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有職故実に触れてみよう

【館長あいさつ】

みなさんこんにちは。みなさんは、有職故実って知ってますか?

これは「ゆうそくこじつ」と読みます。有職故実とは、まず有職と故実に分けられます。有職とは、朝廷や武家の官職・典例に関する知識。また、それに詳しい人1)のことです。また故実は、昔の儀式・法制・服飾などの規定・慣習など2)です。あわせて有職故実と呼びます。

なぜ今回はこんな展示なのかといいますと、教科書の表の片隅に書いてあるこの有職故実を少しでも深く知っていただき、この文学の面白さを感じていただきたいと思ったからです。この展示をご覧になって、興味を持っていただけたら幸いです!

それでは、古き良き有職故実の世界へご案内致しましょう!

<出典>

1)「ゆう-そく【有職】」. 新村出. 電子辞書 『広辞苑』第七版. 岩波書店. 2018.

2)「こ-じつ【故実】」. 新村出. 電子辞書 『広辞苑』第七版. 岩波書店. 2018.

【この展示について】

今回の展示では、年表に沿ってご説明いたします。

説明の内容としましては、館長が抜粋した本の内容の中から、一部を少しだけ詳しく説明いたします。全部で4人計7冊の史料をご紹介するので、どうぞごゆっくりご覧ください。

著した人物が有名なことも多いため、目次でまとめたので、気になった所だけでもご覧になっていってください!

【平安時代の有職故実】

(著者:源高明)

平安時代(794年-1185年)
平安時代(794年-1185年)

源高明(914年-982年)の有職故実

本館が所蔵する土佐久翌光吉(1539~1613)筆「源氏物語図帖」との比較により、本図も光吉の作と判ぜられる。室町時代以降、土佐派によって源氏物語が描かれたが、桃山末期の土佐派の大画面源氏絵として貴重な作品といえよう。

【館長からのひとこと】

皆さんは源高明という人物をご存じでしょうか。実は、平安の世を治めた藤原家に失脚させられたとされる人物なんです。光源氏のモデルとする説2)もあります。 そこで、資料は源氏物語の絵にしてみました。

日本史の教科書や資料集によると、源高明は左大臣の職を担っていました。しかし969年、安和2年に謀反の罪で密告され、左大臣から太宰権帥(だざいごんのそち)に左遷され2)てしまいます。これが安和の変です。この事件は藤原氏の他氏排斥による政争の結果であると言われています。

そんな源高明ですが、左大臣にまで上り詰めただけあって相当頭がキレており、和歌も上手く有職故実に精通していました。それでは、源高明の著した西宮記の中身を少し覗いてみましょう。


<出典>

1)国立文化財機構所蔵品統合検索システム(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/kyohaku/A%E7%94%B2529?locale=ja), (参照2022-9-16).

2)「みなもとのたかあきら【源高明】」. 林巨樹・安藤千鶴子. 電子辞書 『古語林 古典文学事典名歌名句事典』. 大修館書店.

  • 源高明

    https://www.dh-jac.net/db1/books/results.php?f1==NDL-2551517&enter=portal こちらの収録元データベースで閲覧することが可能です。

    【館長からのひとこと】

    日本大百科全書によると西宮記は「10世紀ごろからの時勢の変遷により、儀式作法にも変化が生じ、既成の官撰書では現実に対応できなくなったために、編纂(へんさん)された1)とされています。私撰ながら貴重な有職故実書として重んじられてきた西宮記をご紹介しましょう。

    西宮記は、最初にまず目録が載っています。今回は定穢事の項目を紹介したいと思います。

    収録元データベースの39コマ目中央あたりをご覧ください。「定穢事」とかかれています。この項目では、当時の人々が「穢れ」と感じていた事項について述べられています。漢文で読むのが難しいですが、「神祇官」「勘文」「弘仁式」などから読み解くと、律令制度下のある神祇官の「定穢」についての勘文(朝廷に報告する文書)があったようです。ここには人の死・出産、畜(家畜・動物)の死・出産のときについての事柄が記されています。その後には「葬」「忌」「呪」などの漢字が見られます。これらを見ると、当時の人々の生死に対する価値観が見えてきますね。また現代でも、人が亡くなった場合は忌引きをとって喪に服することが一般的ですから、その部分に通じるものもあると思います。


    <出典>

    1)「西宮記(さいきゅうき)」. 電子辞書 『日本大百科全書(ニッポニカ)』. 小学館. 2014.

