Jump to main content
/

広重と富士

江戸時代化政文化を代表する画家の一人である歌川広重。広重は62年の生涯を江戸や日本各地の名所を描くことに捧げました。広重の風景画にはしばしば富士山が登場します。富士山は山岳信仰の対象であり、江戸っ子たちのあこがれの存在でした。本展覧会では広重の描く富士山に焦点をあて「東海道五十三次」、「冨士三十六景」、「名所江戸百景」と3つのセクションに分け展示いたしました。広重の伸びやかな筆さばきと淡彩風の明るい色遣いは肉筆画にも勝るとも劣りません。最後までどうぞご堪能ください。

東海道五十三次

お茶漬けのおまけでおなじみの「東海道五十三次」は広重の代名詞ともいえるものです。保永堂(竹内孫八)と遷鶴堂(鶴屋喜右衛門)という二つの版元による出版ですが、保永堂が後々まで版元を続けていたことから保永堂版と呼ばれています。天保三年(1832)徳川幕府が毎年八月朔日に行う朝廷への御馬献上の一行に加わった広重は、東海道を江戸から京都まで旅をし、実際に見た風景をもとに制作したといわれています。テーマの中には富士山はもとより、雪、霧、風などを繊細に描き、日本独特の季節感を表現しています。

「箱根の山は 天下の嶮」と歌にもあるように箱根は東海道随一の難所です。その険しさを強調するように中央の大きな芦ノ湖の向こう側には雲で覆われた真っ白い富士山が描かれ、岩肌や湖を囲む山々は緑、青、黄、茶等で配色されておりその美しさに目を奪われることでしょう。
大きく美しい姿の富士山は画面の枠を突き破り見るものに迫ってきます。おそらく広重は富士山を風景の中で大きく描くことで目の前にある霊峰富士を見た時の感動を描こうとしたのではないでしょうか。


冨士三十六景

広重の風景画には富士山がしばしば登場しますが、富士山自体がテーマにしているものは実は「不二三十六景」と安政五年(1858)制作の「冨士三十六景」の2つしかありません。本作は広重の絶筆の一つとなった作品です。広重は安政五年九月に病にて没していますが、刊行されたのは翌年の六月です。広重は江戸だけでなく、安房、信濃、駿河、甲斐など様々な場所から見た富士を描き出し、肉筆画にも劣らない出来栄えとなっています。

下総国小金原(現千葉県松戸市)にあった幕府直轄の馬の放牧場である小金牧を描いた作品です。手前の馬の大きさと大小の松と地平線からのぞく小さな富士山が描かれることで当時原野であったであろう下総台地の広大さを表現しています。
雑司ヶ谷(現東京都豊島区目白)が描かれた珍しい作品です。鬼子母神の御会式に合わせたのか菊の花が植えられています。神田川沿いの低地の田は稲刈りが終わり冠雪した富士山が描かれて秋を感じられます。この茶屋は現在は学習院大学の敷地となっていますが、低地には建物が立ち並び台地上には木々が生い茂っており残念ながらここから富士を見ることは出来ません。
武蔵小金井(現東京都小金井市)の玉川上水沿いを描いた作品です。桜の幹の洞から富士山がのぞき見える趣向が面白く、遠近感を強調した構図が特徴的です。
武蔵国野毛横浜(現神奈川県横浜市中区)の鳥観図です。奥に富士と大山がそびえたっています。幕末に開港する前の漁村の風景が描かれています。現在は埋め立てが進みこのような風景を見ることは出来なくなりました。

名所江戸百景

広重晩年の代表作の一つです。

縦長の画面形式が特徴的です。これを生かし、画面手前のモチーフを拡大する極端な遠近法を用いたユニークな作品に目を引かれます。19世紀後半、ヨーロッパ諸国にジャポニスムが広まる中、・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)が「亀戸梅屋舗」、「」大橋あたけの夕立」を油彩で模写し、ホイッスラー(James Abbott McNeill Whistler)が「京橋竹がし」から着想を得た「ノクターン:青と金色ーオールド・パターン・ブリッジ」を描きました。「名所江戸百景」が持つ西洋絵画とは異なる陰影のない平面的な表現や極端な遠近法、雨というモチーフ選択が斬新であり、関心を引いたのでした。

駿河町から眺める富士の姿は江戸随一の絶景ポイントであったといいます。その富士を背景に店を構えたのが大店の呉服商三井越後屋です。町の賑わいと壮麗な富士山を組み合わせており江戸の繁栄を強調するかのように敢えて富士山を大きく描いています。
まるで画面を覆いつくすかのようにこいのぼりが泳いでいます。季節は端午の節句の頃です。駿河台の武家屋敷の瓦の上に富士がくっきりと姿を見せています。屋敷には吹き流しや幟旗が掲げられ当時の生活が描かれています。
本作品の一番の魅力は宙づりの亀越しに富士を望む奇抜な構図です。旧暦八月十五日、仏教儀式である放生会に倣い、売り物の亀等の生き物を買い、川に放す習わしが行われていました。橋周辺の砂村はカメの養殖地でした。