は江戸のメディア王と呼ばれ、多くの作品をプロデュースしました。
出版業界で確かな地位を確立した人物です。
そのような人物がどのようにしてその地位を確立させたのか、
蔦屋重三郎のその地位までの道のりを蔦屋重三郎を大きく変えた浮世絵を始めとした作品と展示してあります。
そして、蔦屋重三郎と江戸の大衆文化の二つを共に学べるという展示のテーマとしています。
蔦屋重三郎の始まり
- [新吉原細見]
蔦屋重三郎
吉原で生まれ吉原で小商いから始まり。
当時、吉原遊郭にあった案内書である細見(吉原細見)の出版権を独占していた鱗形屋の経営が傾いた隙を狙い出版権を買い取るまで成長し、内容を最新のものに刷新して情報の精度を上げました。情報の精度が蔦屋重三郎のその後のビジネスの基盤となりました。
蔦屋重三郎『[新吉原細見]』(立命館大学アート・リサーチセンター所蔵)
「ARC古典籍ポータルデータベース」収録
(https://jpsearch.go.jp/item/arc_books-hayBK03_1079)
メディア王にまでなった蔦屋重三郎の強み
- 万載狂歌集
大田南畝, 朱楽菅江 編,陸文堂
日本橋に進出して、今までの蔦屋だった店の名前を耕書堂に変えました。
この出来事は蔦屋重三郎にとって大きな転機でした。
進出と同時期に狂歌ブームが起こりました。
その波に乗るように上の展示品である「万載狂歌集」を相版(共同出版)という形で出版しました。
狂歌という新しいジャンルへの参入の象徴であり、大衆のブームを感じ、いち早くその波に乗れることが強みです。
蔦屋重三郎の圧倒的な商売センスはその後も耕書堂を大きくさせました。
大田南畝, 朱楽菅江 編,陸文堂『万載狂歌集』(国立国会図書館所蔵)
「全国書誌」収録
(https://jpsearch.go.jp/item/bibnl-41003210)
作家:蔦屋重三郎
- 百千鳥狂歌合
喜多川歌麿(画)、赤松金鶏(撰),蔦屋重三郎
今までの展示をご覧になったみなさんは
「蔦屋重三郎はプロデューサーみたいなもんじゃないの!?」と思うでしょう。
蔦屋重三郎は蔦唐丸(つたのからまる)というペンネームで狂歌師の活動もしていたのです。
そして作家同士のコミュニティーを通して多くの狂歌師と交流を重ねたことで信頼関係が生まれました。百千鳥狂歌合は多くの狂歌師たちの歌が掲載されており、その中には蔦唐丸の歌もあり、そのことから多くの狂歌師との信頼関係を表しているものでもありました。
喜多川歌麿(画)、赤松金鶏(撰),蔦屋重三郎『百千鳥狂歌合』(The British Museum所蔵)
「ARC古典籍ポータルデータベース」収録
(https://jpsearch.go.jp/item/arc_books-BM_JIB0141_)
蔦屋重三郎 挫折を味わう
狂歌ブームが終わりに差し掛かり、次は遊郭の客と遊女の会話を描いた洒落本(シャレ本)がブームとなりました。
江戸のメディア王の階段を順調に登っていた蔦屋重三郎も勿論この流れに狂歌ブームで築いた人脈を使い乗っていました。その中でも、特に人気作家の山東京伝と組み、次々に出版していました。
そんな中洒落本が大流行して、幕府が風紀を乱すとして規制を強化しました。(寛政の改革)
さすがの蔦屋重三郎でも手を引くと思われましたが、そんな逆風にも怯まず出版した洒落本の一つが“仕掛文庫“でした。
ですが、幕府の怒りを買い蔦屋重三郎は財産の半分、作者の山東京伝は手鎖50日という重い罰を江戸の人々への見せしめという意味でも受けました。
ですが挫折を感じさせない程にすでに蔦屋重三郎は次を見据えていました。
山東京伝 作・画,蔦屋重三郎『仕懸文庫』(国立国会図書館所蔵)
「ARC古典籍ポータルデータベース」収録
(https://jpsearch.go.jp/item/arc_books-NDL_2533925)
蔦屋重三郎最後の勝負
- 婦女人相十品・ポッピンを吹く娘
喜多川歌麿筆,東京国立博物館
洒落本が規制され蔦谷重三郎は浮世絵に目を向けました。
そして、浮世絵に資金を始めとしたものを集中させました。
その中でも2人の作家のプロデュースに力を入れました。
一人は喜多川歌麿です。歌麿は耕書堂に居候させ長い期間をかけて育てました。
喜多川歌麿筆,東京国立博物館『婦女人相十品・ポッピンを吹く娘』(東京国立博物館所蔵)
「ColBase」収録
(https://jpsearch.go.jp/item/cobas-49160)
- The Actor Ōtani Oniji III as Edobei
東洲斎写楽筆,By Toshūsai Sharaku (dates unknown),東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>「恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)」に取材。市川男女蔵(いちかわおめぞう)が演じる奴一平(やっこいっぺい)の用金(ようきん)を奪おうと襲いかかる江戸兵衛を描いたものです。あごを突き出し下から睨みあげるような眼差しは、一平と対の構成が意識されています。両手の描写は不自然さが指摘されますが、殺気が生み出されています。<br /></p>
そんな歌麿とは対向だったのが、東洲斎写楽です。
写楽は謎の新人として話題になり、活動期間は10ヶ月だったともされています。
現代でもよく知られている写楽は当時はあまり人気がでなかったそうですが、写楽の話題で市場を耕書堂が独占して、歌麿が目立ち始め人気になりました。そうして挫折を乗り越え、それと同時に蔦谷重三郎は江戸の出版の中心人物となりメディア王となりました。
東洲斎写楽筆,By Toshūsai Sharaku (dates unknown),東京国立博物館,Tokyo National Museum『三代目大谷鬼次の江戸兵衛』(東京国立博物館所蔵)
「ColBase」収録
(https://jpsearch.go.jp/item/cobas-49085)
-展示を見終わった方へ-
展示はいかがだったでしょうか。
蔦谷重三郎が江戸のメディア王になれたのは蔦谷重三郎自身の圧倒的な商売センスだと思います。
蔦谷重三郎は後世にも多くのものを残し商売戦略は現代にも通じるものが多くあると思います。
過去の浮世絵などの作品を見るとき作家に目がいきがちですが、蔦屋重三郎のような版元の人物を注目するのもまた面白いかもしれません。
展示をご覧いただきありがとうございました。
-関連イベントの紹介-
常設展江戸のポップ・カルチャー「浮世絵」 一江戸から現代へー、和泉市久保惣記念美術館 期間令和8年2月8日から令和8年3月22日まで