【鎌倉時代の有職故実】

(著者:順徳天皇)

鎌倉時代(1185年-1333年)
鎌倉時代(1185年-1333年)

順徳天皇の有職故実(1219年-1221年)

【館長からのひとこと】

これは順徳天皇ゆかりの地である佐渡の写真や説明が載っている書物です。順徳天皇と聞くと、百人一首がお好きな方は100首目の「百敷や古き軒端のしのぶにもなほあまりある昔なりけり」の一首が浮かぶのではないのでしょうか。一方で、順徳天皇は親の後鳥羽上皇と共に時の鎌倉幕府を倒すため兵を挙げました(承久の乱)が、敗れてしまい佐渡に配流された人物でした。これにより一見関係ないように見える順徳天皇と佐渡には深い繋がりがあることがわかりますね。

今回紹介するのは、順徳天皇が著した「禁秘抄」です。私が調べた限り上・中・下の三巻編成となっていますが、山川日本史小辞典によると漢文体で上巻46項,下巻451)と記されており、後に写本されたものが多く現存しているようです。

順徳院御抄」「建暦御記」「禁中抄」とも2)いい、南北朝時代から現在の書名3)である禁秘抄になったのです。「賢所 (かしこどころ) ,宝物,清涼殿,紫宸殿,天皇の毎日毎月の行事,朝儀,食事,装束,仏神事,殿上地下の侍臣,女官,御持僧,祈祷など諸事にわたってい2)ます。数多くの事柄が記述されています。また諸処に新儀の誤りを指摘し,旧儀の廃絶を嘆いているところに天皇の有職 (ゆうそく) ぶりを知ることができ2)、平安時代から鎌倉時代までの有職故実の変遷の結果も見ることができそうです。

それでは1つずつ見ていきましょう。


<出典>

1)「きんぴしょう【禁秘抄】」. 電子辞書 『山川 日本史小辞典 改訂新版』. 山川出版社. 2016.

2)「禁秘抄[キンピショウ]」. 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目電子辞書版』. ブリタニカジャパン株式会社. 2007.

3)「禁秘抄」. 電子辞書 『日本大百科全書(ニッポニカ)』. 小学館. 2014.

  • こちらの収録元データベースで閲覧することが可能です。(https://www.digital.archives.go.jp/item/3922163.html)

    【館長からのひとこと】

    まずは上巻です。目次を見てみましょう。

    「賢所」は山川日本史小辞典によると宮中において天照大神(あまてらすおおみかみ)を象徴する神鏡を安置し祭る所1)とされ三種の神器の一つである八咫鏡(やたのかがみ)のほか、天皇の権力を象徴する太刀・節刀・鈴なども保管された1)と書かれており有職や故実において重要な場所でした。「賢所」の項目内である資料の7ページ目には白河院の時代に「神鏡飛び出で天に上らんと欲したまふるに女官唐衣の袖に懸けて引き留め奉る」という不思議なお話があります。また「天徳焼亡」「長徳焼亡」など内裏の火災の出来事が書かれており、内裏における歴史も記されていることがわかります。

    また、上巻には天皇の普段使う場所や日常の行動が多いです。天皇の日常の居所2)「清涼殿」宮殿または殿堂の上3)である「殿上」天皇の寝所4)である「夜御殿」紫宸殿とも呼ばれる南向き5)「南殿」とあわせて、朝の食事6)「朝餉」「朝夕御膳」「毎月」「御膳」などもあり、内裏の歴史や毎日がよく分かるようになっています。

    他にも儀式で使われる「大刀契」や、鬼に奪われたことで有名な「玄上琵琶」などの道具までこと細かく書いてありますね。

    特に、天皇ともなると普段から失敗は許されないためでしょうか。日々の営みまでもをルール化して書物に残そうとする姿勢がとても興味深いですね。


    <出典>

    1)「かしこどころ【賢所】」. 『山川 日本史小辞典 改訂新版』. 山川出版社. 2016.

    2)「清涼殿[セイリョウデン]」. 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目電子辞書版』. ブリタニカジャパン株式会社. 2007.

    3)「【殿上】デンジョウ/テンジョウ」. 鎌田正・米山寅太郎. 『新漢語林 第二版』. 大修館書店. 2011.

