源平合戦博物館
源平合戦。それには複雑な関係があります。
館長の挨拶
こんにちは、館長です。この博物館は源平合戦の保元の乱〜壇ノ浦の戦いをまとめた博物館です。保元の乱の前の前九年、後三年合戦と途中の戦いの何箇所は省いています。ご了承ください。それではお楽しみください。
この展示について
僕はジャパンサーチを授業で使った時にこれまでに習った歴史を思い出した時、源平合戦についてちゃんと詳しく調べたことはないなと思いこのテーマにしました。源平合戦とは源氏と平氏という平安時代の二大勢力が起こした数々の戦いのことをまとめた総称です。主に石橋山の戦いから壇ノ浦の戦いのことをいいます。しかし僕は源頼朝や、義経だけでなくそれより前の時代の戦いにもなんらかの関連性があるのではない
源平合戦の時系列
奥州十二年合戦、保元・平治の乱
- 筆者不詳/前九年合戦絵
模者不詳,東京国立博物館
館長からの一言
この絵は前九年合戦の様子が書かれた絵を模写したものである。現在では上野にある東京国立博物館に展示されている。
この戦いは平安時代の11世紀の東北の争いである。東北の大部分を治めていた安倍氏が朝廷から脱却するような動きを見せていた。その安倍氏討伐するために天皇から送られて、当時安倍氏たちの領土の近くに領土があった清原氏たちと協力し、戦いを始めたのが源頼家でした。この戦いは長い年月がかかりましたが、無事清原氏の助けをもらうことができ、源頼家は勝利します。そして安倍氏を滅ぼし平定しました。それによって清原氏はこれまでではありえないほどの領地を獲得しました。しかし、この領土によって次の戦いが起こります。
- Picture Scrolls of the Late Three Year War (copy)
源琦,Gen Ki
後三年合戦
館長からの一言
この絵巻は後三年合戦について書かれた絵巻を写したものである。
この戦いは前九年合戦が終わった後莫大な領地を獲得した清原氏が亡くなった後の領地を巡った内粉から始まりました。その内紛を聞きつけた源頼家が内紛を抑える目的と言い、出兵しました。源頼家は清原清衡という人に味方をし、大量の軍勢で内乱を治めました。これによって清原清衡は莫大の富を持った奥州藤原氏となり、源家は東日本を中心に力を持つようになりました。
- 保元の乱・平治の乱
河内祥輔 著,吉川弘文館
館長からの一言
保元・平治の乱は源平合戦の原因とも言える非常に重要な戦いです。保元の乱は後白河天皇と崇徳天皇による後継争いからはじまりました。後白河天皇側には源頼朝と平清盛、崇徳天皇側には頼朝の父と弟、清盛の叔父がつきました。この戦いでは後白河天皇側が勝利し、その結果源頼朝と平清盛は力を手にして武力政権の基盤が出来始めました。平治の乱は諸説がありますが保元の乱で天皇からもらった恩賞が後白河上皇が気に入っていた平清盛の方が圧倒的に多く源頼朝が不満を持っていたからです。そしてついに源頼朝が挙兵。しかし当時平清盛には天皇や上皇に支援をしてもらった大量の軍隊外貨こともあり、圧倒的な数の差で平らに清盛が勝利。源頼朝は伊豆に島流し、牛若丸(源義経)などの他の兄弟たちも各地の寺に預けられました。
源平合戦
- 豆州石橋山鳶之涯ニ源頼朝主従臥木之中ニ隠ル図 歌川国芳筆
栃木県立博物館
館長からの一言
この絵は江戸時代の浮世絵師の歌川国芳が石橋山の戦いで平家に敗れた源頼朝が、主従と共に倒木の中に隠れて追っ手をやり過ごす、危機的かつ有名な隠遁の場面を描いています。
石橋山の戦いでは島流しにあった伊豆から出て来た頼朝が挙兵しわずか三百しかいない軍勢を率いて大庭景親などの兵士軍三千に惨敗し戦いです。この戦いで敗北した頼朝は命かながら箱根に逃げました。そして、奥州藤原氏に引き取られていた義経は兄の敗北の知らせを聞き箱根に向かいました。
