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日露戦争について

日露戦争の表側と裏側

こんにちは。制作者です。日露戦争を様々な角度から考察したギャラリーとなっています。ぜひご覧ください。

日露戦争の発端から終戦まで

1894年 三国干渉
1899年義和団事件
1900年義和団制圧
1902年 日英同盟
1904年日露戦争
1905年日露戦争終戦
1894年 三国干渉
日清戦争(1894-1895)の講和条約、下関条約で得た遼東半島を、ロシア・ドイツ・フランスに返還させられた(三国干渉)ことに対し、日本国内でロシアへの対抗意識が高まった。

年表に記したことについて詳しく説明していく。

日露戦争は、日本とロシアが朝鮮半島や満州の支配権をめぐって対立したことから始まった戦争である。事の裏側には、19世紀後半からの帝国主義の広がりがあった。日本は日清戦争後に朝鮮半島への影響力を強めようとしていた。一方で南下政策を進めていたロシアもこの地域への進出を強めていた。特にロシアは、三国干渉後に遼東半島の旅順・大連を租借し、シベリア鉄道や東清鉄道を建設して軍事的・経済的な支配を広げていった。こうした動きは日本にとって大きな脅威となった。

1902年、日本はロシアに対抗するために日英同盟を結び、外交的な後ろ盾を得た(イギリスは自らロシアと戦争するのではなく、悪魔でも日本に「戦わせる」といった認識で同盟を結んだと考えられる[※1])。その後、日本はロシアと満州や朝鮮の支配範囲について交渉を行ったが、交渉は決裂した。そして1904年、日本はロシアに宣戦布告し、日露戦争が始まった。

戦争は主に満州や遼東半島、そして日本海で行われた。日本軍は旅順を包囲し、激しい戦闘の末に占領した。また、奉天会戦でも日本軍はロシア軍を破った。さらに決定的だったのが1905年の日本海海戦である。東郷平八郎率いる連合艦隊は、当時無敵と言われていたバルチック艦隊をほぼ壊滅させ、日本の勝利を決定づけた。「東郷ターン」は、あまりにも有名です。

その後、アメリカ大統領のセオドア・ルーズベルトの仲介により講和会議が開かれ、1905年にポーツマス条約が結ばれた。この条約でロシアは日本の朝鮮における優越権を認め、南樺太の割譲や旅順・大連の租借権の譲渡などを受け入れた。しかし、日本が期待していた賠償金は得られなかったため、国内では不満が高まり、東京で日比谷焼打ち事件が起こった。[※2]

戦後、日本は朝鮮半島への支配をさらに強め、1905年には韓国を保護国とし、1910年には韓国併合を行った。また、満州でも南満州鉄道株式会社を設立し、経済的支配を進めていった。日露戦争の勝利は、日本が欧米列強と肩を並べる強国になったことを示す出来事であり、アジア諸国にも大きな影響を与えた。一方で、多くの犠牲と財政負担をもたらし、その後の日本の軍事的拡大路線にもつながっていった。

  • 日英同盟

    三宅,井上仲蔵

    日本とイギリスの意見が合意。ただそこにも裏の意味がある

  • 三国干渉

    近松秋江 著,桜井書店

    ロシア、ドイツ、フランスの3カ国が日本に迫り、遼東半島返還を強いられる。

  • 三国干渉歴史小説

    近松秋江著

    ロシア、ドイツ、フランスの3カ国が日本に迫り、遼東半島返還を強いられる。

イギリスが日本に指示し、日本はそれに従っていることを皮肉しているかのような風刺画が見られる。

みなさん日露戦争についてわかってもらえたでしょうか?きっと頭の良いみなさんなら日露戦争の本質について深い知識を身につけられたでしょう!日露戦争は、世界からの視点、国民からの視点など様々な視点から考察できると思います。ぜひみなさんも、他の視点から物事を観察してみてください。作品を見ていただきありがとうございました。

そして、流れるようにこのギャラリーに最高評価をつけてみましょう。すると、いいことが起きます。きっと。


東郷神社にて5月28日に東郷平八郎をしのぶ

参考サイトhttps://togojinja.or.jp/annual