    4)「よる-の-おとど【夜の御殿】」. 新村出. 電子辞書 『広辞苑』第7版. 2018.

    5)「なん-でん【南殿】」. 新村出. 電子辞書 『広辞苑』第七版. 岩波書店. 2018.

    6)「あさげ【朝食・朝餉】」. 新村出. 電子辞書 『広辞苑』第七版. 岩波書店. 2018.

  • こちらの収録元データベースで閲覧することが可能です。(https://www.digital.archives.go.jp/item/3922164.html)

    【館長からのひとこと】

    次に中巻の目次を見てみましょう。

    まず儀式で着る装束や作法についてが書かれています。ここでは「御装束」や「人事次第事」、「御書事」など主に天皇を含む内裏の人々についてのことが書かれています。史料の12,13コマ目を見てみましょう。「賀茂祭」は現在の葵祭であり平安時代には祭といえば賀茂祭をさした、というくらい有名な祭りです。ここでは臨時の際のことが書かれています。「八幡放生會」という行事もありますね。八幡というと多くは石清水八幡宮2)のことだそうですが、項目内には「精進」と書かれていることから、鎌倉時代でも仏教的世界観が日本に浸透していたことがよくわかります。当時でも放生会の習慣があったことも伺えますね。

    そして目次に戻ると、次は「殿上人事」、「蔵人人事」など内裏の中で働く人について詳しく書かれています。

    殿上人事」は35-37コマに記述があります。令外官の一つ3)の「参議」、公卿(くぎょう)の摂家に次ぐ家格4)の「華族」、天皇や皇族の警備と雑役5)担った「舎人」、太政(だいじょう)大臣、左大臣、右大臣6)を含む「公卿」などについて書かれており、どれも上殿で働くことができます。それぞれに進むためのコースが複数ありますから、もし私たちがこの時代にいたらどんな仕事をしていたか気になりますね。

    史料の43コマ目には「瀧口」とあります。蔵人所(くろうどどころ)の被官として置かれた内裏(だいり)勤番の武士。(中略)内裏内の清涼殿の北、(中略)北廊付近の御溝水(みかわみず)の落ち口(瀧口)7)に勤務場所があったことに由来するそうです。ここにも試験について書かれているようですが、文献によるれば、とくに上手な者を試験して採用7)ていたようです。

    最後に紹介するのは史料48コマ目の「陰陽道」です。陰陽は「陰陽道如きは蔵人所に候する」と書かれています。かの有名な安倍晴明らも蔵人にて働いていたということが伺えますね。陰陽道は中国から伝来し、日月や十干十二支の組合せ8)など様々な要素から吉凶を判断するもので、当時の儀式を行うのに適した日時を定めるのに重用されました。現在でも大安や仏滅など六曜の付いたカレンダーがありますから、少し身近に感じられると思います。

    まだまだ興味深い項目が多いですが、そろそろ下巻ものぞいてみましょう。


    <出典>

    1)「かもまつり(賀茂祭)」. 電子辞書 『合本俳句歳時記 第四版』. 角川学芸出版. 2008.

    2)「はち-まん【八幡】」. 松村明・山口明穂・和田利政. 電子辞書 『旺文社古語辞典』第十版. 旺文社. 2015.

    3)「参議」. 電子辞書 『日本大百科全書(ニッポニカ)』. 小学館. 2014.

    4)「華族」. 電子辞書 『日本大百科全書(ニッポニカ)』. 小学館. 2014.

    5)「舎人」. 電子辞書 『日本大百科全書(ニッポニカ)』. 小学館. 2014.

    6)「公卿」. 電子辞書 『日本大百科全書(ニッポニカ)』. 小学館. 2014.

    7)「瀧口」. 電子辞書 『日本大百科全書(ニッポニカ)』. 小学館. 2014.

    8)「陰陽道」. 電子辞書 『日本大百科全書(ニッポニカ)』. 小学館. 2014.