- 「東海道五十三対」 「吉原」「富士川水鳥」
国芳,-,伊場仙板 伊場屋 仙三郎
館長からの一言
この浮世絵は石橋山の戦いも描いた歌川国芳が富士川の戦いについて描いたものだ。この絵からわかるように軍隊が川の近くから逃げている。これは平氏軍であり、源氏軍の最初の勝利となったのである。
この戦いの前石橋山の戦いで大敗北をした頼朝は箱根で東日本の武士を中心に軍勢を集めていた。そこに、奥州に預けられていた弟の義経がやってきた。義経によって北日本の武士にも協力してもらうことができ、挙兵した。しかし実際には戦場の富士川では実際には戦わなかった。夜間に平氏軍が水鳥の羽音を源氏の大軍による奇襲と勘違いしてしまい逃げてしまったのだ(諸説あり)。源軍は不戦勝とはなったものの大きな影響を与えた。平氏が西に逃げたこともあり源軍の範囲を広げることができた。また、実際には兵士は弱いという噂がながれてしまい反平氏派が増えたことである。
- 屋島壇之浦源平合戦之図
那須与一伝承館
館長からの一言
この作品は大正時代に屋島寺と屋島の戦いの平氏が船上に掲げた扇を、源軍の那須与一が弓で一発で射落とす有名な場面を描いたものである。
1881年に病気にて平清盛は死亡した。源軍は富士川の戦いから順調に兵士を追い詰めてついに瀬戸内海まで追い詰めることができた。瀬戸内海では珍しい大雨となったその日、平氏軍たちはこのような嵐だから襲ってくるまいと油断をし、屋島にて宴をしていた。それを見越していた源軍は大嵐の中船を出して夜襲を仕掛けた。案の定平氏は酒でやった人ばかりで全く戦力にはならずさらに東に追い詰められていった。
- 源平壇之浦大合戦之図
月岡芳年
館長からの一言
この作品は慶応元年に月岡芳年が壇ノ浦の戦いについて描いたものだ。作品からも分かるとおり船に乗りながら激しい戦いを行なっている。
ついに源平合戦の最終決戦。この戦いでも義経の戦法が功を奏した。潮風が源軍の方に向かっている際は防御を固めた。それによって平氏軍の矢の攻撃を防いだ。そして潮風が追い風になり、源軍は猛攻を仕掛けた。矢に火をつけて平氏軍の船に放ち、徹底的に燃やした。それによって平氏軍は完全に壊滅し、平清盛の息子の安徳天皇が母の二位尼の腕に抱かれながら海に沈んでいきました。これによってついに源平合戦は幕を閉じたそうです。
戦場の場所
この展示を見終わった人へ
源平合戦博物館はどうでしたか?思っていたよりも複雑な戦いと思っていただけたでしょうか。僕は調べていく中で知らなかったことや自分が考えていたよりも昔からこの戦いは絡んでいたことが知れて非常に面白かったです。源平合戦は今回展示した戦い以外にも何個かあります。それらもまた非常に興味深くて面白いエピソードや戦法があると思いますので気になった方は是非調べてみてください。改めまして展示を見てくださいまして誠にありがとうございます。
館長・佐藤
展示関連イベント
『源平合戦図屏風 其の二』 https://robundo.com/salama-press-club/wordpress/02/wp-content/uploads/sites/2/2025/10/3713b5154bc9813c6d724f3edeab9ac6.jpg
主催:アートスペースk.kakeshiro
会場:京都市立芸術大学C棟6階
期間:2025年9月3日〜2026年3月1日
内容:、本年は「屋島の戦い」が描かれた作品を展示。作品では本作の那須与一の「扇の的」、原景と美居屋十郎の「引き」、源義経の「月流し」 のエピソードについて、本学油画専攻の学生が制作したマンガでわかりやすく紹介するとともに、本学保存修復 専攻の協力で現した「扇の的」に登場する扇も展示していただけるそうです。
気になった方は是非いってみてください。




