小泉信三
こんにちは。小泉信三先生は第13代慶應義塾長です。小泉先生は太平洋戦争中に慶應義塾長を務めました。太平洋戦争中に慶應義塾長を務めました。僕は小泉先生が残した言葉である「練習は不可能を可能にす」という言葉がとても好きで小泉先生の博物館を作ることにしました。小泉信三先生は後に平成天皇の教育係も務めました。僕は、小泉信三を慶應義塾の一員として見習っています。小泉先生の一生や素晴らしいところをゆっくりと楽しんでみてください。
「展示について」
塾長と教授の関係である及川と小泉の戦時中でのこと、小泉が残したスポーツの3つの宝、青年小泉信三の日記という5つの展示をしています。特に日記は小泉が青年時代に経験したことが記されておりとても気に入りました。練習は不可能を可能にすという言葉はスポーツをしている人ならば知っておいて損はない言葉だと思います。
- 「退職願」(慶應義塾長小泉信三宛及川恒忠退職願)
及川恒忠、慶應義塾長 小泉信三
<館長からの一言>
この手紙を出した及川恒忠は慶應語塾大学の法学部長を務めた人物です。この手紙が提出されたのは昭和19年(1994年)末で、この時期は太平洋戦争が激しくなり、大学などの教育の場は厳しい環境となっていました。
また、なぜこの時期に及川氏が退職願を出したかという理由は戦時体制下での職務に対する葛藤があったからのものだと考えられています。
- 及川恒忠宛小泉信三書簡(及川の退職願に対して翻意を促す)
小泉信三、及川恒忠
<館長からの一言>
この展示物は1つ目の展示物に対する小泉先生の返信です内容は、退職願を受理せずに及川氏の翻意を促すために熱意のこもった内容です。小泉先生は及川をとても高く評価しており戦時中で厳しい時期だからこそ大学に留まるように説得しました。また、これは単純な手続きではなく塾長と教授
の深い関係があってのものであると思います。
- [論文題名]小泉信三著『青年 小泉信三の日記』
[論文執筆者名]服部礼次郎,[論文執筆者名]はっとりれいじろう
これは青年時代の小泉先生の日記です。22歳から26歳(明治44年~大正3年)にかけて記した未発表の青春日記です。慶應義塾大学を卒業後の東京生活、ロンドン・ベルリン留学、第一次大戦のこと等の学問、文芸、演劇、友情、恋心が描かれています。この日記を読むことで、 小泉先生の青春時代を知ることに適した史料といえます。
- 練習は不可能を可能にす
小泉信三 著,山内慶太, 神吉創二 編,慶應義塾大学出版会
この言葉は小泉先生が残した「スポーツが若者に与える3つの宝」である「練習は不可能を可能にするという体験を持つこと」「フェアプレー精神の体得」「友を得ること」の中に入っています。スポーツをしている人は知っていて損はない言葉だと僕は思います。
- 及川恒忠宛小泉信三書簡(慰留に応じたことに感謝し、大学の危機について意見を述べる)
小泉信三、及川恒忠
1945年1月17日付で小泉先生が及川氏に宛てた手紙です。終戦直前の危機的な状況下、自身の慰留に応じたことへの感謝を述べるとともに、大学が直面する危機と今後の対応についての意見が載っています。
小泉信三先生の一生
「展示を見終わった人へ」
僕の展示はいかがでしたか?
小泉先生のことについて興味を持って頂けたら幸いです。
スポーツをしている人には、「スポーツが若者に与える3つの宝」を意識して欲しいです。
「展示関連イベントについて」
・小泉信三記念講座は学術講演会)
・小泉信三賞 全国高校生小論文コンテスト