  • こちらの収録元データベースで閲覧することが可能です。(https://www.digital.archives.go.jp/item/3922165.html)

    【館長からのひとこと】

    最後に下巻です。

    まず「女房事」、「女官」など女性に関することが書かれています。史料の11コマや16コマを見てみますと、「」や「不可」が多く、制限が多い中で働いていたことが分かりますね。

    次に「詔書事」や「勅書事」、「改元事」など朝廷の代表的なお仕事について書かれています。ここの部分に入ると過去の前例が記述されている場合が多いですね。25コマ目の改元の項目では、文章道を担当した教官1)の「文章博士」や儒者2)である「式部大輔」、「儒卿」(儒者の敬称3))が関わっていたようです。直近で言えば令和の元号も万葉集から引用されており文学者の方々が関わっているので当時も決めるための人々が存在していたとなると、現代とあまり変わらないところが面白いですね。コマを送っていくとほかにも「追討宣言」や「配流」など朝廷の興味深い仕事について語られています。

    最後の方には「止雨事」、「祈雨事」など天気にかかわることが書かれています。平安・鎌倉時代ですから、防災設備や科学技術も豊富ではなかったため、祈願することで天気を動かして洪水や飢饉を防ごうとしていたようです。48コマ以降を見ると、神祇官陰陽師などがそれぞれの仕事をしていました。「止雨」については、應和2年に雨を止ませることがあったとの記述があり、真偽は定かではありませんが、とても不思議ですよね。

    他にも都の火事や、天象を観測して以上があったとき、天文博士が5)天皇に申し上げる「焼亡奏」や「天文密奏」などもあったため、この禁秘抄は様々な事象について考慮され作成されたことがわかります。

    さあ、次の時代も見てみましょう。


    <出典>

    1)「文章博士[モンジョウハカセ]」. 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目電子辞書版』. ブリタニカジャパン株式会社. 2007.

    2)「しき-ぶ-のたいふ(タユウ)【式部の大輔】(名)」. 松村明・山口明穂・和田利政. 電子辞書 『旺文社古語辞典』第十版. 旺文社. 2015.

    3)儒卿とは-コトバンク. <https://kotobank.jp/word/%E5%84%92%E5%8D%BF-2048998>, (参照2022-9-18).

    4)「そう・する【奏する】」. 新村出. 電子辞書 『広辞苑』第七版. 岩波書店. 2018.

    5)「てんもん-みっそう【天文密奏】」. 新村出. 電子辞書 『広辞苑』第七版. 岩波書店. 2018.

【南北朝時代の有職故実①】

(著者:北畠親房@小田原城)

南北朝時代の有職故実①

南北朝時代(1336年-1392年)
南北朝時代(1336年-1392年)

北畠親房の有職故実(1340年)

小田原城

【館長からのひとこと】

ここからは南北朝時代に入っていきます。鎌倉時代では武士の台頭が中心で、鎌倉初期以外は有職故実書があまりありませんでした。鎌倉幕府が滅亡し、1336年,足利尊氏が光明天皇を擁立し,後醍醐天皇が吉野に移って南北朝が分立1)したことから、天皇の権威が復活してきたことが分かるかと思います。

小田原城を提示した理由は、これから紹介する有職故実書は北畠親房という人物が後村上天皇のために常陸小田城で筆をとった2)職原抄」という書物です。当時の官位制度などについての貴重な史料である2)とされ、中を見てみると官位の名前から人数まで細かく記されています。

それでは北畠親房の職原抄をのぞいてみましょう。


<出典>

1)「南北朝時代(なんぼくちょうじだい)」. 電子辞書 『日本史用語集 改訂版』. 山川出版社. 2018.

2)「職原抄[ショクゲンショウ]」. 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目電子辞書版』. ブリタニカジャパン株式会社. 2007.

  • こちらの収録元データベースで閲覧することが可能です(https://www.digital.archives.go.jp/item/3975409.html)

    まずは上巻です。最初の1から5コマ目までは主な官位と歴史上出来事があわせて説明されています。

    5コマ目からは、官位の名前とその人数、説明がされています。

    太政官」には太政大臣一人(正従一位)、左大臣一人(正従二位)、右大臣一人(正従二位)、...と位の高い順に並べられ書かれています。他にも令外官である中納言も正式に人数などが定められていますね。

    史料の24コマ目には「式部省」とあります。先ほどご紹介した禁秘抄の下巻にも式部大輔がありましたね。式部省では「官所統するなり」とあり、「本朝文官の除授考選の事」と読めます。式部省は文官の勤務状態,品行の良否を調べて太政官に上申1)したり、官を授け位を叙す1)といった人事一般を司った1)とされます。また、27コマ目には「大學寮」とあり、その中には禁秘抄下巻の説明で出てきた「文章博士」があります。この文章博士は、元号改元の他に詔書や勅書に関わっていたようです。

    29コマ目には「治部省」とあります。ここは、家々の姓氏を正し、五位以上の家の継嗣・婚姻を取り扱い、(中略)外国使臣の接待などをつかさどった役所2)と言われています。今の役所とも似ていて面白いですが、位によって結婚ができるかどうかを役所に決められるのは厳しい世の中だったようですね。

    35コマ目には「刑部省」とあり、「断獄刑法及び諸訴訟」を取り扱っていたとされます。今の裁判所のようなものですが、令外官である検非違使が深く関係しており、今と同じく判事が置かれていたようです。

    36コマ目には「大蔵省」とありますが、今の財務省とは少し違います諸国の庸調(租・庸・調),銭,金銀,珠玉などの出納保管,物価,度量衡を司る中央官庁3)だったそうです。今の財務省に近い役割を担っていたのは31コマ目にある民部省が重んじられていた3)そうです。

    37コマ以降には、今でも宮内庁として存在する「宮内省」です。この項目の説明が多いのも、天皇や皇族に直接関わることで、様々な仕事が必要であったからだと考えられます。

    上巻では主に8つある省について書かれていました。下巻はどうでしょうか。


    <出典>

    1)「式部省[シキブショウ]」. 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目電子辞書版』. ブリタニカジャパン株式会社. 2007.

    2)「ぢぶしゃう(ジブシヨウ)【治部省】(名)」. 松村明・山口明穂・和田利政. 電子辞書 『旺文社古語辞典』第十版. 旺文社. 2015.

    3)「大蔵省[オオクラショウ]」. 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目電子辞書版』. ブリタニカジャパン株式会社. 2007.

  • こちらの収録元データベースで閲覧することが可能です(https://www.digital.archives.go.jp/item/4005740.html)

    8コマ目には有名な伊勢神宮を担当する「伊勢齋官僚」と、先ほど禁秘抄中巻で説明した賀茂祭の「賀茂齋院司」についても書かれています。少し親近感が湧いてくるのではないでしょうか。また、その次には「勘解由使」や「検非違使」と書かれています。日本史の授業でも令外官の説明の時によく出てきますよね。

    18コマ目からは「蔵人」について説明がされています。「小舎人」には瀧口」の欄に「武勇の輩之補うべし」と書かれています。禁秘抄中巻でも瀧口は出てきた通り、弓矢において優れた者を採用していた、というのがずっと続けられていたようですね。宮中の慣例に対して厳格に従っていく姿が見て取れます。

    次は「諸國」について述べられています。神武天皇が即位したときから始まり、24コマ目に「成務天皇四年定始國造」とあるように、國が定められ始めたことについて書かれています。具体的には、大和・河内・伊勢・武蔵1)など「大國」(13カ国)、山城・摂津など2)上國(三十余国)、安房・若狭・薩摩など3)「中國」隠岐・淡路・壱岐・対馬4)などの主な配流先である「小國」(辞書では下国4))の4等級に分けられています。

    また、坂上田村麻呂が蝦夷を討伐したことで有名な征夷大将軍について書かれた「征夷使」について書かれていますが、坂上田村麻呂や平将門までは書いてあるのに、鎌倉幕府の将軍については言及されていません。私は書いても良いと思うのですが、残念ながら北畠親房の鎌倉幕府に対しての意見は読み取れませんでした。

    これで職原抄下巻は終わりです。しかし、50コマ目からは位についても書かれています。歴史上の人物を調べる上で、この職原抄の史料を見てどんな官職でどんな位で、どのくらい偉かったかなどを調べてみるのも良いかもしれません。


    <出典>

    1)「たい-こく【大国】」. 新村出. 電子辞書 『広辞苑』第七版. 岩波書店. 2018.

    2)「じょう-こく【上国】」. 新村出. 電子辞書 『広辞苑』第七版. 岩波書店. 2018.

    3)「ちゅう-ごく【中国】」. 新村出. 電子辞書 『広辞苑』第七版. 岩波書店. 2018.

    4)「げ-こく【下国】」. 新村出. 電子辞書 『広辞苑』第七版. 岩波書店. 2018.

【南北朝時代の有職故実②】

(著者:後醍醐天皇)

南北朝時代の有職故実②

南北朝時代(1336年-1392年)
南北朝時代(1336年-1392年)

後醍醐天皇の有職故実(1330年代)

後醍醐天皇

【館長からのひとこと】

建武年中行事」という有職故実書は、後醍醐天皇が書いたとされます。後醍醐天皇は皆さんがよく聞く天皇の名前の一人かと思います。建武の新政という言葉が有名なように、親政を志し、北条氏を滅ぼして建武新政を成就1)しましたが、まもなく足利尊氏の離反により吉野入りし、南朝を樹立した1)人物です。鎌倉幕府を倒し、天皇が自ら政治を行うようになったため、有職故実も発展したようです。

ご紹介した史料では臨時の際のこともよく書かれていましたが、現存する建武年中行事には恒例の年中行事の部のみが伝存し,臨時の部は伝わっていない2)そうです。また、従来の有職書が漢文であるのに対し,和文で書かれていて,国語資料としても貴重である3)と言われています。

では早速建武年中行事を見てみましょう。


出典:

1)「ごだいご-てんのう【後醍醐天皇】」. 新村出. 電子辞書 『広辞苑』第七版. 岩波書店. 2018.

2)「建武年中行事[ケンムネンジュウギョウジ]」. 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目電子辞書版』. ブリタニカジャパン株式会社. 2007.

  • こちらの収録元データベースで閲覧することが可能です1(https://www.digital.archives.go.jp/item/4230105.html), 2(https://www.digital.archives.go.jp/item/4230109.html), 3(https://www.digital.archives.go.jp/item/4216404.html), 4(https://www.digital.archives.go.jp/item/4216408.html), 5(https://www.digital.archives.go.jp/item/4216411.html)

    こちらが建武年中行事です。略解は1から5までありますので、気になった方は2から5も見てみてください。

    まず、5コマ目に「四方拝」とあります。これは1月1日に行われる朝廷の行事。(中略)天地,四方,および山稜を拝し,年災を払い,皇位の長久を祈る儀式1)とされています。お正月はお休みのイメージが強いですが、朝廷は大忙しだったようですね。

    13コマ目には、「小朝拝」というものがあります。これは親王以下六位以上の者が束帯で、清涼殿の東庭に並んで天皇に拝賀する2)儀式です。幕末まで存続2)したというのですから、これも朝廷の厳格さがこちらに伝わってきますね。

    16コマ目の「七曜暦」を見ると、「月火水木金土日」という記述がみられます。禁秘抄の中巻には六曜が用いられていましたが、これ以降は七曜暦が使われはじめたのかもしれません。どういった移り変わりなのか気になりますね。

    この略解1では、この四方拝について主に語られています。これまで見てきた蔵人舎人紫宸殿清涼殿などが出てくるのでより一層面白く感じられると思います。


    <出典>

    1)「四方拝[シホウハイ]」. 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目電子辞書版』. ブリタニカジャパン株式会社. 2007.

    2)「こ-ちょうはい【子朝拝】」. 新村出. 電子辞書 『広辞苑』第七版. 岩波書店. 2018.

建武年中行事略解2~5(気になった方はご覧ください)

【展示を見終わった人へのメッセージ】

有職故実の世界はいかがだったでしょうか。日本史であまり意味がわからずただ覚えただけ、、、といったワードも出てきたと思います。特に北畠親房の有職故実書は、官位や令外の官など全てにおいてとても詳しく説明が為されています。せめて、ざっと目を通していただきたい!それぐらい、私にとって衝撃的な書物でした。

他にも有職故実の書物はたくさんあります。今回取り上げた西宮記禁秘抄職原抄建武年中行事のほかにも、平安時代に藤原公任の書いた北山抄や同じ平安時代に大江匡房の書いた江家次第に加えて、南北朝時代が終わったあと、室町時代に一条兼良が書いた公事根源などなど、様々な有職故実の書物が存在します。

漢文が苦手、という人も、最近は有職故実の装束についての本や図解が出ているので、ぜひ本屋などで手にとってみてください。

それでは、また次の展示で会いましょう。

【展示関連イベントについて】

【有職装束展示会】

場所:市民会館

日時:2022年10月1日から10日まで

   10:00-17:00(最終受付16:30)


 !!服好きな方必見!!

 有職装束試着会

 朝廷、公家、貴族、武士が儀式の際着ていたとされる有職装束を試着できます!

  ①参加資格なし

  ②参加費無料




※新型コロナウィルス感染症予防対策のため、入り口での検温・消毒にご協力お願いいたします。


以上